第4話

 隣の町に噂が届くまで、それほど時間はかからない。誰か知り合いがこの町にいるわけでもないビーデルは、わずかに屋敷から持ち出してきた硬貨を使い、身を隠すためのマントと武器の短剣を二振り購入した。町の服屋で新しい服を買い、動きやすい靴を二足買い、持ってきた鞄に詰める。殺した相手は男爵の端くれだが、王の親戚である公爵と仲がいいと、いつも自慢していた男だ。恐らく調査兵隊が動くだろう。見つかる前に早くこの町も出た方がいい。あの村の失踪者は、イルネシアの家族とビーデルしかいない。三人の遺体を燃やしてきたとはいえ、犯人がビーデルだと分かるのは時間の問題だ。鞄を開けてパンを取り出した時、男が大声で叫びながら走ってくるのが見えた。


「隣の村の男爵が殺されたらしいぞ!」


 思っていた通りの時間で知らせが届き、ビーデルは聞き耳を立てた。


「何でも男爵とその奥さん、執事が一夜にして血まみれの遺体になっちまったそうだぞ」

「で、村からいなくなったのが四人いるらしいぜ」

「あ、それと、関係ねぇ話かもしれねぇんだけどよ」


 伝えに来た男がそこで口ごもる。気まずそうな顔を見て、町民たちが首を傾げながら続きの催促を始める。ビーデルもその様子を気にしながら、少し男に近づいた。


「村の女の子が一人、自殺していたそうだ。

 いなくなった四人ってのが、その女の子の家族と、幼馴染の女の子らしい……」


 ビーデルは道で立ち尽くした。彼女の横を、話を聞きに向かう町民たちが走り去っていく。


『村の女の子が一人、自殺していたそうだ』


 ビーデルの頭の中でさっきの男の言葉が反響する。


『いなくなった四人ってのが、その女の子の家族と、幼馴染の女の子らしい・・・』


 回らなくなった頭で、イルネシアの笑顔が浮かんでは消えていく。それと共に何度も何度も男の言葉が、頭の中で反響を繰り返す。ビーデルは耳を抑えてぎゅっと目を閉じた。脇の道を曲がって森の中に走りこむ。イルネシアが死んだ……。守ろうとした親友の死は、ビーデルには受け入れられない現実だった。涙が溢れだして視界が滲んでいく。それでも走り続け、やがて小さな滝の見える川に辿り着いた。そこでようやく足を止めると、崩れるようにして膝をつく。


「ああああああああああああっ……!!!!!」


 大声で叫んだ彼女の声が、滝の音にかき消されていく。次々に溢れ出す涙を拭うこともなく、ビーデルはひたすらに叫び続けた。親友の家族を殺し、大好きな村人たちを苦しめ、母と親友を無理やり犯した汚らわしい男を、この手で殺した。親友を守る為、そのたった一つの理由であり、ビーデルの全てになったものが、こんなにもあっけなく崩れ去ってしまった。ビーデルを支えるものはもう、何も残されてなどいなかった。生きる意味すらも奪われてしまった。彼女が逃げる意味は、もうなくなってしまったのだ。調査兵隊に捕まれば死刑は免れないだろう。だが、今の彼女にはそんなことなど、どうでもよかった。もう死んでしまった方が、彼女にとっては楽だった。








「でも、誰だか知らねぇが、あんな奴殺してくれて本当に助かったよな」


 微かに聞こえてきた話し声に、ビーデルは反射的に草むらに飛び込む。現れたのは川に釣りをしに来た親子のようだった。青年に向かって、中年の男が少し顔をしかめる。


「そんなことは言うもんでねぇ

 誰かに聞かれでもしたらどうすんだ?」


 少し訛りの強い言葉で青年を軽く注意する。だが中年の男の方も、青年の言葉に同意しているように見えた。


「大丈夫だってば親父

 にしても、誰がやってくれたんだろうな

 今も逃げてる感じだし、どうせなら俺らも助けてくんねぇかなぁ」


 伸びをする青年を見上げながら、男は小さくため息を吐いた。


「町長夫人のことかぇ?」

「おうよ」


 青年は次々に町民の困っていることを話し始めた。町の子どもに強く当たること、女には唾を吐きかけ、若くて顔のいい男は屋敷で働かせてセクハラを繰り返す。町民の出入りは常にチェックし、許可なしには出入りが出来ない。ビーデルは買い物をした店の人たちを思い出した。旅人だと言った彼女に、皆が口を揃えて、早いうちにこの町から出た方がいいと助言したのだ。理由は今聞いた町長夫人のことだろう。見つかる前に町から出ろ、そういうことだ。夫人は気に入った布や服は買い占め、無断飲食は日常茶飯事、まずいとクレームをつけては金をふんだくる。旅人からは通行料金などと言って多額の金を徴収、税金を勝手に値上げして払えなければ牢獄送り。青年は最近の話を始めていた。近くの小学校に来た女教師が美人で、嫉妬して服にインクをかけたりと、嫌がらせを繰り返しているらしい。このままいけば、家に放火もやらかしそうだと言い出したが、中年の男は小さく頷いて眉間にしわを寄せるだけだ。青年の話に大げさなところはないようだ。どうせ捕まるならば、この腐りきった国を救うために、悪事を働く貴族共を殺してからにしよう。何処か壊れたかのようなビーデルは、静かに草むらを立った。店の陰に隠れて様子を伺っていると、ちょうど近くの店から、噂の町長夫人らしき小太りの女が現れた。地面に頭をつける店主の背を、高いヒールの靴で何度も踏みつける。身長が低いから無理やり座らせたのだろう。町民は見て見ぬふりをして、自分に被害が及ぶのを避けようと必死だ。ビーデルは静かにその場を離れ、服や靴を買った店に入って、町長のことを聞こうとした。夫人の話は聞くのに、町長自身の話は全く聞かないからだ。


「そりゃ、町長は三年前に病死したからなぁ

 しかし嬢ちゃん、そんなこと聞いてどうすんだい?」

「いえ、ちょっと気になっただけですよ」


 ビーデルは聞き返されて、慌てて店を飛び出した。随分地味な店を選んで入っていたからか、町長夫人は近づきすらしないようだった。安心して再び森に入ると、さっき見つけた小さな洞窟に潜り込んだ。今日はここに寝よう。調査兵隊が町に来てしまえば、彼女を見つけるのにそう時間はかからないだろう。ビーデルは慎重派だ。よく考えて行動する。町民から聞いた話を思い出し、考え込む。話の内容は全て、町長が死んでからの夫人は、随分横暴な態度を繰り返し取っているという話だけだ。仕方ない、何とか夫人の近くの人間に話を聞きたい。彼女に何か理由があるのならば改善の余地はある。ひとまず今晩、屋敷に潜り込んでみよう。短刀を買った店で聞いた屋敷の場所は、町のはずれの丘の上だ。ビーデルのいる場所からは、十分にその姿が見えた。短刀一本をケースのベルトで足に縛り付け、ワンピースを脱ぎ下着姿になる。下のズボンは下着だとまずいからと、父の畑仕事で履いていたズボンを持って来ていた。ズボンを履き替えると、肩にマントを羽織り、フードを目深に被る。森の中を抜けて、ビーデルは日暮れの屋敷の裏に辿り着いた。屋敷の周りを歩いて侵入できそうな場所を探す。ちょうど厨房が窓枠だけになっており、肝心のガラスがない。侵入口を確認すると、ビーデルは少し離れた場所の木に登って軽い食事を始めた。屋敷の食糧庫から盗んできたものだが、少しやわらかいパンにチーズを乗せてかじる。日が暮れて使用人たちが帰ったら侵入だ。屋敷で彼女が悪事を働く理由を探るのだ。なければ殺そう。恐らく今日は、屋敷の内装を知る為と探索にしか、時間は使えないだろう。殺すならば明日だ。色々と考えているうちに、使用人が次々と出てきて屋敷の明かりが消えた。探索開始だ。

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