第2話
ビーデルはアルデハイト邸の前に立っていた。イルネシアの話では、両親とハンスはこの家に行ったきり、帰って来ないというのだ。ビーデルは彼女を元の部屋で待つように言い、一人でこの場所に立っていた。アルデハイト卿、ビーデルがこの世で一番嫌いな人物だ。この辺りの土地はこの男の領地なのだが、毎年きつくなる納税に、両親や村人が悩んでいるのは知っていた。大人たちが言うには、アルデハイト卿は毎日贅沢三昧な生活をしているらしい。ハンスも、自分たちが一生口に出来たら幸運だと、思えるような食事をしていると話していた。村を出歩いても、いかにも豪華な服やアクセサリーを見せびらかすように歩き、子どもを見かけると盗まれると、わざと隠してみせるような嫌味な男だ。彼の妻もまた似たようなもので、執事に至っては、こんなみすぼらしい村に出歩くなど御免だと、ヒステリックに叫ぶような具合だ。ビーデルは、正直こんな場所になど近寄りたくなかった。だがこれも親友の為だ。何故家族がここに来たのか、理由を言いたがらないのも気になる。ビーデルは重い足取りで、大きな扉に付けられたドアノッカーを握った。その時だった。屋敷の裏で何やらドンッという、地面に何かを置いたような音がした。ビーデルはこっそりと裏口に回り、草むらから覗いた。
「何だ、この箱?
随分と重いし、鍵はかかってるし、これを裏に放っておけって……」
「なんだか知らんが、木箱にしちゃあ重すぎるし、気のせいかなんだか臭いよな」
若い男が二人、汗を拭いながら、目の前の巨大な木箱を見下ろしていた。蓋には南京錠がかけられ、更にひものようなものでグルグル巻きにされていて、見るからに怪しい箱だ。二人の使用人も首を傾げていたが、やがて中から声をかけられ、慌てて駆けこんで消えた。ビーデルは静かに箱に近づいた。使用人たちが言っていたように、なにやら血生臭い匂いがする。近くで斧を見つけたビーデルは、その木箱の板を一枚はがし始めた。彼女が汗だくになった頃、ようやく薄く残った皮をはがすだけになった。ビーデルは最後だと勢いよくはがした。ドンッ。少し揺れた衝撃からか、箱の中で何かが当たる音がした。周りにばれていないのを確認し、開いた隙間を覗き込む。血の匂いが濃くなり、おもわずエプロンで鼻と口を覆ったビーデルは、一瞬で掴んだ斧を落としてしまった。開いた隙間に見えたのは、イルネシアとビーデルが昔作ってハンスにあげたお守りだった。よく見ると、奥のほうには母親のエプロンのアップリケ、手前の下には父親のスカーフがある。死んでいる――。それも、おそらく殺された。柔い十二歳のビーデルには大きすぎるショックだった。だがそれ以上に、どうしようもない怒りが沸々と湧き上がってくるのを感じる。ごみを捨てに裏口を開けた使用人の横をすり抜け、ビーデルは全速力でロビーを突き抜け、二階に駆けあがった。後ろから何人もの大人が追いかけてくるのが分かる。それでも迷うことなく、ビーデルはアルデハイト卿の書斎を開け放った。あまりの音に飛び跳ね、ぶよぶよと太った体をこちらに向けた男は、そこで怒りに身を任せて飛び込んできた愚か者を見た。確か、前に使用人として雇っていた女の一人娘だ。なるほど、彼女とよく似ている。アルデハイトはにやりと嫌な笑みを浮かべ、少女に向かって椅子を勧めた。ビーデルはその声を無視し、息の切れた状態で叫んだ。
「イルネシアの家族を殺したな!」
「あぁ、殺したとも」
男は更に笑みを深くして即答した。
「私の申し出を断るから悪いのだ」
「“申し出”・・・?」
首を傾げた少女の後ろに、使用人たちが現れたがそれを手で制する。
「そう、イルネシアを我が娘にしてやると、そう言ったのだ
なんせ昨日、私はあの子と“仲良く”なったからねぇ」
笑みを深くする顔は、本当に鳥肌が立つほどに気持ちが悪い。ビーデルはそれでも後ずさりせず、それどころか一歩踏み込んだ。
「“仲良く”・・・?」
「そう、私の遺伝子が今、あの子と繋がろうとしているのだよ」
ようやく意味を察したビーデルと、話を聞いていた使用人の顔がこわばる。
「そうそう、お前の母親のマリエッタだったか?
あの女とも“仲良く”やってたんだよ、何度も何度も……」
そしてゲラゲラと笑い声をあげ始めたアルデハイトに、ビーデルは跳びつこうと身構えた。しかし、その彼女の肩にアルデハイトの執事、ヴァエスタが白い手袋をしたまま手を置いた。彼女を使用人に片手で放り投げ、外に出すように指示すると、主に頭を下げて扉を閉めてしまった。暴れるビーデルを裏口から外に出すと、使用人は小さく、もう来ないように注意した。その目は、ビーデルを捉えてはおらず、どこか虚ろに見ていた。
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