第4話 退避


 ともかく、地道に戦術的勝利を積み重ねるからと言って、現状分析を諦めているわけではない。

 坪内佐は、どうやら現状分析の目鼻をつけたようだ。

 小田佐と打ち合わせの上で、詳細はまだ判らないものの、その話の一部が任務として降りてきた。


 美岬と美鈴メイリンの安全を確保しろって。

 優先順位は、「なにを於いても先ず」。

 すべてを放り出せということだ。

 そして、一食ごとの食事にも最大限の注意を払え、と。


 慧思と具体的手段について相談するけど、あっという間に行き詰まる。

 おそらく、料理研究家としての美岬の顔は、すでに安全ではないということだ。

 単にマスコミの取材なんかでも、危険が伴うことが想定されている。


 それに、美岬は妊娠中だ。

 妊婦健診をすべて打っ千切ぶっちぎって、野良妊婦化すればなんとかなるけれど、そういうワケにもいかない。でも、医療に関わったら、いくら身を隠せていても一瞬で所在がバレてしまう。

 美鈴メイリンも、いくらネトゲ廃人になっていても、さすがに自分からネットに繋がることはないと思う。だが、万が一、どこかのWi-Fiなりで自動的に繋がってしまうような事故が起きたらアウトだ。


 それに……。

 任務の意味を考えると、恐ろしいものがある。

 俺と慧思のバディ、美岬と美鈴メイリンは「つはものとねり」から切り離されるということだ。

 俺も慧思も、そこそこ「つはものとねり」内で中心的に働いてきた。それなのに、自分の家族の護衛を最優先任務にされるということの意味は、俺たちの存在自体が「つはものとねり」にとってリスクだということだ。

 さらに言えば、もしかしたら、俺たちはデコイにされたのかもしれない。


 俺たちのスキルで本気で逃げ、それでも姿を見せずに確実に追跡してくる相手が想定されている。そんなのを捕捉するためには、他の「とねり」を信用して、全能力を挙げてデコイに徹するのが一番良いのは解る。

 でも、いつものように動けない美岬を抱えてどこまで逃げられるか、また定期的に医療機関に顔を出しながら、そのたびに相手の追跡をどこまで振り切れるか。

 おそらくは、今までで一番、荷が重い戦いになるだろうな。



 慧思、まずは打ちたくないメールを打つ。

 妹の弥生ちゃんと、新婚ほやほやの妻、和美さんあてだ。


 「しばらく、音信不通になる」


 この言葉の意味を、二人は知っている。

 「つはものとねり」は知らなくても、俺と慧思が身の危険のある仕事をしているのは知っているからね。

 文字どおりの「覚悟」を強いるメールになる。


 俺は、姉にメールを打つ必要はない。

 俺の身になにかあったら、「最期」は遠藤権佐が伝えてくれるだろう。



 慧思と、美岬のいる武藤家に帰る。

 途中で美鈴メイリンを拾って、だ。

 いつもの応接で、任務について検討する。

 そして、おそらく俺たちは囮だということも話す。

 ただ、ここで美鈴メイリンから疑問が出た。

 美鈴メイリン自身も囮なのか、ということだ。


 実は、美鈴メイリンにはそれほどの価値がないのだ。

 元々出身国の情報をそう多く持っていたわけではないし、すでに日本に来て長く、その少ない情報すら陳腐化している。

 生まれつき持った指先の鋭敏ささえも、高感度センサーで代替が利く。

 敢えて言えば、俺たちに繋がるルートではあるけれど、連れて一緒に逃げるほどの意味はない。俺たちが、美鈴メイリンに話している情報には一定の範囲があるからだ。

 また、わざわざ追いかけて殺す意味はさらにない。


 唯一の可能性になるものとしては、国籍だ。

 美鈴メイリンは、わざと帰化していない。

 ただ、それがどのような意味を持つのか、今の段階ではまったく判らない。


 ただ、俺たちも含めて、「の組織から逃げるのか」は推測できる手がかりにはなるかもしれない。

 せいぜい、そこまでの話で検討は終わった。

 材料が少なすぎて、考えが先に進められないのだ。

 今は、自分たちの身の振り方を考えるのが先ということもある。


 美岬が言う。

 「二つ選択肢がある。

 ここを出た振りで留まるというのが一つ、本当に脱出するのが一つ」

 うん、それは俺も考えている。

 この家は要塞だ。

 実際はここにいなくても、生活音等全て含めているように偽装できる装備がある。

 また逆も可能だ。

 ここにいても、いないような偽装もできるのだ。


 「出よう」

 慧思が短く言う。

 「なぜ?」

 俺も短く確認する。

 「ここにいて、いないような偽装が通用する相手であれば、このような形の護衛任務にはならない。

 おそらく坪内佐は、そんな小細工が通用しない相手だと踏んでいる」

 ……反論の余地はない。


 ただ、今の美岬は長距離ドライブに耐えられる体ではない。

 どうしても、なんらかの安住の地が必要だ。

 

 「手がな、一つだけ思いついてる」

 慧思が言う。

 「あるのか、この八方塞がりの中で……」

 「卒業旅行、覚えているか?」

 「高校の時のだな?」

 「ああ、美岬ちゃんの案の式根島だ」


 式根島。

 新島の隣の小さな島だ。

 そこそこの数の民宿と、貸別荘がある。

 船の発着を見張れば、それで監視も終わる。極めて守りやすい土地とは言える。

 ただ、大きな問題がある。

 東海汽船を使ったら、その段階でバレる。他に島まで渡る方法は……。


 「釣り船のチャーターか?」

 「ああ。

 伊豆の下田あたりまで、Nシステムとかを避けてたどり着き、そこから船に乗る。

 予約は電話一本で済むし、偽名でも、偽造の身分証でも向こうはわからん。

 これで、記録なしに海を渡れる。

 美岬ちゃんはさすがに無理だけど、美鈴メイリンは男に化けて貰らおう。

 それだけで、探知される可能性は、さらに激減するだろう。

 あとは、現地で療養目的の長期滞在として宿を確保すれば、不自然ではないだろう。

 一応診療所もあるから、美岬ちゃんも、よほどの急変がなければ安心もしていられる。

 そしてなにより、いざとなったら新島経由にはなるけれど、調布飛行場まで飛行機で一瞬で帰れるのも大きい」

 

 確かに、いい手かもしれない。

 俺たちの過去を綿密に洗えば、式根島は出てくる地名ではある。

 その一方で、ここまで相手が見える場所はそうはない。

 どこかの自衛隊の基地に閉じこもってさえ、ここまで人の出入りが見えはしない。また、そういう人の出入りが完全に見えるような厳重な基地は、そもそも妊婦連れの俺たちが入れない。


 安全と囮になる、その両方が成立する稀有な場所ではあるな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る