第5話 逃避行
そうと決まれば、俺たちの行動は速い。
慧思は下田までのルート確認。
俺は、ネットで釣船屋を探す。
もともとがボーイッシュなので、違和感は少ない。ただ、喋るとバレるので、その辺りは気をつけないと。
俺は、良さそうな釣船屋に見当をつけ、値段交渉を含めて予約を済ませる。
式根島での貸別荘も押さえた。
民宿と違い建物が独立しているので、ブービートラップも仕掛けようがある。
「釣りをして、その魚を食べながらリゾートをするから、自分で料理できる民宿以外の場所に泊まる」というシナリオも不自然ではない。
慧思は、車の手配。
「つはものとねり」が数台持っている中で、融通を利かせる。
目立たない中で、最大の車種を選ぶ。監視網を避けての移動は、どうしても回り道が増えるので美岬の体調を慮ってくれたのだ。これなら、横になれるからね。本当であれば、乗用車という選択がベストなのだがやむを得ない。
組織の車は、車体番号まではごまかせないけれど、それ以外はおおよそ弄ることが可能だし、人工衛星から見える特徴もエアロパーツの取り付け等で変えることができる。立体駐車場など、屋根のある場所で小細工すれば、人工衛星の目を欺くのは不可能ではない。
ただ、問題は、その車までの移動手段がないことだ。
車をここまで持ってきてもらうなど、本末転倒でお話にならない。
なんとしても、一度は痕跡を残さずに移動しなければならない。
いわゆる「縁切り」をしなければならないのだ。
この事態に至っては、公共交通機関はおろかレンタカーなど当然使えないから、中古車を購入してしまう。必要書類はすべて用意の上で、在庫の完動車を即金で買って、その場で書類を書き、店側がその諸手続きを関係機関と終わらせる頃には乗り捨てているようにするのだ。
一時間から長くて二時間の移動、そのためだけに車を買う。
車を買うという感覚ではやってられない。あくまで、安全を買うのに他ならない。
美岬は荷造りを済ませ、不慮の事態に備えて食糧や飲料水の備蓄を別に用意している。クーラーボックスも、だ。
なぜならば、最悪、車中泊を続ける可能性もありうるからだ。
あり考えたくはないけど、手が回ったら船には乗れない。その場合、国内を転々と逃げ回る事態すらありうる。そして、今日日、防犯カメラのない小売店は極めて限られる。
とはいえ、小手先のテクニックであっても、それをしっかり積み上げれば、これだけ監視網が発達した現代でも、身を隠すということは不可能ではない。
最大の悩みとなったのは、武器の携行。カバーとなっている身分証を含め、すべてを置いていく。武器は、自らの身を守るために必要ではあるんだけど、ね。
銃火器は、いつも諸刃の剣なんだ。
悩んだ挙げ句に、置いていくことにした。
今の俺の腕ならば、身の回りのもの、なんでもが武器になる。それで満足しよう。
準備が整ったところで、「つはものとねり」に来援要請を出した。
俺達がそもそも囮かもと考えると可笑しいけれど、囮の囮を用意するためだ。
また、この家を出る一瞬のチャンスを作るためだ。
ここまでやっておけば、まぁ、一旦は隠れられる可能性は低くない。
ただなぁ。
こうならないために、美岬を引退させたはずなんだ。
どれほど時間をおき、どれほどほとぼりが冷めれば普通の生活が戻ってきてくれるのか、想像もつかない。
それが、未来を闇に見せるよ。
そして、決して油断はしないけれど。
遊ぶときは真面目に遊ぶ。どれほど楽しくなくてもだ。
釣り船をチャーターして、船室に閉じこもって出てこなかったという方が、却って問題だからね。
釣り船は船舶無線で、同じ港の船や、同じ海域の船と常に会話している。そこで、船室に籠もったまま出てこない、なにをしに来たか判らない客がいるなんて、呟かせるわけにはいかない。
嘘は真実の中に埋もれている。工作とはそのようにするのだ。
精神的負荷はより掛かるけどね。
さて、出発。
上手く行けば、明日の今頃は海上だし、さらに1日頑張れば陸地が踏める。高校の卒業旅行以来、ほぼ10年ぶりの白い砂だ。
幸運にも、天候は崩れていない。
妊娠した妻との逃避行なんて、映画みたいだよな。
埼玉で車を乗り換え、慧思と交互に運転し、伊豆半島に入る辺りの高密度にカメラが設置されたエリアも無事通り抜けた。
美岬は強い。
強いからこそ、無言で無理をしてしまう。今は、それだけは避けさせねばならない。
下田の街の雰囲気は明るかった。
初めて来たわけではないけど、ゆっくり散策してみたい街だと感じた。
ただ、今回は水族館などもすべてパスだ。
不用意に姿を捉えられることも避けたいので、車から出ることも最小にせねばならない。
時間を見計らって、釣船屋の駐車場に車を止め、荷物を下ろす。
乗り捨てた車は、「つはものとねり」から依頼された回収業者から業者へ、数社を転々としてから戻される。
釣りをする海域まで寝て行けるというのが売りの船を選んだので、美岬は寝ていくことができるだろう。もっとも、潮風に当たりたいのであれば、そちらを優先してもらえばいいけど。
一旦、港から出てしまえば、一気にガードを下げられるしね。
そもそも、話したいことは山ほどあるのに、家を出てから会話すらほとんどしていないくらいだ。
船に乗ったら、あとはもう、船長任せでなにもできることはない。
釣り場に着いたら、少し欲張って魚を釣り、式根島で過ごす間の食糧を確保して買い物の回数を減らす。
その後は無事に上陸を目指す。
それだけだ。
そして、全てはそのあとからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます