第9話 勧誘


 「じゃあ、『アメリカの民間軍事会社PMSCに話をつけてやる』ってのが有効ならば、是非お願いします。

 二度と失敗はしませんし、あなた達に対して、絶対に敵対することはありません。

 もしも、有効でなくて殺されちゃうならですけど、お願いですからあまり痛くしないでください。それから、私、美人でもないですけど、あんまり顔が崩れちゃうと葬式の時に親が可哀想なんで、撃たれるのは心臓とかがいいです。

 さ、どうぞ」

 そう言って、羽織ったパーカーの前の部分を押し下げ、胸の中央を「ここだ」と指差す。


 不覚にも、美岬の谷間より浅いけど、美鈴メイリンのよりは深いなどと考えてしまった。咄嗟に、美岬の視線を意識して猫をかぶったけど、間に合ったかな……。

 ごめんよー、俺だって、男なんだよー。不意打ちは卑怯だよ。


 「話は終わっていない。

 終わらせたいのならば、終わりだ」

 全く動揺しない坪内佐の言葉。

 久野さん、ぴたりと静かになる。

 昔の慧思と一緒だ。黙るべきTPOを心得てはいないけど、指摘されると素直に黙りはするんだ。


 「君の志望したアメリカの民間軍事会社PMSCは、米海軍にもコネがある。表向きは陸軍のみだがね。

 その関係で、日本、ひいてはうちの組織とも縁が深い。

 ただ、その姿は表向き見えない。

 PMSCの業務は直接戦闘にせよ、要人、施設、兵站などの警備にせよ、陸上が多く、次が空だ。

 つまり、その会社の業務実績等で海の件はまずは現れない。

 そして、だからこそ、今回の調査依頼は海のルートで来た。

 君の調べは甘い。

 本当にそれだけかと、社の個々の人材まで踏み込んで調べれば見えてくるものがあったはずだ。ネットに公開されている情報を底まで浚えば、今の私の言ったことは押えられた。

 君が組織に属しているか否かではない」

 「はい」

 「次に、科学知識、機器選定等についても、甘えが見られる。

 自らが文系だからと、情報収集のジャンルに偏りが出るのは甘えだ」

 「はい。申し訳ありません」

 「OBとしての忠告だ」

 「っ!!

 先輩だったんですか?」

 「ああ、これ以上は話さないがね」

 「そうですか、先輩でしたか。

 嬉しくて、助言もありがたくて涙出ます」


 次の瞬間、久野さん、いきなりベッドの上で正座し、頭を深々と下げた。

 「先輩、私が自分で調べて、先輩に辿り着けたら、私を先輩の組織に入れていただけませんか?

 お願いいたします」

 「止めておくことだ。

 私の四年上の先輩が同じことをトライしている。君より遥かに条件が厳しかったこともあり、組織の中枢に食いつくまで満身創痍で十年掛かった。

 確実に君より優秀な人だが、人生に取り返しのつかないロスが生じた。研究に身を捧げていれば、フィールズ賞か、ノーベル賞かという逸材なのに、だ。

 こんなことは、人生を狂わせてまですることではない」


 勢い良く、顔を上げて久野さん、坪内佐を追い詰めてきた。

 こうなると、一周回って、この懲りなさが微笑ましくもある。

 「先輩、今、ダメとは言わなかったですね」

 お願いです。

 一緒に働かせてください。

 最初からきちんと給料をいただけるだけは働いて見せます」

 「『無給でもいいから』と言ったら、どうやっても甘えが抜けない人間と断じるつもりだった。

 だが、それでも君は今なお、事態を軽く見ている。

 ここにいる三人は、決して表にできない作戦を生き延びてきている。十六歳で自分に向けられる銃口を体験し、それから十年以上を戦い続けてきた古参だ。

 もう一人も、筆舌に尽くせぬ経験と特技を持っている。

 十日間、この内の一人と同じ生活ができたら、君を認めよう。

 もっとも、その十日で終りではなく、あくまで入り口に過ぎないが、ね」


 えっと、俺も慧思も、やりかけの仕事をたくさん抱えているんですけどね。

 持ち上げられても、それでチャラにはできませんよ。

 美鈴メイリンだって、寝る間も惜しんでネトゲに忙しいんだぞって、これは考慮しなくてもいいかな。


 「分かりました。やります。耐えてみせます!」

 「そうだな、とはいえ、本当に現役と一緒は厳しいかも知れないな。

 現役を離れ、すでに主婦になっている相手とであれば一番楽だろう。同じ女性だし、付いていけないという言い訳もできない。

 リタイアした人間の日常についてこられないのであれば、この世界のどこへ行っても無理と思え」

 おいおい、美岬を引っ張り出したかよ。


 「一日だけをさらに十日増やして申し訳ないが、その代わり、現在試作中の商品の試作費およびファーストロットの代は、すべてこちらで持とう。

 どうか?」

 どうかって、その美岬への提案、数百万掛からないか?

 日給二十万円換算なら、その仕事、有給とって俺がするぞ。

 と、そうか、坪内佐のことだからとは思ったけど、いろいろとこれ、考えられているよ。


 俺と慧思では、身の回りの書類一つを見られただけで、よろしくないことになりかねない。

 この懲りない久野さん相手では、訓練以外の部分でガードを上げ続けるのは相当に大変だ。見るなって書類は必ず見ようとするよね。

 まぁ、大変というより、これは相当に面倒くさい。

 こっちが書類ロッカーに鍵を掛けたら、ピッキングを覚えようとするような人間だからね。


 その一方で、美岬の周囲にはすでに機密の書類は一切ない。

 美岬は面が割れていて、事業もしていて、マスコミへの露出もある。

 組織と美岬個人が久野さんの中で結びついてしまうことは、一見よろしくないことに見える。

 けれど、すべての電子機器を取り上げて訓練は行われる。つまり、美岬がマスコミにも露出している「双海美岬」であるという証言はできても、証明はできない。

 となると、マスコミに出ている有名人に対して、妄想を持ったおかしな人が粘着しているっていう構図が作れる。


 言っちゃ悪いけど、久野さんの普段の日常も悪い。スパイ映画を見すぎて病んじゃった人っていう設定の否定が、本人にはできないんだ。友人関係だって、きっと敵に回る。

 だって、身辺調査でハマった映画の題名まで割れてきているんだから、久野さんの周囲の反応は、相当に生温かいはず。言い訳が通用するわけがない。

 そうなれば、表の警察も動くし、簡単に対処ができる。

 この状態でさらに頑張ったら、妄想が高じての強制入院コースだ。


 むしろ、美鈴メイリンなんかの方が、逃げるのが難しいよね。

 つきまとわれても、警察に「女同士で危害に及ぶことはありえない」なんて判断されて、「じゃ、仲良くしてください」なんてピントの外れたことを言われて終わりかも知れない。


 さすがだな。「つはものとねり」にとって、弱みである美岬という存在を強みに変えてきたよ、坪内佐。

 しかも、ここで多大な予算を出すってことは、組織外員数にするつもりもあるんじゃないだろうか? 表の有名人の利用価値ってのを解っているはずだもんね。


 「仕事を選ぶ権利はこちらで持ちます」

 はは、美岬も俺と同じことを警戒したな。

 線を引いたんだ。

 そうでないと、退職した意味がなくなる。

 今回は、機密事項に触れることが一切ないからいいけど、そういう仕事に巻き込まれたら、また一定期間、知った事項が古びるまで、現役と同じように身の安全を図らねばならない。

 バイトで済む範囲ってのを見極めないとね。


 「今回はお受けしますが、金物商品の試作費用のみで結構です。

 替わりに、服飾デザイン画三十枚を、権利関係をクリアした上で、美大のデザイン科の学生に描かせてください」

 「了解した」

 平然と頷いたな。

 坪内佐、美大にまでも伝手があるのか……。


 で、美岬の意図も解る。

 思い切り楽したな。

 美岬、相変わらず女子力はそう高くないから、エプロンのデザインとか頑張っても、機能重視になりすぎて軍服? だったりしてたんだ。

 だいたい、揚げ物する時の油ハネ対策に、エプロンにテフロン板を貼るなんて発想、「防弾チョッキかよ」って、さすがに俺だってツッコんだよ。洗濯不要で掃除が簡単って、それは違うよなぁ。

 どうもさ、考えて考えて、思考が袋小路に入った時に出てくるアイデアが、「神が降りてきた」じゃなくて、「地獄の一丁目」に辿り着く傾向があるよね。

 まぁ、そうなるように生きてきた期間が長いからねぇ。


 俺にとってもどうこうできるジャンルじゃないから、美岬の七転八倒を生温かく見守るだけだった。俺も、一度はしまむらとユニクロから卒業しようとはしたけど、やっぱり無理だったんだ。

 ともかく、まあ、ヒントが三十もあれば、そこからなにかを産むことは、無から産むよりずっと楽になるよね。

 いっそ、その美大とコラボしたっていい。初期ロットの売上が一定数確保できるじゃん。

 ま、当然考えているよね、んなこた。



 「よろしくお願いいたします」

 久野さん、美岬に頭を下げる。

 「十日の日程を確保できるのは、何日後から?」

 と返す美岬。

 「いつでもいいです。

 研究室に連絡だけ入れられれば、休むのは一週間と一日分ですから、どうとでもなります」

 「では、明後日からにしましょう。

 最低限の着替え以外、なにも持ってこないこと。

 どのようなものであれ、電子機器を持ってきたら、即すべてが終わると思いなさい。

 隠すことの無意味さは、今日、解ったはずです」

 「はい」

 「〇〇駅、東口改札、9時必着」

 おいおい、自宅に引っ張り込むつもりかよ。

 あ、逆か。

 美岬、各部屋の鍵を掛けないつもりだ。

 そうすれば、屋内の全行動が自動的にモニターされる。

 むしろ、ビジネスホテルにでも泊まられている方が、野放しになってしまうんだな。

 まあいいや。

 久野さんには、地獄を見てもらいましょうか。


 「念のためにお聞きしますが、食費とかも不要でしょうか」

 「不要です」

 そう答えながら、美岬がサングラスを取る。

 ま、十日も正体は隠せないからね。事前打ち合わせとは事情が変わっちゃったけど、どこかで明らかにしておかなきゃならなかった


 久野さん、一瞬驚きの表情を浮かべた。

 「もしかして、ネットか雑誌で見たことがある人っていう気がするんですけど……」

 「そうかもしれませんね」

 「どこまで、網が伸びているんでしょうね?」

 「大したことはないですよ。では、自宅前までお送りしますから、待ち合わせには遅れぬようお願いします」

 そう美岬は会話を強制終了させた。

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