第10話 帰り道


 中尉のバディが車で戻ってきて、慧思と久野さんを乗せて走り去っていった。

 美岬が、坪内佐に向き直る。

 「坪内佐、彼女のネット監視をお願いします。

 自宅に戻り次第、彼女は私のことを調べる。

 それは構わないのですが、SNS等含め、なにかの情報がアップされるようでしたら、処理をお願いいたします」

 「安心しろ。そのつもりでいる。

 今の間を活かし、彼女の部屋にウィザードに入ってもらっている。これで、パソコンの内部に至るまで監視ができるようになっている。携帯にも手を加えた。

 本当に申し訳ないが、協力をお願いしたい。

 あそこまでの人間でなければ、このようなことは必要ないのだが……」


 絵に描いたような、苦虫噛み潰した表情が却って可笑しい。

 きっと、若い頃の自分を見ているような気がしているに違いない。行動が読みきれないのだ。

 なにをしでかすかわからない人間ってのは、一番怖いよな。

 あの久野さんって人は、今回俺達が与えた恐怖では足らないだろう。また、自分の好奇心を満たすために動いてしまう。落ち着いてもらうには、もう少し腰を据えた対応が必要だろうね。


 「……今度、坪内佐がスカウトされたときのことを教えて下さい」

 俺も話に割り込む。

 「堪忍してくれ。

 私自身も知らないところで、いろいろやられていたんだ。思い出したくもない」

 坪内佐がこのような形でしてやられたことを白状するの、初めて聞いたよ。

 よほどの、なにかがあったのだろう。

 今の久野さんのような、では済まないレベルかもしれないね。



 − − − − −


 美岬と一緒の帰り道。

 美鈴メイリンは相変わらずセーフハウスに住んでいるので、その前まで送り届けた。

 俺がハンドルを握っている。どうせ高速で一時間だから、俺も帰って落ち着いて寝ようと思ったのだ。慧思は慧思で考えるだろう。

 打ち合わせなどしなくても、明日はまた顔を合わせることになる。


 それに、明後日から久野さんがいるとなれば、しばらく美岬分の充電にも事欠くことになるからね。今日は帰らないと。

 美岬が引退した日に、「もうこんなこともないね」と話しながら一緒に帰ったものだったけど、わずか数ヶ月でまたそんな機会が戻ってきた。


 車内の話題は、当然のように久野さんのこと。

 あのめげない心、観察力と洞察力、そして行動力。

 美岬の赤外光まで見えるという資質を、見抜かれないようにしないとだ。

 どこの部屋で寝かせるとかも、そのあたりを考慮せざるをえない。

 ま、まずは美岬がハイポートの洗礼を浴びせるのだろうな。

 それでも余裕が残っていれば、の話だけど。


 サービスエリアのスタバでコーヒーを買い、引き続きハンドルを握る。

 助手席の美岬が、独り言のように呟いた。

 「菊池くん、久野さんの胸元を見てたよね。

 やっぱり、男の人って、視線がいくのかなぁ?」

 くっ、また難題を……。

 「そうだよ」と答えれば、俺も見ていたかを問われる。

 「そんなことないよ」と答えて、美岬のつぶやきが実は鎌かけだったら、俺は墓穴を掘る事になる。

 この手の問いは、答えたら負けだ。


 一秒間、でも、深く悩んで逃げの一手を打つ。

 「坪内佐はどうだった?」

 にやにやしながら聞いても良かったんだけど、「過ぎたるは 猶及ばざるが如し」っていうからね。表情は変えないことにしたよ。

 「何を言っているのよ。

 あの時、坪内佐と久野さんは近い距離で向き合って話していて、私は坪内佐の斜め後ろにいたでしょう?

 坪内佐の視線の先が判るわけないじゃない」

 くっ、こいつは、鎌かけだ。


 「そうか。

 そうだったね」

 そう言って、運転に集中しているふり。でも、当たり前のようにバレている。そして、バレていることを俺は知っている。

 「ねえ、真。

 真も見ちゃった?」

 随分と単刀直入だな。

 「そりゃあ、弾を撃ち込む先だっていうサインだったからね」

 論理をすり替える俺。


 「今さら、高校生でもないのに、なぜ聞いたかは解るよね?」

 ……そういうことか。

 「了解、明後日からは気をつける」

 「はーい」

 「それから……」

 「なに?」

 「帰ったら、仕返ししちゃるから覚悟しておけ」

 そう宣言して、この話は打ち切った。


 まったく、もう……。

 あの久野さんのポーズは、「こちらの人員の練度の確認をする意図」があったと美岬は言っているのだ。

 突発的な性的アピールがされた場合、組織人としての行動規範と、個人としての本能の間に、一瞬でも無意識に人は挟まれる。その結果、個々の人員がどう反応するかは、基本として三種類に分かれる。

 一つ目は、行動にも、妄想にも走らない。二つ目は、行動には移さないけれど、妄想には浸る。三つ目がルールを無視して行動に出る。だ。

 その見極めは、罠を掛ける方からしたら極めて容易だ。


 そう考えた時、あの場にいた俺を含む男性三人の反応も想像がつく。

 坪内佐は、組織を束ねる立場にいるという自覚を持っている。しかも、久野さんの打つ手などお見通しだろう。だから、ただ単に風景として見たはずだ。目も逸らさないけど、注視もしない。

 慧思は、ぎょっとして一瞬視線を持っていかれたはずだ。

 あいつの人格が老成した渋いものであっても、あいつの身体はまだ二十歳代なんだからそうならざるをえないだろうな。でも、次の瞬間には目も逸らさないけど、注視もしないモードになる。


 俺も慧思とそうは違わない反応だったはずだ。

 俺は、久野さんの意図に、事前からは気が付かなかった。さんざっぱら緊張し、内分泌系が乱れた後だから、同じ系統の少量の分泌は嗅ぎ取ることが難しい。でも、美岬から見れば、その意図による緊張が顔色には出ていたんだろうね。

 ともかく、俺たちの反応は、三人揃って一つ目に落ち着いたはずだ。

 実は、これって凄いことなんだよ。


 俺たちは、一般の会社の事務室とかにいるわけじゃない。

 もしそうならば、一つ目は割りと当たり前だ。

 でも、対象を拉致して、どうにでもできる状態においているという優位がある中での、一つ目という選択は正直どうだろうね? 無意識に二つ目が増えるんだよ。三人揃ってその状態でも一つ目ってのは少ない。つまり、「次の瞬間に目をそらす」タイミングが遅れる奴が出るんだよ。

 俺も慧思も、「ラッキー」とか「眼福ぅ〜」なんて思うタイプではない。だから、タイミングは遅れない。

 そうか、だから坪内佐は、そのあと強制的に話題をもとに戻し、久野さんもそのまま話に乗り続けたのだ。

 ま、久野さんから見て、合格点だったということか。

 あれだけ脅したってのに、まだこちらのを続けていたわけだ。


 久野さん、自分が犯される危険な可能性を解っていないのかも知れないね。

 まったく、どこかで懲りてもらわないとだよなぁ。

 でも、そんな役目は絶対イヤだな。

 ま、角度を変えて責めて、明後日から泣いてもらおう。


 美岬は、高校生の頃であれば、俺が他の女の子の胸元に視線を奪われたらもう少し感情を動かしたかも知れない。だけど今は、そのくらいのことはいちいち騒ぎ立てる程のことではないと思っている。

 その辺りの感覚、美岬も俺も常人とは違う。人の本能ってやつの動きを、それはもう、嫌ってほど見せられてきているからね。

 純粋に、警報を鳴らすという意味でこの話をしたのだ。

 だから、俺も、明後日から気をつけると返した。


 ただ……。

 話の持って行き方が、美岬が密かに持つ弩S心を満たす方向であったことは間違いない。

 おとなしい顔して、ときどきそういうのを出すんだよな。

 俺の反応を密かに楽しんだ。俺はそれに気がついている。

 俺は、そんなS心を黙って満たしてやるつもりはない。

 今晩は、俺がお仕置きでイジメてやるっ。

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