第8話 笑う対象
タオルを掛けたのは、上半身がはだけているのを隠すためだ。
これを機に見ておこうなんて考えは、俺も慧思もない。もしも、
俺たちが、再度視線を外している間に、美鈴がシャツを脱がせ、パーカーを頭から被せる。
そのあと、慧思と二人で担架に移して殺風景な部屋から運び出し、隣の部屋の簡易ベッドに横たえる。
美岬が、乱れた服を整えてやり、髪も梳かしてやった。
ベッドの横の椅子に座った
やはり、美鈴、指先仕事はこんなことでも上手い。
坪内佐が部屋に入ってきた。
そして、十五分後、
起きるなり、「ひいっ」と悲鳴を上げて、毛布を頭から被ってベッドの端でうずくまる。
そこへ、坪内佐が声をかけた。
「おのれの愚かさに対し、反省は済んだか?」
びくっ……。
脅えている。追い詰められた小動物のにおいだ。
「志望が変わらないのであれば、アメリカの
二度とこのようなことを経験したくないなら、すべてを忘れて普通に就職活動をしろ」
「あ……、あなた達は、ど、どのような組織、の、方たちな、なのですか?」
恐怖が冷めていないのだろう。まともに喋れていない。
それなのに、それを聞くか?
坪内佐、ため息とともに答える。
「懲りないな。
好奇心は猫を殺す。
知らぬ訳でもあるまい?」
「殺すならば、もう殺しているでしょう?
実際、いつでも殺せた。
私が、あなた達に対してなにかのアドバンテージを持てたのならばともかく、今の私にはなんの価値もない。殺す価値すらない」
「そういう言葉で我々の思考を誘導するのは不可能と、ついさっき学んだはずではないのか?
未だ、君の生命は9mm弾一つ、二百五十円の価値しかない」
「解っています。
でも、どうせ死ぬならば、知ってから死にたい。
私の考えていた世界が甘く、あなた達の
私は愚かだったし、だから死ぬのは当たり前。
でも、だからこそ、誰に殺されるのかを知って、納得して死にたい」
坪内佐が深々とため息をついた。
でも、そのため息にどこか満足感が潜んでいるって、俺は気がついていた。
「やれやれ、筋金入りだな。
よかろう。
話してやる」
そう言って、坪内佐が俺たちに目配せする。
「さて、君の缶コーヒーだが、毒など入っていない。だから、ここにいる誰のものと交換しても構わない。どうする?」
「では、あなたと」
そう言って、交換先を指名したのは美岬だ。
美岬が、自分の持っていた缶コーヒーを弓なりに投げる。缶コーヒーは正確に宙を飛び、ベッドの上の久野さんの目の前に落ち、一度バウンドして立った。もちろん、飲み口が上になって、である。
久野さんは、おずおずと自分の分の缶コーヒーを差し出す。
慧思がそれを受け取り、開封してから美岬に投げる。
美岬、それを一滴も零さずにキャッチして、一口飲む。
これは単に、デモンストレーションだ。
ちょっと前に、フレアバーテンダーの真似をして遊んだことがあった。で、これが相手から逃亡の意思を奪うのに、最適のパフォーマンスなのを偶然発見したんだよね。少なくとも、銃とか武道の型とか見せるよりははるかに効果的だ。
武力行使している対象に、さらに武力を見せつけても当たり前に過ぎなくて、脅えは増大しないんだ。
俺も、缶コーヒーを開ける。糖分とカフェインの補給薬と割り切れば、飲めなくはない。
俺らの開封を確認してから、久野さんも缶コーヒーの封を切った。
坪内佐が、缶コーヒー片手に話し出す。
考えてみたら、この人が飲み食いするのを見るのは初めてかもしれない。
ま、今回は坪内佐が、ミラーリングの効果を狙っているというのも大きいけどね。共通の動作は、相手との距離を縮めるんだ。
「我々は、世界最古の諜報機関だ。
仲間は警察にも自衛隊にも、官庁にも民間にもいる。
君の推理は全て間違っている。
我々は、独自の予算源を持っているし、公的組織に人員が重なっていても、存在自体はそこの組織に依存するものではない。
米軍とも密接で良好な関係を持っているし、作戦遂行能力も有している」
即座に反論がされた。
「その説明は、納得できません。
現にあなた達がいますから、その存在自体は疑いませんが、組織の目的が判らない。
だって、独自に予算措置ができて諜報活動をしているって、それで目的が例えば日本を守ると仰るのなら、ボランティアにも程があり過ぎます。
公的機関であれば国を守るためという目的がありますが、あなた達の組織の
なにか、明確な別の目的があるはずです」
言われて自覚したよ。
そうだなぁ、俺たち、秘密結社みたいだよな。うーん、久野さんの中二病を悪化させそうだよ。
でも、すげえなぁ。この組織に関わって、俺は十年以上経っている。その間、自分たちが秘密結社だとは一度も思わなかった。この
でも、坪内佐は違う。そんなことも、すべて考えているだろう。
「そうだな。
確かに秘密結社に近いが、そうではない。
我々は、国家内国家だ」
坪内佐の答えに、久野さんはその中心を射抜く質問をした。
「……国家ということは、国家元首がいるのですね?」
「そうだ」
久野さんの顔が驚愕に歪んだ。
「もしかして……。
日本史上、日本に国家元首が二人いたのは、南北朝時代だけです。しかも、世界最古って言うことは、南朝系の……」
「そうだ」
凄ぇ。
なんかもう、「すごい」は思い飽きてきたけど、それでもスゲェ。
俺たちの正体を、驚きながらも一瞬で論理的に割り出しやがった。今まで、こんな奴いなかった。いつだって答えを開示されて、顎が外れたようになるのがパターンだった。
「では、先ほど、そちらの方が『私は、単なる家庭の主婦です』って仰られたのも、本当なんですね。組織に勤めるというより、この国に重なって存在している……」
「ほぼ間違いない」
「ああああ、ああ、そうか、すべて納得しました。
自衛隊だ、警察だってレベルの話じゃなかったんですね。
米軍からの依頼があるほどの国家内国家ということは、この国の危急のときのバックアップで、だからあちこちに広がりを持っている。
なるほどなぁ……。
ありがとうございます。
本当に、あなた達のことが聞けてよかったです」
なんだ、このにこにこしている小動物は?
恐怖で箍が外れちまったとか、そういうのではない。なんだろう?
まさか、マニア心でも刺激されているのか?
ただ、坪内佐は落ち着いているし、俺達も別に動揺することでもない。
ただ、俺たちの不審感だけは伝わったらしい。
「すいません、ごめんなさい。
なんか、可笑しくて可笑しくて。
相手がライオンならば、奇跡が起きれば私でも勝てるかもですけど、ティラノザウルスが相手じゃどうやっても無理です。
それでも私、そのティラノザウルス相手に精一杯やれたんです。
だから、組織の中でもトップか、それに準じるあなたが出てきたんですよね?
で、『アメリカの
満足していますし、嬉しくて仕方ないです。
私って、凄いかも!
夢が叶いました。
私、もう二度と同じ失敗はしませんから!」
言い終わる前から、ベッドの上で、ぴょんぴょんと座ったままで跳ねている。
なんだかなぁ……。
あれ程脅したはずなのに、もう立ち直ってやがる。
精神構造がおかしい。
トラウマになっても不思議はないのに、俺たちに脅されたのが本望になっちまいやがった。この人の論理は理解できるけど、それを納得できるかは別だ。
でも……。本当に別かなぁ?
思い返せば、十六歳の時の俺、喜ばなかったか?
拉致されて、武藤佐にこんな感じで面接されて、必死に戦った。
そして、武藤佐を一歩後退させた時には、髪の毛一筋ほどの小さな満足感ではあったけど、喜びを覚えたよな。
そうか……。
俺は、まだ恋人にもなっていなかった美岬のために戦った。武藤佐を一歩後退させても、「これで美岬さんを手に入れた」みたいな達成感は無かった。これとそれとは、明らかに話が違うからね。
それに対して、久野さんは、自分自身の人生を賭けてきたことについて戦った。
それが間違っていなくて、自分のしてきたことに意味があった。
なるほど、これは嬉しかろうよ。で、嬉しくて、もう、これで死んでもいいやとすら思っているんだ。
これは、本当に「筋金入り」だなぁ。
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