第5話 化かし合い


 彼女を椅子に後ろ手に固定し、猿轡を取る。頭から袋はは外すけど、すぐに目隠しをして何も見せることはない。なんせ、袋を被せておくと、美岬が顔色を見にくいからね。

 彼女は脅え、泣いていた。

 この状況は、坪内佐にもモニターされている。


 ちょっとどころでなく、良心が痛……まなかった。

 美岬と顔を見合わせる。

 美岬も見破っている。

 演技だ。

 小柄で痩せていて、ちょっと雀斑そばかすのある地味めの外見。写真で見るよりも、小動物的に可愛い感じがする。

 その外見を自覚し、最大限利用して泣いて見せている。

 相手の嗜虐心を煽らない範囲かつ、相手が困って黙らせるための実力行使に出ない範囲で泣くのだ。泣かないと、勘ぐられるからね。上手いよ。


 で、この手の演技、美岬は経験者だ。

 騙されはしない。

 もちろん、俺もだ。

 アドレナリンのにおいが薄い。

 縛り上げられているのに、極めて冷静なのが判る。

 そんな作戦はありえないけど、もしも普通の女性を拉致したら、パニックを起こしてアドレナリンと身体から出た汗や涙のにおいが濃くなるはずだ。


 「無駄なことは止めなさい」

 美岬が冷酷に告げた。

 室温が一気に下がったような気がした。

 おお、武藤佐出現だ。十代目の明眼、やっぱり、組織にいたら良かったかもなぁ。まぁ、俺はそれを言っちゃいけない人間の筆頭だけど。

 「演技は判っています。

 話を長くするつもりはない。こちらの問いに答えなさい」


 あ、より激しく泣き出したな。

 時間稼ぎだ。そして、こちらがなぜ嘘泣きであるという確信を持っているのか、確認するつもりだ。

 冷静さは片鱗も失われていない。

 これで、なんの訓練等も受けたことがないっていうんだから、怖い女性ひとだな。


 この対象の素性は、完全に判明している。

 情報の流出を防ぐのは、個人では限界がある。攻めは個人でできても、守りはそうはいかないのだ。


 名前は、久野実冴。

 今年、大学院を修士卒業する。専攻は政治学。英語も堪能。

 第一就職希望先、アメリカの民間軍事会社PMSC

 第二就職希望先、もっとヤバめなところ。

 前回、回覧された書類にはそこまでは書いていなかったけど、作戦実行にあたって社名まで明確に記されている書類が再送付されてきている。

 第二就職希望先は、行っちゃいけない場所だ。一生、幸せになれない。知らないってのは怖いな。

 

 身辺調査は、かなり徹底して行われていた。

 最初の動機は中二病。

 と言っちゃ可哀想だから、「ソルト」って映画にハマったということにしておこう。「なんであんなもんに」と思わなくはないけど、本人が言っちゃ悪いけど地味めだから、色っぽくって、カッコよくって、というのに憧れたのかな。

 ま、あの手の映画は、総じてどれもカッコよすぎだよ。

 現実は、もっと地味で、毎日毎日を手抜きせずに積み上げるような作業ばかりだ。


 まぁ、今はネットの時代だから、それでも必要な周辺情報は得られる。

 すべてが派手めにズレるけどね。

 訓練メニューも、資材さえも、そこそこは手に入る。

 あくまで、そこそこだけど。

 で、本人の優秀さから、そっちの方向へ夢がどんどんリアルに実現できたんだろう。本人は首を縦に振らないだろうけど、政治学なんてのを専攻したのも、この病気の延長だろうな。

 取りようによっては、一番アホらしい展開だ。


 でも、実はこの手の人間は多い。

 日本ではともかくグレッグの組織だと、軍人あがり以外はすべてこの手の人材だ。まぁ、旧東側諸国みたいに、弱みに付け込んで脅迫し、組織の一員にして使い捨てるなんて、こちら側はできないからね。必然的に志望者もしくはスカウトに首を縦に振る人材は、そういう人になってしまう。また、金だけで釣ると、金で裏切られるからね。

 だいたい、久野さんの大学で政治学なんてのを専攻するのであれば、普通はキャリア官僚か政治家が志望だろうがよ。そうでないってだけで、本当に異色なのだ。


 ともかく、中二病が重篤の域になって、就職希望先にアメリカの民間軍事会社PMSCを選び、受ける仕事の裏取りのインテリジェンスをやりたいと自分を売り込みだした。

 ま、確かに理にかなっているよ。

 日本だと、志望よりも辞令一本で仕事が決まっちゃうからね。この仕事にこだわるならば、彼女の行動はアリではある。


 ともかく、当然の帰結として、そのPMSCからの身元照会がグレッグの組織に行き、海兵隊上がりのムキムキモリモリの白人、カデンが日本にやってきた。

 で、坪内佐に調査依頼するという流れだったと。

 当然、それは、就職を助けてやるためではなく、アメリカの軍関係の会社に潜り込もうとしているの身元調査だ。


 ついでに言えば、カデンは、アメリカの組織が姉を監禁したときの見張り担当だった。

 今は、グレッグの組織に異動して、こちらとの直接の連絡員になっている。姉の身をある意味守ってくれていたのが判って、日米両方の組織から信頼できる人間として見られた結果だ。実質的にグレッグの後釜になったことになる。

 


 ま、さらにアホらしい話が続くけど、この久野さん、坪内佐と同じ大学、同じ学部の後輩に当たるらしい。ここまで書類を読んで、なんかもう、いきなり話が内輪になってため息が出たよ。

 とはいえ、まぁ、坪内佐の頭脳と同等ってことで大学は絞られちゃうし、専攻も考えればあまりにありがちではある。

 二十年から三十年に一度、こんな病気に罹った人がいれば、坪内佐のブランチはずっと困らないのかも知れないね。



 「無駄よ、久野実冴さん。

 知っていると思うけど、音響センサで嘘や演技はすぐに判る。話を長引かせるつもりならば、二度と演技ができないようにするまでよ。

 どちらにするか、これからの一分で決めなさい」

 美岬、追い込むねぇ。

 しかも、音響センサは完全にハッタリで、誤誘導だ。

 でないと、美岬が本当にサトリの化け物になっちまうし、明眼の能力は最大機密だし、ね。


 きっかり五十秒後、対象久野さんはぴたりと泣き止んだ。

 大したタマだ。与えられた時間のギリギリまで粘ったんだな。

 で、目隠しで時計が見られるわけじゃないから、保険を十秒掛けたのだろう。

 それほどの計算高さを見せていても、やはり拷問は怖いのだろうな。まぁ、当たり前のことだけど。

 それに、肉体の損傷をぎりぎりまで避けるのは、作戦として完全に正しい。「相手が隙を見せたときには、もはや肉体の損傷がひどくて動けなかった」では、お話にならないからだ。


 「結構。

 では質問。

 久野さん、あなたはアメリカの民間軍事会社PMSCに潜り込もうとした。

 そのあなたの交友関係に、〇〇諸島に関わっていた人がいるのはなぜか答えなさい」

 美岬の質問は、具体的なようでいて、実はなにも聞いていないに等しい。

 ただ、詳しいことは知っているんだぞ、というブラフだ。

 だって、そんな人、いたとしても今の聞き方では、久野さんがだれかを特定するのは不可能だ。また、〇〇諸島に関わっていた人というのが極めて曖昧。ただ、関係国だけはたくさんあるし、ついでに潜在的敵国もすべて含まれるのがこの地名が選ばれた理由。


 つまりは、曖昧なままに追い込むのが狙いなのだ。

 でも、万一、身元調査が洗いきれずにいて、対象久野さんがどこかのスリーパーだった場合、実際に、これを言われたら、気を回さざるを得ない。そして、そういう変化を美岬も俺も見逃さない。

 今回の主目的はスパイのあぶり出しではないけど、動揺させるという本来の目的は達成されつつある。


 初めて、対象久野さんに動揺が見えた。

 必死に頭を巡らせているのが判る。

 アメリカのPMSCを就職先として考えた段階で、拉致と圧迫面接に至るまでは予想していたかもしれない。情報は、最重要ポイントだ。この手の会社にせよ、組織にせよ、最終的に信じるのは自分たちだけだし、そのために牙を維持しているのだ。

 それこそ、一般の製造業の会社だって、社の中核技術情報なりにアクセスしたがる人間には用心する。ましてや情報のプロの会社に、その中核を扱わせろと言って、無事で済むわけがないのだ。



 ま、さすがの久野さんも、濡れ衣を着せられて、こちらは拷問も辞さない姿勢を見せているから、これには焦るだろう。

 だってさ、あまりに当然だけど、美岬は純日本人で訛りとかまったくないから、目隠しされていても尋問者が日本人であることは疑うべくもない。で、アメリカのPMSCに勤めている日本人、しかも女性なんてのはほぼいないから、この尋問者はPMSCの圧迫面接担当ではなく、日本の公安関係とか諜報機関かって話になる。


 となれば、対象久野さんは、PMSCの依頼がなんらかのルートで日本の機関に伝わり、彼女への身元調査の結果、偶然にも友人の中に紛れていた敵国側の人間とが洗い出されてしまったという予想をするだろう。彼女自身が白ならば、そうとしか考えようがない。

 で、疑いを晴らせなかったら、処理されるか国内のどこかに閉じ込められる。スパイとしてアメリカに身柄を引き渡されでもしたら、それこそ生きて帰れないかも知れない。


 ここで、久野さんは完全に詰んだことになる。

 むしろ、久野さんは黒だった方が、まだ良かったという状況だ。黒であれば白状できるし、取引も持ちかけられるし、その方法によっちゃ拷問も避けられる。

 だけど、コレが重要なんだけど、今回の状況だと、久野さんに白状できることは何一つない。なんたって、なんだから。

 改めて言うけど、完全に詰んだ状況に追い込んだのだ。


 白状できない以上、拷問されることは不可避だし、しかもそれは上限なしにハードになる。

 その場逃れの作り話をしても、裏取りができない話であれば、さらに状況が過酷になるだけだ。

 知らないことを話せと責められる拷問ほど辛いものはない。心が折れた後も決して終わりは来ないのだから。


 俺たちの頭脳では、坪内佐やこの久野さんにはかなわない。

 でもね、頭の回転は関係ないんだよ。

 俺達、勝てないなら、勝負をしないだけだ。また、勝負をするならば自分の土俵でのみだ。そのための強制力なのだから。


 

 「答えられないのね。

 では、あなたが話したくなるように、聞き方を変えましょう」

 怖ぇー。ぞくぞくする。

 これから夫婦を続けて行くにあたり、俺、怒った美岬には絶対逆らわないようにしよう。


 美岬が尋問役になったのは理由がある。

 さっきの、アメリカのPMSCに、日本人女性が勤めている可能性は極めて低いからってことだけじゃない。

 まずはその怖さを出せるって本人が言ったのもあるけど、実は女性の方がねちっこく相手を責めることへの適性がある。

 男の嗜虐心と女の嗜虐心は種類が違う。

 そのあたりを対象久野さんも、当然の知識として知っているはずだ。

 つまりは、相当に痛い目にあわされるって恐怖が与えられる。

 その一方で、性的な拷問はないと甘えも出る。

 性と尊厳は隣り合わせだからね。そんな甘えを許すはずもないんだけど。

 それが裏切られたときの絶望も、こちらの計算のうちだ。


 そして、最後にこれは俺と慧思の甘えなんだけど、裸にひん剥く程度のことであっても、やりたくないんだ。美岬も俺たちにやらせたくはないだろう。ここに、利害の一致が見られたわけです、はい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る