第6話 懐柔役出動


 俺と慧思、わざと足音を大きくして、速くもなく遅くもなく、対象久野さんに近づく。

 ま、俺達がやるにしたって、椅子の脚を蹴飛ばすぐらいがせいぜいだけど。

 そもそも単に口を割らせるならば、もっとスマートな方法はいくらでもあるし。


 「答えます!

 答えますが、その人が誰かも判らないし、その誰かが〇〇諸島に関わっていたなんてことも知りませんでした。本当です!」

 ようやく、焦りがパニックに近づく。演技ではない。納得できるだけの感情の動揺が判るからね。美岬にも、それは見えているようだ。


 これでパニックにならなかったら、どこかできちんとした訓練を受けたということになる。独学では対尋問行動は学べないからね。自分で自分に目隠しして、想像して怯えるまでが精一杯だ。対象がどれほど優秀でも、だ。

 もっとも、友人に縛り上げてもらって、とかなら可能かもしれないけど、それはそれで、そこまで趣味が行っちゃっている人を採用するというのもない。ま、あんまりな例えだけど、撮り鉄をJRが採用しないのと同じだ。


 とにかく、パニックに近づいたということは、どうやら背景はクリーンだ。

 ただ、まだパニックに振り切れてはいない。

 心のどこかに拠りどころがあるのだ。

 その拠りどころは、美岬にも俺にも判っている。


 「やはり、話すつもりはないらしい。これでは尋問を続けても時間の無駄。

 そうね、痛い目にあってもらってもいいけど、あなたの死体をデコイにしたほう方が話が早いかな。

 それに、自国の不始末は自国で付けるのが鉄則。

 安心しなさい。

 水に沈んでいてもらうのは、たった1時間ほどよ。ま、頑張ってみるのね。

 準備をしなさい」

 「はっ」

 俺が応える。


 対象久野さんの恐怖が頂点に達する寸前で、慧思が口を開いた。

 「ちょっと待ってください。

 この様子だと、この人は案外、本当のことを言っているかも知れないですよ」

 懐柔役出動だ。


 一気にパニックになっていたのが、一瞬で落ち着くのが判る。

 すげぇな、この女性ひと

 交渉が可能と見たら、どこまでも食いついてくるのだろう。ここまでくると、やはり才能という表現でいいよね。

 美岬とハンドサインを交わす。

 俺と美岬の間ならばアイコンタクトで十分だけど、美鈴メイリンと慧思と状況をモニターしている坪内佐にも状況を伝えなきゃだからね。


 「そうかもしれない。

 数学的に可能性はなくはない。

 でもリスクを考えれば、処分が適当。

 いい加減、いつも私情を挟むのは止めなさい」

 美岬の冷徹な声。

 嫌だなー。武藤佐に何回叱られたかな、俺。

 一回一回、リアルに記憶が蘇るよ。


 「私情ではありません。

 取り返しがつかないかもと思ったのです」

 「そっくりお返しする。

 害が生じてからでは取り返しがつかない。

 あなたには権限も責任もない。甘いことを口にするのは止めなさい」

 そこに、対象久野さん、必死に口を挟んでくる。

 「嘘ではありません。

 本当に知らなかったのです。お願いですから、嘘ではないことの証を立てる機会をください」

 「無理よ。

 あなたが言っているのは、悪魔の証明。

 あなたが他国のスパイである証明は可能だけど、そうではないという証明は基本的にどうやってもできない。また、あまりにリスクが高すぎるので、『疑わしきは罰せず』と助命はできない」

 「いえ、あなた達とは別の国内組織が私を洗っていました。

 せめて、そこの意見も聞いてください。国内にそのような組織は数多くはありません。照会をかけるくらいはできるでしょうし、そこでも黒ということであれば私も諦めがつきます」


 ……すげぇな。

 どこまで本当だ?

 「なにを言いたいの?」

 美岬が聞く。

 と言うか、本気であればこんな質問はしないけどね。少なくとも、俺達はテーマ以外の会話に持ち込まれたら負けと考えている。俺達の尋問は、クラウゼヴィッツの言う武力の行使と一緒だ。相手に自分の意志を強いることに他ならない。

 つまり、取引には応じない。口を割らせる。以上だ。

 司法取引なんてのも、こちらから持ち出すことであって、尋問を受ける側からの提案に乗ることはないのだ。



 「私の部屋の、ベランダのプランターの陰にカメラが隠してあります。

 そのデータが、レコーダーに残っていますが、一週間ほど前から同じ車の通る頻度が上がっています。私の部屋の前を監視しているのが分かります。

 また、私のPCに、ネット接続のスピードメーターが仕込んでありますが、同時期からパフォーマンスが落ちています」

 ……再度だけど、すげぇな。この人。素人だよな。なんでそんなにガードが高いんだろう?

 仮想敵もいないのに、アホらしいけど。


 それとも、そうか、ホームズと同じだ。観察力が異常に鋭いというか、深いんだ。

 そして、観察せずにいられないんだ。

 これこそ真似できない才能だな。

 俺も美岬も、観察の手段の数こそ多いけど、そこまでの深さはない。どちらかと言えば、慧思のほうが深いくらいだ。

 坪内佐、いい後継者を見つけたなぁ。

 まぁ、「つはものとねりうちの組織」に入ってくれたら、だけど。


 「その組織があるとして、それは内偵を進めた私達の組織かも知れない。

 無駄よ」

 美岬の言葉は冷たい。

 ただ、それでも、対象久野さんの論理は聞いてみたいと感じさせられているようだ。

 「アメリカの民間軍事会社PMSCに就職活動したのは本当です。

 そして、情報関係の仕事をしたいというのも私の志望です。

 そこから想像できるのは、私の身元調査がされるであろうことです。

 でも、アメリカの一民間企業が、公安や自衛隊に照会をかけるとは思えません。

 私が選んだPMSCは、日本とは繋がりが薄い会社ですし、しがらみが嫌でそういう所を選んだのです。

 となれば、PMSCが依頼するのは同じ民間の調査機関か、人脈をたどってアメリカの公的機関で、そこを通して日本の公的機関に依頼がされたということになります。

 ですが、日本では実力行使をする民間調査機関は考えられません。あるとしても、元自衛隊員しか母体にはなり得ないですし、そのような組織があったら、自衛隊を目の敵にしているマスコミが取り上げていないとおかしいです。

 それに、自衛官のOBの会社で警備会社は複数ありますけど、そういう会社では、今私が受けているようなリスク管理までは踏み込めないはずですし、踏み込むとしたら相当に極秘の、半公半民の色合いのある組織でしょう。

 ただ、そのような組織は、予算が難しい。

 組織も諜報も継続して初めて意味を持ちますし、防衛機密費を継続して出し続けるというのは可能なんでしょうか? 昔、政権交代があった時に、真っ先に潰されていたかも知れませんよね。

 したがって、半公半民の組織も、ほぼ検討に値しないと思います。

 結果として、消去法であなたたちは現役の公の機関の人間で、さらに言えば自衛隊系ですよね?

 証拠は、さっき私を拐った人、腰に弛ませない鎖を付けてました。これって、落として紛失してはならないものに鎖をつけて、絶対なくさないようにするっていう自衛隊員の習慣のはずです。

 それなのに、ですが、私の部屋の前を監視している車は、私の住んでいる区の覆面パトカーでした。警察署の前を通るたびに、停まっている車のナンバーを記し続けて、割り出したナンバーの一つです。

 あの警察署は、通りに面して後ろ向き駐車になっていて、ナンバーを晒すようにできていますから。

 ですから、こちらに照会を掛けてください。

 少なくとも、警察系のほうが一般市民に対しては情報を持っているはずです」


 ちょっとどころでなく、驚いたよ。

 小動物系の外見の中に、すでに完成された諜報員がいて、しかも、飛び抜けた観察力と洞察力、そして行動力を持っている。

 坪内佐はマイクロフトを想像させるけど、久野さんはシャーロックだ。

 どちらにしても、ホームズはスカウトしたい。

 そして、坪内佐に渡さず、うちのブランチで仲間にしたいな。



 「久野さん、あなたの推理は、ほぼ全て外れています。

 その証拠に、今、あなたを尋問している私は、どこにも所属していない単なる家庭の主婦です」

 久野さんの顎が、かくんって落ちた。

 ああ、坪内佐から、インカムを通してこの状況の終了宣言が出たんだね。

 尋問は次のステージに移行する。

 さて、いよいよだな。

 完全に折る。


 美岬、サングラスを掛ける。

 対象久野さんに対する全ステージを終了するまで、美岬は素顔を晒さないと事前に決めていたからだ。

 ただ、それまでにはまだまだ掛かる。

 ほんと、なんて手がかかる対象なんだろうか……。

 俺、近づいて、久野さんの目隠しを外す。半ば呆然と眩しそうに目を瞬かせている表情に無反応を装いながら、後ろ手のロープも解いた。

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