第2話 呼び出し


 直接の上司である小田佐を飛び越えて、別のブランチの坪内佐から連絡が来ることなんてそうはない。

 当たり前だ。ここだって、一応は組織だからね。

 でも、今回、そんなことが起きた。


 なぜならば、理由は二つ。

 依頼内容が俺のプライベートに踏み込むから、が一つ。俺が了解したら、組織としての筋を通して小田佐に話をするとのこと。

 二つ目が、なんだかんだ言って、俺と坪内佐の付き合いは古いこと。多分、小田佐より、俺の方が坪内佐と話した時間の総計は長い。同じ組織の一員としての在籍期間は小田佐の方が長いけど、同じ組織でも他部署であればそうは話さないからね。

 美岬、俺と慧思は高校時代から坪内佐と直接話す機会が何回もあったし、その縁から頼られたら、こちらも断りにくい。そして、こちらがそう思うことまで、きっと坪内佐は読んでいる。


 そして、その依頼内容は、一日だけ美岬にカムバックして欲しいとのこと。退職した人間を呼び上げるんだから、そりゃあプライベートの範疇だ。

 ただ、判断は美岬がすることだ。俺には答えられないから、話は持ち帰ることにした。



 「ただいまー」

 「おかえりなさい」

 新婚って単語、いいもんだよね。

 ノートを片手にした、エプロン姿の美岬が眩しい。

 そのノートは毎食ごとの試行錯誤と、記録が残されている。もう十冊近くの記録があって、それが美岬の別の人生のための努力なのだ。エプロンも、商品化を視野に試作、試着が繰り返されている。

 まずは、唇を奪って充電、充電。

 むー、言うことが、我ながらおじさんぽかったかな。



 効果抜群に気力が戻ったところで、単刀直入に切り出す。

 「美岬、話がある」

 「なあに?」

 「一日だけのカムバック依頼。

 坪内佐から」

 「なにが起きたの? って、そういう顔色じゃないね。

 でも、平常任務でカムバックしろってのは、ちょっと判らないな」

 「ああ」

 美岬、相変わらず鋭い。俺の顔色から、戦闘への参加のような危険を伴う任務ではないことを見抜いている。

 って、そんなに気楽な顔してたかな、俺?


 「じゃあ、なんで?」

 「依頼内容は、リクルートに伴うマン・ウォッチング」

 「ああ、そういうこと……」

 ああ、そういうことだ。

 美岬、俺や慧思は、未成年からの育て上げられた「生え抜き」として「つはものとねり」内では分類されているけど、「生え抜き」以外でも優秀な人材がいれば、スカウトも当然行っている。というか、スカウトされた人材の方が多い。

 坪内佐も、小田佐と遠藤権佐もスカウト組だと聞いている。


 で、一応は「つはものとねりうち」ってば大っぴらになっていない組織なので、スカウトには気を使う。

 一番最悪なのは、どこか他の国の諜報組織のスリーパーを組織の一員たる「とねり」にしちまうパターンだ。

 次が、スカウトを断られた挙げ句に、口軽く、組織のことを言いふらされてしまうことだ。

 とはいえ、坪内佐のネットワークは世界中に広がっているし、一人の人間の見極めをする情報を集めるのにそう困るとは思えない。

 美岬も、それは当然のように解っている。いや、刷り込まれているって感じかな。坪内佐の頭のキレとネットワークの広さは、何度も体感している。


 「スカウトしたい人材がいるんだね、坪内佐」

 「ああ、しかも、俺たちの手助けが欲しいということは……」

 「後継者を見つけたんだ」

 俺の言葉に被せて美岬が言う。

 「御明察!」

 「ということは、相当に一筋縄じゃいかない、とんでもない奴だってことだよね」

 「そうなるな。

 俺、坪内佐のイメージって、キレッキレなマイクロフト・ホームズなんだけど、それと同等のが出てくるってなると……」

 俺の言葉に、美岬が息を飲む。


 「怖いね。

 真が作ったシステムでも、不安が残るね」

 「ああ」

 美岬の言うとおりだ。

 俺の作った、いや、俺と、美岬の両親である武藤さんとさきの武藤佐で作った監視システムはあるけど、やはり人の能力は偉大だ。通常の相手であれば、システムは実戦投入してさえ不備は見つかっていないけど、今度の相手は通常じゃない。

 監視システムの元となった、美岬の視覚と俺の嗅覚が必要なのだ。


 そしてもう一人、美鈴メイリンの感覚もあれば心強いけど、美鈴の手のひらで生体電位を測れるっていう能力は、相手に触る必要がある。また継続的な観察をして個人差の補正をしないと、考えを読むとかの高度なことはできない。

 もっとも、最初の一回だけでもそれなりに成果は期待できるけど、よほどに舞台設定を作り込まないと、不自然でなく触るのは難しいだろう。特に、今回のような相手には。


 「坪内佐からのメールだけど、遠藤さんと小田さんをスカウトした時、お義母さんの能力がなければエライことになっていたってさ。だから、今回も、明眼の能力をお願いできればっていうことなんだ」

 「あ、母と坪内佐がバディを組んでいた頃の話だね。

 北の国のスパイが紛れていたんでしょ?」

 「凄いよな。

 完全に背景バックボーンを消して、空挺まで進んでいたって言うんだからさ。ある意味尊敬するよ」

 「となると、今回も?」

 「さぁ、背景の問題もなくはないけど、それ以上に相手が曲者なんだろうね。

 多分、坪内佐をして、読みきれない相手なんだ」

 感覚派の俺には、知力を尽くした読み合いの世界は解らないところがある。ただ、そのハードさは理解できるし、坪内佐が読みきれないという相手の怖さも解る。


 「たださぁ……、美岬に頼むのもいいけど、お義母さんでも良かったんじゃないかな? 『でも』って言い方は悪いけど、単純に明眼としての経験はずっと深いよね」

 「それはダメよ」

 「なぜに?」

 美岬、言下に否定だな。


 「坪内佐が辛いかも……」

 「なんでよ?」

 「真、気がついてないの?」

 「なにに?」

 「もう、真ってば風下に回られるとこれなんだから……。

 坪内佐が唯一、異性として認識しているのは母だけよ。

 昔、さいたま新都心で話した時に、もしかしたらって思ったんだけど、この間の披露宴で確信したのよ。初めて、二人が同じ場所にいるのを見たから。

 あの、なにがあっても動揺しない恒温動物が、わずかに温度が変わるのよ」

 「なんで武藤佐は、自分で気が付かないのさ?」

 思わず、義母を昔の肩書呼びしてしまう。


 「母は、気がつかないよ。

 だって、母と話し終わった後から変化していたから。

 母と話し始め、話し、話し終わるまで観察できることなんて、今まで無かったし、きっとこれからもないよ。

 恐ろしいまでの自制心だと思う。あんなこと、普通の人は絶対できない。

 真だってできないよね?」

 「好きな女性に会っている時はドキドキせず、別れてからドキドキするってことだよね? 無理に決まっているじゃん。そこまで生理反応を抑え込むって、どんな芸当だよ?」

 俺なんか、心臓がでんぐり返るかってくらいドキドキするぞ。未だに。


 「そこから解るのはね、多分、坪内佐、母とバディを組んでいた時からの感情で、父に対する母の感情を知っているから、自制しているってこと。

 そして、もしかしたらだけど、いい女性がいたら坪内佐は母を忘れられたと思う。あの人は、そんな無駄な片思いを続ける人じゃないし、自分の感情も制御できる。

 でもね、坪内佐に釣り合う女性を想像できる?」

 「……坪内佐と同速度で回転する頭の持ち主って、そうはいないね。そんな女性って、想像はできなくはないけど、その女性と坪内佐が出会える確率は想像できない」

 「そう、その確率が低いことが、一度だけあった。

 多分だけど、その頃の母、明眼の能力も使って坪内佐を圧倒したんだよ。

 坪内佐も遠藤さんと同じ。

 自分と同じ速さで歩ける女性を求めているのよ。

 お義姉さんが遠藤さんの肩の関節を極めていなかったら、遠藤さんはお義姉さんを口説いたかな? ってこと」


 あの、姉を口説くための、あの、無駄に緻密な計画書が思い出されて、俺、思い切りどんよりする。

 「本人が言っていたよ。『強い女を見つけた。協力しろ』って。

 『あんなのは止めとけ』って言ったら、相当に痛い目に遭わされた」

 「なにされたのよ?」

 「頭を撫でられた。拳で、ぐりぐりぐりぐり、念入りにね。

 あれ以来、俺は素直な気持ちで車のシフトレバーが見られない」

 「……なんの話?

 あ、言いたくないんだ。

 ……夫婦揃って、あの人には痛い目に遭わされているね」

 「ああ」

 美岬は、小学生の時に、遠藤さんに肩の関節を外されて泣き叫んだと聞いている。

 それに比べれば、俺のは痛いうちに入らないけどね。

 こうやって、部分部分だけを切り取ると、遠藤さんって相当に非道い理不尽大王に見えるよなぁ。

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