第十四章 ちょっとだけカムバック編

第1話 それから


 俺は、東京にいた。

 ただただ、ひたすらに忙しい。毎日が風が吹き去るような速さで過ぎていく。

 それでも、慧思の顔は必ずと言っていいほど目の前にある。

 仕方ない。バディだからな。

 うっとおしいなんて言っちゃ悪いけど、なんかもう、自分の分身みたいな感じが気持ち悪い。

 とはいえ、こいつもいよいよ結婚式だ。恋人、日本に帰ってきたからな。


 結婚式といえば、美岬、姓はもう双海になっている。

 結婚式と披露宴は、小規模とはいえ、結局二回せざるを得なかった。

 組織つはものとねり関係と、親戚・友人関係は重ねられないからね。

 とはいえ、何人かは両方出てくれなくては困る人もいる。

 姉はともかく、その旦那は遠藤大尉だからね、どうしたって両方だ。そして、もう二人、小田佐と慧思だ。

 で、慧思が真剣な顔して、「祝儀は片方省略していいか?」と聞いてきたときは、こいつの貧乏性趣味も極まったと思ったよ。


 慧思と俺の給料、ほぼ同額のはずだ。

 もう妹の学費だって掛からない。だから、こいつの懐具合、もう、そんな深刻な状態ではないのを俺は知っている。ただ単に、セコさが染み付いただけの趣味なのだ。

 その証拠に、慧思の結婚式で俺はどうするんだと、同じことをオウム返しに聞いたら、まったく頓着することなく「好きにしろ」と言う。「両方出せ」とか言わないし、こっちが「両方出せ」と言えばそれまでの話なのだ。慧思に「両方出させられた」とか、「もったいなかった」とかの意識はない。

 金に対する執着はないのに、貧乏性だけが相変わらずのまま、形骸的に染み付いているというおかしな状況だ。なので、たまにこういうことを言い出すのを、俺は小さなイベントとして捉えている。

 日常の中のちょっとしたスパイスだ。


 本人は自覚していないけど、こちらとしては笑えることの方が多いからね。

 九百円の海老あんかけラーメン食べながら、「チャーシュー麺(八百円)は高くて喰えない、喰ったことがない」とか愚痴る奴、笑うしかないだろ?

 高校生時代に作られたチャーシュー麺のイメージが、未だに抜けねぇでやんの。

 だから近ごろは、おかしな所の指摘はやめて、にまにまウオッチすることにしている。

 そして、こいつの結婚式の時に、を暴露してやるのだ。



 閑話休題。

 本当は、組織関係含めて、披露宴はパスしちゃおうかなんて話もありはしたんだ。

 でもさぁ、誰もが「祭り」を、期待に満ち満ちて待っていたんだよね。

 良い話も悪い話も、決して大っぴらにできない日常を過ごしていると、誰憚る必要なくめでたい話の機会ってのは、何が何でも逃さないって気になるらしい。


 友人・親戚関係の披露宴は、組織の面々が密かに護衛に付いてくれた。これは、仕方ない面もあって、八代目と九代目、十代目になりそこねた明眼が揃うわけだから、無防備にもできなかったんだ。

 ま、密かと言いながら、小田佐が新郎上司の挨拶ってのをしてくれたのは、一部で大笑いだったけどね。なんせ、それがないと、俺が無職ってことになりかねないからさ。で、挨拶はしてくれたけど、そのエピソードのことごとくが作り話で、あてこすりだけは真実で、嘘くさく俺が褒めちぎられているわけだから、インカムで繋がっている面々は陰で爆笑していたらしい。


 で、ちょっと腹立たしくもありはしたけど、その護衛の恩返しにご馳走しようってのもあって、組織関係で二回目の披露宴。

 とはいえ、半舷上陸じゃないけど、披露宴を半分が出席、残り半分がそれを守る形で交替制の二回ってのもどうかってなって思ったから、密かに人目につかない施設を借り切って、表向きは目立たないようにそっと行った。

 朝食に、朝獲れ鯵の叩きが出る旅館の近くの、観光ホテルの大広間と一フロアを借り切ったんだ。昔、縁ができていたからね。


 表向きは目立たないようになんて言っても、実際は大騒ぎだった。

 ビールがケース単位で何度も運び込まれた。そして、やっぱりストレスなんだろうかなぁ。泣き上戸の多いこと、多いこと。

 「良かったなぁ」と言って泣き、「羨ましい」と言って泣き、「幸せになれよ」って言って泣く。そして、八代目の明眼に「お懐かしい」と言って泣き、九代目の明眼に「お世話になりました。(武藤佐という上司がいなくなって)これで、ようやく人心地がつきます」って泣く感じ。

 って、最後のは、泣く理由が違うくないか?


 そして極め付きは、とねりの中の酒豪が三人がかりで伝説に挑んで、あっさり返り討ちになった件。

 だから、俺の姉に、飲み比べでは勝てないって言っておいたのに。で、自分の奥さんが勝ったからって旦那、そこで煽らない!



 まぁ、この騒ぎも予測しなかったワケてじゃないから、石田佐、いや、引退した石田さんが、向こうのトップに上り詰めたグレッグを強引に捕まえて、「飲み会するから要らぬ斟酌するな」って筋を通してくれた。

 でないと、また、なんの集まりかと疑われて、要らぬ騒ぎになるのはそれこそアホらしいからね。

 で、当日、アメリカ海軍作戦部長名義で百本のバラが届いたのは、本当のサプライズだったよ。


 まぁ、式あげて、籍を入れたのを機に美岬は退職したけど、頭の中に持っている情報はまだまだ新しい。これが古びるまでは、身の安全を守ることは現役の時と変わらなく必要だ。

 なので、今は、俺がマスオさん状態になっている。

 武藤家という要塞は、極めて安全だからね。

 でもさ、この家にって事態になるとは、高校生の頃は思いもしなかったよ。

 ただ、武藤夫妻はここのところ留守が多いので、息を殺して生活するみたいな感覚はまったくない。

 すでに、武藤夫妻は第二の人生のカバーづくりが佳境なので、そちらの人生のための家で暮らす時間の方が多くなっている。


 そして、俺がマスオさんになる理由はもう一つある。

 それは、俺が自分の家に帰りにくいってことだ。

 なぜって、俺の家にはもう一人のマスオさんがいて、そのマスオさんの態度たるや、比類なき大きさを誇っている。

 大体、ただでさえ姉とその旦那がイチャコラしている時ってのは、弟という存在は霞より薄い。ましてや、男の子が産まれて、俺の部屋すら数年で空けろとまで言われている。

 なんか立つ瀬がない。

 まぁ、遠藤さんの実家は日本の辺境だから、こうなるのは予想がついていたけど。

 姉が育った地を離れなくて済むというのはありがたいし、俺も居場所がないわけじゃなし、良しとするしかないんだけれど。



 結婚後の美岬は、「つはものとねり」からの推しもあって、一部の業界の間で料理研究家としての肩書が急速に確立しつつある。あちこちのメディアでの露出も増えている。

 たまーに俺も取材に同席して、料理の素性を美岬にブロックサインで送り、美岬の感性としてアピールすることもある。

 残念ながら美岬の能力は、誰かが作ってすでにできあがっている料理には無効だからね。とはいえ、視覚以外の感性も人並み以上には繊細だから、それはそれで困らない。


 その一方で、ステーキを焼くとか、魚を蒸すとかに関しては、温度をいるわけだから隔絶した技量を誇る。三つ星シェフですら唸るほどの絶妙さの火加減を誇るけど、どうにも人にその感覚を伝えられないのが困ったところ。

 でも、今は、どのくらいの火力でどういうフライパンで何分何秒みたいな表現もできるので、それはそれでオッケーだったりする。

 しかも、その規格化したフライパンを、ブランド化して売る計画まで進行中だとさ。

 なんか、事業家みたいだよね。


 で、こうなると不思議なことに、かえって俺、安全なんだよ。

 芸能人が一般男性と結婚となると、その旦那の素性って、かえって出てこなくなるんだよね。なんかのスキャンダルとかにならなければ、だけど。


 で、この美岬の行動は、「つはものとねり」からの要請という側面も大きい。これから先も美岬を、四六時中護衛することはできないし、高校の卒業アルバムなんかの写真も露出を守り切れはしない。ならば、おおっぴらの存在にすることで、いままでのカバーを強固にして、安全を図るということだ。

 他国の諜報機関で、顔認識のデータとしても美岬の顔はすでにピックアップ対象になっている。ならば、ばんばん露出して情報を飽和させてしまえば、かえって安全という判断なのだ。

 まぁ、そうやって、美岬も別の生き方の実績ってやつを積み重ね始めていたんだ。

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