第5話 区切り


 「頭を上げてください。

 これから、あなた達とは付き合いが長くなるのでしょうから、あまりに距離が遠くても困ります。

 武藤さん、あなたの母上には、幼少の頃からお世話になっています」

 「いえ、代々の務めです」

 美岬はそう返す。

 そか、武藤佐、もしかしたら実の娘の美岬と過ごす時間より、この方を守っている時間のほうが長かったのかも知れない。そう考えると、いろいろと複雑だよね。

 「もう、あなたの代でお辞めになるとか」

 「はい、申し訳ありません」

 言葉を交わしながら、両方ともが緊張しているのが俺には判る。


 「あなたに会うに当たり、厳重に言い渡されてきたことがあります。代々、こちらも言い伝えられてきたことがあるのです。

 あなた達をどれほど美しいと感じたとしても、決してお誘いしてはならぬ、とね」

 言葉に笑みが含まれている。そして、それを聞いた美岬の困惑が伝わってくる。

 あなた達とは、代々の明眼を指すのだろうな。

 取りようによっては不穏な言葉になるし、なにを言いたいのだろう?


 「あなたをお誘いしても、男子に恵まれないかもしれない。また、結果として卓抜した武人を二人も失うことになる、とね。

 つまりは、血脈の断絶と『つはものとねり』を失うこと、その2つが起きかねないと。

 こちらでも、明眼は失うわけにはいかないからと、このようなことが言い伝えられてきたのです。

 ですが、おそらくは私の代に至らずに失うことになってしまいました。

 代々、ご苦労さまでした」

 「申し訳ありません。また、過分なお言葉をありがとうございます」

 そうか、代々の明眼は皆、美しかった。ならば、どこかで「お手つき」があってもおかしくなかった。それが起きなかったのは、起きない理由があったのだ。

 また、代々の明眼が、男の子を産まず、女の子を一人だけ産み育ててきたことも、その理由のひとつなんだろうな。


 「双海君、君がその決断をしたことも聞いていますが、菊池君と共に、君達は私から去らないでくれますか」

 「はい」

 慧思と声がかぶった。

 これは、文字通りの意味もあるだろうけど、武藤佐と美岬がいなくなった「つはものとねり」を空中分解させないでくれってことだよね。

 「私と同年代で、私が何者かを知っているのは君たちだけです。

 これから、それを知る人も少しずつ増えてしまうでしょう。ですが、今日のこの日から、共にこの時代を過ごせるのは君たちだけです。

 私より、長く生きてくれますか」

 「はい。そして、なにがあろうとお守りします」

 そう答えた。

 こっちが本題ということに、俺は気がついていた。美岬については、会話の口火を切る話題に過ぎない。「これから」を話したかったのだ。


 正直、この場の雰囲気に飲まれたというのはあるよ。

 でも、それ以上にそう答えたい理由が、今ここで俺に生まれたんだ。

 この御方は十代も続く美岬の家系を大切にしてきて、当然のこととしてその価値を解っていて、なおそれでも美岬を引き止めなかった。

 それにはもう、ありがたいとしか言いようがない。

 少なくともその一点には殉じないと、俺、申し訳ない気がしたんだ。

 もしもこの御方が、「武藤美岬が辞めては困る」って言ったら、俺の決断なんて呆気なく吹っ飛んでしまうだろうことは容易に想像がつく。さっきの「お手つき」という事態ですら、どこまで抵抗できるか判らない。

 それなのに、俺たちの意思を優先させ、美岬を送り出してくれたんだ。


 そして、「長く生きろ」って言ってくれたのは、北と南の違いもあるのだろうと思う。

 南の「つはものとねり」は決して表には立てない組織で、そこに不動の強さはない。結局のところ極言すれば有志の集まりに過ぎないし、人と人の繋がりだけが他の組織と渡り合えるよすがになっている。

 それもあってなんだけどさ、結局はね、俺達を大切にしてくれるのだから、それ以上にきちんと守らなければならないと思ったんだ。


 やっぱりさ、「社を守るために嫌な上司に辛抱する」ってのと、「良い上司に仕えた結果として社が守れた」では、部下側の幸せって大きく差がつくよね。

 経済的な恩もある。生命の恩もある。美岬が幸せになることも問題ないよ、と。就職前から気にかけてもらってもいる。どう考えても俺側の債務超過で、「逃げ道を塞がれた」という意地悪な言い方もできるかも知れないけど、なんかもう、俺はオッケーになっちゃったんだよ。

 そして、この御方の視点を与えられたことで、「つきものとねり」の屋台骨を引っこ抜いたのは俺だっていう自覚が、初めて俺の中に生まれたんだ。

 新たな屋台骨を構築して、次の世代に責任を持って受け継がないと、単に俺、テロリストってことになっちまうよな。


 「私も、微力を尽くします」

 ああ、慧思、お前もそんな言い方できるんだな。ってか、できないわけないよな。

 「短い間でも精一杯お守りします」

 と美岬。

 そうだね、美岬の能力は完全に戦いの現場向きのものだ。そういう言い方になるよね。

 本来、そのための戦闘マシーンとして育てられてきたのだから。

 やっぱり、引っこ抜いて良かったな、屋台骨。


 「では、一年後、再び会える機会を待っていますよ」

 そう言葉を頂いて、俺たちは部屋を退出した。


 

−− − −


 帰りの電車の中。がらがらに空いた車内で、三人でボックス席を一つ占領している。

 美岬と慧思は、さすがに疲れているようでうとうとしている。美岬は俺の肩で、慧思は席を二つ占領して丸くなっている。

 俺は、大月を過ぎ、真っ暗な車窓からそれでも外を眺める。

 自分の中に、人生が定まったという手応えと、一抹の淋しさがある。そうだな、自分の人生の中で、確実に一つのシーズンが終わったんだ。

 次のシーズンは、どんな人に会い、別れ、そしてどんな時間を過ごすのだろう。


 次のシーズンのプロローグとなるこれからの一年、俺たちにはタイマーが掛けられたようなものだ。

 卒論と公務員試験。

 訓練と学習。

 美岬と山にも登りたいし、海も見たい。終わらせたいゲームだってある。

 慧思は、遠距離恋愛になってしまった和美なごみちゃんに会いにも行きたいだろう。


 そんな忙しさの中でも、季節は過ぎる。

 俺たちの故郷より少しだけ色の濃い、春の桜。

 稜線の映える夏の日本アルプス。

 鳶の舞う安曇野の高い秋の空。

 白く凍る、冬の女鳥羽川。

 そして、気楽な学生生活が終る。

 大学という場で、新たに得た友人たちとも別れることになる。


 この一年、絶対に後悔しないように過ごそう。

 それだけを俺は考えていた。

 

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