第5話 父子の成立
しみじみと美岬と達成感に浸っていたところで、扉がノックされた。
「なんか、フランス料理でも食べに行こう。
今日みたいな日は、お祝いしなくちゃね。
予約するから、お姉さんにも声かけてあげて」
ドアの外から、武藤佐の声。
「はいっ」
そう返して。
「遠藤さんも忘れないで」
と、返ってくる。
姉の夫ともなれば、そうなるよね。
で、腕の中の美岬がぴくっとなるのが分かった。
美岬の小さな声。
「えっと、呼びたいのは呼びたいよね。
でも、呼んだら主役だよ……、ね?
お店、変えない?」
美岬の考えている危惧が、手に取るように解る。
遠藤さん、間違いなく我がことのように喜んでくれる。でもって、俺の背中をばんばん叩いて、「姫、姫」って美岬に話しかけて。
文字どおり、親戚のオジサンに昇格しているからね。
それ自体は、とても嬉しい。
でもね、きっと次の瞬間、武藤佐の怖い目で沈黙する。だって、場所がフレンチだぜ。
でもって、武藤佐を内心怖がっている姉もおたおたする。
結果として、空気が永久凍土のように氷結する。
その中で、俺と美岬はアルカイックスマイルで固まる。
確かにこれは、別の意味で主役だ。
でも、実は、美岬のその予想は当たらない。
俺と武藤さんと遠藤さんは、三人揃って同席することはない。なにかコトがあった時に、真気水鋩流伝承者が一度にいなくなってしまうからだ。そして、このことは、美岬も武藤佐ですら知らない。
でも、これがこの場では恐ろしいほどの難題になった。
問題は、遠藤さんが来られない理由をでっち上げること。
あまりに当然だけど、仕事関係の理由では武藤佐を騙せない。
本人の健康問題もダメだ。殺しても死なないし、風邪ひいても、40度くらいの熱ならば平気でやってくる。そういう人だと、武藤佐も美岬も知っている。
プライベートもだめだ。逆に、義弟のお祝いに来られないほどのプライベートの問題ってなに? で話が終わってしまう。
最悪、遠藤さんの親戚を殺すか、と思う。
「どうしたの?」
ドアの外から武藤佐の声。
もうどうにもならない。
仕方ない。
美岬から離れ、ドアを開ける。
もう、間的に開けなかったら、別のことを疑われるからね。部屋ん中で、なんか始めているみたいな……。その疑いならば、どうせ苦笑いで済まされるだろうけど、それはそれで相当に辛いものがある。
で、ドア開けてから思ったけど、逆に、いっそ疑われてドアの前から去ってもらったほうが良かったかもなー。
でも、それももう遅い。
ドア、開けちまった。
「えっと……」
と、なにも思いついていないのに、嘘をつくって無理がある。
まして、人の顔色を読む能力に特化した相手にだ。
あと二秒のうちに思いつかなかったら、走って逃げるか土下座するか、遠藤さんの親戚を殺そう。
そこまで俺が追い詰められていたときに、救世主が現れた。
「美桜、どうした? 遅いじゃないか」
このときほど、武藤さんの存在をありがたいと思ったことはない。
かつて、一時的とは言え、「つはものとねり」の指揮を執ってもらった時以上だ。
「どうした?」
再度の質問に、武藤佐の視線が俺から逸れ、武藤さんに向く。「助かったぁ」としか思えないほど、俺、追い詰められていた。
「さっきの会食の話で、双海君のお姉さんと、遠藤さんも呼ぼうかと提案したら、なんか動揺しているのよ。
で、どうしたの?」
再び視線が俺に向く。
「それは動揺するのも無理はないな」
武藤さんの声。
武藤佐の視線が、再び俺から外れる。
ああ、やっぱり救いの主だ。
「ちょっと考えれば判ることだ。
どうした、美桜。体調でも悪いの?」
「えっ、いや、体調は問題ないけど……」
「じゃ、そういうことだ」
至極至極、あっさりと言い放つ。そして、そのまま俺に向いて、話しかけてくる。
「これからどう呼べば良いのか悩むけど、まあいいや。
双海君、遠藤君は来ないと思うから、その旨を添えてお姉さんに連絡してよ」
「はい、分かりました。すぐ連絡します」
返事をする俺。
すっげー腑に落ちない顔の武藤佐。そして、ワケわからないって顔の美岬。
とんでもねー
さすがの武藤さんも、遠藤さんが来られない言い訳を思いつけなかったんだ。
で、まさか、さっき覚えた丸投げを、ここでもう一度使うとは、だ。
あまり多用できる手じゃないにせよ、それでもこの場では首の皮一枚で助かった。
たぶん、武藤佐、三日は悩む。
雑事に追われて考える時間を奪われるだろうけど、それでも一ヶ月は答えを出すのを諦めないだろう。
でも、最初っから真気水鋩流の掟を知らないんだから、いつまで考えても答えなんか出ない。設問自体が誤りというのも、武藤さんと俺で答えを共有する現場を見ているからあり得ないと考えるよな。
……ちょっと、申し訳なくなってきちゃったよ。
− − − −
そのあと、母娘がそれぞれ洗濯する、シャワーを浴びると言って居間から出て。
ようやく、武藤さんと二人きりになれた。
武藤さん、部屋の鍵を掛けてから小声で話す。
「結婚式のときはどうするか考えておかないと、今日より厳しいことになるぞ。
僕はもう、一度限りで、流派の掟を
「そうですね。
新郎と新婦の父、新郎姉の旦那、誰が欠けても式としちゃ要らぬ憶測を呼びそうで、本当にマズイですよね」
「いくらなんでも、新郎を欠ける中に数えるなよ」
思わず、二人で笑い合う。
確かに、そこまで行くと、事故ではなく事件だ。
「真君よぉ、課題と危機を共有すると、連帯感が生まれるなぁ。
考えてみれば、同じ流派だったなぁ」
ああ、初めて名で呼ばれたかな、この人に。
なんだ、共通の敵がいれば、慧思と同じくらいに連帯感が持てるじゃねーか。
「はい、お義父さん、さっきはもう、神か仏の救いに見えましたよ」
「そうか。でも、僕の体格じゃ、どうやってもキリストにゃ見えないだろうけどな」
「いえいえ、丁度いい位置にロンギヌスの聖痕と、加えて銃弾の聖痕があるじゃないですか」
「なんてことを言うんだ。
……真君だって、残っている傷があるじゃないか」
「堪忍してください。
私のは、聖なる掠り傷です。とてもじゃないですが、言い伝えられたらお笑いになっちゃいますよ」
そう言って、笑い合う。
一緒にしちゃ申し訳ないほどの違いはあるにせよ、武藤さんと俺、この母娘のために撃たれた経験を共に持っているんだなぁ。
結局のところ、あとで俺から遠藤さんに、式の出席依頼をしておくことで話はまとまった。
ま、結婚式で誰も死なずに、無事に終われば良いだけの話なのだ。
言葉にすると、物騒だなぁ。
一体全体、どんな式なんだよ。
それから五分後。
「なによ、男同士でにやにやして気持ち悪いな。
なにを話してたの?」
美岬の声。
シャワーを浴びたあとの濡髪が、それはそれはもう、色っぽい。
武藤さんの手前、視線が張り付いてしまうのを無理に引き剥がして、無関心を装うのはとても難しい。
「そりゃあねぇ。
男同士でしか解らないこともあります」
視線のやり場に困りながら、思わず丁寧語になってはぐらかす俺。
「そうだ、美岬。
残念ながら女同士にはない連帯が、男同士には生まれるものなんだ。
今まで、家族で男は僕しかいなかったけど、これからは違うぞ」
と武藤さん。
胡散臭いものを見るような、相当に冷ややかな美岬の視線が、俺と武藤さんに交互に降り注ぐ。
「なんか、今にも肩組んで、歌でも歌い出しそうね」
「そうだ。真君、肩組んで、
そか、武藤さんが卒業した頃は男子校だったからね。「肩組んで」で、連想がそっちに行くよね。
美岬の反応は、冷ややかなまま。
「はいはい、いいから。そういうの、いいから。
お父さん、シャワー浴びてきて。
二晩も、シャワーも浴びずに徹夜しているんでしょ。
お母さん、洗濯の二回目するって言っているし、ほら、さっさと行く」
武藤さんが、三分の一以下のサイズの美岬に追い立てられて腰を浮かせる。
俺、こういうの、前に見たことあるぞ。
サーカスで芸をするクマと、鞭を持った美人調教師ってヤツだ。
「ところで、真、どんな魔法を使ったの?
なんで、父はあんなデレたの?」
「内緒だけど、本物の魔法だ」
「さすがだね。
あれほど、父は
「そりゃあ、元々仲がいいですし。
実は、運も良かった」
「真、私、つくづく思うよ。
本当に私、真と一緒で良かった。
真以外、誰もこんな魔法を使えないよ。
しかも、これで何回目?」
俺、持ち上げられて、ちょっと照れる。
「そこまでのことはしていないんだけどね。
まぁ、めぐり合わせと、共通の敵のお陰かな」
「なにそれ? 共通の敵? 教えて」
「だーめ。
こういうときの男の連帯ってば、岩より硬いんだぞ」
それを聞いて、美岬、一瞬の間を開けたけど、結局は屈託なく笑う。
こんなときは、俺の世界に必要以上に踏み込まないでいてくれる、美岬の器の大きさに救われる。
浮気を容認するとかの、男側のご都合主義のことじゃない。
ただ、男が持つしょーもない稚気を許してくれているのだ。そして、それを許してくれる女性が案外少ないのを、俺は知っている。
今更ながらに、本当にいい
俺も、釣り合うだけ成長できていればよいのだけれど。
「将来、男の子ができたら、きちんと話すよ」
そう言って、俺は笑い返した。
「そか、楽しみにしているね」
さらに笑う美岬。
俺、初めて知ったけど、幸せってやつは物理的な存在感を持つんだなぁ。
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