第4話 もう一つの未来


 「先生、キツイ性格の私とだけど、ようやく二人きりの生活が見えてきたわね」

 「もう堪忍してくれ。

 美桜は一晩だけど、僕は二晩目の徹夜なんだ。

 つい、苦し紛れに口からこぼれちゃっただけで、本心からそう思っているわけじゃない」

 「本当に? 本当にキツくない?」

 武藤佐、無茶振りするなぁ。

 俺には十分にキツく見えるからねぇ。さて、どうフォローするのやら。


 「双海君、美岬はキツイ性格ではないよね?」

 あーあ、本日二回目だ。「武藤さんは丸投げをおぼえた」っていう字幕が頭に浮かぶよ。

 それはないよなぁ。

 俺が気の利いたことを言ったら、全面同意してお茶を濁すんだろ?

 でもって俺、美岬の期待に満ちた視線を感じる。

 その期待の角度って、実はこっちだよな。


 「武藤さんに対する武藤佐は判りませんが、私に対して美岬さんはとても優しいですよ」

 ふん、全面同意できないよう、問題を切り分けてやった。

 美岬の目が「グッジョブ」って笑っている。


 「ぐっ」

 うん、今、本当に武藤さんから「ぐっ」って聞こえた。

 それを受けて、武藤佐と美岬の目が期待に満ちる。

 こちらのお願いに素直にOKを出さなかったつらみはあるし、常勝ではなくても無敗の人が困っているのは可笑しいし、だ。

 さて、なんと答える?


 「キツイもキツくないもない。

 ただ、それがいい」

 まさかの回答が来たもんだ。

 上手く逃げたとも言えるし、正面から応えたとも言える。

 あ、追い詰めている方がデレた。やっぱり、武藤佐はダメダメだなぁ。旦那にはすぐデレるんだから。

 ちっ、つまんねぇ。

 いつになく、黒い自分がいることを自覚する。

 武藤さんが、もっと追い詰められる姿を見てみたかったよ。


 「じゃあ、私達も、そろそろ引っ越しの準備も考えなきゃね。母と同じように、身を隠せれば安心して生活できるけど、あなたは目立ちすぎるからカバーを作るのが大変」

 「大きいものは小さくならないからねぇ」

 「いっそのこと、両国にでも潜みましょうか」

 「元力士って?」

 「そう。

 木を隠すならば、森の中。

 ちゃんこ鍋屋開いて、食べログに話をつけて高評価を買うの。ここまでしておけば、身元を疑われないわよ。

 私も、ちゃんこ鍋屋の女将って、悪くないかも」

 ……力士以上に体の大きい妙に知的な大将と、妙に迫力のある極妻的な女将ができあがりそうなのは、気のせいだろうか。

 ああ、怖い怖い。


 ともかく、だ。

 式場含めて、結婚式を形にするには、まだまだ膨大な手順が必要だ。

 海外にいる友人には足の心配も必要だろうし、指輪の石の入手とは比べ物にならない大変さだろう。

 まずは、ここから頑張らないと、だよね。

 


 − − − −


 美岬の部屋。

 高校の頃から、多少の本の出入りがあった以外、目立って変わったところはない。

 部屋に入るなり、美岬、背中に抱きついてきた。そして、背中越しの声。

 「ありがと」

 俺も答える。

 「ありがとう。それは、こっちのセリフだよ」

 「長かった。

 この日を迎えられることは信じていたけど、本当にその日が来たんだね。

 嬉しい」

 「俺もだよ。

 いろいろなことがあったよなぁ。

 で、さ、二日の徹夜の果てだから、俺、汚いぞ。

 臭いもしているし、触ると納豆みたいに糸引くかもしれん」

 「その努力の結果の、この日でしょ?

 だいたい、真が言う臭いがしてるって、私には判らないよ」

 「そうなんだけどさ……」

 「それより……。

 私、幸せだよ」

 俺、そっと美岬を振りほどいて、正面から向き合う。

 美岬の前髪を掻き分けて、額に唇を当てる。

 歯もろくに磨けてないから、それが精一杯。

 「そか。

 折を見て、武藤さんにも言ってあげてよ。

 それで、きっと全部納得してくれるよ」

 「そうだね。

 そうだね。うん……」


 俺、美岬の目を覗き込んで言う。

 このアングル、十年経っても見飽きない。自分の存在が、美岬の目に吸い込まれそうだ。

 「あらためて言います。

 平均寿命を満たせるとすれば、これからの時間の方がずっと長い。

 引き続き、これからもよろしくお願いいたします」

 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 畏まってそう返事をする美岬。

 そして、互いに真面目な口調が可笑しくて、笑い合う。

 部屋に指す朝日の中で、美岬の綺麗な笑顔が、俺には果てしなく輝いて見えた。

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