第5話 春の日
国宝の城の北側、歴史のある小学校に面した一画に、「キッチン 当たり屋」はある。
落語好きの店主で、当たり屋の屋号は柳家喬太郎の時蕎麦のネタから取った。もっとも、これは初期のネタで、今では「外れ屋」ということが多い。
ウッディな店の中には、観葉植物の大鉢が一つ、四人掛けテーブルが二つ、二人掛けが三つ、小さなカウンターに五つの椅子が置いてある。
決して大きくはない店だ。
メニューは日替わり、定食一種類のみ。
その代わり、料理は本格的で手を抜かず、美味いコーヒーか紅茶などの飲み物が付く。
店主は脱サラした四十代の男。
ようやく、この街でも桜が咲きだした。この街の桜は、5月上旬までの間に山を駆け上がる。
今日のランチメニューは、すべての皿に春を盛り込む。
この店は客を選ぶ。
「一見様お断り」ということではない。
店主が好みのものを作る。そこに妥協がない。客が好みに合えば良い店になり、合わなければその逆だろう。
今日など、春という抽象的にもほどがある定食で、なにが出てくるか目の前に運ばれてくるまで客には分からない。ただ、ぶっきらぼうな字で「春定食、アレルギーのある方は材料の問い合わせを」と書かれた黒板が、店の前に置かれるだけだ。
いつになく乱暴で何が出るかすら判らないが、商店街の常連とは信頼関係ができている。
今日の客は、なぜか観光客が多い。乱暴な「春」という単語だけの黒板が、かえって客の好奇心を呼んだのだろう。また、国宝の城に咲く桜に、観光客が呼び込まれたというのもある。街を歩く人波も、いつもよりも遥かに多く見える。
十日前に、豚バラの塊に塩と胡椒をたっぷりと刷り込み、冷蔵庫に寝かせておいた。三日前にざっと表面を洗って、一日塩抜きをした。その後、一日冷蔵庫の中で干し、表面が乾いたものに一時間ほど煙を当てた。煙用のチップは、今回はヒッコリーと桜を使っている。
当然、その際には自分の晩酌のつまみに、燻製炉の隙間に蛸の足も一緒にぶら下げている。煙は有効に使わなければもったいない。
できあがったベーコンは、一部は春が旬である浅蜊と合せてクラムチャウダーにして出そうと考えている。だが、今日はもっとシンプルだ。
厚めに切って、フライパンで火を通し、にじみ出た脂でスナップエンドウと櫛形に切った地場の春キャベツとアスパラガスを焼く。ふきのとうでも美味いが、そろそろ終わり。春野菜も移り変わっていくのだ。仕上げに軽く塩、多めの黒胡椒。
土曜日の学童保育に行く、一年生の一人息子の弁当にいれたら、阿鼻叫喚の騒ぎになった逸品である。弁当箱の蓋を開けた瞬間の香りに、隣の子が反射的に手を出して美味しいと大騒ぎをし、指導員が止めるのも間に合わず連鎖的に他の子も手を出した。自分の分がすっかり無くなった息子がまずは泣き出し、他の子が手を出した子を羨ましがって泣き、それにつられたか、手を出して叱られた子までが泣き出した。
その日、息子のお迎えに行った男は、げっそりした顔の指導員から顛末を詫びられ、良い香りで自分も手を出したかったことを暗に告げられた。ついでに、指導員の昼食のおかずを息子が食べたことを聞き、お礼にひとかたまりを持っていかざるを得なかった。
できたてのベーコンには、それだけの魔力がある。
その魔力が、春の野菜をさらに引き立てるのだ。
そして、その淡い色合いを引き立てる白磁の皿。
炊きたての白く輝くご飯には、グリンピースがところどころ顔を出している。これは、いつもと異なり土鍋で炊いたご飯の上に、まだ蒸らす前のタイミングでその場で鞘から剥いたグリンピースをざらざらと乗せ、一分だけ再加熱するいう方法で炊き込んだ。土鍋の分厚い蓋が持っている熱量が、グリンピースに色鮮やかに火を通す。そして、再加熱が程よいお焦げを作る。この鮮やかな色合いが、焼締の茶碗の黒い肌で引き立ってくれる。
そしてアサリの味噌汁は、黒漆の椀。
青磁の小鉢には、小さな冷奴。とはいえ、テーマは春。ギョウジャニンニクを刻んだものを散らし、塩を振り、ごま油を数滴。ギョウジャニンニクの鮮やかな緑と、ニンニクの香りに近いのに、どことなく爽やかな香りが春をさらに連想させる。
これで税込800円。
俺は、街の一画にある、組織の重要な施設に、任務を果たすために来た。おそらく、あと四ヶ月は任務のために、ここにいなければならないだろう。
俺のカバーは、倉庫整理要員兼店員として、月契約で雇われた形だ。
毎日、昼休みにターゲットを確認しているが、ここのところターゲットの動きが激しい。なにかの準備をしていることが明確に伺える。運び込まれた荷物の追跡も進んでいる。
俺は骨董店を出て、観察対象建物を横目に通り過ぎ、ちょうど五十歩めで「春定食、アレルギーのある方は材料の問い合わせを」と書かれた黒板にぶつかった。
店の戸が開いて、観光客の女性の三人連れが店から出て行く。その背中とすれ違ってから、ドアを開いた。
「らっしゃい」
低い声に迎えられて店に入ると、四人掛けのテーブルが片付け始められている。俺は、カウンターの端の席に座る。
店主が、水とペーパーおしぼりを目の前に置く。
注文は選ぶことができないので、聞かれない。
ただ、その一方で、聞かれたのは次のこと。
「コーヒーにしますか、紅茶にしますか」
「紅茶で」
春定食というものがなにか、俺には分からない。他の客の食べているものを横目で伺うと、妙に緑色が多く見える。なので、コーヒーよりも軽いであろう紅茶にしたのだ。
分からないものを注文するのは、それなりに勇気も必要だが、当たればデカい。
この前の納豆定食がそうだったので、俺も一つ学んだのだ。
スマホ画面に目を走らす。ニュースを読む。日本地図上の桜前線は、すでにこの街を通り越している。ここは標高が高いため、毎年、桜前線から取り残された飛び地になるのだ。
特に世はこともなし。一安心と思ったところに、盆に載せられた春定食が置かれた。
「ごゆっくり」
低い声で言って、店主は厨房に戻っていった。
さて今日はと、皿を見る。
確かに春定食だ。
全体に春の黄緑色が濃く、その色に支配されていないのは大皿のベーコンと味噌汁だけだ。そして、いくら食に疎い俺でも、浅蜊の旬が春ということは知っている。昔、
なんとなく、大皿のキャベツを焼いたものに箸を伸ばす。
本当になんとなくで、理由があったわけではない。
口に入れた瞬間、濃厚な甘みが舌に広がった。
どれほど甘くても、これは砂糖の甘味ではない。キャベツの甘味だ。それも春キャベツを蒸し焼きにした甘さである。そして、その甘さを引き立てる微量の塩気と脂。この脂気がなかったら、甘さは舌にとどまることなく流れ去っていただろう。
次の瞬間、鼻腔に感じる煙の香り。
皿の上で、厚切りのベーコンが貫禄を見せているけれど、このキャベツがメインでもいいんじゃないかなという気がしてくる。
甘いものはおかずにならないと思っていたし、キャベツもおかずにはならないと思っていた。キャベツはトンカツとかの口直しであって、ここまでの濃厚さを持ちうるとは思っていなかったのだ。
また、単なる白いご飯であれば、もの足りなさがあったかもしれない。でも、今日のは狐色のお焦げも見えるグリンピースご飯だ。この複雑な香りが、煙の香りを纏ったキャベツを正面から受け止めている。
「いい」
とりあえず、そんな二文字が頭に浮かぶ。
その二文字を頭に浮かべたまま、アスパラガスにも箸を伸ばす。
こちらは、塩が濃い。
そのせいか、これの旨味も相当に濃い。
視覚から受ける、淡い春の色とは対象的な濃厚さだ。
となれば、それを演出した分厚いベーコンに箸を伸ばさないわけにはいかない。
衝撃といっていい。
口の中にほとばしる旨味と香り。
ふと昔を思い出す。
アメリカに行ったとき、双海がベーコンを「これは違う」と食べられなかったことがあった。俺は、コンチネンタル・ブレックファーストのベーコンを、可もなく不可もなく食べていたので、嗅覚の敏感に人間しか解らないことなのではないかと、さほど関心も引かれずに横目で見ていたのだ。
そんな自分でも、ニューヨークのブロンクスのステーキハウスで食べたベーコンが別物なのは理解できた。
でも、それは、世界最高峰のステーキハウスのベーコンだからだと思っていた。
ところが、それに勝るとも劣らないものがここにある。
豚の脂の強さを、煙の香りが引き立てている。そして、その脂に負けない肉の旨味。ああ、この味は何年ぶりだろう。
しかも、ステーキハウスでは炙ったベーコンを単独で出されたけど、ここのは春野菜が組み合わされている。相乗効果か、旨さが止まらない。
「このベーコン……」
コーヒーを淹れている店主に、視線を向けて口の中で話す。
大口開けて、普通に話したらこの余韻が消えてしまいそうな気がしたのだ。
「ああ、自家製です。岩塩でしっかり塩漬けしましたから、旨味がしっかり出るんですよ。それを、ある程度時間を掛けて干しますから、さらに旨味が濃縮されていると思いますよ」
そういうものなのか。
西洋史の中で、ドイツの農民が冬を生き抜くために加工肉を作ったという知識はあったけど、それがここまで豊かな文化だったとは。
そして、春がきて、冬を通して保存した加工肉を食べ尽くす謝肉祭には、春野菜とベーコンという王道の組み合わせも当然あっただろうけど、それがここまで美味いとは。きっと、塩も強く、何回も煙を当てなおされて、より強烈だっただろう。
何ごとも経験しなきゃ分からない。歴史なんてジャンルは、特にそうかも知れないと実感する。
洋のおかずはご飯に合わないと感じることもあるけれど、グリンピースのせいか、ベーコンでご飯を食べることに違和感はまったく生じない。
半分ほどを一気に平らげて、ようやく味噌汁と小鉢に視線が向いた。
薬味はニラだろうか。
細かく刻んだ緑色の濃い葉と一緒に、豆腐を口に運ぶ。
がつんとふんわりが同時に来た。
ニラじゃない。香りは明確にニンニクなのは俺でも判る。でも、ニンニクって、もっと、こう、厚かましくなかったかな。セロリの爽やかさとは無縁というイメージのはずだ。
でも、これはニンニクなのにみずみずしい香りなのだ。
となりのカウンター席を片付けている店主に、再び聞いてしまう。
「これ、なんの葉っぱですか? ニンニクの葉って、前に麻婆豆腐に入っていた幅広いやつですよね。これは?」
「山菜ですよ。
ギョウジャニンニク。ちょっと前から出回るようになって、買えるようになりました。昔は、山で巡り会えないと食べられないものだったんですけれどね。これを食べて、山伏は厳しい修行に耐えたそうです」
はー、そういうものなんですか。
ほのかに香るごま油の香りと合わさって、冷奴の薬味としては最上級のものかもしれない。ネギと生姜が一番と思っていたけれど、これはその上を行く。
でも、山菜っていう以上、今の季節だけなんだろうなとも思う。それが残念でしかたない。
味噌汁の、大振りな浅蜊が嬉しい。
再び、あのボンゴレ・スパゲティを思い出す。
西洋の食であれが浅蜊の一番美味しい食べ方ならば、和食で一番美味しい食べ方はやはり味噌汁じゃないだろうか。
明治時代に書かれた「最暗黒の東京」なんておどろおどろしい題の本があって、「深川飯 - 是はバカのむきみに葱を刻み入れ熱烹し、客来たれば白米を丼に盛りて其の上へかけて出す即席料理なり。一椀同じく一銭五厘尋常の人には磯臭き匂ひして食うに堪えざるが如しと雖も彼の社会では終日尤も簡易なる飲食店として大いに繁昌せり」なんて書かれている。
でも、これ、俺は美味そうに感じたんだよね。
貝がある程度磯臭いのは当たり前だし、この本の作者はわりと「お上品」だし、貝の味噌汁は昔から自炊の強い味方だったからね。
店主が紅茶を用意するタイミングを計って、話しかける。
「なんで、ベーコンまで自家製で作ろうと思ったんですか?」
「自分が食べたいからです」
あっさり。
取りようによっては身も蓋もない。「お客様のために」とか言わない人なのだ。
その潔さが味に繋がっている。それはよく解る。
おそらくは、この店のシステムが無愛想なのも、客を選ぶためだ。
大人の客が来てくれればいいという、割り切りった考えなのだろう。そして、この大人は、年齢とは無関係だ。ルールを守り、店主の味を好きというのであれば小学生だって大人なのだ。
嫌いなものを皿からはじき出すような子供は、お呼びではない。
今日もたくさんの野菜を食べた。
厚切りとはいえ二切れのベーコンと、浅蜊しか動物性タンパク質はない。それなのに、不相応の満足感がある。
そして、春野菜の香気で、体内にも春がきたような感覚。
店主が紅茶を出してくれた。
香りが素晴らしく良い。思い出してみれば、ここの店で飲む初めての紅茶だ。
コーヒーとは違い、紅茶の葉は買ってくるしかないだろう。
「良い香りですね。どこの紅茶ですか?」
「トワイニングのビンテージ ダージリンです。店で出すには便利なんですよ。
クオリティは高いし、入手は楽ですし、やたらと高くないし、廃番にもならないですからね。
トワイニングよりこだわった会社もありますし、オリジナルブレンドとかの会社もありますが、案外これを飲んだことのある人って少ないんです」
「そうなんですか?」
俺は、香りのことは分からない。
「ええ、トワイニングは商品系列も豊富なので、適当なものを飲んで見切りをつけちゃう人も多いんです。また、突き詰めて紅茶を飲むとなると他の会社のものになることもあります。でも、店で安心して出せるとなると、確実に選択肢に入ってくるんです」
なるほどなぁ。
「800円になります」
千円札を一枚を渡す。
「ありがとうございます」
声とともに百円玉二つ。
割とゆっくりと食べたと思う。夢中で食べるというより、春の香りを楽しんだ。
こんなのも良いと思う。
帰ったら、双海に連絡だ。
いよいよ、活動開始。
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ベーコンなぞ。
https://twitter.com/RINKAISITATAR/status/1304952365426982912
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