第6話 ハンバーガーの日
国宝の城の北側、歴史のある小学校に面した一画に、「キッチン 当たり屋」はある。
落語好きの店主で、当たり屋の屋号は柳家喬太郎の時蕎麦のネタから取った。もっとも、これは初期のネタで、今では「外れ屋」ということが多い。
ウッディな店の中には、観葉植物の大鉢が一つ、四人掛けテーブルが二つ、二人掛けが三つ、小さなカウンターに五つの椅子が置いてある。
決して大きくはない店だ。
メニューは日替わり、定食一種類のみ。
その代わり、料理は本格的で手を抜かず、美味いコーヒーか紅茶などの飲み物が付く。
店主は脱サラした四十代の男。
桜はこの街の周囲を囲む山々を駆け上がってしまい、昼間は軽く汗ばむほど気温が上がってきた。とはいえ、梅雨なんて単語には早すぎる季節。今日のランチメニューは、ハンバーガー。
この店は客を選ぶ。
「一見様お断り」ということではない。
店主が好みのものを作る。そこに妥協がない。客が好みに合えば良い店になり、合わなければその逆だろう。
ピクルス抜きとかのオプションがあろうはずもない。ただ、ぶっきらぼうな字で「ハンバーガー定食、アレルギーのある方は材料の問い合わせを」と書かれた黒板が、店の前に置かれるだけだ。
「ハンバーカーという単語に、定食という単語を繋げるのはいかがなものか?」という疑問は、この店の常連には既にない。要は、美味ければ良いのだ。
今日の客は、観光客が三割、作業服が三割、スーツが二割、商店街の店員が二割。男性が多く、席はほとんど埋まっている。
大ぶりの白磁の平皿に、同じ街のベーカリーで焼いてもらった大きめのバンズ。パティががっしりとした歯ごたえの大きいものなので、ふわふわの押せば潰れてしまうようなバンズではバランスが悪い。その辺りの変更もリクエストしてある。
そして、いつもは魚が焼かれることが多いグリルでは、玉ねぎの輪切りが焼かれ、そしてトマトとレタス。
パティの牛肉はオージービーフだが、店で挽肉にし、ナツメグと黒胡椒を砕き入れた。和牛は和牛に適した使いみちがある。ハンバーガーには、アンガス系のほうが合うという判断。当然、コスト計算の視点もある。
月桂樹の葉とともに炒めた玉ねぎのみじん切りをよく冷やし、少量のパン粉、卵、そして挽肉とよく捏ね、焼き上げる。仕上がりで二百グラム、相当なボリュームだ。すべてを積み重ねれば、十センチ近くにもなる。
ランチ営業は、一時間が勝負となる。その間、パティを焼ける回数は二回が限界だろう。焼いた後に置いておいて逃げてしまうかもしれない肉汁は、薄切りのアボカドの油で補う。
付け合せはベイクトポテト。一人で厨房とホールの両方をこなすには、フライドポテトを同時に揚げるのは無理との判断。ただ、油で揚げていないということで、女性受けは却って良い。前に作ったベーコンから削いだ脂と塩を絡ませた後にホイルで包み、じっくり焼き上げる。
もう一つの付け合せは、定番のコールスロー。キャベツとセロリ、一茹でした人参をみじん切りにし、胡椒、ヨーグルトで伸ばしたマヨネーズで和える。粉引の小鉢に盛ってあるところが、ハンバーガーセットではなく、定食。
これで税込900円。
真面目に作ると、ジャンクフードのイメージに反して、案外コストが掛かるものなのだ。
俺は、街の一画にある、組織の重要な施設に、任務を果たすために来た。おそらく、あと三ヶ月近くは任務のために、ここにいなければならないだろう。
ここは、表向きは骨董品を扱う店だが、組織の財産管理を行う重要な部門となっている。組織の歴史が古いので、所謂お宝がたくさんあり、その管理、現金化を引き受けている。
俺のカバーは、倉庫整理要員兼店員として、月契約で雇われた形だ。
毎日ターゲットの観察をしているが、最近大荷物が運び込まれた。この報告によって、警戒レベルを即応体制までは上げていないものの、こちら側の人数が一人増えた。今日、応援の
俺達は骨董店を出て、観察対象建物を横目に通り過ぎ、ちょうど五十歩めで「ハンバーガー定食、アレルギーのある方は材料の問い合わせを」と書かれた黒板にぶつかった。ただし、いつもと違うのは、任務の度に行動を共にしているバディの双海が一緒なことだ。
店の戸が開いて、OLが三人、店から出て行く。そのドアが閉まる前にハンドルを掴まえると、様々な物が焼ける香ばしい匂いがした。
「らっしゃい」
低い声に迎えられて店に入ると、四人掛けテーブルが片付け始められている。俺は、双海と共に、片付け終わった四人掛けテーブルに陣取る。
店主が、水とペーパーおしぼりを目の前に置く。
注文は選ぶことができないので、聞かれない。
ただ、その一方で、聞かれたのは次のこと。
「コーヒーにしますか、紅茶にしますか」
「コーヒーで」
双海が、俺より先に答える。相変わらずコーヒーが好きな奴だ。俺もコーヒーにする。
「モカ、キリマンジェロ、マンデリン、お好みはありますか」
「モカ」
「マンデリン」
それぞれに答える。昔から酸味のあるコーヒー派だよな、こいつ。
「かしこまりました」
店主は厨房に戻っていく。
いつもならば、スマホでニュースを読むのだが、今日は省略。
さて、双海は、嗅覚味覚が極めて鋭いので、満足してくれるかどうかちょっと心配。
ともあれ、二ヶ月ぶりに会ったが、元気そうではある。一安心と思ったところに、盆に載せられたハンバーガー定食が置かれた。
当たり前と言えば当たり前だが、いつもと違って箸はなし。ナイフとフォークだ。
「ごゆっくり」
低い声で言って、店主は厨房に戻っていった。
今日、店の前の黒板を見たときには、正直言って驚いた。
この店で、ハンバーガーなんか出すとは思ってもみなかったからだ。ただ、アメリカは経験しているので、ハンバーカー自体は美味いものという認識はある。肉とパンをシンプルに食べるのだから、クオリティさえあればジャンク感はないし、不味いはずもないのだ。
アメリカの料理を、他の国の料理に比べて一段劣ったものとする人がいる。
俺個人としては、それは明らかに間違っていると思う。アメリカのレストランの平均値が高くないこととは、別の話としてである。
歴史が若く、料理が若い。未だ発展途上ではあるけど、それを
日本が異常に平均点が高いだけで、平均点が低いというロンドンでさえも、美味いものはいくらでも食べられる。
目の前のハンバーカーは、バーガー袋に入ってアメリカで食べたものと同じボリュームで鎮座していた。違いは、フライドポテトがベイクトポテトになっているぐらいだ。
目で双海と「いただきます」の挨拶をしあって、かぶりつく。
直截的に美味い。
というか、今まで食べた、どのハンバーガーより美味い。
問題は、双海がどう評価するかだ。こいつは、犬並みの嗅覚で組織にスカウトされたし、そのため食べ物にもうるさい。
口に頬張ったまま、目で評価を促す。
「クラッシュしたナツメグがたまらない。『粉末のスパイスを買ってきました』じゃないぞ、これは。隠し味的に香りをつけているローレルも良いな。玉ねぎのみじん切りを炒めるときに一緒に炒めているんだ。
玉ねぎを焼いたグリルは、先回、塩サバを焼いているけど、臭いは移っていないと言っていい。グリルをきちんと手入れしているみたいだね。俺じゃなきゃ気が付かないよ。
パティはオージービーフだが、牛脂は和牛を少量混ぜてある。甘みを出したかったんだろうな。割合が高すぎないところがいいなあ。野趣があって俺は好きだ。
バンズは、おそらくだけど、国産の小麦を混ぜて焼いている。あと、一緒の窯で焼いた他のパンとは、混ぜ込む油脂が違っているな。こっちはバターだけど、オリーブオイルを混ぜているパンが同じ窯にあったはずだ。たぶん、フォッカッチャだな。ローズマリーを感じるから。
ベイクトポテトはベーコンの油を塗って焼いているけど、きちんと塩漬けして、煙を当てたベーコンだ。
トータルで、今まで食べたどのハンバーガーより美味いかもしれないなぁ」
ちなみに、ベイクトポテトのアルミホイルは、まだ剥がされていない。
相変わらず、犬のような嗅覚だ。
あとは無言で食べ続ける。
隣の席のOLが、席を立つ。「必ず、今日中に食べてくださいね」という店主の言葉に、笑顔で頷きながらホイルに包まれたままのベイクトポテトを持ち帰っている。食べきれなかったのだろう。夜、温めなおして、ビールの友にしたら最高かもしれない。
双海ほど詳しくは判らないが、そんな俺でも美味いことだけは良く判る。
炭水化物とタンパク質、そして塩と油脂を人体は美味いと感じるようにできているというけど、その全てを同時に満たしているのだから、本能が拒否できないのは当然なのだ。
そして、もう一つ、双海がパンについて長く語った理由が解る。バンズが肉に負けていないのだ。口の中で混じり合うバランスがとてもよく、これが美味さの要因として大きい。それくらいまでは、俺でも解る。
ホイルを破って、ベイクトポテトを取り出す。
その動きだけで崩れてくるほど、ポテトは、ほくほくに柔らかく火が入っている。焦げた皮の香ばしさ、ほくほくであってもぱさぱさではないバランス。
まったく、焼いただけで、なぜこれほど美味いのだろうか。切実にビールが欲しい。まったく、こいつが昼飯でなければ、と思う。
コールスローも軽くて美味い。細かく切ってある割には、歯ごたえがぱりぱりと楽しい。そして、割と景気よく盛ってある。軽い酸味で口の中がリフレッシュされるけど、重さを感じない妙に優しい味だ。どんなマヨネーズなんだろうか。
ここの店では、外食なのに妙に野菜を多く食べさせられていて、しかも、それに気がつかせられないことが多い。
でも、今日は違う。
たまには、こういう肉中心でガツンとくるものもいい。そして、男が想像しているよりも、案外、女性もそういうものが好きだ。ただ、ステーキのようにぶっきらぼうにそれだけだと、食べに来にくいだけだ。
カウンターの中を見ていると、やはり下準備が上手くされていて、店主は挟むだけ、盛り付けるだけ、の作業で素早くこなしている。俺は、ここのところ、ここの店主に一目置くようになっている。
仕事は手順だ。
そこは業種を超えて認めるべきところではある。
店主がコーヒーを出してくれた。香ばしさが嬉しい。
前に飲んだものほど軽くない。だが、ハンバーカーの後には良いバランスである。
「今日のコーヒーは、焙煎何日目ですか」
隣のテーブルを片付けている店主に声をかける。
「三日目ですが、お連れの方はお分かりでしょう」
双海に目をやると、にやにやしながら頷く。
「恐ろしい方ですね。失礼ですが、先ほど話しているのが、聞こえてしまいました」
双海が答える。
「いえいえ、ありがとうございます。実は、このせいで、ほとんど外食はできないんです。今日は、大変美味しく頂きました。こんな満足感を味わえたのは、久しぶりです。また来させていただきます」
「ありがたい申し出です。次も努力は致しますが、ご期待に添えない可能性もあることをお詫びしておきます」
双海は、純粋に喜びを顕にしている。店主も、決して悪い気がしているようではない。
よかった。
「900円になります」
千円札を二枚渡す。
「ありがとうございます」
トータルで二十五分。やはり、一人で食べるより時間はかかるものの、楽しさがある。美味くて、夢中で食べたし。
あとは、ここに来る行き帰りで、観察対象建物から双海が何を嗅ぎ分けたか、だな。
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ハンバーガーなぞ。
https://twitter.com/RINKAISITATAR/status/1305499126960857091
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