第4話 納豆の日


 国宝の城の北側、歴史のある小学校に面した一画に、「キッチン 当たり屋」はある。

 落語好きの店主で、当たり屋の屋号は柳家喬太郎の時蕎麦のネタから取った。もっとも、これは初期のネタで、今では「外れ屋」ということが多い。


 ウッディな店の中には、観葉植物の大鉢が一つ、四人掛けテーブルが二つ、二人掛けが三つ、小さなカウンターに五つの椅子が置いてある。

 決して大きくはない店だ。

 メニューは日替わり、定食一種類のみ。

 その代わり、料理は本格的で手を抜かず、美味いコーヒーか紅茶などの飲み物が付く。


 店主は脱サラした四十代の男。

 桜はまだだが春も進み、景色の彩度と埃っぽさがあがり、学童保育の子どもたちの声が響く。春休み中なのだ。

 今日のランチメニューは、納豆。


 この店は客を選ぶ。

 「一見様お断り」ということではない。

 店主が好みのものを作る。そこに妥協がない。客が好みに合えば良い店になり、合わなければその逆だろう。

 一種類しかメニューがないというのに、納豆という好き嫌いのある食材でもためらいがない。この街に来る観光客は、関西の人も多いのに、だ。

 ただ、ぶっきらぼうな字で「納豆定食、アレルギーのある方は材料の問い合わせを」と書かれた黒板が、店の前に置かれるだけだ。


 今日の客は、作業服が三割、スーツが三割、商店街の店員が四割。観光客はいない。いつになく空席があるが、それでも、八割がた埋まっている。


 大粒の納豆を粗く刻んだもの。葱、青紫蘇、茗荷を刻んだもの。塩と転がして毛を取リ、刻んだオクラ。ほぐしたたらこ。たらこはまともに買うと仕入れ値が高くてお話にならないので、生のスケソウタラの卵巣を入手し、たらこに加工する。一度凍結させないと寄生虫が危険だが、裏を返せば安い時期に大量に作って凍結ストックができるのでありがたい食材。塩昆布の細切り。イカの刺身。それらを放射状に綺麗に並べる。真ん中に、卵の黄身が一つ。

 そして、器の端に和辛子が添えられる。

 炊きたての白く輝くご飯。

 煮干し出汁の、豆腐と若布の味噌汁。

 小鉢は、イカを捌いて残ったイカゲソと蓮根の団子。これは、イカゲソを叩き、粘りを出し、酒、醤油、すりおろし生姜とすりおろしたレンコンを加えて混ぜ合わせる。さらに、小さなサイコロ状に切ったレンコンを加えて、団子にして、素揚げにしたもの。仕上げに、黒胡椒を多めに振る。

 納豆は大きめの青磁の片口、小鉢は粉引、ご飯は暗めの桜色の粉引小丼。味噌汁は黒漆の椀。これで税込750円。



 俺は、街の一画にある、組織の重要な施設に、任務を果たすために来た。おそらく、あと四ヶ月以上は任務のために、ここにいなければならないだろう。


 俺のカバーは、倉庫整理要員兼店員として、月契約で雇われた形だ。

 毎日、昼休みにターゲットを確認しているが、ここのところターゲットの動きが激しい。そろそろ、応援を呼ぶ時期かとも思う。


 俺は骨董店を出て、観察対象建物を横目に通り過ぎ、ちょうど五十歩めで「納豆定食、アレルギーのある方は材料の問い合わせを」と書かれた黒板にぶつかった。

 店の戸が開いて、スーツ服の男が一人、店から出て行く。そのドアが閉まる前にハンドルを掴まえる。


 「らっしゃい」

 低い声に迎えられて店に入ると、二人掛けテーブルが片付け始められている。珍しく、四人掛けのテーブルが一つ空いている。俺は、カウンターの最後の席に座る。

 店主が、水とペーパーおしぼりを目の前に置く。

 注文は選ぶことができないので、聞かれない。


 ただ、その一方で、聞かれたのは次のこと。

 「コーヒーにしますか、紅茶にしますか。今日は和食なので、煎茶もあります」

 「煎茶で」

 この店で、単なる納豆だけをそのままに出されるとは思えない。が、納豆定食というメニュー名には、警戒せざるをえない。そこで、和食と組み合わせて安心できる、煎茶でいくことにする。

 正直に言って、今日は消極的選択と言って良い。

 納豆定食と書かれた黒板を見た時には、ラーメンかなんか別の店にしようかなとも思ったのだ。


 スマホ画面に目を走らせ、ニュースを読む。

 特に世はこともなし。一安心と思ったところに、盆に載せられた納豆定食が置かれた。いつに増して早い。

 「ごゆっくり」

 低い声で言って、店主は厨房に戻っていった。


 さて、と警戒心を友達にして皿を見る。

 これが納豆定食かぁ。

 ご飯が、茶碗でなく、小丼に入っている。

 ご飯の小丼とほぼ変わらない大きさの器には、納豆。だが、ボリューム的に、納豆以外の方がはるかに多い。その中には、飯の友といって良いものがたくさん入っている。

 これなら、イカ刺し定食で、小鉢に納豆でいいんじゃないかなと思う。

 あと、ちらし寿司のときに教わったとおり、五行五色が揃っている。

 味噌汁も、いつになく王道というか、悪く言えば平凡な組み合わせに見える。


 とりあえず、納豆を混ぜる。

 卵の黄身が潤滑剤になるのか、すぐに混ざったので醤油を掛け、さらに混ぜる。

 半分ほどをご飯に掛けて、左手で小丼を持って気がついた。これ、今、炊けたご飯だ。丼を持った左手が火傷しそうなほど熱い。カウンターの中をうかがうと、炊飯器が二つ。そこまではいつもと同じだが、片方が炊飯中になって、盛んに湯気を吹き上げている。

 小丼も、お湯に浸けてあるようだ。


 口にせせりこむ。

 冷たい、熱い、そして、半熟になった部分、生の部分が一気に口の中で混じり合う。

 これは反則だ。ズルい。

 単純な、それこそ単に混ぜるだけのものが、温度のタイミング一つで本能的に逆らえない複雑なものに変化している。そして、米の旨さをこれでもかと引き立てる、濃厚で重層的な旨味。

 納豆のぬめり感、イカのなめらかさ、オクラのゴツゴツと固く口に当たる感触。鼻に抜ける香味野菜の組み合わさった複雑な香り。そして、圧倒的なコクと旨味。

 このコクは、たらこも一役買っているのだろう。

 温度感と混じり合って、一瞬混乱するほどの大量の情報が口内から脳へ送られる。

 でも、その情報は最後には、一つに纏められる。どんな情報がジャミングをかけようと、これは最終的に納豆なのだと。


 急いで、残りも小丼に掛け足す。熱いご飯に掛けずに時間をおいたら、この複雑な旨味が得られないと気がついたからだ。

 あとは時間との競争。

 たまに火傷しそうな熱いご飯が口に入るが、それも美味さのうち。七割がたを一気に口に運び、一息つく。


 ああ、味噌汁も、これはこれでいいのだ。

 いつもの家で食べる納豆とは明らかに違う、それでも、納豆と言うメインに対して、安心できる味噌汁の味が嬉しい。一気にすすり込むような、スピード感あふれる食事の流れの中ではなおさらのこと。


 小鉢の茶色い揚げ団子に箸を伸ばす。

 ぶりっとした、かなり強い歯ごたえ。その中で、サクサクとした異物感が楽しい。嚙った断面を見る。レンコンだ、これ。完全に火が入っているという安定感に、ほっとする。どれほど美味くても、生のものが続くと火を通したものが欲しくなる。その欲望が満たされた安心感。

 そして、多めの胡椒のスパイス感が、味覚をリフレッシュさせて、納豆に再び立ち向かう気にさせてくれる。


 店主が、別の客の飲み物を用意するタイミングを計って話しかける。

 「納豆ですね」

 「納豆ですよ」

 なんとも芸のない会話になってしまった。

 「このバランスって、試行錯誤したんですか」

 「いえ、納豆を大粒のものにすれば、なんとなく纏まってしまいます。

 納豆自身の味と口当たりがしっかりしていないと、別のところに着地してしまうような気がしているんです。

 ただ、薬味や野菜を多めにしないと、旨味に飽きます。それから、これはお恥ずかしい次第なんですが、鰹節を入れたほうが良いか、入れないほうが良いか、未だに結論を出せていません。どっちも美味いのですが、旨すぎるものは良くないんですよ。飽きが来ますから。

 まぁ、今の段階で納豆に八種類の具が入っていると考えれば、末広がりでめでたいかなとは思ってますが」

 ああ、やっぱり、ノウハウはあるんだ。

 五行にしても、末広がりにしても、この店主、結構縁起を担ぐのかも知れない。

 「刺身は、鮮度が良ければ鯵刺しなんかでも美味いですよ。小味が効いたものが良いです。マグロなんかだと、却ってわせにくいですね。脂が多い場所も合わないし、赤身でも大きさを考えて刺し身を引かないと、味が単調になっちゃいます」

 なるほど、なるほど。

 これなら自分の自炊メニューに取り込める。栄養のバランスもいいだろう。

 もっとも、具の数を揃えるとなると、案外大変かもしれないけれど。


 カウンターの中を見ていると、文字通り、お盆にできているものを載せるだけ。

 でも、ご飯の温度だけは気をつけているようだ。短時間のランチ勝負だからできるのだろうと思う。

 この間から気がついているのだが、ここの店では、妙に野菜ばかりを食べさせられていないかと思う。ヘルシーなんだろうけど、それによる物足りなさを感じさせない旨味による満足感がある。

 小丼も空になった。

 雑念なく食べることのみに集中した、集中できたメニューだったと思う。


 店主が煎茶を出してくれた。

口の中の生っぽい余韻を打ち消す、熱さと香ばしさが嬉しい。

 それを啜り、改めて満足感に加えて満腹感が押し寄せてきた。今日はご飯をお替りしなかったものの、もう食べられないという感覚がある。


 「750円になります」

 千円札を一枚と五十円玉一枚を渡す。

 「ありがとうございます」

 声とともに百円玉三つ。

 トータルで十五分ほどしか掛っていなかった。出てくるのも早かったし、夢中で食べたし。

 自炊をして、好みのものを作っても、ここまでがっつくような食べ方にはならない。相棒バディの双海か、その恋人の作ったものは食として別格だけど、悲しいかな、自分にそこまでの腕はない。

 ここを教えて貰ってよかったと思う。食が美味ければ、相当のストレス軽減の効果もあるからだ。


 帰りに、連中が、大荷物を観察対象建物に運び込んだのを確認した。ものが何かは判らないが、応援を呼ぶのは決定だ。


 ★ ★ ★ ★ ★


納豆なぞ。


https://twitter.com/RINKAISITATAR/status/1304736798128500737

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