第42話 終幕2、武藤家にて


 「今日は、もう一子、置き石を減らすか」

 武藤さんが言う。

 才はなくても、ないなりに俺、強くはなっているようだよ。

 事件後、初めて武藤さんと碁を打つ。


 二人の間には薄い碁盤。

 外国とか出歩くことがなくなったら、かやの分厚いのが欲しいとは言っているけど、今は折りたたみのできる安いやつだ。

 でも、碁とか将棋って、遊ぶための道具立てがどれほど安物でも、遊びの質自体は全く変わらないってすごいことだよね。他の趣味ではありえないことだ。

 武藤家の縁側、は、ないので、単に武藤さんの部屋。

 壁も床も本に埋もれ、物理的に可能ならば、天井にも本が並んだだろう。そして、かろうじて空いているスペースの端っこにネット端末、真ん中に碁盤。そして座布団が二枚。

 ヒグマの巣穴って趣だよね。


 「双海君、すごいことを言ったんだって?」

 と武藤佐が声をかけてきた。

 お茶を淹れて、武藤さんの部屋まで持ってきてくれたのだ。お茶、立場的には俺が淹れなきゃなのだろうけど、プライベートな場だし甘えてしまっている。

 部屋に入り、鍵をかけてから話しかけてきた。

 本音で話して良いモードだ。


 本が寄せられてできた、一筋の床が見える獣道をお盆を持って近づいてくる。

 前の殺人的忙しさからいくらかは開放されているらしくて、ここのところ、家で姿を見ることがよくある。

 でも、家の中の盗聴よけのプログラムとか見直しているらしくて、やはりそれはそれで忙しそうだ。やはり、侵入の痕跡があったんだって。


 で、その質問に対し、正面からは答えにくい。

 「ええ……」

 そう言葉を濁した。

 一応は、上司筋ですから。

 「お前んとこなんか辞めさせてやる!」は、やっぱりさすがにまずいよね。



− − − − 


 あのとき、そう、あのとき千葉に現れた武藤佐は、一瞬で自分の配下を再掌握した。

 「ちろん」って視線を全員に走らせただけで、現場の空気が変わった。

 遠藤大尉が現場を掌握していたときの、良き兄貴や良き先輩がいる部活のような雰囲気は一瞬で消し飛び、一つの精密の機械のように全員が動き出した。

 その後すぐに到着した小田大尉は、その雰囲気を感じるなり、あえて権限の返還を申し出ることもなくそのまま服従した。

 「掌握」って言葉をここまで実感したことはなかった。そして、「勝つ」ということについて、ここまでの実績と信頼を得ているとは、と。

 だから、逆に、「勝てないかも」と思われたときには、他に勝てる頼る指揮官を求めてしまうんだとも思った。

 そして、その一部始終を見た俺は、武藤さんの前にいるときの、この感じの武藤佐に甘えてしまうと、あとが怖そうだということはよっく判る。



 「なにを言ったんだい、双海君が?」

 武藤さんが聞く。

 「美岬をこの先十年で、組織から引退させるって。

 坪内佐相手に、そう大見得を切ったって」

 「本当かい?」

 武藤さんが精一杯体を屈めて、それでも高い位置から俺の顔を覗き込む。

 「本当です」

 俺も小さくなって答える。

 「督から南帝まで、話が行ったわよ。

 うちのブランチでも、ここの応接で双海君と菊池君が話しているのを『天耳』が聞いたって、もうみんな知っているし」

 げっ、あのざわざわした中で、慧思との小声のやり取り、聞き取られていたのかよ。

 そういう能力を持った人もいるんだね。

 想定はしていたけれど、まったくもって、油断も隙もありゃしない。


 「十代目の『明眼』を、本採用もされていない『少志』が馘首クビにするって宣言したようなもんだから、当然ちょっとした騒ぎにはなるよね」

 「双海君、よく言ったなぁ……。

 俺も言いたかったけど、今まで言えなかった。

 完全に負けたな。

 今からでも、俺も言おう。

 美桜、行為は真似でも、言葉の重さは同じだ。

 十年以内で、美桜を引退させる。荷物を降ろすんだ。

 さあ、宣言したぞ」

 「ありがとう」

 そこまでは俺、半分本気、残り半分は夫婦のじゃれ合いかなと思って聞いていた。


 でも、武藤佐、ふと無言になる。そしてぽつんと口から言葉を絞り出す。

 「……あれ。

 ああ、美岬もこんな気持になったんだ……」

 「え、どんな気持ちに?」

 「全身が軽くなったような気がする。

 温かい。開放感がすごい。

 そして嬉しい」

 「そうなんだ。

 もっと早く言えればよかったなぁ」

 「いえ、いいタイミングなのよ、今。

 だから、私も素直に受け取れている。

 戦争で人が大量に死ぬようなタイミングだったら、素直に受け取れない」

 現役ってのは大変だよね。

 って、この言葉だと、俺が引退済みの人間みたいだ。


 「現実には、石田佐の定年がその頃だから、よくよく根回ししとかないとだわ。

 今回もお世話になっちゃってるし、なにか恩返しもしたいわね」

 「私は、お礼どころか、さらに迷惑をかけてしまいそうなんですが……」

 「今度はなに?」

 「進路ですが、石田佐の街の大学もいいかななんて思っているんです。

 偏差値だけ見れば、もっといいところも行けるでしょうが、私は『つはものとねり』に骨を埋めようと思っています。そうなると、目立たない良い選択だと思うんです。

 そして、その割に良い学生生活が送れそうな街ですし、いざとなったら二日歩きとおせばここへ歩いてでも帰ってこれる距離ですし。

 慧思は、防衛医大とかも視野に入れているようですが、三人とも同じ場所には行きにくいものがありますし、今はばらばらになっても、将来のための人脈を作ることも視野に入れたほうが良いかもなんて考えています」

 「逆でも良い気がするけどね」

 と武藤さん。


 「逆とは?」

 思わず聞き返す。

 「大学で『なにか』を学びたい、その『なにか』が君たちはないんだよ。

 大学卒業後を見てしまっている。

 でも、それはつまらないよ。

 学生時代も高校時代と同じく大切でかけがえのないものだ。

 菊池君が歴史というジャンルが好きなのであれば、それは活かすべきだ。

 大学で石田さんの街に行くのであれば、こと歴史については石田さんのところならば並の大学以上のものが学ぶことができるよ。

 正規の学問として大学で歴史を学び、併せて石田さんのところで学べば、歴史家として一派を成せると僕は思う」

 武藤さんだけは、俺たちの人生そのものを考えてくれているんだ。なんか、涙が出るほどありがたい。


 「それは解るのですが、慧思も学費が出る場所で学べればと。

 『つはものとねり』のお給金はあるのですが、慧思は妹がいますから、その一人暮らしになってしまう生活費と、さらにその先の進学までを考えると、本人は学費が掛からずに学べる場所が良いと考えているようです。

 ただ、そうなると防衛関係か気象関係になってしまいます。

 奨学金も考えはしたようですが、大学卒業後は奨学金を返しながら妹の大学の仕送りと状況が続くので、借金をしない方向で考えているみたいなんです」

 思わず、話しながら、ため息が出た。


 「私は、親の遺産もありますし、扶養せねばならない人間も抱えていません。私は楽なんだとつくづく思います。

 かといって、今の慧思は、『つはものとねり』のお給金がなかったら毒親と縁が切るに切れず、切れるとしたら大学進学など思いも寄らなかったでしょうし、弥生ちゃんも中卒で働くしかなかったでしょう。それも、追われないようにどこか遠くに引っ越して、です。

 それから見れば、遙かにマシだと慧思は感謝していて、たとえ俺が貸すよと言ったって、絶対受け取らないです。

 それを強いるのは、あいつの誇りの問題になっちゃいます。

 ……自力で学費をなんとかしようとしたら、残念ながら歴史では食えないんです」


 「それは良くないな」

 ん?

 なにが良くないのだろう?

 「女子高生がアパートなりで一人暮らしを始めるのは良くないと。

 物騒だよ。

 真由さんと弥生ちゃんは仲が良いようだけど、双海君が家を出たあとはどうする予定なの?」

 武藤さんの言いたいことが解る。

 「それは考えていませんでした。

 菊池は借りを作りたくないということがスタート地点で考えていますし、私も慧思のことは考えていても、弥生ちゃんのことまでは正直考えていませんでした」

 「立ち入ったことを言って申し訳ない。

 だけど、今の話を聞いていると、これは菊池君個人の問題じゃなく、菊池家の問題だよね。だから、実は解決とは「弥生ちゃんの生活がなんとかなれば良い」とは言えるよね。

 セキュリティのしっかりしたアパートなりを借りて一人暮らしするのと、双海家に下宿するのではどちらが安心で、かつお金がかからないかな」


 ああっ!

 それは考えていなかったっていうか、なぜ思いつかなかったのだろう?

 きっと、慧思が妹を守る心情に忖度しすぎていたからだ。

 慧思以外のだれかが守るという提案は、できないと思い込んでいたんだ。

 「それは、イケそうな気がします!」

 「本当は、僕もこんな無責任なことは言いたくなかった。

 美岬が他県の大学に行くならば、美岬の部屋をと言いたいところなんだけど、うちに出入りをするのは……」

 「危険すぎますね。

 不要な誤解を他の組織に抱かれたら、弥生ちゃんの人生にも関わります。

 それは解っていますから、気にしないでください。

 それに、今でも週に何回かは姉のところに来ていますし、実は、私もありがたいのです」

 「ありがたいとは?」

 「弥生ちゃんがいるときは、姉、呑まないんです」

 「ああ、なるほど」

 「姉は自分のことをドライだと思っていますが、実際はその逆です。それも相当に、です。

 武藤佐に言われて、酒に逃避することはなくなりました。今回の人質の状況が例外で、今は嗜む程度以上には決して飲みません。でも、私という監視役がいなくなって、淋しさという辛さが来たときにどうなるか……。

 呑めばいくらでも呑める体だけに、余計心配になんです。

 基本的に姉を信用していますが、今まで相当に無理をしてきましたから、私といるよりも気を緩められる状況になれれば、より安定すると思うのです。

 それに……」

 言葉を切る。

 考えれば考えるほどメリットしか無いな、この案。


 「それに?」

 「姉を好きな人ができました。

 姉の気持ちは判りませんが、相手との距離を遠近どちらに転がすにせよ、同居の人がいるのは口実ができて良いかも知れません」

 武藤佐が話に加わる。

 「そうなの?

 お姉さん、ようやく、二年前のトラウマから脱せる感じ?」

 「ええ、上手くいけば、いや、いかなくも間違いなくトラウマはなくなります」

 「なんか、含むわね。

 相手は誰よ?」

 いきなり鋭い。

 まぁ、武藤佐だからねぇ。


 思わず、乾いた笑いが出てしまう。

 「あはあはあは……。

 遠藤大尉です」

 白状する俺。

 「言っちゃってよかったのかい?」

 ちょっと心配そうな武藤さんの声。

 「いいんです。

 本人が立てた緻密な姉を口説くためのロードマップには、周囲への協力の依頼ということで、話すことはすでに入っていましたから」

 「まったく、大尉はいつも走りすぎの気があるのよ。小田大尉が堅実すぎる気があるからバランスが取れているけれど。

 両者とも、自分が佐となったときのことを考えて行動して欲しいわ」

 おっと、上司の愚痴、来ました。


 「お姉さんはなんて?」

 「外堀が埋まっていないみたいです。

 遠藤大尉が嫌いではないですが、一緒にいるようになったら、『遠藤大尉が帰ってこないかも』という生活が続くことに耐えられるのか自信がないと」

 「それはあるわねぇ……」

 「うちは、親が早く亡くなりましたから、取り残されることに敏感なんですよ。

 放り出された気がするんです。

 姉は、再度そういうことが起きる可能性が高い相手だということに、怖さを感じています」

 「統計は話したの?」

 「そもそも最初に話してくれたのは、武藤佐です。

 二年前にここで、『つはものとねり』の人員の死亡率が他の社会生活をしている人と比べて、決して高くないことは、です。

 でも、大尉は、常に最前線に出ていますし、姉はそれを知っています」

 「真由さんの思うことだから、なにも言いようはないけれど、時間をかけるしかないかもね」

 「はい。

 とんとん拍子には行かないのは遠藤大尉も解っているようですし、姉も遠藤大尉の無敵さ加減は、ある程度は付き合わないと判らないでしょうし」

 「そうねぇ……」

 顔を見合わせて、一朝一夕に片付く問題ではないことを再認識する。

 でも、「無理だよね」という言葉は出ない。どうせ、遠藤大尉のことだから、なんとかしてしまうということだけは武藤佐も俺も疑っていないのだ。

 ま、取りようによっちゃ、姉もエラいのに見込まれたもんだよ。


 武藤さんが再び口を開く。

 「話を戻そう。

 じゃあ、双海君、一肌脱いでくれないか。

 君のお姉さんと、菊池君と弥生ちゃんの間で話を詰めることだ」

 「任せてください」

 「美桜、もう一つだけど、菊池君に対して月々の支給額を上げられないのは解るけど、なにか考慮してあげられることはないかい?」

 「石田佐の街で下宿するのであれば、家賃の安いところの紹介やアルバイト先を探すことなんか、石田佐が地縁をフル活用してくれると思う。結果として、相当楽に生活できると思う」

 三人寄れば文殊の知恵だっけ。

 進路、慧思の希望を活かす形で解決できるかも知れないね。

 「じゃあ、双海君、それも菊池君に話しておいてくれないか」

 「了解です」


 武藤さんが話題を変える。

 「で、話を戻すけど、十年で引退することについて、美岬はなんて言っているの?」

 「なにも。

 でもね、あの娘、前より自発的に頑張ってる。なんかの楽しそうなのよ。

 十年で引退するっていう、明確な目標ができたのね」

 「それだけ、は良くないな。

 十年経ったら、なにかこれをやりたいというのを見つけさせるようにしとかないと、辞めたあと燃え尽きちゃうぞ。

 辞めるではなく、『別のなにかを始める』を目標にしなきゃ」

 武藤さんが、いつものように思慮深いところを見せる。娘の性格をよく解っているんだ。


 よせば良いのに、俺、嘴を挟んだ。

 「子供を育てるってのはどうでしょうか?」

 間。

 そして、しらーっとした空気。

 失敗しまったかな? 俺。


 「ダメだな。

 ダメなボイントが五つある」

 あれ?

 いつになく、武藤さんの視線までが冷たい。

 そして、武藤さんがまた、数えだす。

 「一つ目、それは、親から子供に対する依存をよびかねない。

 人生を豊かにするというのは、子育ての十数年のみのことだけではない。その人生の豊かさをもって子供に接するべきであって、子供を豊かさを得るための目的としてはならない。

 二つ目、娘の親の前で、その娘がまだ高校生だというのに、それを言う無神経さ。

 三つ目、君にとって、組織と自分の子供の重さが同じなのかということ。

 四つ目、そのつもりがなくても、今の発言は子育てを妻のみに任せるという意味に取られかねない」

 うっ。

 厳しい。


 そして、トドメは武藤佐が。

 「五つ目。

 プライベート空間とはいえ、仮にも上司の前で己の考えの浅墓さを露呈すること」

 なにも、そんな冷たい声出さなくてもいいじゃんか。お茶が凍っちゃうよぉ。

 そこまで言われるほどの悪意なんか、俺、最初からねーよ。たしかに、馬鹿かも知れねーけどさ。

 くっそ、最後の最後で気を抜いちまったよ。


 ところが、何事もなかったように、武藤さんがいつもの口調に戻る。

 「と、いうことだ。

 妻を十年で引退させると大見得きったんだから、思慮深さを見せるんだ。

 組織とは人の集まりで、いろいろな人がいる。

 これからは、君自身に対する強い風当たりも予想しておくべきだろう。今時点をもって、そんな角度も考えて発言するようにな。

 慎重な人間という評価は、きった大見得に重さを与える。

 軽率な人間という評価は、大見得の存在を喪失させる」

 それって、教訓ってやつ?

 二人で息ぴったりだったね。


 うん、そうだね。

 今回、俺、出過ぎたとは思う。

 でも、美岬の分まで出なければとも思う。

 その加減は、本当に考えていかなければ、なんだよね。

 「明眼は永遠に組織に仕えるべき」と考えている人だっているはずなんだ。最初にグレッグに言われたとおりに、だ。そんなことも、今、気がついた。

 もっともっと気をつけて、そして学ばねば、だよ。

 そして、美岬が引退することを、組織としての総意に持っていかなくてはならないんだ。


 ああ、坪内佐の言ったことが、今、本当の意味で理解できた気がする。「一人前になって、武藤佐のブランチを動かすだけの思慮を見せてみろ」って、作戦を考えて、人を動かすだけじゃないんだ。同時に、「人の心」を動かして、美岬の引退をみんなが祝ってくれるぐらいまで持っていかなくてはならないんだ。

 慧思の「まぁ、それでも、協力はしてやるけどよ」という声が脳裏に響く。

 そうか、ありがとうな、慧思。その屈折した物言いは、そういうことだったんだな。

 やっぱり、おめーはすげーよ。

 せめて旅行の話、しておいてよかったよ。


 「ありがとうございます。

 もう一局、お願いします」

 「ああ、やるか」

 「おせんべい、食べるでしょう?

 この間、仕事に使う偽装音の録音をしに行った銀座のスタジオの近くで、手焼きのおせんべい買ったの。持ってきてあげる」

 「ありがとうございます」

 ふたたび、存在を許されている娘の彼氏の立場に戻る。


 ありがとうございます。

 舐められないような大人が多い環境ってのは、その逆に比べてどれほど幸せなことなんだろうね。こんなハードな場所だからこそ、そうも思うよ。



 ★ ★ ★ ★ ★ ★



銀座のスタジオ

https://onkiohaus-movie.jp


銀座のおせんべい

https://twitter.com/RINKAISITATAR/status/1311651546208169987

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