第12話 科学を制約するもの
美岬が確認をするように聞く。
「私たちは、人為ではないクローンだと思う。
もう、それについては、なにも気にしなくていいのかな?」
武藤さんが答える。
「人為のクローンであってさえも問題ない。
実は、ヒトのクローンに対する議論は出尽くしていると思っているんだ。
完全な技術を前提とした場合、人為的に作られたクローンに倫理的問題はないよ。
クローン生産の目的に対してなら、大量生産をして兵士にするなどという危険性は、『一卵性双生児の片方は親元に残し、片方は無条件に兵士として使い捨てる』というのと同じぐらいの暴論だ。
少なくとも、基本的人権について一定以上の教育を受けた国民による民主国家では、設問のための設問に過ぎず、ありえない設問であり、ありえない制度だよね。
あえて、であれば、集団ヒステリーに侵された民主国家や独裁国家でならば、などという仮定も作れはするけど、この仮定では、すでにクローンの問題の是非ではなく、そのような政治体制の問題だと思う。
人類の普遍的価値感の中で、クローンの問題を検討するという話じゃなくなっちゃうよね。
独裁者が自らのクローンを作っても、それがその独裁者になるわけではない。
例としては極端だけど、アドルフ・ヒトラーのクローンを作ったとしたら、おそらくは凡庸な男ではないだろう。けど、そのクローンがどのような政治的信条を持つかは、教育によるものであって、ナチズムの思想を持って産まれることはあり得ない。
クローン技術によって作られた人間も、普通の人間となんら異ならない自我を持つ。
ということは、自我を持つ人間を出自で差別をするのは憲法違反だし、クローンの科学技術の是非とは明確に別の問題だと思う。
このあたり、古くは四十年近く前の、試験管ベイビーのころからされている議論なんだよ。
『純粋に天然の過程のみを経て産まれた子以外は人間じゃない』という、そんな暴論は当時からあったんだ」
「でも、『ヒトを生産する』ということには抵抗を感じます」
慧思が言う。
こいつ、歴史に造詣が深いから、必然的に付随する哲学的な知識も持っている。
俺は、言いたいこと、会話自体は理解できるけど、基礎知識はそろそろついて行けない。
でも、武藤さんの答えに淀みはなかった。
「クローン生産という手段に限って言えば、クローンを作るよりも通常の生殖行為のほうがコストは遥かに安い。有り体に言って、人間の生殖活動はコストがゼロでも可能なのだからね。
その一点をもって、菊池君が心配する、クローン生産という手段が目的化することはありえなくなってしまうよ。
おそらく、菊池君が考えている心配はもう一つあると思う。
科学者の暴走だ。
でもね、それも同じくコストの面からありえないんだ。
科学者たちは対外的に持たれているイメージに反して、宗教観を含めた世間知というものを大切にしている。
『なんとなく気持ちが悪い』という感触を無視すると、後からしっぺ返しが来ることをよく知っているんだよ。
それは、認識していなかった科学的問題のこともあるけど、次期予算の確保に失敗するというのが大きい。研究費は、元が税金であれ、企業の開発費であれ、その出処を納得させねば継続的な確保はできないものだからね。
高度な科学技術は、多大な予算が必要だ。
クローン技術とその応用に問題がなくても、その社会の宗教観や世間知に反したら、研究ってのは進められないんだよ」
「じゃあ……」
「そうだ。
菊池君の考えているとおりだ。
もしも、怪奇小説やアニメに出てくるようなマッドサイエンティストが実際にいるとして、クローン人間を作っているというのであれば、億単位の資金を小遣い程度に考えられるほど裕福でなければ可怪しいんだ。
なので、予算に縛られた科学者が暴走する、いや、暴走できる例は殆どありえず、ましてやクローン人間の量産などという事態はさらに起きにくいというか、検討する意味すらないんだ」
そこまで言って、再び武藤さんは自分の家族に向き直った。
「ただね、自分の出自が、人為ではないにせよクローンだとして、そこに悩むのあれば、冷静な問題の切り分けと論理による判断が必要になるだろうね。
君たちは、それを自分で考えることが可能だったはずだ」
しっかりしろ、の二回目が来たよ。
ヒグマのような体格で、でも温和で理知的で。
決して声を荒げたりしない、極めて優しい人なのは知っている。
囲碁だって、積極的に俺の石を殺しに来たりしない。でも、ふんわり囲まれている感じなのに、いつのまにか皆殺しにされていたりする。
考えるということについてだけは、この人、とことん厳しい。
それを、改めて思い知らされている感じだ。
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