第11話 俺の想いって


 思わず、俺は聞いた。

 「では、誰かを好きになるということは、オスの蛾が、ひたすらにメスの周りを飛び続ける、それと違わない『そんなこと』に過ぎないのですか?

 俺は、美岬さんから見て、そんな虫のような存在なんですか?」

 俺だけじゃない。

 武藤さん、あなたのあの十年の戦いさえも、生理反応に支配された帰結に過ぎないと言うのか?

 そう言外に問う。

 そして、慧思が気遣ってくれたことも聞いてしまう。美岬がそう考えることに耐えられないのは、解っていることだから。


 俺の感情が剥き出しな問いに対して、武藤さんの答えはとてもあっさりしていた。

 「そうだよ、そんなことに過ぎない。

 だが、それがいい」

 「いいんですか?」

 文字どおりのオウム返し。

 俺、武藤さんの言ったこと、全然理解できてない。

 言葉自体は、どっかで聞いたことがあるけれど。


 武藤さん、なんか、目が笑ってる気がする。

 「逆に聞こうか。

 双海君、君は、それが何だったら満足できる?」

 えっ……、ええっ!?

 「どうだ、高次的で高尚な政治的理念のために美岬を守るのならば、君は満足かい?」

 それは違う、絶対違う。

 それは断言できる。


 「君たちの組織、それを美岬が命がけで守りたいとしていて、それに殉じて君も死ぬのであれば満足かな?」

 それもなんか違うぞ。

 「前世からの因縁により、亡国の姫とそれを守る騎士が現代に生まれ変わって再びめぐり逢い、というのならば……」

 「もう、勘弁してください」

 なにを言い出すんだ、この人は。

 一体全体、普段、ネットでなに見ているんだ?

 俺は、ただ、美岬の涙と決意に殉じて……、って、あれっ!?


 その理由ってさ、俺は美岬が好き。美岬も俺が好き。

 だから、俺は美岬の心と体を守る。

 その「好き」の正体が判らなくなったから、俺は死んでもいいと思った。

 あれっ、俺の想いって、「そんなこと」に過ぎないの!?


 ヒグマが笑みを浮かべた。

 限りなく優しいのに、どこか凄みを感じさせる笑み。

 「どうだい?

 不思議なことに、高次な政治理念とかの方が不純に感じないかい?」

 言葉も出ない。

 ただ、「おっしゃるとおりです」とは思った。

 「『それがいい』って言った意味、判ってくれたかな?」

 「はい」

 「そこに是非はない。

 『性』とはそういうものだからだ」

 ああ、美岬と俺の問題、ここに帰結するのか。


 武藤さんの考えって、「性」への全肯定なんだな。

 そして、今までの話だと、それは「生」への全肯定から来ているんだ。

 なぜならば、自分も生き物だから。

 一貫しているなぁ。

 他に言いようがない。

 「食」と「生」に問題を振り替えて帰納しても、同じ論理で矛盾が生じない。

 この考えの上で、十年の捜索かぁ。


 この人が揺らぐはずない。

 武藤佐が本質を突いた辛辣な作戦を立てるっていうけど、この人はさらに本質を突く。

 そのものの「存在」ってところまでも、俺は考えたことがなかった。さすがは、武藤佐の師というだけのことはあるよ。


 「オス側から見たら、そんな結論になるね。

 メス側から見ても同じだよ。

 実験で確かめられるわけではないから、いくらでもできる推測だけだけれど、まぁ結果として、美桜も美岬も相当に保護欲の強い男性を選別しているよね。

 で、これって、ダメなことかな?

 自然界で頼りがいのあるオスを選別するのは、メスの仕事だろう?

 生物として広汎な視点に立てば、珍しくもないことだ。

 妊娠、出産のリスクが高い期間の安全を保証してくれるオスを探すのは、メスとして当たり前だからね。

 「女性の自立」とかとだって、妊娠、出産のリスクが女性のみにあることを考えれば、そのリスクは分担するべきというだけで、矛盾はしないだろう?

 さらに、実際に保護を受けるかどうかは別の話だ。

 ま、男から見て、女性の恋愛感情が上書き保存で薄情だなんていうのは、当然のことなんだよ」


 うーん、美岬に捨てられる日が来るかもしれないんだな。

 それをも受け入れる覚悟がないと、女性とは付き合えないのかぁ。

 でも、武藤さんに言われると、これも自然の掟で、まあ仕方ないことだという気もするよ、確かに。


 「さて、四つ目に言いたいことだ。

 僕は、生物が専門ではない。

 でも、生命や種の生存戦略には興味があったし、僕の武器である数学が応用しやすい分野でもある。だから、コンピュータによるシミュレーションもしたし、いろいろ考えた経緯がある。

 そんな興味もあって、トルコで農業関係のJICA隊員から、僕も現地の人と一緒に相当のことを教わったんだよ。

 その知識から考えるとね、十代続けて一つの形質が維持され続けるなんてことは、僕には信じられなかった。形質を維持するというのは大変なことだ。

 農産物は、原原種苗をずっと選抜維持をし続け、その種子から原種苗を作り、その種子を栽培用に販売するんだってね。

 観賞用やペットの動物に至っては、兄弟や親子で掛け合わせてまで、コリーはコリーらしく、チワワはチワワらしく維持をすると聞いたよ。

 美桜で、すでに九代目だよね。その間、代々の夫になってきた人は、この形質を維持するために、生物学的とか、農学的に選ばれた相手ではなかったはずだ。

 ということは、君たちのようにあまりに尖った形質は、あっというまに日本という国の大きな遺伝子プールの中で薄まってしまうはずなんだ。

 そういう意味では、君たちがクローンだという可能性には納得しているし、その可能性を過去にも考えなかったわけでもないんだ」


 俺の雰囲気から、俺が納得してしまったことを美岬は悟ったのだろう。

 自分に関しての質問をした。

 「じゃあ、私という存在は、許されるの?」

 「何の問題もないと僕は考えているよ。

 君たちは、一卵性双生児と同じ天然のクローンというだけじゃないか」


 ここで慧思が質問した。

 「クローンの是非の前に、一つ前提の確認をさせてください。

 人の行為自体も自然のうちなのですか?

 今の例の農業という営みも、生命工学を始めとする科学技術も、人自体が自然のうちであれば、やはり自然のうちということになります」

 さすがに根源的な質問だな。

 そこが明確化されれば一個ずつ是非を問わなくても、他はすべて演繹して問題ないってできるもんな。


 「僕はそう思っているよ。

 従前の環境を変えることが自然破壊なのだとすれば、大気中に存在しなかった酸素を増やした植物は、空前絶後の自然破壊をしたことになるね。それによって、ある意味清浄だった陸上に生物が進出し、不可逆的変化が生じた。

 それまでは、陸上に生物の排泄物や死体が撒き散らされることなんかなかったんだからね。

 極端だけど、そんな見方も可能だろう?

 それに比べたら、人間のしてきた環境改変など、多寡が知れているね。

 人為による環境の変化の振れ幅は、スパンこそ短いものの、地球環境の歴史の中で飛び抜けてはいない。もっと暑い時期も寒い時期もあった。

 さっき話した、農業関係の人の話だけどね。

 二酸化炭素にしても、自然界のサイクルの中で必要不可欠なものなのに、悪役にされ過ぎだと。

 石炭紀には、植物が光合成しすぎて温室効果が失われて氷河期が来たし、ジュラ紀から白亜紀には、今の四から五倍以上の濃度で平均気温も高く、恐竜とかたくさんの生き物が繁栄した。

 それなのに、地球の歴史を通して見ると、二酸化炭素は着実に減り続けている。今では、光合成を行うにさえ少なくなりすぎた。

 トウモロコシのようなC4植物も、二酸化炭素の減少に対応した進化なんだそうだ。

 いろいろなものの見方はあるだろうけれど、人間が二酸化炭素を増やし、植物が光合成をしやすくなるのであれば、これは人間の文明というものそれ自体が減りすぎた二酸化炭素の量を戻し、植物も含めた炭素循環を再回転させる自然の営みとして働いたことになるという見方も可能ではないかと僕は思う」


 「では、生命工学も?」

 慧思が確認をする。

 「生命工学だって、自然を逸脱できないと僕は思っている。

 例を挙げよう。

 生命工学の究極の発展によって、人類が不老不死を得たとしよう。

 自然を逸脱した、人為的行為の極みと言えるよね。

 では、ちょっと視点を変えて考えてみよう。

 不老不死とは、進化が停止し、親世代が次世代を永遠に踏みつけにする種の発生という一面を持つ。しかも、その種は社会生活を送っている。

 その種の存続のためには、何十万年も何百万年も、固定された社会を維持しなければならないということだ。

 そんなことが可能だとは、僕は信じられないね。

 なんらかの革命的な社会変動が起きて、新世代が旧世代を殺し続ける社会を作るなんて、不老不死を願ったことから考えれば極端なまでに馬鹿らしい事態だし、その馬鹿らしい事態を続けて滅亡したら、自然から見たら馬鹿が馬鹿なことをして滅びた以外のなにものでもない。

 だから、今の段階の人間の科学など、たかだか十万年という時を超えることもできない、とるに足らないものというのが僕のイメージだ。

 繰り返すけれど、いろいろなものの見方があるうちの一つとして考えて欲しいけれどね。

 とにかく、『ヒト』は生き物だし、生き物は自然の手のひらの外には出られないよ。

 そんな『ヒト』を、生物外の神に準じる特別なものとして位置づけること自体がおかしいんだ。

 ましてや、自然を宇宙規模で捉えると、まだ人類は爪痕のひとつすら付けられていない。

 自らに意味をもたせようとし過ぎだよ、人類は」

 そこまで言って、完全に冷めてしまったチャイを口に含む。



 慧思がまとめた。

 「となると、一般的な農業のクローンも人類の選別圧力による適者生存ですし、人間の振る舞いも自然の一部だとしたら、その選択圧も、自然の一部ということになりますね?」

 「ああ、僕にはそう見える。

 天然という概念と自然という概念を峻別して考える必要はあるけれど、それでも、考えの基本は変わらない」


 武藤さんが話していること。

 って、これ、絶対トルコで考えたことではないよね。十年、いろいろに耐えながら、考え続けたことだ。三代続く女性たちを観察して、それをトルコで機会を得て、傍証を固めたんだ。


 「さて、話を戻そう。クローンとして産まれてくることは、生命の、生物の逸脱行為になるかってことだよね。

 生物学上の問題は、先程から話したとおりだ。問題ないだろう。

 問題あるとすれば、人間性とクローンの関係だ。

 僕は、生物の体自体はハードに過ぎないと考えている。

 ソフトによって、機能は変る。

 コンピュータがソフトによって使用目的も機能もすべて変わるようにね。もちろん、ソフトの機能がハードに制約されるところも同じと考えていい。

 『ヒト』のように、高度に知性を発達させた生き物は特にそうだ。

 かたや音楽家、かたやスポーツ選手、同じ設計図でも別の人になるだろう?

 一卵性双生児で産まれてきたとしても、成長とともに周囲の人たちには明確に見分けがつくように、それぞれの経験によってより別人になっていくんだ。

 同世代で同じものを食べて育っても違いは生じてくるのに、育つ世代自体が異なれば、それはもう、別のものにならざるをえないよね。

 美桜の時代と美岬の時代は違う。

 得ている知識や常識も違えば、生活、食事も違う。

 美桜、美岬、両方の十六歳を僕は見ているけれどね。確かに、君たちはよく似ている。けれど、年齢を揃えたとしても別人だよ。

 美岬を自分の娘というフィルターを外して見たとしても、美桜には見えない。

 この辺りは、時代が作る女性の雰囲気ってのもあるんだろうと思うよ。

 まあ、そもそも美桜と美岬、中身がこれだけ違えば、クローンだと言われても、それがどうしたとしか言いようがないし、そこで存在理由を失うのかという議論は、ちょっとお話にならないよね。

 そこから、だけど……。

 美岬がどのような職に就こうがそれは美岬の自由だ。親の影響と、そこから脱するための苦労は必要だとは思うよ。でも、僕は、そんなの美岬だったら越えられる壁だと思う。

 それが僕の考えだ。

 だから、君たちが悩んでいる問題、どれも僕には取るに足らないものに見える。

 美岬、落ち込みたいのならば好きにすればいいけれど、僕からしたら意味はないね。

 美桜、君もだ。

 君たちは、狼狽しすぎだよ」


 最期の言葉は幾分に辛辣だった。

 「しっかりしろ」と言外に伝えているのに等しい。

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