第20話 危機対応


 競売会社の事前の下見は、石田佐と慧思のみが許されている。

 一般公開の下見と違って、しっかりした鑑定ができるのだ。

 俺と美岬は、四八番ストリートを渡ったファイブガイスというハンバーガー屋に、開店を待って陣取った。ピーナッツが食べ放題みたいだけれど、とりあえずコーヒーのみ。

 開店直後で、調理機器が温まる際の鉄と脂、調理器具用の可食機械油のにおいがしている。


 コーヒーを半分も飲まないうちに、慧思だけが戻って来た。

 「どうした、真っ青だぞ、顔色」

 「次はお前に代わってやる。

 もともと、お前をご指名だったんだ。

 冗談じゃない、見ただけで値段をつける、しかも話の単位が億だ。そのプレッシャーで、胃に穴が開く……」

 「えっ、そうかあ? これが一億って言って、その値段になるならば、うまいことやればウハウハとか?」

 気を楽にさせてやろうと、あえて軽口を叩く。慧思が緊張で青くなるなんてのは初めて見た気がする。高校入試中だって、もっとナメた態度だったわ、こいつってば。


 「ばかやろー!! その場で終わらねぇんだよ。

 オークションの開始価格の決定って、真贋判定されてるかどうかってのを表すし、当然落札価格に影響するし。

 しかも、石田さんは、非公式な目利きの協力者でありながら落札もしたい骨董商だから、より微妙な立場だし。

 完全に他の人の下見とは別格扱いなんだよ。三百万円のものを、開始価格百円ってワケにゃいかないだろ。そこに口を出せるほどの目利きなんだよ。

 で、今回のものは、買い手は日本国だし、石田さんの目に叶えば国立歴史博物館行きすらあり得るものだぞ。これから先、科学的分析や鑑定にずっーと晒されていくんだし、間違ったら次から鑑定眼を疑われて、そうなると付けた値札まで疑われるんだ。

 博物館でたくさんの人たちに見られて、それが偽物だったりしたら、どうなっちゃうんだ? 本物として感動して見た人たちへの責任をどう取る?

 上野の博物館の展示物が偽物だったらとか、考えたことないだろ? その責任を全部負いかねない一言を発しないといけないんだぞ」

 立ったまま、一気にまくし立てる。


 でも、解る。解ったよ。

 ああ、確かにそれは重いわ。

 慧思は、大きなため息をつきながら、ぐったりと横に座る。

 

 ちょっと待て、慧思。

 お前、そのにおいは?

 警戒心が、一気にレッドゾーンに飛び込む。


 このハンバーガー屋にいるほぼ半数、四人が、慧思と同じ空調のにおいをさせている。

 この街、この地域、この地域を走る地下鉄のにおいという可能性があるので、人種も雑多、服装も雑多な人たちが同じようなにおいをさせていても特に警戒はしていなかった。なにより、開店からさほど時間が経っていない、すなわち、時間差なくこの店に入っていることから、同じ地下鉄に乗ってきた人たちと思ったのだ。

 けど、競売会社の建物から出てきた慧思と同じにおいをさせているとなると、話は大きく違う。


 今日の下見は一般公開とは別枠で、石田佐と慧思は鑑定に入ったのだ。したがって、くりかえすけど、人種も雑多、服装も雑多な人たちが同じにおいをさせるのはありえない。

 競売会社の建物は、超高層ビルを含む複数のビルからなる複合施設に入っている。だから、四人は、なんらかのブリーフィングを、そこの同一空調配管内のエリアで受けてきているのだ。

 美岬だって、青い眼を見せないように、常時能力を解放しているわけじゃない。自力のみでの事態の正確な確認、把握より、拙速を選ぶべきだろう。



 敵襲。

 このサインを出すのは、二年ぶり二回目。

 四回目を出す機会があったら、つはものとねりで小田さんに並ぶタイ記録になる。けど、ペースが早すぎるよな。今のペースだと、小田さんの歳には十回を超えちまう。

 美岬、慧思ともに態度は変わらない。けれど、アドレナリンが一気に出たことが嗅ぎとれる。


 必死で頭をめぐらすが、この四人の素性の想像がつかない。それに、美岬と慧思と、どう情報を共有していいかも思いつかない。

 あのグレッグは、アナウンサーがしゃべるような綺麗な日本語を話していた。日本人を監視対象とする人員は、日本語を完璧に話すと思っていいだろう。すべてを聞き取られてしまう恐れがある中、態度を変えずに、どう情報を共有するか。

 また、あまり考えられないけど、石田佐が戻ってきたときに、不用意な何かの発言をしてしまう可能性もある。なんとかして警報を送らないと。


 「そうそう、昨日さ、実は、お姉に相談したんだよ。女性のお化粧とかわからないからさぁ」

 「えーっ、時差があるのに、悪かったんじゃない? どんなメールを打ったの? 見せてよ」

 美岬が話を合わせ、携帯で筆談するための伏線を織り込んでくる。

 携帯て筆談って変だな、表現が。


 「ちょっと待って」

 携帯を取り出し、メールを呼び出す素振りのままに、「今の慧思と同じにおいの奴が四人いる」と打ち込んで美岬に見せる。

 「お姉ちゃんへのメールは敬語なのか、お前?」

 携帯を覗き込みながら、慧思が言う。

 「石田さんに、双海はシスコンだって言いつけてやる」

 「やめろよなー」

 などと話を続ける。

 慧思の今の発言、「石田佐に伝えないと」という意思表示だな。

 「へへっ、言いつけメール、入力しちゃいましたぁ」

 と美岬。

 早いな。

 「やめてー、送らないでー、お願いー!」

 「菊池くんー、真を押さえててー。

 うふうふ、ぽちっとな」

 「鬼ー!!」

 バカな高校生のじゃれ合いに、見えるだろうか?


 必死に頭をめぐらす。

 体と頭を別々に動かしてだ。身体訓練中に、覚えねばならない知識を反復して叫ぶ訓練が活きてる。

 そうだ、単純な可能性から考えれば、グレッグの部下以外ありえない。

 疑うならば、グレッグが、言葉と行動を異にしていても驚くに値しない。

 またこれだけの布陣を整えるとなると、グレッグにしたら国内での作戦行動なのだから、余裕で可能だ。


 では、グレッグは、何かの作戦を実行に移すために一気に近づいてきたのか?

 ……違うな。その作戦の目的が想定できない。御物の回収という任務についても、グレッグが協力することはあっても、阻止する意味はなく、したがって人員を配置する意味がない。いくら最悪を想定するにしても、さすがに殺処分はないだろう。第一、それならば、近づかなくてもできる。特にこの国では……。

 あと、あるとすれば、拉致、尋問か。もしかしたら、もう一つ、俺たちの保護・護衛があるな。


 「石田さんに、なんて言いつけたんだよー?」

 「見せてあげない」

 「慧思、美岬の携帯を奪えー!」

 「お前ら、揃って俺をパシリ扱いするんじゃねぇ!」

 「マジ、やめてよねっ!」

 「いーや、やめない」

 三人で、俺と美岬の二つの携帯を取り合って、もみ合う。


 美岬が、石田佐に打ったメールを確認。

 「四人以上に強襲されるおそれあり」

 さすがだ。

 他国にいるわけだし、メールまでも見られている前提で連絡している。具体的に俺の嗅覚で分かったなどと打ったらオシマイだからな。人数についても、限定してしまわない用心深さだ。

 それと、もう一文が別に。これは俺と慧思あてだ。

 「監視体制、六人?」

 美岬の観察結果だな。

 強襲の体制に入っていないのが救いだ。

 ここが、ハンバーガー屋ってのが困る。俺の観察結果との誤差の二人分が、単に食事のために来た人かもしれないからだ。ただ、美岬のことだ、食事とは別の要因で体温上昇がある者を見切っているのだろうとは思う。

 となると、どういうことなんだろう?


 引き続いて、三人でそのまま二つの携帯を、奪ったり奪われたり。見たり打ったり。

 その度に、二つの携帯メモに可能性の検討項目が増える。とはいえ、整理なんかできない。羅列が増えるだけだ。でも、それで十分。

 ブレーンストーミングで、「目的:拉致、保護、監視、偵察、威嚇、盗聴、盗撮、情報収集……」と増えていく。もう一つの携帯も、フリーワードの検討が増えていく。「グレッグか→他国か、拳銃持っている六人、軍人上がり、逃走経路確認→分散再集合するか→地の利なし、一斉に走るか、二勢力いたら?」それぞれ、絞込みと検討は、後でいい。


 「いい加減にしないか!」

 石田佐の声。

 「もう、街中でのマナーとか言われる歳ではないだろう。下らないメールを送りつけてきたり、恥ずかしいと思え!

 携帯をよこせ」

 厳しい声だ。


 おずおずと、二つの携帯を差し出す。

 解っている。「下らないメールを送りつけてきた」というのは、メールを確認し、この状況に対して了解したということだ。たぶん、ここに現れる前に、最低限の手も打っているはず。

 店員の黒人のお兄さんが、こちらを見て馬鹿にしたように笑っている。演技としては、成功しているらしい。


 せいぜい、しゅんとしてみせる。

 石田佐から返された美岬の携帯のメモには、「偵察からの保護」と打ち込まれていた。

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