第13話 スティーブン・F・ウドバーハジー・センター


 十分ほどで目的地に到着、タクシーの運転手にチップ込みで料金を払い、とりあえず、建物に入る。

 荷物を厳重にチェックされ、ビビる。それなのに、入場料はタダだと聞いて意味もなくちょっと安心する辺り、俺って自分で思っているより現金な性格なのかも。

 三人で荷物を持って歩き出した途端、通路にいた人の声をかけられ、ロッカールームを教えて貰えた。

 どうやらボランティアのようだ。


 美岬の目にも、慧思の目にも驚きの色があった。

 俺たちだけにではない。来館者全てに分け隔てなく声をかけ、案内の館内資料を渡してくれたり、トイレや展示の案内をしてくれているようだ。

 日本だったら、こういう制度が成立するだろうか?

 また、積極的に博物館に行って、毎日のようにボランティアをするとして、「ヒマ人」以外の評価が得られるだろうか?

 いきなり考えさせられる。


 ロッカーはコインが必要だったけど、荷物を回収するときに戻ってくるみたいだ。

 なんか、妙に太っ腹だ。

 財政赤字とか、大きいんじゃなかったっけ? この国も。

 まだ、展示物のひとつも見ないうちに、日本人とは違う人たちの国なんだという事実を突きつけられた気がする。

 荷物を置いて、身軽になって、広い廊下を展示エリアに向かう。


 廊下は、展示エリアの二階に接続されていた。

 展示エリアは、あまりにも膨大な空間。

 差し渡しで三百メートルほどはあるだろうか。向こうが霞んで見えるほどの空間の中に、床にも飛行機、天井にも飛行機、一部の壁にすら飛行機。この広さは、東京ドーム以上かも。

 そして、正面奥からスペースシャトルがこちらを睨んでいる。


 そして、眼下にいきなりSR71。ブラックバードだ。

 旅行ガイドで、あるのは知っていた。が、それをこの目で見ると、禍々しいともいえる異質な形、大きさ、黒さに圧倒される。


 一年前、遠藤大尉と小田大尉はこれに乗って、ロンドンから新潟までを二時間半を切って飛び、俺たちを助けに来てくれたのだ。

 半ば呆然として、その機体を見る。

 坪内佐の凄さを実感する。


 すでに退役したこの機を二機、一日だけ復帰させて地球を一周させたのだ。アメリカからロンドン、ロンドンで遠藤大尉と小田大尉を分乗させ、新潟空港まで運ぶ。そこから太平洋を横断して、アメリカへ帰還。

 ただ飛ばすだけで、膨大な予算を必要とするという。

 現物を見て確信する。

 去年の出動時の金額も聞いてはいたけれど、空中給油も何度も必要となるらしいし、そうだよな、それだけ掛かるよな、「これ」を飛ばすなら。


 ふと気がつくと、慧思も美岬も半分口を開いて呆然としている。

 たぶん、考えているコトは同じだ。

 二人を促して、横のスロープから下の階に降りる。そして、ほとんど走り寄るようにしてSR71に近づく。

 先ほどの二階からの見下ろす視点から、機と同じ高さから眺められる位置に視点が変わる。


 薄い。

 本当に薄い。

 機体の上下の厚さが、ほとんど感じられない。これだけの巨大な機なのに、胴とエンジンをつなぐ翼部分など、三十センチぐらいしかないんじゃないかとさえ思う。

 横に回って、後部コクピットを見て、思わず唸るような声が漏れる。窓がとても小さい。遠藤さん、小田さん、あそこに乗って来てくれたのか。

 あの日、世界中が、俺たちのために動いてくれたんだな。実感がこみ上げてくる。


 美岬の目が潤んでいる。

 たぶん、俺の目もだ。

 機体から目を離せないまま、そっと、美岬の小さな手を握る。美岬も俺の手を強く握り返してきた。


 「一年前のときには、平安期の御物を一つふんだくられたよ」

 後ろから、石田佐の声がした。

 そっと美岬の手を離し、振り返る。

 石田佐が、若いスーツ姿の白人の男性と一緒に立っていた。若いとは言っても、三十代後半かなと思う。ハリウッド映画に出てくる、正義の味方側の典型的外見だと思った。


 「ふんだくったと言われるのは、極めて心外ですね」

 訛りを感じさせない、アナウンサーの話すような綺麗な日本語だった。

 「紹介しよう。アメリカ軍の、極東関連の情報将校のグレゴリー・ハント。君たちはまだ、彼の軍内の所属を知る立場にない」

 俺たちは、ぎこちなく頭をさげる。


 「お会いしたかった。そちらのレディはネットで顔は知っていたけれど、男性諸君は初めてお顔を拝見しますね。グレッグと呼んでください」

 そう言って、右手を差し出す。

 こちらも名乗りながら、順番に握手をする。


 朝、ホテルで手に特殊塗料を塗って、渡された他の誰かのDNA試料を重ね塗りしてきている。それでも、自分のDNAが漏れていないか心配だった。

 グレッグは屈託のない明るい笑顔を見せているけど、美岬の顔がネットに晒されたときに、即、確認していたのかと警戒心を抱く。

 しかし、その一方で二年前、アメリカの諜報員に撃たれた事件のときに、美岬と俺、慧思の顔が割れていないわけがないと思い……、そして、グレッグがそれを無かったことにして喋っていることに気がつく。


 そう、SR71を出動させる見返りの一つに、アメリカの工作員が日本の高校生に対して発砲し、逮捕されたという公式記録を日本側機関が抹消するという密約があったのだ。

 グレッグが立場を明らかにしてきたことに気がついて、内心の警戒値がさらに上がる。


 「一年前、この機種のモスボール保存解除を上官に働きかけたのは、私なんですよ。あのときは、上官が渋ったので、『露骨な賄賂』を石田さんに用意してもらったのです」

 「相変わらず、正直な男だな」

 石田佐が言う。

 うわー、タヌキとキツネの化かし合いが始まった。


 「そうです。

 私、こんな仕事をしている割りには正直なんですよ。

 『露骨な賄賂』が、真正の物ではあっても、思ったより値の付かないものだったので、上官からそのあと半年も嫌味を聞かされる羽目になりましたからね」

 「右から左へ、すぐに売ってしまうのが悪いのさ。千年の重みも理解せずにな。

 君たちはいつもそうだ。早急に過ぎるきらいがある」

 「おやおや、そうはおっしゃいますが、平安期の御物が一点、日本に買い戻されて行ったことを私が知らないとでも?」

 アメリカ人ってのは、器用に肩をすくめるもんだ。ボディランゲージってやつで、日本人はアメリカ人には敵わないと思う。


 「そりゃそうさ。

 出物があれば貴国からとは限らず、どこからでも買う。骨董商として、当たり前のことをしただけだよ。君が『露骨な賄賂』を受け取る立場に着いたとき、それを受け取るかどうかも含めて、どうするかは君の自由だ。

 そして、その自由のためのアドバイスについては、商売人として嘘をついたことはないし、これからもつかないよ」

 グレッグは一歩も引かず化かし合いを続けているが、石田佐の手のひらの中という感じがしなくもない。


 グレッグが黙り込む。

 まさか、「そのときには、より良い『露骨な賄賂』をくれ」とも言えないよなあ。

 考えみれば、公式には、『露骨な賄賂』は汚職に相当しかねないもののはずだ。それでも、それは日本側が折れてきた重要な証拠にもなる。個人として受け取っちまう奴もいるだろうけど、外交の一手段として無くすまでもないものという認識なんじゃないだろうか?

 だから、言質を取られないように黙った。石田佐の方も、さらに突っ込むと墓穴を掘ることになる。だから、黙った相手に追撃もしないんだ。


 けれど、これ自体がお互いの演出かもしれず……、いや、絶対演出だ。

 なぜならば、やっぱり、二人とも体臭に全く変化がないから。

 アドレナリンが出ているわけでも、緊張によって毛穴が広がったり閉じたりもしていない。落ち着いてゲームをしているだけなんだ。数千万円だか億に行くかの額の御物をネタにして。

 二人とも嘘発見機にかけられても、全く生理反応を起こさずにクリアできる人間なんだよ。


 こんな芸当、俺には無理。美岬にも無理。

 俺たちは、よく言えば人間が素直、悪く言えば単純。

 相手を目の前にしていては、はったりも、嘘も苦手だ。作戦立案とかとは全く違う才能だよな、これ。

 慧思ならば、完璧にこなせるかもしれない。こいつの飄々ひょうひょうとした韜晦とうかいぶりは、ときとして俺と美岬の感覚をも騙す。

 慧思には悪いが、毒親に育てられたクラスの過去がないと、こうは成れないんじゃないだろうか?


 そして、もう二つ判ることがある。

 一つは一年前に美岬を誘拐した敵とグレッグでは、レベルがまったく違う。グレッグは敵に回しちゃいけない人だ。スタンドプレイで墓穴を掘ることなど、絶対にありえない。

 まちがいなく、敵に銃を突きつけて演説をするタイプじゃない。

 敵を射殺してから、その死体に説教するタイプだ。


 もう一つは、石田佐の本性も、俺たちに見せている上品な姿よりはるかに辛辣だということ。どんな過去があるか知らないけれど、やっぱり、敵を射殺してから、その死体に説教するタイプだ。

 「まぁ、いいさ。本題に入ろう。

 部屋をグレッグに借りてもらっているから、そちらに場所を変えよう。グレッグ、十分もしたら行くので、先に行っていてくれないか?」

 グレッグは、輝くように白い歯を見せて頷いて見せた。そのまま踵を返して去って行く。


 「さて、それではちょっと後をついてきてくれ」

 石田佐はそう言うと、ゆっくりと歩き出した。俺たちも後を追って歩き出す。

 三十秒ほど歩いて、銀色に輝く巨大な機体を見上げる。


 「分かるかね、この機体が?」

 石田佐に言われて、機体を観察し、機首に斜めに記された単語に気がつく。

 「エノラ・ゲイって、日本に原爆を落とした機体じゃないですか!?」

 「そうだ、この機なんだ」

 そう言いながら、更に歩を進める。


 「それでは、この機はわかるかな?」

 案内板には機種名がしっかり書かれていたし、太平洋戦争や日本軍に詳しくない俺でも、初めて聞く名じゃなかった。

 「……紫電改!?」

 「そうだ、君たちの世代でも、名前くらいは知っているだろう。『太平洋戦線に出現した日本機中、最もすばらしいもののひとつであった』と評された紫電改だ。エノラ・ゲイを落とす実力を持つ紫電改が、よりにもよってそのエノラ・ゲイの翼下に展示されている。

 これを見るたびに、ここはアメリカの戦勝記念として、日本に対する優位性を示す場所なんだと思う。そして、アメリカは同盟国であっても、それは敵ではないことを意味するに過ぎないという覚悟を心の中に持つんだ。

 アメリカをいたずらに敵視する必要は全くないが、自らの未来を預ける相手でもないということだ。

 国交というものを考えれは当然のことだが、自分の国を常に優先するものだし、また、そうでなければ誰も守ってくれない中で、自立自尊を保つことはできない。これについては、アメリカでさえ例外ではない。

 しかし、人は頼れると思っている対象には、それが錯覚であっても、いつの間にか抵抗なく頼るようになってしまうものだ。

 君たちが将来、どんな未来を過ごすにせよ、それは覚えておいて欲しい。

 そのためにここに来たんだ。アメリカに全く頼らずにいることもできないが、頼り切ってもいけない。上手に付き合う必要があるんだ」


 正直、ショックだった。

 アメリカが、いわば余所よそのうちで、身内ではないということは頭では理解している。でも、日本とアメリカの仲は、なんだかんだ言っても結局は無条件に良いものと考えていた。

 それなのに、アメリカ国内では、公式に日本がハリウッド映画に出てくる悪役と同じ扱いをされている場所があるのだ。

 たぶん、日本にいて、アメリカにはこういう場所があると聞かされて、気を抜かず注意しろと言われても、ここまでのショックは受けなかっただろう。

 ましてや、アメリカ以外の他の国ならばどうだろう?

 もっとエゲツない扱いに違いない。


 「もう一つ、付け加えよう。

 ここは、厳重に監視されている場所だ。

 エノラ・ゲイに対する破壊活動は、ほぼ絶対に不可能だ。この会話も全て聞かれている。

 君たちの修学旅行としては、最適の場所ではないかね?」


 もう、俺たちは何も言えなかった。

 航空機の博物館と思って来た場所が、最前線の一画だったのだ。

 何をしゃべって良いのやら悪いのやら、その判断もつかない。


 「さて、と。

 グレッグが待っている。江戸時代からの付き合いのある組織だ。特に武藤美岬さん、君のお母さんも、そのお母さんもその先のご先祖も、ずっと付き合いが切れなかった組織だ。

 よくご挨拶をしておくんだね」

 そういうと、石田佐は歩き出した。振り返りもしない。俺たちが着いていくのを、毛頭疑っていない足取りだった。



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 Twitterにスティーブン・F・ウドバーハジー・センターの画像を幾つか用意いたしました。

 よろしかったら。


https://twitter.com/RINKAISITATAR/status/1283559493842829312

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