第12話 飛行機、そしてホテル


 二回目の機内食。

 ぱさぱさで喉を通らない。なんだ、このパン。

 一回目の機内食は、チキンカツカレーだった。

 量も少ないし、チキンカツは油がじっとりと染み出し、カレーはレトルト感満点だった。あ、量が少ないのは、良いことだったな、この場合。

 そして二回目の機内食は、朝食という想定なのだろう。


 むにゅむにゅした妙な歯ごたえの味の薄いソーセージと、表面だけ膜のように固くて、やっぱり妙な歯ごたえで味の薄いオムレツ。やっぱり、ぱさぱさのハッシュドポテト。どれも味だけでなく、香りも薄い。マクドナルドの方が、絶対美味い。

 いきなり、メジャーなファストフードのレベルの高さを思い知らされた気がする。それとも、機内食というもののレベルの低さかな?

 他の航空会社なら美味いのかもしれないけれど、見直した改善結果がこれって……。


 慧思、お前の待ち望んていた機内食も二回目だ。ありがたく喰らうがいい。

 残すのも申し訳ないけれど、どうしても美味いとは思えない。機械的に口に運びながら、なんとなく内心ため息。美岬も同じみたいだ。

 慧思の方からは、「美味いな、コレ」とか、妙に平坦な独り言が聞こえる。


 美岬が、俺の耳に囁く。 

 「菊池くん、身体中どこも、全く体温が上がってないよ」

 そうか、飯を食っていても、平熱のままか。嫌々食っとるってことじゃねーか。

 無理はしない方がいいと思うけどな。

 美味くないものは美味くないと、素直に認めた方が身体と心にいいぞ。

 前の方から片付けが始まっているし、さっさと片付けちまえ。

 俺はもう無理だけどな。

 成田で少し食べてきてよかったよ。


 狭い座席に慧思が窓際、俺が真ん中、美岬が通路側と座っている。女性がトイレに行きにくくないように、このような配置にした。

 美岬が外を眺めたい時は、いつでも席替えは可能だ。


 しっかし、狭いな。

 慧思が離陸時に窓に張り付いて外を眺めていた時はまだ良かったけど、それにも飽きて普通に座ると、俺と慧思は肩から上腕がくっついて離れない。お互い、トレーニングでゴツくなっているから余計に、だな。

 って、俺、初めてじゃん、美岬とこんな近距離で十二時間も一緒に居続けられるのって。うわぁ、考えてみりゃ、並んで座ること自体があんまりないもんなぁ。


 通路を挟んだ大柄なアメリカ人、折りたたまれて収納されちゃっている感じで座っているのが美岬越しに見える。なぜか、膝までの短いズボンにビーチサンダルだ。そういうもんなのか? 国際線ってば。

 それとも、アメリカ人がそういうものなのか?

 なんか、この機、日本人がほとんどいないし、判らないや。


 で、これが国際線の飛行機かあ。

 乗機時間の長さも考えると、なかなか過酷だ。

 ひたすら、残時間を数えながら座る。

 エコノミー症候群なんて言葉が、実感ともに思い出される。

 バーチャルな知識では解ったつもりにしかならない、経験しなければ解らないということが、本当によく判った。


 乾燥はしているけど、空調が効いて空気は流れている。でも、なんとも言えない、悪臭とはまではいかないにおいがずっと漂っている。機械とオイルのにおい、空調機のにおい。香水や、個々の強い体臭の混ざり合ったにおい。集団としても、日本人より体臭が濃いのが分かる。

 これに、コーヒーや食べ物のにおいが混じって、一種異様な臭気となっている。

 空調の吹き出しをうまく顔に当て、マスクをかけることでなんとか耐える。修行と思うしかないし、吐き気がこないのがまだありがたい。

 ずっとエンジン音がうるさいけど、これも仕方ない。


 トイレ、汚い。

 始めっから汚いワケじゃない。時間が経つにつれて、どんどん汚くなる。足元なんか、びしょびしょ。手を洗った水だと信じたいけど、俺の嗅覚はそう信じさせてくれない。アメリカ人は、綺麗に使おうという意識が乏しいのかもしれない。

 それなのに、トイレの前で並ぶのは紳士的で、女性や子供を優先したり、お互いに気遣いをし合っている。


 アメリカ人の座席の使い方、汚い。

 足元はゴミだらけ。毛布までが、ゴミごと足元でとぐろを巻いている始末だ。片付けるという意識はないのかもしれない。

 これは、アレか?

 これが、片付ける人の仕事を奪わないためというヤツか?

 それとも、人には優しくしても、モノには辛く当たるのがデフォなのか?

 一方で、HAHAHAとか騒いで笑っている奴もいなくて、お行儀自体はいい。

 良くも悪くも、感覚の違いの洗礼を、行きの飛行機ですでに浴びせられている気がする。


 美岬は美岬で、乗機してすぐのショックから立ち直ってない。

 いや、正確には、結果として立ち直れないようにされちゃってる。

 今日の美岬はね、地味な色合いの服だけど、逆にそのせいで結構大人っぽく見えているんだよ、実際。

 可愛い美岬も好きだけど、女神っぽく見えるまでに完成された美しさの美岬はもっと好きだ。そういう時の美岬は、すでに年齢不詳に見える落ち着きまでを持っている。

 でもね、一番最初に飲み物サーブされるときに、すごく大柄なアメリカ人のキャビンアテンダントさんから、にっこりと「そっちのガールはジュースでいい?」と聞かれて、がーん。

 一秒ほど、表情が死んでたね。

 俺たちも、揃ってボーイだったけどな。

 親切で言ったのは解るんだけど、そう、解るんだけど……、がーん。


 で、美岬が飛び抜けて綺麗なのが目に付いたのか、他のキャビンアテンダントさんまでもが美岬を見に来た。

 どうやら、機の前の方から続々来たので、ビジネスクラスの担当までが見に来たんだろう。

 で、プロっぽく、飲み物は要らないかと声を掛けたり、ゴミを持っていってくれたりなんだけど、ことごとくガール呼ばわりで美岬に立ち直る隙を与えない。


 そのうちに、美岬が深刻な顔になった。

 「ネグレクトされた子供として、アメリカで保護されちゃったらどうしよう?」

 「パスポートに年齢書いてあるから、大丈夫だろ、多分……」

 極めてあやふやな口調になる、俺。

 その危険、美岬だけのことじゃあないんだよ。明日どころか、すぐに我が身に降りかかりそうな気がするんだ。

 ワシントンのダレス空港からホテル、翌日に待ち合わせ場所の博物館で石田佐と会えるまで、あんまりはしゃがないようにしよう。


 ……飛行機ってのは、夢の乗り物だと思っていたよ。

 地上から見ているときは、あんな高くをどこまで行くのだろうと憧憬を持って眺めていた。その気持ちは今も消え失せてはいないけれど、経験しなければ、一生乗り心地までは考えもしなかったな。


 そのうちに、美岬は、俺の肩に頭を乗せて軽い寝息を立てだした。

 飛行機、悪くないなぁ。

 急にそんな気がしてきた。全部、許してやっていいよな。

 慧思、おまえには肩を貸さないから、さっさと起きろ。



 − − − − − − − −


 到着。

 入国までの長い時間、思い出したくもない。


 ワシントン、ダレス空港近くのホテルに入る。エレベーターホールから部屋までの廊下が長くて、消失点が見えそうだった。

 部屋に入ると、まずはクリーニングをする。特に、盗聴器の類は発見できなかったけど、あまりに高度なものが使われていた場合は、発見できないのが当然のことだ。それでも、一応の安心はできるんじゃないかな。ハイテク日本の探知機を使用してますから。

 もし発見しても、取り外したりはしない。その日は、無難な会話で終了させるだけだ。

 見つけたこと自体を知られるのは、相手のガードを上げさせてしまうという意味で下の下なのだ。


 フロント前のロビーのレストランでの夕食は、七面鳥のパテを挟んだハンバーガーと山のような量のシーザーサラダだった。手が掛かっているのは感じた。

 でも、あまりの量と大味な感じで、俺はあまり喉を通らなかった。たぶん、時差ボケもあるんだと思う。


 部屋は、慧思と俺が同室、美岬は別室だった。

 でも、シャワーを浴びた後は、美岬もこちらの部屋に遊びに来た。

 もう一度シャワーを浴びる前提で、三人で黙々と日課の腕立て伏せ、腹筋とスクワットを終わらせ、なんとなく顔を見合わせて苦笑する。

 ここまで来て何やっているんだろうというのと、妙な連帯感と。

 これから先、どのホテルでもクリーニングはしなきゃだし、トレーニングもセットでしなければならない。

 ため息だって出る。

 そして、寝たんだか寝られなかったんだかよく判らないまま、それでも翌朝はきた。



 朝食は、バイキングだったけれど、グレープフルーツは素晴らしく美味しかった。他に、美味いと心から思えるものがなくて、グレープフルーツとヨーグルトだけで朝食にしてしまった。

 なんで、スクラブルエッグの味が薄いのか、理解ができない。

 機内食もそうだったけど、塩とかの話じゃない。卵の味、それ自体が薄いんだ。色も薄いけどな。パンすらも味が薄い。

 フルーツも、グレープフルーツ以外はなぜか表面が乾いた感じで、汁気が少なく感じた。かといって、ドライフルーツのように甘さや酸味が強いわけでもない。


 ベーコンもなんか違う。

 美岬と慧思は普通に食べていたけど、これ、煙の香りじゃない。

 牛乳は、半透明なほどローファットだった。米の磨ぎ汁の方が、絶対、白が濃い。

 考えてみれば、日本で食べてるグレープフルーツは、アメリカから来ているんだから変わらないのは当たり前だったけれど、その他の何を食べても日本の食材と似て非なるものという感じがした。


 横のテーブルのシロクマみたいなアメリカ人のおじさんが、でかいコップにローファットミルクをなみなみと注ぎ、パンにバターをぐりぐりと大量に塗りつけていた。

 それを見た慧思が、「アメリカ人の考えることは良く解らん」と呟いたのには全面同意してしまった。

 普通に乳脂のある美味い牛乳を飲んで、バターを普通の量に減らせばいいじゃんかよ。カロリーだって、そっちの方が絶対低い。

 それじゃダメな理由があるんだろうか?


 こんなのも、確かに来て、見てみなければ分からないコトだ。ただ、これからの一週間で、理解できる自信はさらさらないけれどな。


 チップ忘れ予防は、三人で誰かが必ず声を出して確認することとした。

 チェックアウトと同時に、フロントにチップを払って、タクシーを呼んでもらう。

 スティーブン・F・ウドバーハジー・センター(Steven F. Udvar-Hazy Center)に移動。石田佐と待ち合わせ場所だ。

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