第11話 成田空港で舞い上がる(二つの意味で)
「もう一回聞く。パスポートは持ったか?」
成田空港。
広い。
それはもう、ひたすらにただっ広い。
慧思、少しは落ち着け。
「パスポートを持ったか」って、すでにそれは四回目の確認だ。相当に舞い上がってるな。
俺も、それほど人のことは言えない。ヘリはともかく、翼のある飛行機に乗るのは生まれて初めてだ。
あれから、パスポートを市の施設で取り、ESTAも三人で厳重に確認し合いながら手続きを済ませた。慧思の妹の弥生ちゃんは、俺たちの旅行の間、姉と一緒に暮らすことになっている。
そして、当日、朝早くから、成田空港までの高速バスで三時間近く揺られて、第1ターミナル南ウイング。
恐ろしいことに、石田佐とはアメリカ国内での待ち合わせとなっている。
美岬は、妙に地味な服装。彩度が妙に低い感じ。だけど、それが落ち着いて大人びて見えるのは、天性のものだろう。逆に、慧思はいつもより、派手な服装。
やっぱり、性格が出るんだろうか。
初めてのことに対して、用心深くなるタイプと当たって砕けろ的なタイプと。慧思、二年前は明らかに、用心深くなるタイプだったような気がするけどな。
「今のうちに、飯を食おう」
俺が誘う。
「やだ」
と慧思。
この件では、ずっと意見が対立している。
初めての機内食に夢を持っている慧思と、夢を持てないでいる俺。
航空会社にもよるんだろうけど、俺たちが乗るのは、美味くないので有名な会社だぞ。それなのに、慧思は、近頃さすがに見直されたらしいという、ネットの書き込みに夢を賭けているのだ。
「いい加減、別行動でいいじゃん」
美岬がいう。もっともだ。
もっともだけど、正直に言おう。ビビってるんだ。成田空港は二回目だけど、単なる出迎えと自分が出国するというのでは、プレッシャーが全然違う。
誰とは言わないけれど、世の中の人の誰かに謝らなきゃいけない気分。
だってさ、「ツアーのプランに乗って、添乗員さんの後をぞろぞろ歩くなんてバカげてるぜ」なんて言っていたけど、なんだ、このプレッシャー。
ツアーは楽だろうなと、今更に思う。
武藤佐も石田佐も、当然のごとく、ツアーコンダクターの役割はしてくれなかった。自分で旅行ガイドを必死に読み込んで、全ての手続きをして、それが正しいかがぶっつけ本番で現実に試されるってのは怖い。しかも、アメリカに着いてから入国できなかったらどうしようとか、想像は悪い方に膨らむ。
おまけに、空港を歩いている人は、みんな、こんな手続きは手馴れたものって顔しているのがムカつく。
認めます。
八つ当たりです。
さらにだ。
それを顔色に出したくない。この不安を美岬に見破られたくない。
でもさ、多分見破られている。
見破っていて、気付かない振りしている。
そりゃ、分かるさ。
美岬の体香も普段と違う。でも、顔色に出さない。たぶん、やっぱり意地だな。
まぁ、三人とも漏れなく舞い上がっているってこった。
「美岬、飲み物かなんかで付き合わない?」
「うん、行く。
ついでに、保険のカウンターを見つけて、渡航保険に入っちゃおう」
「俺も行く」
慧思が割り込む。
「何しに来るんだ、お前さんは? 食わないんだろう?」
「うるせぇ、飲み物ならありだ」
「一人でいたくないんだろ?」
「黙れ、保険に入るんだ、保険に」
「じゃあ、そういうことにしといてやる」
「お前、俺にだけ厳しいだろ?」
あ、こいつもこいつなりに、俺も美岬も実はビビっているのを見抜いているな。
「当たり前だ。お前と美岬を一緒にできるワケ、ないだろ? お前はお前で、どこででも生きていけ」
「俺をもっと大切にしろよっ!」
「やだ。きっしょ!」
殺伐とした応酬を続けながら、ぞろぞろ歩き出す。
この二年、国というものについて考える機会が多くあった。
自分が国を守る一翼になるというのも、なんとなく理解していた。それでも出国手続きとかで、国境を明確な領域として示されるのを見るのは初めてだった。
総理大臣とか、外務大臣なんてのも縁のない人と思っていたけれど、パスポートに書かれている「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。 日本国外務大臣」が、ありがたいような、重いような、自分で消化しきれない感覚。
何回か外国に出るうちに慣れちゃうんだろうけれど、この感覚は忘れてしまいたくないと思った。
二時間後、俺たちの乗る旅客機は、成田の滑走路から舞い上がっていた。
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