第8話 運命というもの?
毒気を抜かれた程の俺たちの顔を見渡して、石田佐は続けた。
「話を戻すが、アメリカ軍艦をその目で見た初代の明眼からすると、督の考えは論外だった。彼女の結論は、今の我々から考えればあまりに当然だが、その時代に、その時に得られる情報のみを元に、よくその決断をしたと思うよ。
彼女は、督のやりたがった表返りについて、リターンのないリスクだけの最悪のものと考えたようだ」
確かに、「やりたいからやる」以外の動機がないよね。
石田佐は、その時の判断をさらに説明してくれた。
「まずは、北朝天皇が失われるような危機的事態は起きていない。すなわち、代わりの血統による権威付けを、社会が求めていないということだ。
次に、北朝天皇に対して、南朝としてクーデターを起こすだけの思想的背景、利害の対立がない。
南帝の考えではなく督の考えではあるが、攘夷という考えが北朝と一致していたら、そもそも表返りの政策的対立という必然性がないからね。
結果として、騒ぎだけが起き、血筋の存在が露わになり、それだけで終わると踏んだのだ」
俺でもそう思う。
でも、それは現代に生きて、結果を知っているからなんだろうか?
「さらに、だ。
アステカのクアウテモックのように征服者に絞首刑にされる皇帝もいたし、その後継者は征服者からの迫害・
したがって、このようなことがないよう、外国に対して、バックアップの血筋は最後まで秘する必要がある。殺され、迫害されるのみならず、征服意欲を持つ外国に、次期元首として担がれる危険までありうるからね」
言葉に籠もる力が強い。
上品な外見より、また、外見から想像される年齢より、石田佐は、はるかに情熱家のようだった。もっとも、語調は強くなっても、興奮した体調変化は嗅ぎとれない。
基本的に、冷静で動揺することが少ない人なのだろうな、と思う。
「当時の督は、水戸藩の思想として南朝こそが正当と強く考えていたが、それだけでクーデターが成功するはずがない。それに、すでに、国内だけでものを考える時代は過ぎている。外国からの侵略に備える時に、国内に乱を起こしてどうするのかという話だ。
だが、それは、督には理解されなかった。むしろ、外寇をチャンスと捉えていたのだから、話の落としどころが見つかるはずもない」
……うっわ、それは厳しい。
確かに安土桃山時代も、明治維新もそれぞれ外国勢力が背景にはあったけどねぇ。
「そんな状況の中で、当時の南帝から明眼たる佐にお声がかかり、督の暴走をなんとかしろということになった。即座に彼女は、自らの身を守る態勢を固めた。
督が敵に回ったということだからね。
表面上、督と佐は仲違いをしていないが、裏に回れば何が起きるか判らない状況だ。
初代の明眼の作戦遂行能力が御庭番に由来するものである以上、もはや安心して配下の者を使うことはできなかった。間宮林蔵がそうだったように、水戸藩と御庭番のつながりは深かったからね」
翼を奪われて、で、戦え、かぁ。
「当時、初代の明眼には、次代の明眼となるべき十六歳の娘がいた。
初代の明眼は、己の能力とその重要性をよく解っていた。だから、娘にも相当の教育と武道の鍛錬を施した。ただ、二代目の明眼も、二代目だからこそ、御庭番つながりの配下をどこまで信用できるのか、し続けられるのかが判らなかった。
『つはものとねり』に、自前の戦える人材がいない時代だからね。ましてや、女性一人の力で、来たるべき幕末の人斬りの横行する、血生臭い世で活動を続けるのは大変だったし、そもそも性別に限らず、一人でできることは限られているのはやむを得ないことだ」
そこで石田佐は、俺をちらりと見た。
「そこでスカウトされたのが、幕末の剣士の中でも、まあ、誤解を恐れずに言えば、その時代で一番汚い剣を使うとも言われた男だ。口伝によって相伝されてきたということもあり、現代までその流儀は残っていない。
ただ、汚いと言ったが、それは、使う人間の人格のことではない。戦いにおける生存率が極めて高いという意味でね、合理の権化ともいうべき流派だったとのことだ。今の戦争を見たら、江戸時代の侍はさぞや汚いと言うだろうね。そういう意味だよ。
二代目の明眼とそれを守る剣士によって、初代の明眼は守られ、『つはものとねり』は組織内に作戦遂行能力を持つ、現代に通用する組織になったんだ」
そう言って、石田佐は、今度は感慨深いといった眼ざしで美岬を見た。
「武藤佐を見ても思うのだが、過去ってのは現代に繋がり、未来に続いていくものなのだなと思うよ。さっき、『今作られている歴史もまた、再び過去をトレースしているもの』などと言ったが、初代の明眼の血を引く者が、ここに再び護衛のつはものと一緒にいるのだからね。
双海君、代々の明眼は、例外なく護衛のつはものに恵まれている。
武藤佐も、凄まじいまでのつはものに恵まれている。
将来のことは分からない。
だが、君の報告書を読んで、ある意味、君も選ばれたつはものなのだろうとは思う。
私は自分を運命論者ではないと思っているし、君の未来を狭めるために言うのでもない。しかし、それぞれの明眼が、十代続けて自らを犠牲にする覚悟のつはものを得るというのは、やはり何らかの運命を感じずにはいられない。
もしくは、なんらかの必然が未だ見えない形で存在しているのかも知れない。
そこは未だ判らないにせよ、双海君、十代目の明眼を守って欲しい。
それが、この国を守ることに繋がると、私は信じている」
あまりのことに、俺は口を開くこともできなかった。
代わりに慧思が場をつなぐ。
「明眼について、そこまでの詳しい記録が残されているのですか?」
「ああ、三代目、四代目が生きたのはすでに明治時代だ。五代目は大正時代にかかっている。万年筆で記された、詳しい資料が残されているよ。
どの明眼も、安寧な一生を過ごせることはなかった。そして、その危機を護衛のつはものと二人で切り抜けているが、心中のような殉職も一例だけだがある。
双海君、武藤佐が君に対する態度において、疑問を感じたことはなかったかね?」
俺は、その質問がされることを、なんとなく予感していた。
「はい。色々話すことはありましたが、結果として、なぜここまで受け入れていただいているのかと、ありがたく思っています。
私自身の思いに決して偽りはないと自分を信じてはいますが、十代半ばの年齢でしかない未熟な私の思いをどうしてそこまで信じていただけるのかと思うことはあります」
「それはね、武藤佐が今の旦那と知り合ったのも、君たちが出会ったのと同じ年齢だったからだ。さらに言えば、代々の明眼はほぼすべて、十六歳でつはものと巡り合っている。だから、たぶん、武藤佐は予期していたと思うよ。
ただね、武藤佐自身は遠回りをした。
『つはものとねり』のことを知らせ、結果的に巻き込むまで十年かかったんだ。実際に、あの旦那は武藤佐を守って、十代で瀕死の大怪我をしているからねぇ。そのときに巻き込む決断をしておけば、後々の問題は起きなかった。
愚痴を言うようだが、あの顛末は、私も大変だったんだよ。
双海君の場合は、武藤さんが巻き込む巻き込まないで悩むまでもなく、自分から入り込んできちゃったからね。もう、不必要な遠回りはしなくていいと思われているのだと思う」
そうか、武藤佐の俺に対する対応で、年頃の娘の母親としては少し異なる感じがしたのはそういうことなのか。
美岬が、低く震える声で聞く。
「父の体は、内臓が幾つか失われています。
奥歯も数本、足の指も一本ありません。
真も、私のせいでそうなってしまうのでしょうか」
「私は、逆だと思うね。
運命に逆らったからこそ、お父上はより過酷な目に遭ってしまった。
私も、お父上を酷い目に合わせた主犯の一人だよ。
最初の怪我の時に、あの二人は結ばれるべきだった。そうすれば、どれほどあの二人にとっての結末が、今より良いものになっていたかとは思う。
もっとも、私は神様じゃないから、今の状態が定められた運命の中でベストなんだと言われれば、それまでだけど……」
「じゃあ、二年前、私が真に『つはものとねり』のことを打ち明けた日の晩に、母から『生きる自由、自分のために自分で選んで学ぶことの自由を保障し、一人の大人として扱う』と言われたのは……」
「ああ、武藤佐には解っていたんだろうね。武藤さんが、つはものを得て、自分の手を離れてしまったことが……。
それと同時に、その方が双海君も無事に生きられると」
横の美岬を見る。
美岬も、こちらを見ている。
正直、どんな顔をしていいのかわからない。ただ、ぎゅっと抱きしめて、その存在を自分の腕の中で確認したいとは思うけど、この場ではできない。
たぶん、美岬も、同じ思いだろう。
自分の人生は自分のもの、自分の運命も、自ら切り開くもの。
だが、それと同時に何か大きい
「脱線したな。
とにかく、初代の明眼は、督と対立した。
帝にも、そうなることは判っていたことだった。
帝は、初代の明眼の話を聞いて、『アメリカに行ってみたいものだ』と洩らされたそうだ。開明的なお方だったのだろう。
そこで、井伊大老に対し、督にという話までが密かに打診されると同時に、明眼たる佐によってアメリカの実力が伝えられた。また、攘夷に対して孝明帝と南の帝は意見が異なることも伝えられた。
その結果が、それまで鎖国論者だった井伊大老の開国論者への転換だ」
慧思が、何かに気がついたように口を挟んだ。
「そうか、督の地位を失った水戸斉昭は、井伊直弼を不倶戴天の敵と思ったんですね。牛肉事件や、政策論の違いだけではなく、もはや殺すか殺されるかしかないと。
それが桜田門外の変につながった。
そして、その事件から半年過ぎて、水戸斉昭もまた死んだ……」
石田佐は、軽く頷いてみせた。
「そういうことだ。
菊池君、君は勘もいいね。
水戸斉昭の死因は、井伊直弼の彦根藩によって手が下されたものでは
って……。マジか……。
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昔、愛新覚羅溥儀の使っていた器で、おもてなしをいただいたことがありました。
五本指の龍が描かれていましたねー。
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