第7話 明眼とアメリカとの関わり


 慧思が聞く。

 「表返りに、北朝側との取り決めはなかったのですか?」

 「ある」

 石田佐はあっさりと答えた。

 「簡単なことだ。

 その時の帝とその後継のすべてが、外的かつ人為的な理由で失われた時だね」

 そりゃそうだろう。予想の範囲内の回答で、ほっとする。とはいえ、あってはならないことだけど……。


 大ぶりの急須を持った石田佐が、再び応接セットに戻る。

 「当時、アメリカの国力を本当の意味で解っている人間は、日本に全くいなかったと言っていい。無理もないというか、当然のことだがね。

 だが、この頃、アメリカのフロンティアは西海岸に達した。アメリカの蒸気機関を実際に見て、その時の最新の世界地図と照らし合わせれば、自ずから敵対か融和か方針を出す必要があることは自明の理だった。

 ペリーのアメリカ軍艦は、大西洋、インド洋経由で日本に来ていたが、ハワイを確保し次第、より短時間で移動できる太平洋経由が主流になるのは確実だったからね」

 それぞれの湯のみにお茶を注し足し、話を続ける。


 「さて、話を続けよう。次は同じ時系列を、初代の名眼たる佐の視点から話そう。

 1846年に、アメリカ東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルが、二隻の軍艦を率いて浦賀に来航している。その時に、『つはものとねり』として調査を命じられたのは、先ほど話したとおり初代の明眼だった。

 実際に調査能力を持っていたのが、末席とはいえ初代の明眼である佐とその配下だけだったのだから、無理もない。

 武藤さんの家系にどのような話が伝わっているかはわからないが、初代の明眼は、間宮林蔵とアイヌの女性の間に生まれたといわれている。間宮林蔵は、御庭番であり蝦夷地に詳しく、徳川斉昭と懇意だった。

 蝦夷地探検も、ロシアに対する諜報活動の一環だった。

 そして、おそらくだが、アイヌの娘の中に明眼たる能力を発見し、御庭番である以上、自らの子に、ひいては幕府の体制の中にその能力を取り込みたいという思いが生じたのではないかと思う。また、そのゆえに、生まれた娘にはそれなりの訓練と教育を施し、御庭番つながりの作戦遂行能力の確保もさせたのだろう。

 だからこそ、当時、女性ながら『佐』に任じられたのだ。付け加えておくが、間宮林蔵と他のアイヌの女性の間に、別の女の子も生まれている。日本のあちこちに子供がいたようだな、彼は……」

 えっ、美岬の祖先は、そんな有名人だったのか。そして、美岬の並外れた目の大きさ、通った鼻筋、日本人としては彫が深い顔立ちは、アイヌの血を引いたものである可能性があるのだろうか?

 もっとも、もう、十代も経ってはいるけれど。


 石田佐が続ける。

 「とにかく、初代の明眼は、その血筋からロシア情勢にも詳しかったと思われるし、幾重にも調査を命じられる必然性があったようだ。そして、その調査時に彼女が、アメリカの国力の一端を見たというのは大きいと思う。

 現に、その時の来航した軍艦ヴィンセンスは、アメリカ軍艦で初めて世界一周をした船であり、浦賀に来る前に地球を計三周もしている。もう一隻のコロンバスも、艦隊旗艦を何度も務めているだけあって、74門もの砲を備えた重武装の優秀な船だった。

 一方で、当時の日本の千石船は、江戸時代を通した改良の末、大坂・浦賀間を五十時間で踏破する高速性を持つに至ったが、鎖国中ということもあり、外洋航行性能は十分ではなく技術的には大きな差があった。

 ビドルの来航後、上陸阻止のため、日本の船がその二艦に張り付いていた。また、薪炭、水の補給の打診もあったことから、交渉および監視役として日本人の何人かはアメリカ艦と密接な交渉を行った。

 その一員として、明眼も薪炭流通の元締めのカバーで入り込んだ。

 女性が代表になる例は他にもあり、江戸時代、女性の地位は案外高かった。

 江戸時代は栄養状態があまり良くないので、老化が早く、子供もいる三十代半ばといえばかなりの年配扱いだったのだが、初代の明眼も飛び抜けて美しかったらしい。

 当時の価値観の中で、女だてらに一つの産業を代表する必要があるため、亭主の仕事を継いだ未亡人として不自然でない年齢に見える偽装の上、潜入したとある。

 その結果、観察記録については、アメリカ艦に接近した時に甲板の一部を見通したのと、隣接する日本の船から見たものに限られてはいるのだが、明眼の恐ろしさだな。武装のみならず、一部は船内部に至るまでの艦人員の動きを記録している。不運にも、新月に近い月回りで闇夜だったのにも拘らずだ。

 暗闇は、明眼にとって何の障害にもならないものらしいね。

 武装、乗組員の練度、また、不十分ながらも艦歴を聞き取ったことから、明眼はアメリカを勝てない相手と結論を出している。実際、それは正しかったとしか言いようがない。

 そこで、彼女はジェームズ・ビドルに対し、自分の立場を部分的に打ち明け、開国派と連絡を取れる旨を伝えた。ただ、言語の問題もあり、意思の疎通が不十分なことから、その時の話は極めて簡単な内容に終わっている」


 「不十分とはいえ、英語が話せたのですか?」

 思わず、俺は聞いた。

 「ああ、当時、幕府内でも限られた人数ではあったし、オランダ訛りでもあったが、英語を話す人材はいたのだ。

 このことについては、もう一回話すよ」

 「はい」


 「とにかく、それを受けたビドルは明眼に対し、アメリカ人の人員の派遣を予告した。ビドルとしても、日本の内情を掴むのに、渡りに船だったのだろう。

 また、その交渉が攘夷派に漏れることを恐れて、というより、そういった交渉自体が一切不可能だったというアリバイ作りのために、ビドルは日本船への移乗時に、コミュニケーションの齟齬から日本側に殴られて即アメリカ艦に戻るという事件を演出している。

 明眼は、言葉が不自由な中、極東ロシア情勢を取引材料に、ビドルからそこまで信頼されるだけの交渉をしたのだ。

 さらに言えば、最終的に幕府の国策が攘夷になったとしても、交渉相手の窓口の確保は必要なので、どちらにせよこの行動は双方にとって当然のことだ。

 ビドルはその後、太平洋艦隊司令にまでなり、日本近海で捕鯨を行っていた船の乗組員、ラナルド・マクドナルドに白羽の矢を立てた。

 彼に、当時アメリカ側で判明していた様々な日本の情報と、交渉先としての明眼の連絡先を与え、日本に潜入させたのだ。彼が北海道の西側から上陸を図ったのは、ロシア情勢をも合わせて掴むことを考えれば必然だった。

 ビドル自身はその二年後に亡くなってしまうのだが、彼の蒔いた種は、大きく花開いた。

 日本とアメリカは、正規のルート以外にもチャンネルを持ち、本音を語り合える交渉の窓口を持つに至ったのだ。

 まったく、日本側の立場からしてみれば、明眼たる彼女がいなかったらと思うと背筋が寒くなるよ」


 まだ聞いたことはないけど、大学の講義ってのも、こんな感じで聞き応えがあるんだろうか。聞き流すに聞き流せない重い知識が、立て続けに語られていく。

 ソファに座っていても足が痺れてくるようなので、座り直して、緊張を解くよう努める。



 石田佐は、菓子鉢の豆菓子を一つ摘んだ。そのカリカリという音に誘われるように、俺たちの手を伸ばす。

 「この菓子鉢も見るからに良いものですが、かなり古いものなんですか?」

 美岬も息抜きをしたいのだろう。雑談っぽく聞く。


 「いや、さほど古くは無いな。それなりの由緒はあるが……。

 溥儀が使っていたものだ」

 「溥儀って、愛新覚羅溥儀ですか?」

 慧思がうわずった声で確認する。

 「ああ、そうだ。よかったら、もっと食べなさい」

 いや、十分、ごちそうさまです。いろんな意味で。

 それを聞いたら、豆菓子が喉から落ちていきません。

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