第六章 比翼連理別編、若き日々(全7回:再会、その陰で編)

第1話 出会い


  兵衛府ひょうえふ・つはものとねり

 兵衛府は、天皇やその家族の近侍・護衛のために、国造の子弟から選抜された舎人の機能を強化・拡充する形で天武天皇時代に成立したと言われている。藤原仲麻呂政権下の天平宝字二年(七五八年)に虎賁衛こほんえいと改称したが、六年後の仲麻呂の没落とともに旧に復された。後に地方において国造・郡司層が没落すると、新設の近衛府にその座を奪われて規模も縮小されることになる。

 しかし、建武の新政時、政を旧に復すため再度組織・構成され、北朝の兵衛府が衰退していく中で、南朝の特色として存続した。

 その後の南北朝合一の時代、後南朝の時代を通して、その組織が解体されたという記録は残っていない。むしろ、明治の時代に至って、南朝の正当性が復権されていることから、歴史の中で密かに暗躍していた、し続けていると見る方が正しいという説もある。



 − − − − − − − 


 初めてその女を見たとき、坪内は嫌悪感しか感じなかった。

 顔立ちは整ってると言って良いが、立って歩いているのが不思議なほどに痩せていた。

 パンツのスーツ姿だったが、スカートだったら、足が細いなどというレベルを超え、骨格標本さながらに膝の関節だけが膨らんで見えただろう。


 化粧っ気もない。

 だが、それが正解だ。

 なまじ化粧などすると、頭蓋骨に色を塗ったような不気味さを醸し出してしまったかもしれない。髪も荒れて、かろうじて頭皮を隠す程度にまで本数が減ってしまっている。そのばさばさしたものを無理にまとめてはいるが、夜道で会ったら、足のない存在と誤認するに違いない。

 その姿は、健康上の問題という段階をすでに超え、余命の長さの推測を相手に強いた。


 次の任務から、その女とバディを組めと言われた坪内は、当然のように上司に抗議した。

 二六歳という組織つはものとねりでも最若手ではあるが、仕事をこなすことについては自信がある。足手纏いを押し付けられるのはごめんだったし、この仕事は遊び半分では済まない、下手を打ては自分の命に関わるものであることもよく分かっていた。

 「母親が組織の上層部にいるからって、なんで、あの人と組まなきゃいけないんですか? どう見たって深く病んでいるでしょう? 休養させるなり、リハビリさせるなりしたらいいじゃないですか」


 上司の答えは短かった。

 「俺もそう思う。働くことをリハビリにして欲しくはない」

 「じゃあ、形ばかりのバディでいいですね? 業務は私一人で進めます」

 「それはできない」

 「なぜです?」

 こちらの仕事はリハビリではないという考えに同意した上司が、なぜそこで拒否するのかが坪内には解らなかった。


 「彼女は、そうやって、神棚に上げておくことができないからだよ。

 すぐに、君も判る。

 任務の書類を見たあと、彼女の方が君を形ばかりのバディにして、業務を彼女一人でするという状態になっても私は驚かない」

 「……」

 あまりの回答に、坪内は絶句した。


 「坪内君、たぶん君と同等かそれ以上に切れるよ、彼女は。

 ただ、病んでいるのばかりはどうしようもない。とりあえず、一年でいい、彼女と組んでくれないか?」

 「男女のバディは基本的にはないんでしょう? それに、彼女の健康状態や心理状態について、私は責任を持てませんよ」

 「未婚男女の場合はバディを組ませることはあるよ。恋人でもいて、誤解を避けたいという強い希望でもあれば別だが。

 健康状態、心理状態については状況によるな。そもそもバディは一心同体なものだ。坪内君とバディを組む前のことでならば君に責任はないが、その後のことは君にも責任が生じる」

 「それはそうかもしれませんが……」

 「安心しろ。

 彼女を君に押し付けるための人事ではない。

 彼女の健康状態はともかく、先々の人材育成も考えてのことだ」

 そこまで言われれば、さすがの坪内も振りでも納得せざるをえなかった。



 − − − − − − − 


 「お世話になります。朝倉美桜みお です」

 「坪内玄祥げんしょうです。よろしく」

 同期として顔は知っていたが、今まで話したことはなかった。

 小会議室を借り、初ミーティングを始めるにあたり名乗り合う。


 朝倉の青黒い隈の中に落ちくぼんだ目を見ると、改めて憂鬱な気分になった。

 「バディとなるので聞いておきたい」

 坪内は切り出した。

 デリカシーのある態度を取るつもりはなかったし、これから運命共同体ともならなければならない相手に、隠し事をさせておく気にもならなかった。


 「歯に衣を着せるつもりはない。

 そのことについて、『悪く思うな』とも言うつもりはない。

 君の健康状態のことだ。身体的、心理的状況を教えて欲しい」

 朝倉の返答も、直截的だった。

 「ほぼ十年間近く、まともに食事と睡眠を取っていません」

 「理由は?」

 残酷なことを聞いている自覚はあったが、その問いを止めるつもりはなかった。

 「撃たれました。

 私の体に当たるはずだった弾は、四つは私の大切な人が、三つは愛犬が庇ってくれました。私は、大切な人と愛犬の砕けた体を全身に浴び、それから、食事と睡眠を失いました」


 さすがに坪内は返す言葉を失った。

 病んでいる相手に対してでも容赦するつもりはなかったのだが、この女は自分が想像していた以上の地獄を見てきたのだ。

 しかも、おそらくは十六の歳に。


 「眼の前で、好きな人を亡くしたのか……」

 朝倉の目の光と語調が、いきなり激しくなった。

 「死んでいません! 彼は死なない! 私が生きて欲しいと伝えたから、彼は死なない!」

 「四発も受けて、風穴が空いた体で、か?」

 「十発でも死なない。そういう人です!」

 坪内には、二つの疑問が湧いていた。

 病んでいる人間そのものじゃないか? という疑問と、それでもこれは、病んでいるのではなく、強すぎる想いに振り回されているだけなのではないか? という疑問と。


 「その男には会っているのか?」

 「撃たれた晩に、昏睡状態の彼に別れを告げました。

 撃たれたのも組織がらみでしたから、母の判断でそれまでの私は死んだのです。

 報道等でも、私は死んだことになっていますし、その日から新たなカバーが用意され、同名ではあっても、新たな戸籍で生きています。

 バディとして聞いてください。

 公私混同のそしりは受けるでしょうが、彼については、組織の一員となったあと、その力を利用して恣意的かつ独断で内密に追跡調査をしました。彼に私から連絡を取ろうなどとは考えていませんでしたが、間に合いませんでした。

 彼は、六年前から行方不明になっていました。

 なので、連絡は取れませんし、今、どうしているかも分かりません。

 それに……、調査レベルを上げることはできますが、その結果、また組織の問題に巻き込んでしまったら……。

 もしかしたら……、もしかしたら、結婚して幸せかも知れないのに、私のせいでまた撃たれるようなことになったら……。

 すべて、私のせいなのに、彼の人生にさらに傷を負わせてしまったら……。

 それくらいならば、このままの方がましです」

 最後の決断の意思は、乾いた布を絞って水を出そうというような苦悩とともに吐き出された。


 坪内は唸った。

 聞かないふりが必要な内容もあったが、事情は理解できた。

 だが、その一方で、その思いの強さが理解できない。


 「個人的なことに踏み込むのは、この問いで最後にしたい。

 十年も前から会っていない相手を、どうしてそこまで想うことができる?」

 「彼は、私よりはるかに優秀な人です。

 彼は、私に考えるということを教えてくれました。

 彼がいなかったら、今の私はいません。

 彼は、私と私の『能力』を観察から見抜き、理解し、そして現在の私の環境を正確に類推し、それに対して泣いてくれたんです。

 彼がいてくれたら、この『能力』を隠さないまま、組織とは無縁の平穏な人生が送れたかも知れない。

 なのに、私のせいで彼はいない。

 だから、私は、好むと好まざるとにかかわらず、自分の能力を隠さずに済む、ここで生きていく選択しか残されていない。

 でも、ここで作戦立案を考えるたびに、彼の教えてくれた考える喜びが戻ってくるんです。

 そして、それによって、守られる立場ではなく、守る側に立つ人間だと思えることだけが私の誇りなんです」


 何という呪いか。

 そして、その呪いに気がついていながら、本人はそれから逃れるつもりはない。

 坪内は理解し、無意識に吐こうとしたため息を飲み込んだ。

 せめてもの礼儀として、だ。


 「そうか。残酷なことを聞いて悪かった。

 今の話から判断して、私は、君の心が病んでいるとは思えない。ただ、それでも、君が作戦立案はともかく、その遂行能力に欠けることは事実だと思う」

 「はい」

 「隠さねばならないという『能力』とは?」

 「私は、九代目の明眼なんです」

 「明眼?」

 「『つはものとねり』の中でも、一番の重要機密です。

 坪内さんはバディなのでお伝えしますが、母も私も、赤外線が見えます。したがって、体温と同化していない武器、対象人物の感情の動き、健康状態、嘘の有無、すべて分かります。

 初代が幕末にこの組織に入って以来、全代がここで働いています」

 「それを……」

 信じろと言うのか、という言葉を坪内は飲み込んだ。


 朝倉の目が、炯炯けいけいと青く光るのを見たのだ。

 痩せこけた相貌と相俟あいまって、それはすでに人の姿ではなかった。

 人以上の人を超越したなにかか、人以下の化け物か。


 どちらにせよ、この瀕死の生き物が不幸からできていることは理解した。人生の全てを組織に奪われ、なお、そこから離れられない。

 さらに、上層部にいる母親が何を考えているのかも判らなかった。これが実の娘に対する仕打ちか、とも思うのだ。

 身を隠すことも、新たな人生といえば聞こえはいい。

 だが、それは、十六年とはいえ、積み上げてきたものすべてを廃棄することに等しい。安全を優先するにしても、他の方法は無かったのかと思う。


 そんな生き方を納得しているのか、という問いを坪内は飲み込んだ。

 さすがに踏み込み過ぎだと思ったのだ。それはすでに、バディとしての健康状態の確認の範疇を大幅に逸脱し、個人の尊厳に関わることだ。

 それを聞けるだけの、この女の人生に踏み込むだけの関係性を、今の自分は持っていない。また、将来にわたって、持つつもりもない。


 もう一度、外見を見直す。

 手の甲の皮膚が荒れているなと思っていたが、違う。針の跡だ。点滴で体力を維持しているに違いない。すでに、肘の内側に注射針を射てる場所はないのだ。

 この不幸な生き物の生命の火は、いつまで保つのだろう?


 「死にませんよ。まだ、ね」

 うっ。

 考えを読まれた。

 そうか、表情を読むなんて生易しいレベルではない。彼女がいれば、例えば護衛任務などの遂行の確実性は桁違いに上がる。

 そうか、それもまた、この女の不幸か。


 坪内は理解した。

 十年前に失われたものを取り返さない限り、完全に袋小路の状況に入り込んでいるこの女に未来はない。そして、それを取り返せる可能性がない以上、長くてもこれからの数年の間に、この女を看取ることになる確率はかなり高い。

 ただ、たとえそうであっても、坪内にとっては知ったことではなかった。冷たいようだが、自分自身のことは自分自身で解決するしかないのだ。

 自分にできることがない以上、自らの精神衛生のためには踏み込まないのがベストである。

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