第45話 二人そろって満身創痍、しかも臭いし痒いー


 慧思は、俺の予想通り、うまくやったようだ。問題は……、やっぱり俺のせいかな?

 川はあった。俺の鼻は確かだった。でも、その川が、崖のような高低差の下を流れているなんてことまでは判らなかった。


 慧思は犬とともに転げ落ちて、体中擦り傷だらけだった。しかし、その時に、慧思は空中で犬の体を自分の下にした。そして、着地のショックを和らげるためのクッションとした。

 ドーベルマンより優位な体重を活かした、とっさの判断が自分の命を救った。肋骨が折れ、内臓も潰れ、スピードも失って、それでも殺気を放ち襲ってくるドーベルマンを、慧思は川に沈めた。


 空中で百分の一秒単位での判断、地の利を生かすこと、そして、その実行。

 それができたから、助かったんだと遠藤さんに言われた。兵器として訓練されたドーベルマンの戦闘力には、火器を持ってさえ俺たちの能力では到底歯が立たないと。


 俺も、勝ったけど血まみれだった。農業用水路にはヒルがいて、あちこちに食いつかれたのだ。ヒルに齧られたあとは血が止まらず、服も濡れていたから全身真っ赤になった。

 おまけに、左腕をドーベルマンごと水路の壁に叩き付けてしまったので、左腕も半壊。動かない腕を無理やり動かしてドーベルマンを押さえつけたので、前腕も首輪の突起にやられて傷だらけ。

 我に返ると、あまりの痛みで腕が動かせず、水路から這い出すことすらもできなかった。

 結局、小田さんが助けにきてくれるまで、呆然と水路の流れの中で立っているしかなかった。


 しかし、ドーベルマンを狭い位置に誘導し、より優位な体重を活かせたとっさの判断が自分の命を救った。それができたから、助かったんだと遠藤さんに言われた。兵器として訓練され……、以下繰り返し。


 とはいえ、銃撃戦の最中に、軍用犬二匹にかき回されたらかなりの苦戦になったと。

 遠藤、小田バディのレベルでさえ、軍用犬は弾を命中させるのが難しい相手なんだってさ。距離をおいての自動小銃ならばともかく、懐に入られたら、拳銃じゃ相当に当てるのは難しいと。

 だから、実はかなりの戦果なんだと最後には褒めてもらえた。


 当初は、囮にしかならないと言われていたからね、それ以上の働きだったというのだから、嬉しい。

 とはいえ、遠藤さんと小田さんが怪我をするはずもなく。

 他のとねりも、怪我はなし。


 美岬を攫った連中は殺されることなく、ほぼ全員が肘か手首を撃ち抜かれていた。最後の数人は、却ってそれで戦意を喪失したみたいだ。

 刻々と、彼我の射撃の精度が桁違いだと思い知らされていくんだから、無理もないよな。あまりに抵抗して攻撃側が容赦をしなくなったらヘッドショット狙われちゃうし。

 その前に降伏しないとって、焦燥感あっただろうな。


 怪我をしないまま投降したのは、敵のリーダー格の男とドーベルマンのハンドラーだけ。

 共にほとんど心身喪失状態になっていて、気持ちは解るけれども、同情する筋合いはないよね。

 遠藤さんと小田さんを要注意人物としてマークしていたらしいけど、なぜここにいるのかと絶句していた。俺と慧思は、後で事情を聞くまで、絶句するほど驚いている意味が解らなかったんだけれどさ。

 まぁ、投降のキッカケはもう一つあって、俺の姉と慧思の妹の拉致に失敗した、と伝えられたのが堪えたらしい。


 そちらも全員無事で、敵は制圧済みとのこと。

 こちらの無事も伝えたから、今は盛大にお祭り騒ぎが始まっているんだと。なんか、やれやれだな。

 どうせ、お姉のことだ、なんのかんのと呑んでいるに違いない。



 − − − − − − − − − 


 水路から引っ張り上げられた俺は、相当にひどい有様だった。

 街灯の下、遠藤さんがごつい割りに短いナイフを取り出して、俺の着ていた服を切り裂いてくれた。びしょぬれで体に張り付いていたし、俺じゃなくても耐えられないような臭いがしていたし、服を脱ごうにも腕は動かせなかったし。

 で、下半身もヒルがいたし、水に長く浸かっていた膝から下が特に酷かったので、こっちが恥ずかしいとか言っているのにも構わずズボンから靴下まで切り裂かれて、退治。

 だけど、頼むー、周りから見えないようにしてくれ。ついでに、シャワーも浴びさせてくれ。乾くにつれて、自分の臭さが酷くなる。そして、全身に群がる蚊。

 痛い(両腕)、痒い(掻けない)、恥ずかしい(こっちだけ裸)のコンボだぜ。


 でもなあ、去年も蚊の猛攻の中での勝利だった。今年もかよ。あ、今年は裸な分、余計に刺されている。ちきしょー。



 美岬は、こうなってみると不思議なんだけど、殴られたの一発、平手打ち一発を食らったのと、一つ蹴られただけで済んでいた。「倒れた女を蹴るかよ」とも思ったけれど、よくよく考えると、一つや二つ蹴られても腹筋を固めて防御の方法を知っている美岬だし、美岬に蹴られて脇腹に大アザ作っているんだよな、俺。なんか、複雑。


 でも、まぁ、その程度で済んだのは、弱々しい抵抗の演出とか、泣き方とか、ほどほどの挑発とか、考え抜いた行動の賜物なんだと。


 でも、怖かったはずだ。TXαを飲む方が怖くないと思うくらい。

 美岬、俺はもう、君にそんな思いをさせたくないなぁ。

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