第43話 大人たちの終結


 「佐、さすがに姫達だ。ぶっつけ本番で実績を残すとはね。十代半ばでねぇ」

 少し崩れたスーツ姿で表は公安、裏は兵衛府大尉の小田が言う。疲労の色が濃い。


 遠藤と小田も、それなりの経緯で今の信頼関係を築き、バディとして組んでいる。

 別々に育ち、適性試験で組まされた二人の男が、絶対の尊敬と信頼を相互に持ち合うには、それなりの経緯がないわけがないのだ。そして、それがなければ単なる二人組に終わってしまい、本質的な意味での連携のとれたバディとしては成立しない。


 双海真と武藤美岬は、その経緯がほとんどないまま助け合い、事態を切り抜けている。双海の告白が、美岬に与えた影響は極めて大きかった。それが良い方向に向いている間は暖かく見守る。

 良い方向に誘導し、不要な干渉が必要になる事態を避ける。それが大人たちのスタンスだった。

 それ以外の方針で対応し、取り返しがつかない寸前まで行った失敗例がこの組織にはある。


 双海と菊池の言葉も交わさない連携もあった。方法の未熟さをけば、長年の訓練でもこの域に達することができないバディは多い。

 その意味で、小田のぼやきは極めて正しい。


 即座に遠藤が返した。

 「おやおや、小田、何を言っているんだ。菊池のことではかなり便宜を図るために、向こうの署長とだいぶ交渉したんだろ? ちょっとサービスし過ぎと違うか?」

 多分にこれは、遠藤流の冷やかし半分の褒め言葉だ。

 遠藤も、この男としては極めて珍しいことに、無精髭が見える。やはり、表に見せないだけで、疲労しているのだろう。


 昼間、二人は取り掛かっていた仕事を放りだし、さいたま新都心からスクランブルされたヘリコプターで飛び立ち、T市の市街地にある病院のヘリポートに着陸した。

 二十分を切った飛行時間のうちで、小田は所轄の警察署の協力を取り付け、複数の車の確保をした。

 遠藤は衛星写真からあの寺の詳細な立地条件を調べ上げ、必要装備・武装の選択をし、電話の終わらない小田にも装着をした。

 そして万全な体制を構築し、トータルで三十分を切って駆けつけたのだ。

 その後、所轄の警察署、防衛省、内閣調査室、マスコミ、果ては寺の住職に対しても後処理を終わらせ、さいたま新都心に戻る最終の新幹線の車内で報告書も書き、通常業務の続きも終わらせ、今は午前四時。

 別のバディたちも、一人あたり一ユニット、つまり四ユニットがさっきまでぶっ徹しで四人の男の尋問を続けていた。

 これから、その報告書を書かねばならない彼らも大変なのだ。

 関わった全員が、疲れていないわけがないのである。


 兵衛府の佐、武藤美桜も疲労の色が濃い。

 彼女は、身体こそここに居続けたものの、自身の娘の危機である。どれほど気を揉んでいたことか。

 それでも、その片鱗も外に漏らさず、「つはものとねり」の別の佐二人と協議し、アメリカに対して事態収拾の手を打つとともに、この情報を敵国側にどう流すか、脚色の検討に追われていた。さらには、突発的に起きたこの件に対する、三桁万円に及ぶ活動経費の捻出も協議する必要があった。

 重要なのに地味で、このような見えにくい仕事は、トップに座っているものの仕事となる。組織の規模がもっと大きければ、この仕事の分で一人増員ともなるだろうが、現状、さすがにそれは厳しい。



 武藤美桜は立ち上がって、二人の大尉を見た。

 三十人からいる部下の中で、もっとも信用の置ける二人だ。


 部下の構成は、実動部隊十、バックアップ三のバディユニットからなる。その中で抜きん出ているのが、この二人なのだ。実動部隊の二十六名のうち、何らかの特殊能力を持つ者が四名、そのうちの一人が副官格だが、今は御今上一家の護衛任務に就いている。あと数時間もしたら、仮眠も取れないまま交代せねばならない。


 娘の美岬は、母親である自分と同じ力を持つ。

 そして、自分の家系はすでに九代を数え、美岬という十代目がいることになる。その十代目の教育を任せられるのは、この二人をおいて他にいなかった。

 教育とは、知恵の継承だけではない。その本質は、魂の継承なのである。


 「遠藤大尉、小田大尉、今回のことでは、ありがとうございました。礼を言います。けれども、知っての通り、情勢は更に厳しい。敵国側の大規模な攻勢も近いうちに起きるでしょう。

 助けに行けず、自力で罠を食い破ってもらうしかないこともありそうだわ。

 正直に言って、途方に暮れることもあります。ですが、この場を切り抜けないと次のステージには立てないし、次の世代も育たない。現状の任務に加え、教練指導官ドリルインストラクターまでお願いしていることは誠に心苦しいのですが、引き続きよろしくお願いいたします」

 遠藤は、にやっと笑った。

 これで、本人はにっこりしたつもりなのだ。だが、かえって頼もしい。


 おそらく、本人的には無理をしている部分もあるのかもしれない。それでも、その無理を貫き通すことができる男でもある。

 「双海のやせ我慢はたいしたもんだし、姫は心配ない。菊池も、まあ大丈夫になるまで鍛え上げますから、ご心配なく」

 そのとおりだろうなとは思う。

 しかし、まだ体もできあがっていない十六歳の子供に、同盟国の諜報機関の工作員が発砲する。それだけ諜報の世界の事態は切迫している。

 戦争、紛争の起きる以前の十年が、諜報機関の一番忙しく、切迫している時なのだ。

 そして、その忙しさが報われれば、自国が圧倒的優位に立つことで戦争は起きなくて済むこともある。それが理想ではあっても、今回の忙しさがどちらに転ぶか、未だ先は見えない。


 今回の事件は、明確な転換点だった。

 理由は解っている。世界的な敵国包囲網を、この国自身が壊そうとしたからなのだ。政権交代の余波である。このせいで、デザインされた世界への移行が十年は遅れた。

 政権が戻ってからも、表の蜜月関係とは裏腹に、裏では他国からの不信感はなかなか払拭しきれていない。

 諜報とは人が行うもので、政権交代で人の異動があった以上、その全員の身元がクリーンであると他国から看做されるまでは、不信はいつまでも続くのだ。


 公式かつ表の諜報機関は、政権交代の際に過去のデータを失い、動きが鈍い。

 政権側によって身元がばらされ、身を隠した職員さえもいる。

 そんな中で、彼らが本来の実力を発揮できる体制を整えるまで、まだまだ時間がかかる。だから、まともな連携など、望むべきもない。それが、あの四人の工作員を、表の機関である警察によって銃刀法違反で身柄を押さえざるを得なかった事情でもあった。

 あくまで、表の介入を招くことは適切なことではないのである。次の機会には、こちらの人員が相手国の表の機関に検挙されることになるからだ。

 このあたりの相互主義は、徹底している。それが各国の機関どうしの平和維持なのだ。予算のやりくりも含め、子供たちに教育するのには、まだ早い事項である。


 そうはいっても、今の状況は予想されていた。むしろ、こうなるように計画されてきたといっても良い。

 世界有数の経済大国であるこの国だが、国民がそれを自覚しているとは言い難い。国際貢献という側面だけではない。国として、奪われるに値する重要な財産を多数持っており、それを盗られてはならないという最低限の自衛意識は必要なのだ。


 敵国側が軍事的実力行使に出る前に、国民に自国の富を自覚してもらわねばならない。裏のさらに裏では、政権交代劇はその一環としての日本独自の計画でもあった。


 そして、今は、表の機関が動けないため、兵衛府つはものとねりこそが計画遂行の最重要拠点となってしまっている。

 そもそも、歴史的に幕末からアメリカと密接な交流を続けてきたのは、表の組織より兵衛府の方なのだ。

 南朝御今上の護衛という本来業務に加え、この二本立ての業務によって、舎人とねりたちの疲労は極限に近いし、活動費として多大な資産さえも失っていた。


 そして、その状況は、子供たちには言えなかった。そのただ中に、バックアップも薄いまま、まだひな鳥である彼らを置かねばならないことが、辛く悲しかった。

 自分が歩いてきた苦難の運命が、子供たちには降りかからないで欲しい。

 そう、切実に願っていた。



 「なにか、新たな動きがありましたか?」

 小田が心配そうな顔で聞く。浮かぬ顔に気を使ってくれているのだろう。

 この男も変わらない。どの組織にいても、その組織に染まり切らず、でも、その優秀さで組織自体から一目を置かれて、自分の居場所と心の自由を確保している。遠藤とは違うタイプで、むしろ、芸術家肌と言って良い男だ。

 非常時の遠藤の暴走と言って良いほどの行動力を読み切り、その走った後のフォローは当然のこと、走る前の道までをきっちり整えてのける業師でもある。小田がいなければ、遠藤の行動力は半分も活かせない。


 「ええ、督から命令が来ました。異例のことですが、表の業務からすべて手を引くようにと。人事は、来週付けで表の解任辞令が出ます。そのまま、群馬県のS村に派遣辞令が出ます」

 「ヘリ部隊がいる場所ですな」

 遠藤が言う。

 「ええ、自衛隊側はそのカバーで。警察側のカバーは、榛名山中腹ですから産廃不法投棄の問題への協力ということで。

 自衛隊も公安も、異動が不自然ではない場所です。小さな村ですから、人事交流も盛んで、私を含む背広組も問題がありません。もっとも、机はありませんが」

 「なるほど、しかも関東圏内ならば、ヘリコもあることだし、非常時の動きも楽だ」

 小田も納得したように言う。防衛省内では、自衛官を制服組、それ以外の者を文民というが、その文民のことは背広組と言い習わしている。

 「つはものとねり」でも、そのままその言葉が使われている。ただ、ここでは、百人足らずと組織の規模が小さいこともあり、背広組もほぼ全員が作戦遂行に携われる能力を有している。逆に、遠藤、小田も背広組の仕事ができないわけではない。

 したがって、たまたま今、どこに所属しているかを表すだけの言葉となっており、目安に過ぎない。


 「書類上はともかく、実質的に私たちは消えることになります。私の部下は全員です」

 さすがの遠藤も、酢を飲んだような顔になった。

 「全員ですか……」

 小田が気遣わしげにいう。

 「このままだと、私たちがパンクしてしまいます。そろそろ表に引き継ぐ時期が来ているでしょう。外国勤務を視野に今回の異動はされますが、それが済めば、一気に楽になるはずです。表に協力したくてもできないという状況づくりを挟まないと、引き継ぎ話を持ち込むことは不可能ですね」

 「予算の問題もありますからね」

 「はい、国外に流出してしまった資産は、『十年のうちには必ず取り戻す』と石田佐は言っていますけれど、この状況が続くのは厳しすぎます」

 

 遠藤が口を開く。

 「立ち入ったことを申して済みません。この上に国外となると、佐の旦那さんと、姫は大丈夫なんですか?」

 「ええ、あの人は、トルコでプログラミングの技術指導を続けたいと言っていますから……。

 でも、家族三人、顔を合わせられるのは、何年先になるかしら。

 でも、大丈夫。あの人は果てしなく強いし、美岬も大尉達のおかげで強い娘に育ちました。私も、頑張れますから。

 引継書類を準備しておいてください。

 引継ぎできる相手はいませんが、もしものときに、何をしていたか判るように、です。

 なお、表の解任から三日間は休暇です。何があっても、仕事に後は追わせませんから、プライベートを大切にして家族に恩返ししなさい。これは命令です」

 「はっ!!」


 遠藤、小田の両大尉は、それぞれの属する表の組織の敬礼で答えた。

 が、彼らの上司が言った「仕事に後は追わせません」ということは、休暇の三日の間、その上司はほぼ不眠不休になることを意味している。

 それだけではない。

 彼らの上司は、未だ何か、不吉な情報を隠している様子だった。異例の転属、外国での活動、将来に待っているものは明るいものではないと感じないわけにはいかなかった。

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