第15話 告白、その1
美岬さんは、笑った。笑っているのに、痛いほど悲しそうに見えた。
「傷つけたくて傷つけたことなんか、ない。信じてもらえないかもしれないけれど」
低い声だった。
「ごめん」
俺は謝ることしかできなかった。濡れ衣なら謝るしかないし、嘘だとしても、この場はやはり謝ることしかできない。
「ねぇ、私の噂を知った上で私を守りたいって、なんなの? なんで、そんなことしようとするの?」
「守れるかなんて判らない。美岬さんから、まだ、俺の推測が正しいかどうかの答えも聞いていない。もしかしたら、俺の能力ではどうにもならない問題なのかもしれない。でも、なにがあっても、守りたいという気持ちはある。
なんで守りたいのかと言えば……」
不覚にも、頬と耳が熱くなった。
「言えば?」
語尾をおうむ返しに引き取って、問いつめてくる。
俺の生理的な反応はすべて見越しているくせに、基本、弩Sだ、こいつ。
「一つは、仲間だからだ」
「同じクラスの?」
「いや……、通常と違う感覚を持って産まれてしまった者同士としての、だ」
「二つ目は?」
やっぱり聞いてきた。というか、これは「一つ」なんて言った俺が、墓穴を掘った。
さすがに詰まったけど……。言うしかない。逃げられない。
「ごめん、最初に見たときから気になっていた。誇り高く、自分の足で立っている美岬さんが好きだ。だから、君を、君の魂を守りたい。君の持っているいろいろな問題と、俺がどこまで戦えるかは判らないけれど」
一気に言って、コーヒーに逃げ込む。
とはいえ、逃げても逃げなくても。彼女の審判は下るだろう。
一つ、大きく息を吐いてからの彼女の声。
「ねえ、独り言を聞いてくれる?」
俺は頷いた。
乾いた声。完全に感情を殺した声。この種類の声は、今まで聞いたことがない。
俺は泣きたくなった。俺と同じ歳の十六歳の女子の声か、これが……。
「あとで録音も消してください。私、人のことを悪く言ったことはないし、これからも言いたくないし。でも、この場限りで、独り言です。
中学生の頃、同級生は誰も疑問に思わなかったのよ。警察沙汰になったとき、私がその人を陥れようと考えていたとして、そんなに上手くいくと思う?
日本の警察はそんなに甘い組織だと、中学生の認識だと思うのかな。
物証の裏付けもあった。
私は、本当に襲われた。
その人の部屋からは、ものすごい量の盗撮写真のファイルが出てきた。だから、有罪になった。
でもね、そんなこと、学校側はおおっぴらにしたがらない。
私の気持ちとしては、気持ち悪いから、言い立てたくないのが一つ。どこかで反省して生きてくれるのならば、私自身から追いつめるようなことも言いたくなかったのが、もう一つ。
だって、私が逃げられたのは、私がチートと言っても良いことができたから。それで対処した上に、追いつめるようなことまでしたら、上から目線にも程があるという気がした。
そこまではね……。
そこまではしたくなかった。
それに、チートなことができることは誰にも言えなかったしね」
乾いた声。涙を流し切ってしまった声なのだろうか。それとも、感情を切り離す癖がついてしまっているのだろうか。誇りで心を支えているというには、乾きすぎた声に感じられた。
くそっ、泣きながら言ってくれた方が、まだマシだ。
でも、俺は、その言葉に救いを感じてもいた。サトシは、美岬さんの人格の可能性として、最悪を提示していた。「自己認識も神じゃん。そうなれば、自分を否定してくる人間はとことん殺すんじゃないか?」と。
そうではないことが、今の言葉で示されている。
そうではなかったのだ。
美岬さんは話し続けた。
「私を見て、変な興奮をする男もいた。
何を考えて、どういう生理反応を起こしているかもすぐに判った。
そして、お金でどうかという話まで直接して来たのもいた。中学生相手に、よ。もっと、酷いのは、立場を利用して人の来ない部屋に閉じ込めようとしたのもいた。
私がしたのは、相手の生理反応の状態や思ったことを、そのまま反復しただけ。それだけだけど、勝手に自滅して行った」
反射みたいに、思わず声が出た。
「それは、きついな」
美岬さんが、「ん?」と見返してくる。
「あらかじめ言っておくけど、美岬さんが悪いという話じゃないよ。美岬さんが感じた辛さも、十分以上に理解しているつもりだ。もう一つ、相手の男への弁護でもないよ。
でも、男は、女性が思っているより馬鹿だよ。馬鹿のくせに変に繊細にできている。女と見ると勃起するくせに、小さいと言われると二度と勃起できなくなったりする。生理反応自体が、心理的弱点と同居しているんだ。だから、結果的に、痛いところを突いたことになる」
勃起、勃起言ってんじゃねぇ、と内心で自分に突っ込みを入れる。
彼女は無反応だ。だけどまあ、内心は判らない。
俺だって、抵抗なく口から出せる単語ではないけれど、言葉を取り繕っても仕方がない。俺も、美岬さんも、身も蓋もないものをダイレクトに見させられたり、嗅がされていたりするはずだからだ。
残念なことに、それも毎日、毎日、何回も何回も。
「ちょっと前の小説だけど、筒井康隆の『家族八景』とか、『七瀬ふたたび』っての知ってる?」
「ごめんなさい、まだ読んでません」
んー、他の人と違う能力がある以上、必読の気もするけれど、読んでないのか。
「すっごい美人のテレパスの、火田七瀬が主人公の、まぁ、悲劇だよね。
そこで、七瀬が力を使って、自分を犯そうとする男を狂気に追い込んで破滅させるシーンがある。たぶん、それと、まったく同じことが起きたんだと思うな」
「どんな感じなの?」
「どんな感じって、今言ったとおりだよ。『相手の生理反応の状態や思ったことを、そのまま反復しただけ』って言ったじゃん?」
美岬さんが息を飲む。
「それって、そんなに酷いことなんですか?」
「少なくとも七瀬は、相手の気が狂うまで追い込んでも、生理反応までは突っ込まなかったな」
美岬さんは、ショックを受けたのかもしれない。俺がコーヒーに逃げ込んだように、アイスティーに手を伸ばす。
「その男のナニは、小さかったんか?」
さすがに、美岬さんは飲みかけのアイスティーにむせた。
どうやら、心と身体の話の機微は解ってもらえそうだ。
俺は、思春期の同級生たちが普通に得ていくこの機微を、小説や同級生を観察することで学んだ。幼い頃から、毎日、何回も男女の生理変化を嗅いでいれば、そんな常識さえも失う。
おそらくは、美岬さんもそれは同じだから、確認の必要があった。
ただ、当然男女のコミュニティの違いで、このような話題に対する反応は異なるだろう。でもそこまでは、俺には判らない。判りようがない。こういう言い方での確認が正しいのか、もね。
さらに言えば、俺は彼女の感覚に甘えている。通常の女子がこの言葉を聞くのであれば、シモネタ以外の何物でもない。でも、彼女の眼には、シモネタとして言ったのではないことは明白に見れるはずだ。
「女を口説くのに、口説いている最中は服を着ているし、身も心も防御できている。
結果がダメでも、自分を慰めるための合理化とか自己正当化の手段を必ず持っているもんだと思う。でも、社会的な背景もあって、用心し、ナーバスにもなっている。その上で、賭けに出ている。
結局、自分の心の動きや生理反応までは相手に知られてないという安心感の上で口説いているわけだし、自分の剥き出しの欲望や、うまくいかなかった時の自己保全のための正当化、そんなのを自分自身で組み合わせながら、それなのにそれらを正視しないようにして、自分の心情を『合理化』した極みで口説いているんだ。
街角のナンパなら、自分の名前からして隠しておけるから、もっと大胆になれる。
それなのに、すべてを筒抜けにする存在が現れて、自分の恥ずかしい心情や行動をトレースされたら、合理化の計算がすべてご破産にされて、賭けは大負け、逆恨みって話になってもおかしくないよね。
たとえ
サトリという、人の心を読む化け物の話。
彼女も俺も、その化け物と同じことができる。こんな話をしていると、サトリの話はなんて無邪気なのだろうかと思う。サトリを犯したいという欲望を持つ男がいたら、サトリは人の前には姿を現さなかった、現せなかったと思う。
ああ、でも、彼女をサトリの化け物とは言いたくない。俺自身をも否定することにつながってしまうし……。
俺たちは、人との繋がりも持てないことになってしまう。
内心の想いを無視して、俺は言葉を続ける。
「これは、憶測でモノを言っているけど、美岬さん、相手の下心を持ちかけた金額とかも込みで、オウム返しに返しただろ?
身元が明らかにならないで済むイタズラ電話だって、レコーダーでオウム返しに返すと、二度と掛かってこないことが多い。
美岬さんの場合、男側は身元が割れていて面と向かってるし、社会的破滅確定のおそれとセットだから、恐怖なんてもんじゃなかっただろうなぁ」
彼女は、心底、困った顔をした。
「そして、美岬さんがそれでも彼らを庇ったこと、それも、彼らにとっては握られた弱みから開放されない悪夢の時間となったんだろうな。あくまで、彼らの勝手な心情だけどさ。
『頼むから殺すなら殺せ』、そう思っていた可能性はあるよね」
そう、彼女が誰かにそれを話し、「事案」になっていれば、逆に彼らは救われたかも知れない。また、それが次の事案を防ぐ抑止力にもなっただろう。
「やっぱり、私が……」
「それは違うと、さっきから言っているよね。美岬さんのせいじゃない。自業自得で自縄自縛になっている人を助けなかった責任なんて、あったらおかしい。ありえないよ」
まぁね、困るだろうさ。自分のしたことを相手がどう受け取るか、よく解らないままに武器を振り回しちまったんだし。かといって、原因自体を含め、何一つ彼女が悪いわけではないのだから。
そう思いながら、内心、俺はもう一つの不可解さに首を傾げていた。
もしかしたら、「七瀬」を知らないことといい、美岬さんは自分の能力との「葛藤」さえも、だれかに「制御」されているのではないのか?
俺には、自分の嗅覚に葛藤し、手当たりしだいに超能力系の小説を読んで、その心理描写に救いを求めたという経験がある。でも、美岬さんは、そのような経験も、その動機となる葛藤も、俺より遥かに少ないような気がする。
もしかして、彼女の周りには、それすらも甘えとして許さない環境があるのだろうか?
さらに大胆な想像をすれば、葛藤を感じないだけの、この視覚さえあたり前のこととして認識できるほど、特殊な人間の群れがいるのだろうか?
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