第16話 告白、その2
こういうときに、美岬さんを救えるかもしれない話を、俺はしこたま知っている。
「『聖トマスによるイエスの幼年物語』って外典聖書があるんだけど、知っているかな。子供の頃、奇蹟を起こす力を制御できなくて、無邪気に人を傷つけてしまうイエス・キリストが描かれている。力があるってことは、そういうことなんだと思うよ。たとえイエス様でもさ、力の使い方を、だんだんに学ばないとならなかった。
美岬さんの方が防衛的なだけ、イエス様より遥かに罪が軽いんじゃないかな」
「そ、それは、比較の対象があんまり過ぎです……」
美岬さんが、「
「仕方がなかった、という話さー。仕方がなかったんだよ。大事なことなので、二回言いました。
美岬さんも生きていかなきゃならないし、もう、仕方がなかったんだよ。誰も悪くなくても、不幸は起きるもんだし、これは悪い奴が自業自得になったという話。次はもっと上手くやれるさ」
で、とりあえず謝る。
「ごめん、続けてください。話の腰を折っちゃった。悪い」
「続けられるわけがないでしょう?」
そうは言うが、口調は深刻ではなかった。「もうええわ」ってな、漫才の終了の合図みたい。
仕方ないから、こちらからもう一押し。
「で、自分の行動の破壊力が判らなかったから、なおさら一人でいる選択をしたのかな? 一番の理由は、噂で誰もが怖がって近づかないからだろうけど」
俺が言うと、彼女は頷いた。
「話を聞いて、解った。美岬さんのことを悪魔だの魔女だの悪く言うけれど、そいつら、具体的に美岬さんに何を言われたかは他の人に話しようがないわ。そうなると、内にこもるからますます悪質な噂を流すようになるなぁ」
「男の人って、そういうものなの?」
「ああ、男がってより、人は弱い。そういう場に置かれたら、女性でも同じ反応をすると思う。ただ、その弱さを認めるわけにいかないのも男でさ。認めないから、さらに醜い行動をとったり、逆に戦えたりもするけれど。
でも、女の方が弱さを認めやすいからか、切り替えが早いし強いかなぁ」
「双海くんも弱いの?」
「任せてくれ、弱い。自分で認めてるんだから、そりゃあ弱い。
誰かに心の動きを読まれたって、『弱いんだから仕方ない、文句あるか?』って開き直れるぐらい弱い」
美岬さんは少し笑った。今日会って、初めてだ。
「菊池くんは?」
菊池って誰だ? と。一瞬、誰のことか判らなかった。
サトシのことだ。あいつを名字で認識したことなんか、ここ何年もないからな。
「あいつも弱いな。というか、あいつが世界で一番弱くて、俺が町内で一番弱いって感じかな」
「どういうことなんですか、それは?」
「あいつと俺は、同じ町内だ。任せてくれ」
笑うまでは持って行けなかったか。でも、少しだけ、張り詰めた空気が緩んだので、よしとしよう。
で、憧れの女性を前に、弱さ自慢かよ、我ながらいい加減なもんだ。
「自分のことを、弱いと言えるのはなぜですか?」
「知ってのとおり、親を亡くしていてさ。その時に、姉がすべて戦ってくれた。
俺は何もできなかったんだよ。だから、認めざるを得ないじゃん。で、弱いと認めるとね、楽なんだよ、生きるのが。
菊池は、あいつなりになんかいろいろあるんだろうけど、囚われない奴だから付き合うのが楽でねー」
「男の人は、みんな強いか、強くなろうとしている人達だと思ってた。だから、その姿と、女性に対する欲望の強さが重なって、本当に怖いと思ってた。そして、そういう男の人に夢中になれる女子も怖かった」
その二つが重なって見えていれば、マジでそれはそれは怖かろう。
「強くなろうってのが、上昇志向って意味じゃ正しいな。でも、どこに登るかは人それぞれだしなー。男から見ても怖い山に登る奴もいれば、登っていることを隠して登っている奴もいるし」
「うーん」
美岬さんは、考えている。
「男の人ってそういうものなんだ……。でも、変な人達と、双海くんが言う登るという姿が、同じとも思えないけれど」
「案外、エネルギーの根本は同じなんだけどな。夢枕獏の『陰陽師』なんか読むと、人の心の中の『鬼』と表現しているよね。鬼は、女にも棲んでいるってさ。だから、そのエネルギーの方向の問題かなぁ。
それよか、女子の方が、男子以上にエネルギーの出し方のバリエーションがあるように見えるけどなぁ」
「あっ、そっか」
「それに、今まで生きてきて、まともな男も居たろうに」
「いたけど……。感覚が違ってたし……。歳も離れているから話ができなかった」
「じゃあ、赤外光が見えるという予想は、正しかったのかな?」
美岬さんはその質問に、一瞬表情を硬くした。
急転直下に聞いちゃったから、タイミング的に尋問みたいになったのかも知れない。
一瞬の間を置き、美岬さんは俺の質問を黙殺し、さらに尋ねてきた。
「嗅覚が鋭いって、秘密にしておこうとは思わなかったの?」
「できっこはずがない。何か悪臭がすれば涙目で逃げ出し、しまいにゃ吐いちゃうような子供がポーカフェイスを決め込むなんてさ……。
学校でも、自宅でも、説明しなければ理解してもらえなかったしね」
「それで、いじめられたりしなかったの?」
「いや、すぐに吐いて苦しんでで、完全に可哀相な子扱いだった。人より優れている能力とは思われなかったな。神経質な子、病弱な子のくくりで、母も姉も大変で、保護の対象だったよ」
「そっかー」
相槌の声が沈んだ。
「でも、だし巻き、旨かったぜ。だから、美岬さんを信用しようと決めたんだ」
「なんで、だし巻きで?」
「いろいろな意味で、まともだったからさ」
「あの、だし巻きがまともで信用って? 論理について行けないんですけれど」
「あのだし巻き、ぶっちゃけ、家庭料理のレベルじゃない。一流の板前クラスだと思った。それだけじゃない。板前はね、だし巻きに焼き目をつけない例が多い。客に出すのに、綺麗な黄金色にするし、ふわっふわに仕上がるからね。
でも家庭では、部分的に狐色にして香ばしさを付けた方が美味しいと俺は思う。表面が固まるからお弁当にも入れやすいし。
で、俺は、美岬さんちは、一流の板前の技術で家庭料理を作っていると思った。
家庭で板前クラスのものが作れるようになると、技術オタクになっちゃうことが多いんだ。プロには敵わないのに、プロもどきの料理ばかり作るようになっちゃうのさ。
で、プロもどきの料理を作る家は、多くはないけれどそこそこはある。でも、板前の技術で家庭料理を作る家はそうそうないし、家庭料理の本質を失っていない。で、それだけがまとも、つか一流なわけがない。
だし巻きとか料理に象徴されている、母親の存在とか、家庭とかの生活とか、ひいては美岬さんだって、良いものを選び洗練させながら地に足につけている、まともな人なんじゃないかな、と思った」
「最初見たときから気になっていた、って言っていたけど、信用してくれたのは最近なんだ……」
「そだね。さすがに、好意と信用は違うし……」
なんとなく視線を外しながら言う。
好意なんて言葉でも、自分で言っていて耳が熱くなる。「見えているんだろうなぁ」と思いながら続ける。
「これから先、できるならば、信用から信頼にして行きたいけれど……。美岬さんがどう考えるかで……。俺は、俺の気持ちはもう言っちゃったから、ある意味、白旗上げちゃっているから……、もうね、もう……」
あとは怖くて、口に出せなかった。
はは、開き直れねーや。急にびくびくしちまいやがって、ザマはねーや、俺って奴はよ。
動揺が見えているんだろうな。彼女は、小さくため息をついた。
そんなことはないと信じたいけれど……。今更だけど、キモい〜とか、ギャハハハハとか言われたらアウトなパターンじゃんかよ。
全てをご破算にするのが最善と判断すれば、そうくる。
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