ニ三話 戦場跡に何が残る
「皆様、お疲れ様でした!」
「…はぁ、ようやく終わった」
「おわった」
「おわったっすね」
私立千羽高校、その屋上。夏休み明けの実力テストという長い戦いを終えて死んだ鮒のような目をする少年少女を視界に入れないようにして、僕はうんと背を伸ばす。
「響は余裕そうだな。凪は…お前、確か七月の頭から休んでたろ。範囲とか大丈夫だったか?」
「まぁ教科書見てたらどうとでもなる問題ばっかりだったし。…そういう佑介はどうなのさ」
「普通だな。…つーか、俺の話はどうでもいいんだよ。問題なのは」
「実力テストに終末でも見たのか、この二人は」
灰の髪をポニーテールに纏めた乙女、空が呆れた声を出す。妖は元々陰の気を持つというが、流石にここまで淀んだ空気を見ると声の掛け方も励まし方も分からない。取り敢えずは放置の択を選んだが、正直に言ってあまり関わり合いになりたくない。
「…涼葉さん、千春さん。貴方達、確か羽生先輩に勉強教えて貰ったと聞きましたが」
「…アレの何が指導なのか教えてもらいたいッスね…」
「赤点さえ回避すれば問題無いとしか言わないんだよ!?あとは私達の自習眺めてただけで!」
寧ろあの面倒嫌いの有希が勉強を見ていたのか、という率直な疑問をぐっと堪えて二人を宥める。
「…はいはい、二人共落ち着いて。なるようになると思うよ、もうテスト終わったんだし」
「おわった」
「おわったっすね」
「面倒臭いな君ら!?」
再び重くなる空気に頭を抱える。そもそも今日のテストは一学期の振り返りのようなもので、出題範囲は六月の末にあった期末テストとそう大差無い。千羽高校のテストは四十点未満が赤点、追試対象なのだが、期末テストでは二人とも追試を免れている。それならば今回も特に問題は無いと思っていたけれど、終わった事を引き摺るようなら。
「…まぁ、別にいいけど。どうせ僕達の関係ももう終わりだしね」
「おわっ…え?」
自分の口を突いて出た声は冷え切っていた。ずっと落ち込んでいた涼葉と千春は顔を上げ、佑介と響は何を言っているのか分からないとぽかんと口を開く。
「凪。どうした、急に」
「…もしかして、私達がずっとウジウジしてるから」
「君達がずっと終わりだ終わりだって言ってるから思い出してね。そういや僕達の関係って、もう終わってたなって」
そうだ、もう終わっていた。もう僕達は屋上に集まって話し合うような間柄でも、テストの結果をはげましあうような関係でも無い。そんな繋がりの糸は、とっくの昔に切れていた。
「…凪くん。終わったって、どういう事ですか。まさか、私達の事を嫌いになってしまったとか」
「…覚えてないの?アヤカシ連盟」
「え―」
アヤカシ連盟。それは先の
僕―黒羽 凪と白部 響、氷室 涼葉と鬼島 佑介、伊田 千春と北条院 空、特別顧問の羽生 有希で構成された、簡単に言えば戦争に向けた対策本部。白部の軍から独立する事によって有事の際の早急な対応を可能にし、加えて千羽側に潜む内通者の炙り出しを図っていた。
「サグメとの戦争は終わった。半月経って戦後処理も殆ど終わった。それなら、戦争対策に臨時で作ったアヤカシ連盟だって解散でしょ?」
言葉は淡々と紡がれる。そもそも僕は響や涼葉、千春と違って
「…でも、私達と黒羽くんはずっと友達だよね?今までもずっと一緒に頑張ってきたし」
「確かに戦争は終わったスけど、千羽って何かと物騒な町ですし。アヤ連解体しなくても、やれる事はいっぱいあると思うッス!…だから、居場所を無くさなくたって」
違う。違うんだ。僕は友達の為に戦ったんじゃない。居場所が欲しくて戦ったんじゃない。僕はただ守りたくて、救いたくて、失いたくなくて。
「…僕は羽生先輩や君達
語る声は淡々と、
「…そんな。悲しいです、私」
「………は?かな…今なんて―」
「凪殿。流石に言い過ぎでは」
―はいはーい、私も空に同意。…本当、響の事考えて言葉選びなよ…―
空と心の内のランの視線が胸を刺す。響の涙の意味は理解出来ないが、何かの地雷を踏んだらしくいつの間にか針の
「…そうだね、配慮が足りなかったのは謝るよ。…うん、
…けれど、それでも意地は通す。僕は僕であるが故に、踏み入るべき領域を間違えてはならない。この
「なーんか納得いかないんだけどー…」
「…あのなぁ、雪女。凪はテメェらとは違って巻き込まれた側だぞ。全部片付いたら日常に戻るのは当然だろ」
「…佑介、お前も巻き込んだ側だからな。…ともかく、これが最大限の譲歩。サグメの事で何か動きあったらまた呼んで」
涼葉の引き留める声も聞かずに屋上を去る。努めて冷静に振る舞った筈なのに、心の内には迷いが残る。僕の為にも自分の心情を優先すべきだと理解している筈なのに、話を切り出した際の暗い顔が脳裏に焼き付いて離れない。有希に零したら「そんな事でも貴女は自分を犠牲にするのね」と呆れられそうだけど。
―…本当、不器用なんだから―
「…響は、確か「悲しい」って言ってたっけ。僕は、そういうの理解出来ないから。あんな顔されたら、どう振る舞えばいいかなんて分からない」
―悲しいが分からない、か。別にそんな事無いと思ってるけど―
「………どういうこと」
―だって、凪は響達に暗い顔させたくないんでしょ?そう思うって事は、多分理解出来てるんだよ―
「………?」
帰路の風は晩夏とは思えない程冷たかった。いつかこの関係が終わるのは頭では理解していたけれど、心の準備が出来ていなかった。否、するつもりが無かった、と表現した方が適切か。
彼の言葉はどうしょうもないくらいに正論だった。彼は私達のような戦と小競合いに明け暮れるような任侠の妖とは違う、本来は守られる立場の半妖。ただ巻き込まれたから爪を振るった、失いたくが無い為に戦場に立たざるを得なかった。選択肢が無くなってしまったが故に、凪は常に受け身の姿勢で戦に臨んでいた。そんな彼が「もう戦には金輪際関わらない」と告げたのなら、平和が訪れたのだと大手を振って喜ぶべきだった。
「お帰りなさいませ、姫様。…学校で何か嫌な事でも」
「あ…ごめんなさい。今日のテスト、あまり実力出せなくて」
見え見えの嘘で誤魔化して家の門を潜る。千羽組令嬢として部下に情けない姿は見せまいと、涙の跡を綺麗に拭う。
…そう、私は泣いていた。別にアヤカシ連盟が解散したからといって友人関係まで消え去る訳では無いし、そもそもクラスが一緒なのだから金輪際の別れとなる訳でも無い。ただ、今迄と同じ関係ではいられないというだけで、雫が私の頬を伝った。
俗に言う一目惚れ、だったのだと思う。入学式の日、緊張していた私に声を掛けてくれた深紫の髪の少年は、とても穏やかで優しい風を纏っていた。落ち着いていて優しい人、というのが当時の印象。そしてちょっと非力で、教科書の詰まった鞄でぜえぜえ息を切らしていた様子も愛らしく感じたものだ。
そして、人は―それが妖であれど、ギャップというものに弱いらしい。凪と出逢った翌日の早朝、轟音を聞いて駆け付けた廃倉庫で私は見てしまったのだ。若き鬼の襲撃に対し勇猛に、そして苛烈に立ち向かう鴉の姿に、乙女心は見事に陥落した。
そこから先は早かった。天探女の率いる軍の奇襲もあって、私と彼は多くの時間を共に過ごしていた。とはいえ私の好意は一方通行で、彼はきっと何とも思っていないと感じているが。それでもアヤカシ連盟という居場所が、天探女という打ち倒すべき強敵の存在が戦友としての彼との絆を強固なものにしていった。
思えば、終わりは早い段階で目に見えていた。そもそも天探女軍を打破する為に共に培った関係だ、冷静な凪はきっと関係の脆弱具合にいち早く気付いていたのだろう。だから彼の中ではとっくに踏ん切りがついていて、あんなに簡単に終わりを切り出せたのだ。判っていた筈なのに、どうしても辛いものは辛い。
「…姫様、探女戦線に関する書類ですが」
「今朝に全部見ました全部終わらせました。…終わったんですから、今はそっとしといてください。部屋覗くのも盗み聞きも駄目ですからね」
初恋は実らないものだと誰かが言っていたけれど、今になってその意味がよく解る。恋を知らぬ乙女の初恋なんて、大概は釣り合いの取れぬ憧憬混じりの恋慕である。それを恋として自覚する度に、それは決して実らないものだと痛感する。憧憬混じりに隠した想いなんて、向こうから捜してくれる筈が無いのだから。
「…凪くん、優しいけど割り切れる人だからなぁ」
趣味に包まれた部屋で涙を流す。私達の
深夜零時、喫茶アヤカシの二階。珈琲と本の匂いに包まれた凪の自室に、暖かなテーブルランプが
「…いつ以来だろ、こんなに何も無いのは」
久し振りに眠れない夜だった。起きている間は騒がしいランも意識の奥底で眠り、不気味なくらいの静寂が漂う。何かを考えるのも時間の無駄と踏んで床に就いても、夕刻の重苦しい時間が過ぎって禄に眠れない。
「…あぁもぉ、響も涼葉も千春も、何であんな暗い顔してるんだ。テストの結果くらいで、アヤ連の解散くらいで。
全部終わった事だろ、とベッドの上で不貞腐れる。戦場ではあんなに頼りになった彼等が、今では同情すら湧かない程に弱っている。否、心が壊れている僕にはそもそも人の感情を理解しろなんて無理な話だが。それでも、探女戦線という山場を越えたのだから暗い顔はなるべく見たくない、なんてそれも僕の我儘か。
―そうだ、別に僕は仲間の為や千羽の為に戦ったんじゃないんだ。ただ守りたかった、救いたかった、それを為せる自分に価値を見出したかった。何処までも自分勝手で自分本位の
「…なんだよ、それって…」
ベッドのシーツを握る手が影を纏う。影の爪は鋭く惨く、そして醜悪な
「…このままだと、あの畜生共と同じじゃないか…!」
―…凪?こんな夜中にどうしたの…?―
「ごめんラン!ちょっと行ってくる!」
―ちょ、行くって何処に!?―
ランの静止する声にも耳を貸さず、手早くコートとマフラーを纏って自室を飛び出す。喫茶の外に飛び出てからは四肢に影の爪を纏い、獣のようにアスファルトを駆る。烈風の如く風切る颯は、千羽の夜闇に消えていった。
「…あぁもぉ!勝手に救っといて響にあんな顔させるとか、屑ムーブにも程があるだろ!」
―響…ってちょっと凪!?響の家そっちじゃない!―
「空振ったら
叫ぶと同時に思いっきり地面を蹴り、一段高い瓦屋根に飛び移る。妖の群れでごった返す繁華街、その雑多を縫うくらいなら上を行く。ぴょんぴょんと軽快に高所を駆ける半妖の姿は、街行く人が気付かぬ程に早く、それでいて音を残さない。
「…あった!〈ホワイトラジオ〉!」
―ホワ…ってここライブハウス!?響ってこんなとこ来るの!?―
慣れた動作で着地し、手早く衣服を整えて入店する。店員の静止も聞かず客席を見渡し、端のテーブル席に黄色いフード姿の客を見つけると入場料をカウンターに叩き付けるように支払い、纏った影を解きながらフードの少女に駆け寄った。
「…良かった、
「…凪くん!?どうして此処に…」
「…夕方の事で、謝りに来た」
驚いた様子でフードを脱ぐ響に、簡潔な説明だけ済ませて頭を下げる。彼女を前にして少し頭が冷えたからだろうか、ランにも此処まで駆け抜けた理由を説明していなかった事に気付いたけれど今更だ。こほんと咳払いし、響の方に向き直って口を開く。
「…突飛だった。僕は守れて救えてその気になって、勝手にアヤカシ連盟の解体を口にした。結成したのは響だったのに、相談も無しに宣った。…それで、泣かせた。本当にごめん」
パンクロックの轟くライブハウスで、この場だけは静かだった。ただ誠実に、誠意を込めて頭を下げる。何処までも身勝手に振る舞った僕が今更謝罪したとて許されるなんて思ってもいないが、それでも必要だと思ったから頭を下げる。許されないから謝らない、なんて筋は通らない。
「…僕はどうしようもなく利己的だから、救って守って終わりだと思ってた。なんならそれが僕が戦った理由だった。…でも、それも自己満足だ。救った癖に、結局暗い顔をさせた」
―…なんだ、凪ってばやっぱり理解ってるじゃん―
誠心誠意の謝罪を口にする。プライドや誇りはどうでもいい、謝るべきだと思ったから頭を下げる。たとえ壊れていても、他者を想わない理由にはならないのだから。
「…本当に反省してます?」
「勿論」
本当に、と疑念の目を向ける響。余程不満を溜め込ませていたのだろうか、僕の頬をむにむにと摘んで伸ばしだす。それでも僕が表情一つ変えないものだから、次第に彼女の頬が緩んでいった。
「…ふふっ、あはは!…まったくもぉ、随分落ち込んだんですね?ほっぺむにむにしても真剣な顔変わらないの可笑しくって」
「…悪い事したって、思ったし」
「よろしい、少し許します。確かに戦争は終わりましたし、アヤ連の今後は一緒に考えましょっか」
そうだね、と笑おうとして未だ自分の頬が伸ばされている現状に気付く。そうだ、少し許すと響は言った。まだ許されていない部分が残っているのだから、気を引き締めなくては。
「…でも、凪くんの救って守ったのは自己満足って言葉は許しません。まぁ戦後処理丸投げしようとしたりアフターケア疎かになったりとか多少ワガママなトコありましたけど?それでも自己満足だと卑下するのは許すつもりありませんから」
「…はぇっ…って痛い痛い痛い!?今電流流したろ!?」
「気の所為っ。…凪くん、君が自己満足って思ったところで私達が助けられたのは事実なの。君のおかげで多くが守られたし救われたんだから、その行動を卑下するのは君が救ったモノも卑下してる事になってしまう。だから、卑屈になるんじゃなくて誇って」
「…響?何か性格変わっ痛いって痺れてるって!?」
「
「は、はい、そうですね…」
「分かればよろしいっ」
伸び切った挙句電撃まで喰らった頬がようやく解放される。しかし、自己満足なんてどうでもいいと来たか。流石は千羽のお姫様、懐が深いというかなんというか。本当はその部分を一番謝りたかったのに、逆に卑下するなと雷を落とされるとは。そんな事を言われたら、また前を向くしか無いじゃないか。
―大物だね、響―
「…うん、伝える事は伝えたし僕はこのあたりで。…また明日ね、響」
「………はいっ!また明日!」
「えっ、じゃあアヤカシ連盟解散は無しッスか!」
翌日、再び千羽高校の屋上。響からの報告を聞いた千春の大声に耳を抑えながら淡々と説明する。
「無しじゃなくて延期。そもそも僕と佑介、あと空は千羽組の妖じゃないからアヤ連無くなると響に協力出来ないから、本当に何かあった時の為にね」
「…しっかし、凪。憑き物落ちたみたいな顔してんな。何があってそこまで意見変わったよ」
「いや別に
「でも良かったよー!アヤ連あるならこれからも皆一緒だねー!やったね、響ちゃん!」
「…はい、本当に良かったです!これからも宜しくお願いしますね、皆さん!」
晴れ空の下、笑顔で顔を見合わせる六人。終わりだなんて言ったけれど前言撤回。騒がしい日々は、もう少しだけ続きそう。
「…あの。この流れで言いにくいのだが、千春。それと涼葉殿。二人は確か赤点叩き出したとか―」
「…よーし、そうと決まればお祝いしなきゃッスねー。今夜は焼肉行きましょー」
「いいね!テストも終わったし打ち上げ兼ねて!私牛タンが良い、牛タン!」
「…成程。どうやら貴様等から焼肉にされたいらしい」
「「本当ごめんなさい」」
…騒がしいの、も少しマシにならないかな。
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