九月・歩み出す晩夏

ニ二話 リスタート

『…お願い、有希ゆうき。私の家の為に、死んで』

 其処に在ったのは、血に塗れた千羽せんばの町。狂う式神しきがみと使い魔の群れ、退魔士もあやかしも転がる戦場。人と妖が共存する筈のこの町で、少なくない数が死んで、殺されて、そして殺して。或る退魔士の野暮と家系の為に、鮮血の花が咲き乱れた。戦禍の最中に立った私だって、この魔眼で多くを砕き潰した。

『君を殺して、蛇神家私たちの悲願はようやく果たされる』

 知ったことかと土を蹴る。眼前の宿敵友人を殺す為、怪物と化したソレに目を向ける。

『恨めばいい。君にはその権利がある』

 赤の戦場に鳴るサイレンの中、私は黄金の瞳に力を籠めて―


 じりりり。じりりり。

「…嗚呼、夢か」

 見開く瞳が映すは天井。サイレンの代わりに鳴るアラームを止め、頭を振っていつかの記憶と眠気を吹き飛ばす。

 カレンダーが示すは九月の三日、月曜日。確か地元の高校生達は今日が始業式だったような。

「…大変ね、学生は」

 他人事のように呟き、布団から起きて身嗜みを整える。シンクの水で顔を洗い、慣れた手付きで髪を纏め。そろそろ着替えをとタンスを開き、目に入ったのはセーラー服。

「…現実、見なきゃ駄目…?」

 当然、と訴えかけるように視界に留まる学生服。夏休み明け、加えて戦争明け。高校に行く気力なんて無いけれど、それでも現実は非情である。


 私達の夏は、文字通りの波乱万丈であった。妖と退魔士―本来は妖を討つ事を生業とする人間達が手を取り合い、この千羽町の支配を目論む鬼神『天探女アメノサグメ』、そして彼女が率いる妖の群れを迎え撃ち、そして撃退した。

 後に探女戦線と呼ばれる戦を制した私達を待つのは、いつも通りの平和な日常。―そう、退屈する程の日常が待っている、筈なのだけど。


「おはよぉ、有希…って、すっごい不機嫌?」

「…不機嫌に見えるかしら、日辻ひつじ

 校門前で挨拶を交わすのは、ボサボサの頭の糸目の男。日辻 完二かんじ、私の同級生で幼馴染、そして退魔士。彼は私にとって数少ない良き理解者ではあるのだが、昼行灯な所が玉に瑕だ。

「有希は学校嫌いだもんねぇ。でもここしばらくはあんまりサボってないけどぉ」

「…あぁ、そういや前学期はそれなりに顔出してたわね。けど実力テストが片付いたらまたサボるから安心して?」

「僕としては出来れば毎日顔出して欲しいんだけどねぇ…。有希がいないと寂しいし」

「…あんまりそういう事言わない方がいいわよ。お前はさっさと自立しなさい」

 えぇ、と不満を呈する日辻に溜息を溢し、改めて先を見据える。戦は終わった、粗方の戦後処理も片付いた。ならば私が為すべき事は、いつも通りの日常を過ごすだけ。あの子達がいつも通りの日常を過ごせるようにそっと力を貸す、ただそれだけ。

「…ところで有希、なんで今日は早く来たのぉ?あ、今日は学校午前中だけだからぁ?」

「何でって、決まってるでしょ?片付ける事があるからよ」

 言って、私は通学路を振り返る。其処には翡翠のマフラーを巻いた見慣れた少年少女が、学生鞄を提げて歩いていて。

「おはようございます、羽生先輩。…と、モコモコ」

「おはよう、黒羽くろはね君。…二学期始まって早々で悪いのだけど、少しカウセリング室に顔出してくれる?始業式終わるまで、お願い出来るかしら」

「………はぇっ?」




「―それで、ナギナギは始業式出ないって。羽生センパイが大事な話あるから伝えて欲しいって」

「…成程。当然っちゃ当然だが上策だな」

 午前八時、始業式前の体育館。そこで有希からの伝言を生徒会の少女、鳥谷とりたに 水鈴みすずから受け、赤髪の青年は静かに呟く。

「上策?一体どういう事ですか、佑介ゆうすけさん」

「…あのなァ、白部しらべの姫サマ。なぎの奴は七月にあの一件があってから入院してて学校来て無かったんだ。顔出したら騒ぎになるまでは行かなくても取り囲まれるだろ。したら始業式どころじゃねェ」

「…うーん、流石にそこまで騒ぎになります?」

伊田いだ君と鬼島おにじま君はクラス違うから知らないかもだけど、ひびきちゃんが退院したときも結構騒ぎになったからねー。…それに響ちゃんが退院して入れ代わりで入院したから、色々噂も出てきて。下手したら私達、妖の世界の事情もバレちゃうかもだし」

 伊田と呼ばれた橙の髪の青年に蒼のロングヘアーの少女が丁寧に説明する。名目上、凪の入院の理由は生徒の不安を煽らない為にも体調不良と伝えてあるが、実際は言霊の少女、ランに背中を刺された事による重傷が原因である。有希達生徒会の退魔士や響の図らいで高校側には誤魔化しているが、どうしても根も葉も無い噂は出てきてしまうものだ。そんな状態で凪が始業式に顔を出せば年頃の高校生達の話題の渦中となり、面倒事は避けられないだろう。

「…けど、涼葉すずはさん。先延ばしにしても解決しないんじゃ」

「んなもん事前に響とかの第三者から伝えりゃ何とでもなるだろ。こういうのは先に言っときゃ本人に対する興味は減るんだよ。分かったか千春ちはる

「…鬼島君って意外と賢いよねー」

「意外とって何だ雪女。騒ぎを抑えるなら当然だろ」

 苦笑する涼葉に苛立ちを募らせる佑介、しかしその小競り合いが始まる前にチャイムの音が制止する。同時に体育館に多くの生徒が体育館に集い、各々のクラスメイト同士で群れを作る。喧嘩は後で、と諫める響の声を合図に、少年少女の集いは一時解散の運びとなった。


『只今より始業式を始めます。司会は私、生徒会副会長の牛若うしわか アリアが務めさせて頂きます。まずは校長先生の挨拶、江藤えとう校長先生、宜しくお願いします』

 ―舞台の裏というものは、何時であろうと緊張するものだ。小さく漏れる呼吸の音、スピーカー越しに鳴る校長の長話さえ遮る程に逸る鼓動。命の音の鳴動が、固唾を飲んで渇く喉が、此処に私を証明する。

 自らの熱。震える指先。竦む脚。ここまで心が張り詰めるのは、いつか花街で舞った時以来だろうか。失う物も賭ける物も無いのだが、壇上に登ると考えるだけで肩が強張ってしまう。やはり舞台というものはいくら年月を重ねようと苦手に思う。

「…否、この緊張こそが生の証明」

 仮初めだろうと流れる血汐。冷たくとも宿る刀身カラダの熱。そうだ、私はヒトとして此処にいる。臆する事など何も無い、振り返る路など今は無い。

『―校長先生、ありがとうございました。続きまして、今学期から皆さんと共に千羽で学ぶ編入生を紹介します』

 編入生、という言葉にざわめく人の群れ。舞台袖で手招く教師。今一度黒のセーラーと黄色のリボンを正し、息を大きく吸い込んで。


 ―踏み込む一歩。私は此処に、自らを証明する。


 刹那、会場の空気が変わった。編入生にどよめく声が、否、声どころか呼吸までぴたりと止まる。私立千羽高校全校生徒およそ一ニ〇名、教師も加えて一三〇名。その殆どの視線が、壇上に現れたソレに奪われた。

「嘘でしょ、なんであの人が」

「………あ?どうした、千春」

 校長の長話で眠っていた佑介も、周囲の異変に目を覚ます。驚嘆する千春に何事だと前を見遣る。

 ―佑介の瞳に映ったソレは、かつて共に戦った刀の九十九つくも。強く、凛々しく、美しく。灰色の髪を靡かせる鋼の乙女は、柔らかな笑顔で口を開く。

「初めまして。今日より一年二組に編入することになりました、北条院ほうじょういん そらと申します。分からぬ事も多いとは存じますが、何卒宜しくお願い致します」

 彼女の言葉に拍手が鳴る。開いた口が塞がらない乙女の知人を他所に、体育館の空気は徐々に熱を帯びていた。

「うぉ…でっけぇ…」

「格好良いー!モデルさんみたいー!」

「いや絶対読モとかやってたって!身長もスタイルもすっごいもん…!」

 盛り上がる生徒、対して呑気に手を振る空。異様とも思える始業式の光景に、佑介は幾年振りに頭を抱えた。

「騒ぎ抑える為に別の騒ぎ起こしてんじゃねェよあの蛇女…」




「―と言うわけで。改めて宜しくお願い申し上げる、凪殿。それに、御学友の皆様も」

「ちょっと待って何も聞いてないんだけど!?」

 当然、最初に出たのは驚嘆の音。僕がようやくカウンセリング室から解放された頃には始業式もホームルームの時間も終わり、ようやく教室に顔を出せたと思えば既に放課後。一年一組の教室にはクラスメイトの白部 響と氷室ひむろ 涼葉、二組の鬼島 佑介と伊田 千春、そしてこの学校の所属ではない筈の北条院 空の五人だけ。何で空がいるの、という疑問を呈する前に「と言うわけで」なんて言われても何も理解出来る訳が無かった。

「凪くん、おはようございます。さっきまで何かしてたんです?」

「うん、おはよう、響―じゃなくて、今は僕の話はどうでもいいんだ。…空、何で此処に君が居て、何で千羽の制服着てるんだって聞きたいんだけど」

「本日より一年二組に編入することになった。今後は学友としても宜しく頼む」

「………あー、うん。成程。いや成程じゃなくて。そもそもお前高校生って年じゃ―」

「十六歳だ」

「いやお前確かよんひゃ―」

「十六だ」

「よ―」

「じゅうろく」

 灰の剣士の圧に負け、渋々言葉を飲み込む。学ぶ事に齢など関係はありません、と主張する九十九の乙女をそっと静かに聞き流し、僕は一つの結論に行き着いた。

「…ラン、パス」

 ―え、私!?なになに、何があったの!?―

「考えるの疲れた。空の相手よろしくー…」

 ―嘘、凪ってば力尽きてる!?まったく、仕方ないなぁ」

 投げやり。我ながら全く持って酷い発想である。けれど僕はカウンセリング室に拘束されて疲れているのだ、もう頭を回す気力も無い。折角僕の中には『彼女』がいるのだから、負担くらい分け合ってもバチは当たらないだろう。

「…貴女は、確か」

「やっほー、探女戦線の打ち上げ以来かな?改めて、私はラン。凪の心を糧として生まれた言霊ことだま、色々あったけどよろしくね、空」

 紫の髪と瞳を翡翠に染めて『私』は笑う。ランは僕の心に憑いた霊体の妖、時折こうして僕の身体を借りておもてに出ている。先の戦線を越えた今、少しの時間であれば身体を借りずとも実体を保てるようになったらしいけれど、やはりこうして憑いている時の方が安定するそうだ。

「それで、凪が空に聞きたかった事なんだけど。どうして君は千羽高校に編入してきたの?」

「…それは」

 翡翠の少女は九十九の剣士をじっと見据える。北条院 空、彼女とは僕が物心付いた時からの付き合いだ。友人として、剣を学ぶ先生として、そして未来の従者として、彼女には幼い頃から面倒を見てもらっていた。結局は僕に剣は向いていなかったし、主従の関係も僕から断ったけれど、それでも彼女が友人である事に変わりはない。本当ならば彼女と共に此処で学べる事は大歓迎、なんだけど。

「………ラン殿。もしや、凪殿は怒っているのだろうか」

「今は大丈夫。空が余計な事言わなければ怒らないと思うよ」

「相変わらず手厳しいな、彼は。一言口を滑らせるだけで首が飛びそうだ」

 ―空は僕を何だと思ってるんだ―

 別に首を飛ばすつもりは無いけれど、聞きたくない言葉があることもまた事実。もし空が『凪殿の護衛として此処に来た』なんて口にした途端、僕は瞬時に踵を返す。彼女と対等でいられないならば、彼女と交わす言葉は無い。

「黒羽くんって、空ちゃんの事ニガテなの?」

「苦手っていうか距離感掴みにくいんだって。空は凪に忠を誓ったらしいけど、凪は主従とかそういう関係は苦手だって」

「…そういや俺の時も言ってたな。対等の立場を望むだとか何だとか。まァ誰かを従えるって柄じゃ無ェか」

 佑介の言葉に心の中で頷く。僕は主従だとか上下関係だとかははっきり言って苦手だ。無論、喫茶の仕事で店主マスターの指示を無視するだとかそういう事はしないけれど、誰かの上に立つ事も誰かの下で仕える事も向いていない。そもそも役割や責任を背負い込みやすい気質故、役割に押し込まれる事が苦手というか。

 ―鴉の霊山って同年代の子とかいなかったし、対等な友達が貴重だったのもあるけどね。友人って呼べるような関係も、有希以外には高校に入るまで出来なかったし―

「…えーっと、話戻して大丈夫?」

「あぁ、すまない。私が編入した理由だったか。理由といっても複数あるのだが…」

 そこまで言って、空は此方を不安そうに見遣る。大丈夫、とランの応えを受け、こほんと咳払いして言葉を続けた。

「…有希殿の依頼でな。退魔の本家の方で妙な動きがあるらしく、先手を打って妖側の戦力を固めるのが一つ。何かあった時の為の戦力増強、という事らしい。それが一つ」

 成程、とランの内で呟く。退魔士側の事情は僕の与り知らぬところだが、先の戦線で内部が慌ただしくなる事くらいは理解出来る。戦線で千羽が疲弊している事もあり、良からぬことを企む退魔士の発生も考えられるのならば、予め学内の空の手配は理に適っているといえるだろう。

「…へぇ。空さんは随分と羽生先輩を信頼してるんスね」

「貴様は…確か伊田 千春と言ったか。何か不満でも?」

「別に。千羽組の末端の妖には何の権限もありませんから。けど、退魔士対策の提案を退魔士からされた、っていうのが引っ掛かるッス。正直信用できないスよ」

「千春さん」

「…いいのだ、響殿」

 焔のイタチのあからさまな警戒姿勢を咎めようとする稲妻の姫、警戒は当然の事だと擁護する九十九の剣士。探女戦線でこそ共に戦ったが空は嘗ての敵であり、探女の下を離れたと言っても千羽の軍に所属した訳では無い。同様にサグメの軍を裏切った佑介は名目上こそ千羽の軍を纏める響の預かりだが、空はあくまで凪の預かり。あの赤鬼と違って未だ信用を築けていないのが現状だ。加えて空に提言したのも部外者、となれば当然の反応だろう。

「なーぎー、頭回すなら自分で話聞いてよー…」

 ―だから僕は疲れてるんだって。お前に刺されて休んでた分の補習纏めて受けさせられてしんどいんだから。…それとも何?大元を辿ればランのせいだって云うのに、お前はそれを棚に上げて糾弾するのか?―

「………まぁ、羽生さんの言い分も理には適ってるか。…それで、他には?」

 心の中で不貞腐れながら会話の軌道修正に乗り出すラン。とはいえ先程述べた理由が割合の多数を占める事は判っている。そして同時に他の少数を占める理由も大方の検討は付く。空の性格だから本来は其処に主従だとか何だとかの理由が入るのだろうけど、僕だって変な意地を張り続ける理由は無い。そうだとしても、僕は彼女の意志を尊重するだけ―

「単に高校というものに興味があった。以上だ」

「………はぇっ?」

 ふと、ランの口から―否、僕の口から腑抜けた声が漏れる。え、何。空が誰かの頼みだとか忠義だとかじゃなくて、僕を護る為だとかでもなくて、ただ自分の興味の為で。つまり僕の思い過ごし?全部理解してる風に振る舞った癖に、結局ぜーんぶ的外れだったってこと?

 ―ぷっ、あはははは!なに、凪ってば自惚うぬぼれてたの?空に護ってもらえるって思ってたの?あー可愛いー。んで幼稚ー―

「だよねー!空ちゃんだって青春したいよねー!」

「主従は苦手だーとか言っときながら一番気にしてるのテメェだってよ。残念だったな雛鴉」

「前から思ってたんスけど、凪さんて変なトコロで抜けてますよねー」

 無情に掛けられる言葉に顔が熱くなる。壊れた筈の心が蒸気を噴き出す。焦燥と羞恥とその他諸々の言語化し難い感情が、心の余裕を塗り潰す。駄目だ駄目だ、こんな時だからこそ平静を装わないと。演技も化かすのも得意分野だ、どうと言う事はない。

「…まぁ、そんな気もしてたけど。という責め立て過ぎだろお前ら」

「だ、大丈夫ですよまとい様―じゃなくて凪殿、恥じる事など何もありません。だから泣かなくても」

「いや恥じてないし泣いてないし何それ追い討ち?」

「そうですよ大丈夫ですよ!格好付けた挙げ句空回りして顔赤くして取り繕おうとしてる凪くんも可愛いですから何の問題も無いですから!」

「ぴぇ」

「響ちゃん、それトドメ」

「えっ」

 九月、戦線を終えてのリスタート。このドタバタさえ日常と呼ぶのなら、半妖が求めた平穏と言うのなら。

「…ふふっ」

「…どうしたんスか、空さん」

「良い友人に恵まれたのだな、あの方は」


 再始動の心の音、騒がしい程に高らかに。

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