二一話 赤鬼、帰郷

 京都府は丹後たんごに聳える大江おおえの山。与謝野よさの町、福知山ふくちやま市、宮津みやづ市を跨ぐ連山には、鬼が住むと伝えられた。

 ―即ち魔境。其処に住まうは多くの鬼の盗賊、そして鬼の首領たる酒呑童子しゅてんどうじ。かの源頼光、そして頼光四天王と向き合ったとされる伝説の鬼。その名の通り酒好きとして語られるが、恐るべきはその生命力。一説には水神たる八岐大蛇ヤマタノオロチの血を継ぐとされる彼は、毒酒を振る舞われ首を刎ねられてなお頼光を喰い殺さんと兜を噛み砕いたとされる。

「…そんな凄い鬼が、佑介ゆうすけのご先祖様なの?」

「あの馬鹿親父はそう宣ってるが実際血が繋がってんのかは知らねェ。けど俺の故郷も大江山だ、無関係だとは言い切れんだろ」

 揺れる夜行バスの中、京都の観光案内を見ながら紅髪の青年、鬼島おにじま 佑介はぶっきらぼうに口にする。外は夜明け、同乗するは僕一人。貸し切り状態の車内で、佑介の横でうーんと伸びをする。

「…にしても、なぎ。お前がわざわざ俺の里帰りに付き添う必要は無ェんだぞ。見境無ェ鬼もいるからな」

「何を今更。僕はお前に随分と無理言ったんだ、最後の最後まで付き添うさ」

 ついでに観光もしたいし、なんて付け加えて微笑んで。荷物の詰まった佑介の鞄を指でなぞりながら、窓の外を静かに見遣る。葉月の空は、嫌になるくらいに澄んでいて。

「…ほら、もうすぐ着くよ」




 ―事の発端は、少し前の探女戦線―否、四月のあの日まで遡る。当時は天探女の軍の密偵だった佑介は、入学式の翌日に僕と会敵。僕は佑介をなんとか打ち倒し、未知なる敵について問い質そうとした。当然、密偵であるからには口を割る保証なんて無かったから、拷問と治療を繰り返して口を割らせるつもりだった。…けれど。

『…確かに、俺は千羽の妖に従うつもりは無い。…だが、サグメの下に居続けるつもりも俺には無ェよ』

『…はぇっ?どういう事?』

『黒羽。お前になら従う。上の命令は聞くつもりは無いが、お前からの命令なら聞いてやるって事だ』

 …佑介は、裏切るという選択をした。後から知った事だが彼の故郷は天探女に支配され、大江の鬼の一族は半ば彼女から脅される形で動いていたらしい。佑介は特にサグメのやり方に―そしてサグメに騙され大江の鬼を危険に晒す父親に嫌気が差して離反の道を選んだのだ。

『ううん。…僕は佑介の上には立たない。僕は佑介と対等の立場を望む。つまり…仲間だ。それでいいね?』

 だから、僕も佑介の意思を汲み取った。彼を使うだけの上下の関係では無く、背を預け合う対等の関係として。こうして僕と佑介は共に天探女を打ち倒す為、互いに手を取り合ったのだ。


 ―けれど、その関係ももうすぐ終わる。先日、僕達は遂に天探女の軍を討ち果たした。そして千羽は―僕は戦利品として佑介の故郷、即ち大江山の鬼の里をサグメの支配から解放させた。

 …つまり、共に戦う関係性はもう終わり。佑介は大荷物を抱えて平和になった故郷―大江の山に帰る。僕は戦後の鬼の里の監査を名目として佑介を送り届ける。それで僕達の戦いは本当に終わる。


 …もう、お別れなんだ。




 麓に到着したバスを降り、二人で山中をてくてく歩く。佑介は両手いっぱいの大荷物を抱えて、僕はボストンバッグを両手で抱えてくてく歩く。目的地は山の中の鬼の里、秘境を目指すが故に道なき道をてくてく歩く。てくてく、さくさく。道を踏む音を落ち葉を踏む音に変えながら、佑介の案内で歩みを進める。

「…はぇ…はぇ…思ったよりキッツいかも…」

「体力無いかよ雛鴉。その荷物も持ってやろうか?」

「るっさい莫迦鬼。お前と比べたら誰でも非力になるに決まってるだろ。というかこのボストン何入ってるんだ…」

「あァ、そりゃ千羽軍からの褒賞だな。戦線の手当がどうたらこうたらで現ナマが五百万と蔵の中の貴金属押し付けられちまった」

「なるほど不用品だね要らない物だね『まとい空爪くうそう〉』!」

「やめろや鳥頭」

 佑介に制止され、仕方無く荷物を持ち直す。成程、即ち響の家からのお金らしい。佑介も千羽の側に立って戦ったのだ、褒賞を貰うのは当然と言えば当然だ。とはいえ響の家―任侠組織ヤクザの金を運ばされていると聞いた途端に無償に処分したくなってくる。『ちゃんと洗ったお金です!』って抗議の声が聞こえてくる気がするがそういう問題じゃない。

「というかテメェも貰うモン貰ってんだろ。何せサグメをぶっ飛ばした英雄サマだ、少なくとも俺以上は懐入ってんじゃねェのか」

「まぁ貰ったけど殆ど返したから手元に置いたのは三万くらいだよ。それも高級珈琲豆に持ってかれて底付いたけど」

「…何の豆買ったらそんなに持ってかれるんだよ。アレか、テメェが散々飲みたいっつってたネコ何たらってアレか」

「ネコじゃなくてコピだよ、コピ・ルアク。グラムで万単位の値段張るんだよ、アレ…。豆屋にも滅多に入らないし店頭に並んだ時に限って金欠で今回ようやく手に入ったんだ。コクと酸味が良いんだけど、曰く焙煎豆のままでも美味しいらしくて。食べてみたらコレがあまりに美味しくてさ、恐ろしい速度で減ってく減ってく―」

「…えらく饒舌だな、お前…」

 佑介の声で我に返り、こほんと咳払い。別に機嫌が良いとかそういう訳では無いけれど、珈琲の話になるとつい口が軽くなってしまう。―もしくは、僕の心に変化があったが故か。色々と背負っていた荷物を下ろしてから、僕は少しだけ『わたし』に近くなった気がするような。

「…そういや、ランの奴は?お前の中で気ままにぐーすか寝てんのか」

「あぁ、ランは涼葉たちと遊んでるってさ。…僕はよく知らないけれど、あれから少しくらいなら単独行動出来るようになったみたい」

「…それは、またサグメの力借りてか」

「だから知らないって言ってるだろ。ランは僕じゃないんだ、深入りはしないさ」

 山を越える。越えて、越えて、越えて。過去を越えて、サグメとの戦も、ランとの確執も乗り越えてきた。決して興味も関心も無い訳ではないけれど、今の僕はラン個人として彼女を見ている。…多分、それ以上も以下も無い。ただそれだけ。

「…この話はおしまい。それより、一つ聞きたい事があるんだけど」

 話に区切りを付け、立ち止まって先を見つめる。そう、無駄話はこれでおしまい。瞳に映るは大きな鳥居と開けた大地、まだ八月だというのに紅葉に覆われた幻想の世界。そして、

「あ?何だ、聞きたい事って」

「…ほら、目の前のアレだよ」

 眼前には、僕達を出迎える鬼の群れ。巨躯を誇る凡そ十の山賊は、積もる落ち葉を踏みしめ睨む。

「兄者!ガキ共が金品持って歩いてますぜ!」

「鴨が葱を背負って来るとはこの事か!ボウズ、それ置いてけ!死にたくなけりゃあなァ!」

 悪漢のテンプレートのような発言に思わず溜息。なにあれ、と佑介の方に目線を向けると関わりたく無ェとアイコンタクトで返された。

「…どうするよ。大人しく荷物置いて迂回するか?」

「まさか。ぶっ飛ばして黙らせる方が早いだろ」




 佑介の帰郷に際し、彼の父親―大江の鬼を束ねる族長である鬼島 信家のぶいえには事前に連絡を入れていた。厳密には鬼の里の監査に出向く件での連絡だが、その際に佑介の帰郷の旨も伝えたのだ。その際の族長はただ一言、了解したと。ただ、その声色には息子を憂うような感情が混ざっていた…ように思う。

「…でも、それとこれとは別か」

 辿り着いた佑介の実家。その門の前で、背負っていた荷物をずんと地面に叩き付ける。ノック代わりに打ち鳴らす地響きで、古民家の家主を乱暴に呼び出そうとする。

「なんだ、なんの音だ―」

 そして、目論見通り信家は顔を出し、そして驚愕した。彼の目に映ったのは僕と佑介、そして玄関に積まれた賊だったモノの山。容易く蹴散らして運んでしたそれに腰掛けて、佑介は面倒そうに口を開く。

「…ったく、相変わらず治安死んでんな、此処。テメェも族長なら纏める努力くらいしろよ、親父」

「どうもー、酒呑童子しゅてんどうじを名乗る佑介の親父さん。監査役の黒羽ですっ」

 唖然とする鬼の族長に対し、手を拭いながら威圧の目を向ける。態度から察するに彼が賊を差し向けた訳では無さそうだが、仮にも天探女軍の元幹部。気を許すつもりは毛頭無い。

「…ごほん。手間を掛けたな、佑介。…黒羽様も、ご足労頂きありがとうございます。丁重な持てなしは出来ませんが、どうぞごゆるりと」

「あぁ、僕は里を見て回ったらさっさと帰るのでご安心を。…佑介、積もる話もあるんでしょ?」

「…そうだな。そんじゃ、後でな」

「…うん、後で、ね」

 手荷物の財宝だけ佑介に預け、手を振りながら背を向ける。何か話し込むなら邪魔者はいない方がいい、そう結論付けてその場を去る。刻一刻と迫る別れの時から目を逸らすように、季節外れの紅葉狩りへと赴いた。




「あ、佑介い、お帰り!待ってて、今お茶淹れるから―」

「…後にしてくれ、夕陽ゆうひ。クソ親父との話が済んでからだと助かる」

「…う、うん…。喧嘩すんなよー…」

 何かを察した様子で引き下がる妹を見届け、居間には俺と親父の二人だけ。凪の奴も同席するものかと思っていたが、監査だなんだと言ってふらっと居なくなった。アイツなりに気を遣ったのかもしれないが、出会った時から何を考えてるのかよく分からない奴だ。気にする方が無駄というものだろう。

「…佑介。その、今まで迷惑を掛けてすまなかった」

「別に謝れとは言ってねェし謝られたところで許すつもりも無ェ。俺が今問い詰めたいのは別の事だ」

「…それは、お前の母親の事か」

 親父の言葉に無言で返す。そう、知るべきは俺に流れるこの血の事だ。

『二度も言わせるな!混ざったお前では、私に勝てるものか!』

 ―天探女との戦争で、立ち塞がったクソ親父が激昂混じりに放った言葉。俺の事を誇り高き赤鬼だと宣っていたあの親父が、俺を純粋な鬼ではないと言い放った。

 確かに俺は、容姿に関しては他の鬼とは少し違う。肌は親父や他の赤鬼のような赤では無いし、身の丈だって他の鬼に劣る。普段から人間に化けているのかと幼い頃から馬鹿にされてきたが、俺はさして気にしてはこなかった。

 ―居間に飾られた写真を見る。さして見た目の変わらない親父とまだ一歳の頃の俺と生まれたばかりの妹、そしてカメラ目線で笑う母。赤髪で色白、俺と同じで傍から見れば人間と変わらない容姿の母だが、彼女も誇り高き鬼だったと教えられてきた。―早くに亡くなったせいで記憶の母は朧げだが、優しい母だったと親父は何度も言っていた。

「…そうだな。お前の母は、史帆しほは鬼では無い。彼女はさとり、心を見透かす妖だった」

「まぁ、そんなとこだろうとは思ってた。俺も全部とはいかねェが感情自体は読めるからな」

「…驚かないんだな」

 苦笑する親父に冷たい視線を送る。赤鬼は欲望を喰らう妖、自らや他者の感情を喰らって力に変える。親父のような実力者は加えて他者に感情を植え付ける事さえ可能だと聞いていたが、心が読めるなんて話は聞いた事が無かった。とはいえ心を喰らう妖なのだからそういった事も可能だと思っていたが、どうやらその妖力チカラは赤鬼由来のモノでは無いらしい。

「…まぁ、俺に覚の血が流れてるって事は気にしちゃ無ェよ。俺が問い詰めたいのは、何でそれを今まで黙ってんだって事だ。…混血の俺を恥じたからっつったらぶん殴る」

 声に徐々に怒気を孕ませる。当然、さっきも言った通り俺は感情が読める。それはクソ親父の心の内でさえも同じ。口では何と言おうとも、其処に後ろめたい感情があるという事実は隠せない。嫌悪と殺気を向けながら放った言葉は、居間の空気を重くする。

「…それは」

「いや、やっぱりいいわ。どうせ族長様にとっては子供は純血の方が都合がいいもんなァ?」

「違う!私は、お前達の事を―」

「違わねェだろ。テメェの選択はいつだって保身だもんな。俺がサグメの嘘に気付いた時だって、テメェは我が身可愛さに俺を信じなかったしよ」

「ならば天探女に逆らえば良かったとでも!?後からならばどうとでも言えるが、あの時は―」

「別にその決断が正しかったかどうかなんて聞かねェよ。だが選択には結果が伴うんだ、こうするしか無かったで言い訳出来ると思うなよ」

 自分の声は珍しく冷静だった。何をどう繕ったところで過去も結果も変わらない。アイツは俺の血筋を隠し、サグメの奴に此処が襲われた時だって俺よりサグメの言葉を信じた。家族の安全の保証の話は無かった事になり、俺は密偵としてアイツの軍にこき使われた。妹の夕陽だって、羽生先輩によれば給仕として軍に仕えていたという。俺が親父を軽蔑するには十分過ぎる理由が揃っていた。

「…すまない、感情的になってしまった」

「気にすんな、ソレがテメェの本性って事だろ。俺がテメェを軽蔑してる事には変わんねェから安心しろ、クソ親父」

 吐き捨て、そっと荷物を持って立ち上がる。居間の向こうから恐る恐る覗く夕陽の方に一瞬だけ視線を向け、運んできた荷物を肩に担いだ。

「そんじゃ、話はこのくらいで。ソコに金置いとくから、夕陽やここの奴等に使ってやってくれ。俺は凪の奴呼んでくるわ」

「…あぁ、判った」

 兄い、と呼ぶ夕陽に手を振って一旦外に出る。そして少し、ほんの少しだけ家の中から聞こえてくる会話に耳を傾けた。

「…親父、ゆっくり解決してこ?佑介兄いも帰ってきたし、時間掛けてゆっくりな」

「…そうだな。また三人で暮らせるんだ、きっと大丈夫だ」


「…そうか、帰る、か」




「…あ、佑介。お話、出来た?」

 凪が居たのは里の墓地だった。鬼島家と書かれた墓石の前で、アイツは静かに手を合わせていた。

「…まァ、聞くことだけ聞いて建設的な会話はしてねェけどな。それよりも、ここ」

「…適当にふらついてたら此処に来てさ。折角だから佑介は元気に頑張ってたよって、伝えようかなって」

 此処は静かでいいね、と柔らかく微笑む鴉の半妖。相変わらずコイツだけは何を考えているか分からない。心の内を見透かそうとしても前はランの奴が邪魔で見えなかった。そしてランが不在の今でさえも、割れた鏡みたいにヒビだらけで何も見えない。

「…って、そういう事は本人から伝えた方がいいか。僕が手合わせてたら、お前は佑介のなんなんだーってどやされそう」

「…はぁ。やっぱお前といると気楽だわ」

「…はぇっ?僕、何か腑抜けた事でも言ったか…?」

「腑抜けてるのはいつもの事だろ雛鴉」

「酷くないか!?」

 抗議の声を華麗に聞き流す。前言撤回、凪は心を見透かせないだけで存外分かりやすい。捻くれていたり自分一人で考え込んだりその考えを共有しなかったりと面倒臭い性格の癖に、為すべき事を見据えているせいで行動理念はかなり愚直。多くの矛盾を内包しながらも前を向くアイツだからこそ、他人の裏が見えてしまう俺は、きっと。

「…そうだ、凪。お前もウチの家族も勘違いしてるみたいだが」

「…ん?勘違いって、何?」

「俺、今日は顔出しに来ただけだぞ。別に千羽引き払ったワケじゃねェからな」

「………は?」


 ―コイツになら、背中を預けられる。




「…というか、何で千羽引き払ったと勘違いしたんだ」

「うるさい莫迦鬼。怒ってるからな、僕」

「何でイラついてんだよ。…もしかして、寂しくなったとか―」

「はぁ!?」

「…図星かよ」

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