一七話 探女戦線・弐 悪鬼羅刹、酒呑ト閻魔
『問おう。何故、進軍が進まぬ』
天探女軍、本陣。威圧的な女の声が、三人の将に向けられた。
「…申し訳ありません、天探女様。境界線に障壁を造られ、加えてあの半妖に一陣がほぼ壊滅させられ―」
「赤鬼の将よ、貴様も出向いたのであろう?ならばあの氷壁程度、一撃で砕ける筈じゃが」
「狸よ、貴様の目は節穴か?あの氷、綿が混じっている。我の一撃さえ抑える綿が」
土蜘蛛の将は吐き捨てる。その言葉には怒気とも殺気とも取れる感情が混ざり、周囲に畏怖を撒き散らす。
「…綿、日辻の退魔士ですね。赤鬼様―
「どの口がほざく!
「だから先程も言ったでしょう。かの半妖に手を出すな、とは天探女様とランさんとの間で交わされた約定です。私達が勝手に破っていいものでは無い筈」
噛み付く鬼にローブの乙女は強かに返す。狸の将による四月の千羽強襲の際、彼に付き従ったとされる退魔の軍師。その素性には疑が残っているのが現状である。しかし、彼女の指示や立案が的確である事もまた事実。幕の奥に控える鬼神を前に、軍師と将は火花を散らす。
『やめぬか』
再び震える天幕の気。一瞥で全を黙らせた鬼神の声は、ただひたすらに冷たいもので。その在り方は正しく冷徹、冷酷と云う言葉が相応しい。
『軍師よ、我の意向に基いての行動と云うなら咎めはせぬ。ただし、次からは我等が軍を優先しろ』
「―承知致しました、女神様」
『…信家、貴様も判れ。我は千羽を獲る為に手段を選ばぬ。…給仕の
「はっ、最善を尽くします」
―天探女。彼女の統率者としての才覚は最優と呼べるだろう。否、堕ちても女神なのだから信仰を集めるのは当然と言えば当然なのだが、率いる者が持つべき物を持ち合わせている。俗にカリスマ性と呼ばれるものだ。それも弱肉強食が主とされる妖の世界では判りやすい、純粋な力による統率。流石と讃えるべきか、あるいは―
「…確かに彼女は最強と呼べるのかも。白部の幹部もそこの
―力を正義と呼ぶなんて、莫迦じゃないのと罵るべきか。
「…さて、私もやる事やらないと」
八月十三日、午前五時〇〇分。日の出と共に、天探女軍は一度自軍に帰還した。やはり妖、本格的な活動期間は夜間らしい。日中は態勢を整え、夜間に攻め入る。妖としては定石というか、兵の運用は雑な割に流れだけはしっかりしていると言うべきか。
「日中の防衛は退魔士の皆様にお願いします、根住さん」
「任された。夜間は任せるから、そのつもりで」
結局のところ、退魔士と妖の関係性は良好では無い。故に連携も期待出来ず、日中は根住率いる退魔士隊が、夜間は響の率いる白部の軍が敵軍への対応に当たる。その役割分担を決める事が精一杯であった。
「…さて、皆様。お疲れ様でした。無事で何より…と言っていいんでしょうか、コレ」
「まぁ中毒症状起こしてないから大丈夫、だと思うのだけれど。…ほら、起きなさい」
言って、眠った水鈴の頬をぺしぺしと叩く。ぺしぺし、ぺしぺし。着ぐるみ着用のまま眠る少女の頬は、気抜けした音を立てる。
「むにゃ…あと、ごふ」
「言ってる場合か」
「ふにゃっ!?」
ぺしーん。半覚醒の意識を一気に覚醒状態まで引き摺り出す。頬の痛みに飛び起きる水鈴の様子に、思わず嘆息が漏れ出てしまう。
「は、羽生センパイ!?寝てない、寝てないから!」
「あら、言い訳出来る程には元気なのね。…良かった」
探女戦線、一日目。清々しい朝日とは裏腹に、心は未だ重く。
「それでは、頂きます」
『いただきます』
眼前に並べられる米に焼魚、そして味噌汁。千羽軍の本拠地となる白部邸、その広間で朝食を摂る。激しい戦闘で疲弊した身体に食べ物なんて入らない、なんて泣き言は無し。餅や雑穀では無くゼリー飲料とエネルギー食品で済ませる戦士の食事というのもどうかとは思うが、現代文明に頼るべき所は頼るべきだと思う。…いや、食べるけど。食べるのだけど。
「…食いモンについては安定してるよな、此処」
「腹が減っては戦は出来ぬ、と云うでしょう?戦時であろうと困窮なんてさせませんよ」
自信満々に語る響に佑介は目を丸くする。確かに千羽町は土壌や湧水に恵まれ、農作や畜産で栄えた土地だ。聞いた話では巨大な食糧庫に尽きぬ程を備えているとか。まるで要塞都市―いや、実質そう呼んで差し支えは無いか。
「…ところで羽生センパイ。ナギナギは」
「まだ寝てるわよ。あの子の
「劣悪て」
残念ながら否定は出来ない。鴉天狗の半妖たる纏―訂正。黒羽 凪は保持する妖力量でも劣る。喩えるならば一瞬の速度の為に燃料タンクを削ったレーシングカート。長時間の稼働は不得手であり、補う為の創意工夫が求められる。同様に強力な妖力を持ち合わせながらも
「…ともかく、現状は決して良くは無いわよ。兵の総数でも不利な上に、障壁越えられた時に対応出来ない。今は少数の土蜘蛛放り投げられるだけで済んでるけれど、それがなだれ込んだら」
「でもでもぉ、それは有希の魔眼で何とかなるんじゃあ」
「…討滅なら可能よ。けれど、被害ゼロは流石に保証出来ない。私達が為すべきはあくまで町の防衛、それを忘れないように。…しないと、なんだけど」
眼鏡越しの瞳が静かに揺れる。そうだ、果たすべきはこの町を護る事。サグメ軍の兵を退け撤退に追い込む、もしくは打ち倒して戦そのものを終わらせるのが
とはいえ、相手は神話に語られる堕ちたる鬼神。もし彼女が本当にかの天探女なら、彼女の持つ妖力が情報の通りならば勝ちの目は殆ど無い。皆無だとは言わないが、勝利の保障なんてものは出来そうにない。
「まァあの嘘付き女ははっきり言って無敵だわな。せめて一撃、アイツの顔面に叩き込んでやりてェんだが、少なくとも俺一人じゃ無理だ」
―判っている。現に彼の故郷、京都にある鬼の郷は為す術もなく天探女に支配された。身命を賭してなお届かない相手。真に生き残りたいならば降伏というのが最善であろう。それでも、何もしないなんて選択肢は最初から存在しない。
「…そう。ところで一つ、聞きたい事があるのだけど。あの赤鬼の将―鬼島君、君の父親について」
故に足掻く。奴等の鼻を明かす為に、多くを守り救う為に。喩え相手が神であろうとも、為すべき事は変わらない。
「鬼島君、君の父親は私達の敵。…覚悟はあるの?」
―例え、その果てに或るのが自壊だとしても、友を道連れにしようとも。
『…えー、てすてす。此方、千羽軍退魔士本部、医療班の
「此方は相馬、氷壁聳える九十九川で睨み合いが続いている。多くの妖の活動時間は夜であるから、当然といえば当然だが」
『了解。とはいえ奇襲の可能性も多いにあります。警戒を怠らぬよう』
スマートフォンからの声に頷き、そっと通話を切る。相馬と呼ばれた半人半馬―ギリシャの神話に語られるケンタウロスの如き風貌の青年は、背に少女を載せて氷の壁を見据えていた。
「相馬くん…?どうして私まで此処にいるんですかぁ…」
「予知能力があるのだから当然だろう。俺達は何かあった時の対処、伝令共に適正がある。
「相馬くんそういう事言うよね…。いくらなんでも合理主義過ぎるでしょ…」
彼の背に乗るツインテールの少女は溜息を零す。〈半人半馬〉の魔力を持つ相馬
「とはいえ、天探女の軍に動きは見えない。やはり動くのは夜か―」
「―いいや、すぐ備えた方がいいよ。遅くても十分以内に防衛を固めるべき」
刹那、卯野は淡々と口にした。彼女の視界に映ったのは相馬の背でも氷の壁でもない。眼前に迫る命の危機、高精度の未来予測。即ち、見るに耐えない地獄絵図。
「…まさか、このタイミングで」
「あぁもぉ最悪…!相馬くん、牛若先輩に電話繋いで…!」
言い終える前に人馬の青年は携帯を手に。手早く掛けるコール音が一回、二回、三回。しかし応答の声は無く、四回、五回、六回。
『只今、留守にしております。ピーっという音が鳴りましたら、お名前とご用件を―』
―結果、返ってきたのは自動音声。鳴り終わる前に携帯を閉じる青年の手は、静かに震えていた。
「嘘でしょ…!?こんな時に何やってるの牛若先輩は…!」
「きっと副会長の身に何かがあったのだ。卯野、日辻に繋いでくれ」
「分かってますけど…!私の方が相馬君より先輩なの忘れないで欲しい…!」
『プルルル。プルルル。プルル―』
「あー、もしもーし。もこもこふわふわの日辻さんだよぉー」
『日辻くん、気抜けしてる場合…!?此方は卯野、敵襲を予知…!あと医療班の牛若先輩と連絡が取れないの…!』
「…卯野先輩、今からスピーカーにします。詳細を」
気抜けして電話を取った日辻の声が険しくなる。朝食を終えた白部邸の面々に聞こえるようにスマートフォンを机に置き、最大音量に設定して言葉を待つ。
『…私の予知の内容を伝えます。境界を守る氷壁の破壊と傀儡の如き多数の兵、そしてそれを率いる赤肌の妖。…医療班の状況は不明ですので、疾く対応を』
通話の内容は、決して驚くような内容では無かった。相手が相手なのだ、いつか涼葉と日辻の障壁を越えられる事くらいは予見出来ていた。だからそれに応じて再び出陣し、敵の群れを打ち払う。流れも全て想定内、戦であるからには当然だ。
―けれど、否、だからこそ、彼が声を上げた事は想定外だった。
「―お前、今何て言ッた」
スマートフォンに放たれたのは佑介の声。スピーカーの報告を受けた彼は淡々と、静かに怒りを抱えて言い放った。
『…え?あの、どちら様…?』
「何て言ったかって訊いてんだ!誰がっ!何をっ!率いてんだって訊いてんだよ!」
そして怒りは爆発する。怒鳴る鬼の声は空気を震わせ、土地を揺らし、耳鳴りさえ伴い。殺気と呼ぶべき感情に満ちた轟音は、通話画面の向こう側さえ震撼させた。
『ひいっ!?…違うんです違うんです、いや違いませんけど…!だから、赤肌が率いてる兵の様子がおかしいんですよ…!私の予知なのでこの目で見たワケじゃないんですけど、覇気が無いというか、何というか…喩えるなら、感情の無い機械のような―』
怯える卯野の声に、何処か納得した様子の佑介。要点を得ぬ彼女の発言に未だ疑問符を浮かべる周囲を余所に、彼は再び口を開いた。
「―判った、俺が出る。ソッチに範囲制圧出来る奴は」
『
「了解。それじゃ、暫く保たせてくれ。…そういう事らしい。出れる人は出てくれると助かる」
スマートフォンを置いた日辻の声は重かった。普段の気抜けした様子とは掛け離れた雰囲気が、今の状況を簡潔に伝えている。こういう時に頼りになるのは、流石は拾弐本家の退魔士と言うべきか。
「卯野って奴の方には俺と…千春、お前の力も必要だ。着いてこい」
「わ、分かりました!響さん達は―」
「私は涼葉さん、水鈴さんと拠点の防衛を」
「了解。私はそこなモコモコと医療班に向かうから。…牛若が気に食わないのは事実だけど、言ってる場合じゃ無いものね」
「…決まったな。それじゃ、行くぞ!」
白部邸を出てすぐに飛び込んできたのは、響く剣戟の音、加えて飛び散る鮮血。蠢く甲冑と蜘蛛の群れに、遠くに見遣る黒煙と。町を練り歩く敵、敵、敵。五感を突く戦の気配は、すぐ近くまで迫っていた。
「アイツら、もうこんな所まで…。卯野先輩と相馬じゃ流石に止められはしないかぁ…。」
「…鬼島君は早く行ってあげて。私は此処で食い止めるから」
「…任せた。無理すんなよ」
―現実というのは、いつもいつも残酷だ。正義の為と人が死ぬ。未来の為と妖も死ぬ。取って付けた建前で、必要な犠牲が増えていく。悪も善と呼べば善。善も悪と呼べば悪。行動の善悪なんてものは、立場と名目でころころ変わる。
『果タセ。果タセ。我等ノ正義ヲ掲ゲ征ケ』
「…正義、正義か。信じられる物があるのは悪くは無い。…けれど」
―だからこそ、わたしは正義を嫌った。謳う正義に中身など無く、仲間を鼓舞する
刹那、乙女は駆け抜けた。風に靡く焦茶の髪、雲影に溶け入るセーラー服。鋭い視線の向く先は、討ち倒すべき敵の群れ。
「センパイ!?」
「―それを正義と呼ぶのなら、虚言の正義で潰してやる」
振るう腕に
「総員、構エ―」
今更気付いた所でもう遅い。頭数が二十、三十。その程度、乙女にとっては塵芥も同然である。妖力纏いし手車は、鉄の群れさえ薙ぎ払う。
―輪環を描画く手車の軌道。
「―ぶっ放せ、『
轟音と共に割る大地、阿鼻叫喚と共に吹き飛ぶ雑兵。土煙の中に降り立つ影は、鉄屑を無慈悲に見下ろした。
その一撃、星より重く。天体衝突の如きクレーターを残し、少女は戦場に降り立った。
「よしっ、拓けた!防衛組、後はよろしく!」
「任されました!…私達も続きますよ、涼葉さん!」
「オーケー、響ちゃん!せーので、合わせて!」
―予てより、千羽は不落の町として知られていた。千羽の主は雷を降らせ、その従者は雪を吹雪かせる。暴風齎す鴉は滅べど、未だ嵐は止むこと無く。全盛の千羽を知る者曰く、その町を敵に回すと云うことは。
「「―
―阿鼻叫喚と共に鳴る轟雷、進軍阻む猛吹雪。地面さえも凍らせた箇所に、落雷は構わず降り注ぐ。災害と呼ぶに相応しい、余りにも向かい風の空模様。兵の群れが撤退を決めるまでに、然程時間は掛からなかった。
『鬼島君、君の父親は私達の敵。…覚悟はあるの?』
その問いに、首を横に振る事は無かった。鬼島 信家、
『すまない、佑介…この村は天探女様に支配される事になった。私は天探女様の下で働く事になるが…家族の安全は保証してくれるそうだ』
…何が安全だ、何が保証だ。現状を見てみろ、俺は結局お前等の密偵として働かされたぞ。死にたく無ければ役に立て、なんて脅し付きで。俺は虚言だと忠告したのに、お前が子供の我儘だと流した結果がこれだ。
―テメェをぶん殴ると決めた、俺の決断だ。
「…卯野、増援はまだか」
「知りませんよお!もう痺れ薬のストック無いですから早く逃げましょうよお!」
「増援が来るまで耐えると日辻と約束した。逃げる訳には」
未だ凍結した
「…不気味ッスね、これ。…ゾンビというか、機械みたいだというか」
「間違っちゃ無いわな。…感情を喰われたんだ、今のアイツらには恐れも何も無ェ。捻じ伏せるのが一番だ」
―そうだ、やるべき事は決まっている。食い止めて首魁をぶん殴る、それだけだ。俺が今まで千羽に居た理由は、今日の為なのだから。
「千春!言っとくが俺は範囲制圧は苦手だからな!アイツら炎にもビビらねェから死なねェ程度に燃やしとけ!」
「今サラッと無理難題押し付けられた!?」
言いながら、千春は黒塗りの双刃を構える。判っている、彼にとってそれは無理難題などでは無い。彼の備える妖力は〈加熱〉、只の炎熱よりもコントロールに優れる。無力化にはうってつけなのだ。
「…それじゃ、まとめて!『
不意討ちで敵の群れに放つ火炎。一人、また一人と伝染するように広がる火炎は、有無を言わさず敵を灼く。然して奴等に恐れは無く、標的を千春に定めて煉獄を征く。
「妖の…!ようやく来てくれた…!」
「テメェらはさっさと弓なり瓶なり補充してこい。雑魚掃除はコイツ一人で十分だ」
「まーた無茶振りするんですか!?」
「出来るんだろ、ごちゃごちゃ言うな。そら、行った行った」
頬を膨らませて抗議する千春を無視して、二人の退魔士を引き下がらせる。日辻曰く、彼等の魔力は対多数に向かないものだという。ならば共に戦線を守るのでは無く、適した場所に向かって貰う方が賢明だろう。
「…任せてもいいか、妖の」
「勿論ッス。…佑介さん、例の赤肌は任せますね」
応、と応え二人を見送る。千春の実力は先の虚空戦線で把握済み、この程度なら抑えられる。以前と違って限りがあるならば、露払いは造作無い筈だ。
「…さァ、来たぞクソ親父!隠れて無ェで出てこいや!」
―そう、邪魔者はあの
「…まさか、お前が出てくるとはな。佑介」
―その鬼は、氷の向こうから現れた。赤の肌に一本角、金棒持った大男。誰が見ても赤鬼と分かるような風貌が、勇猛に大地を踏みしめる。
「俺が出ないで誰が出るってんだ、クソ親父」
「…あの鴉に拐かされたか?アレは多くを殺した夜峰の―」
言い終える前に拳を放つ―が、それは巨大な掌に受け止められる。対話さえ拒むという意思表示は、そのまま地面に放り投げられた。
「がっ…」
「お前の一撃が私に届くと思うたか。
「…御先祖の名前勝手に名乗って威張ってんじゃねえよ。テメェ自信が弱ェからってなァ!」
吐き捨て、再び親父に向かった。一撃、二撃と振る拳。しかし、それらは全て金棒に阻まれる。踏み込んだ全力の一撃さえも、金属音が鳴るのみで。
「そんな拳、純然たる鬼には通じぬ!」
「俺だって鬼だ!届くに決まってンだろ!」
そうだ、届くに決まっている。俺は鬼だ、テメェの息子だ。そんな理由は通じる訳が無い、力なら俺だってテメェと互角か、それ以上―
「二度も言わせるな!混ざったお前では、私に勝てるものか!」
「―――ッ!?」
理解より先に、金棒が脳天に降り注ぐ。痛い、熱い、自分がぶっ倒れるのが分かる。そんな中でも、親父の言葉が頭を反芻する。今、親父は、何と宣った。
「…これで暫くは起きないだろう」
―やべェ、頭回らねェ…―
混ざった?まさか、半妖のアイツじゃあるまいし。俺は妖だ、人の血なんて混ざっちゃいねェ。親父も、母親も、妖で…―
―京都に聳える大江の山。其処に住まう赤鬼の血を受けて、その赤子は産まれ落ちた。
『…何だ、これは。本当に鬼の子か』
『確かに私の息子だ。ほら、ここに角があるだろう』
『然し、姿形は珍しいな。これではまるで』
人の子のようだ。耳に
『でも、実の息子は可愛いでしょ?ほら、髪の色とかぷにぷにの肌とか私そっくり!』
幸運な事に、愛情は深く注がれた。…とはいえ、母親は病気ですぐに亡くなった為に記憶は朧げだが。
『…しかし、見栄というのもの大事なのだよ、
『…むぅ。私、あなたの考えがよく分かんない。何でも分かる筈なのにねー?』
鋭い爪も牙も無く、角も髪で隠れる程に短いままで。身長も今なお六尺一寸と鬼としては小柄な躯体。族長の家に生まれた紅髪の鬼を、家族以外は誰も鬼とは認めなかった。
『佑介…お前は誇り高き赤鬼だ。私の…大切な跡継ぎだ』
自分に言い聞かせるように語る親父の姿は鮮明に憶えている。信じていると宣いながら不安を隠さない様子は、子供心ながらに苛立ちを覚えたものだ。
―臆病な親父だった。その結果、奴は強者に付き従った。
『…親父。アイツは俺達の事を騙してる。なのに、何で』
『佑介、お前はあの方の事が嫌いなのか』
『違う!分かるんだよ、俺には―』
『心配無い。お前も、夕陽も。きっと判ってくれる筈だ』
…なぁ、親父。今更その選択が正しかったかどうかなんて聞かねェ。けれど、その選択の報いは受けさせる。自分の息子を信じなかった、莫迦親父への一撃を。
「―そうだ、まだ殴ってねェ」
若き鬼は、静かに立った。血に塗れた赤髪を掻き上げ、斃すべき敵を見据える。その額の左からは、小さな角がひっそり覗く。
「…お前、まだ立つと言うのか…!?」
「…ったり前だろ。俺は赤鬼だ、欲の権化だ。テメェをぶん殴るまで満足出来ねェんだよ」
「…それが、叶わぬ事だと知ってもか」
巨躯の鬼に、ふてぶてしく笑った。口にするまでも無い、判りきった回答。確かに自分は未熟だが、それでも諦める訳には行かないのだ。この渇望を満たす為に、戦いに終止符を打つために。
「…ならば、仕方あるまい!」
怒号と共に振る鉄塊。親としての想いなど無く、敵として頭蓋を割ろうとしたその一撃。それは狙い通りに命中し―
「オラァ!」
バキン。佑介の短い角の一撃が、鉄の砕ける音を鳴らす。
「なっ!?そんな事が―!?」
「…俺にだって角はあるんだ。それと、テメェをぶっ飛ばす算段もなァ!」
吐き捨て、若き鬼は側の電柱を叩き折る。およそ六メートル程のコンクリート塊を、片手で握り親父に向ける。
「…知ってるよな?鬼の取り柄は馬鹿力なんだよ」
そして定め、投げ槍のように振り被る。全ては父親を超える、その一撃の為に。
「…行くぜ、オラァ!」
放たれた電柱は宙を舞い、彗星の如き勢いで親父の腹に直撃する。土蜘蛛のそれにも匹敵する一撃は、巨体を思いっきり吹き飛ばした。
「がっ…!?…なんの、これしき…!」
「まだ終わってねェよ。見ろよ、電線が繋がったままだぜ?」
「ま、まさか…!?」
彼の悪い予感は的中する。電線で繋がった電柱が引き寄せられ、連鎖的に降り注ぐ。絡まる電線とコンクリートの流星が、一撃二撃と襲い来る。
「ぐっ…、まさか、この私が…!?」
そして、揺らぐ鬼に向けて一気に距離を詰める。長らく縮まらなかった差はもう存在しない。ならば、やるべき事は唯一つ。この握った拳を、全力で振るうのみ。
「…テメェの負けだ、クソ親父。―喰らえ、『
―漸く届いたその拳。父を越えるその一撃は、思いを土地ごと打ち砕く。
『…信家君。佑介は凄いよ。嘘ついてるかどうか、ちゃんと分かってる』
『…あのだな、史帆。佑介はまだ一歳だ。そんなの判る訳無いだろう。確かに心を見透かす妖、
『…かもね。それでも、あなたの息子でもあるんだよ。赤鬼と覚、ちゃんと二人の血を継いでる』
『…嘘を見抜く鬼、か。それでは、さながら』
『…閻魔様、みたいだね。佑介』
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