探女戦線

一六話 探女戦線・壱 戦線、開始

「―はぁ!?あれから一ヶ月も経ってるの!?」

 思わず驚愕の声が出る。不安げに周囲を見渡すが、その現実を否定してくれる人間なんていなかった。否、そもそも全員人間ではないのだが。

「…まじかぁ。…ごめん、本当に、長いこと迷惑掛けた」

「黒羽くんが謝る事じゃないよー。―とりま、順を追って今のお話したほうがいいんじゃない?」

 涼葉の言葉に響は頷き、自分が倒れた後の話を聞く。天探女軍からの最後通告、もう八時間後に迫った開戦。…敵陣に、翡翠の少女がいることだとか。

「…成程。あの馬鹿、一人で動けたんだ?それとも、サグメの力借りたとか」

「…お前なぁ、いくら何でも身内の事くらい把握しとけっての。長ェ付き合いなんだろ?」

 呆れ果てた佑介の声。その発言の意図が読めず、首を傾げる。むぅと一頻り唸った後、一つの言葉が口を突いて出た。

「あのさぁ、佑介。そもそも僕とランは四月からの付き合いだからな。そんなに長い付き合いじゃない」

 途端、時が止まる感覚。重い空気と流れる沈黙。茫然とする一同に、どうしたのかと戸惑う自分。

「…はぇっ…?何か不味い事、言っちゃった…?」

「…凪殿。察しろは流石に無茶があるかと」

「まぁ、最初からランさんについては問い詰めるつもりでしたし。彼女が何者なのか、齟齬の無いよう確認しましょうか」


「…前提として、彼女―ランは僕の言霊ことだまとして発生した妖だ。

 まぁ、簡単に説明すると。強い思念は『言霊』っていう妖力になる。言霊が強すぎると、言霊は妖としての形をとる。普通は妖力は人の身体に納まらないから別の所で妖になるんだけど、僕の場合は半妖…つまり半分が妖だから、僕の中でランが生まれてしまった。…ひとまず、多重人格のようなものになったと思って欲しい。

 多重人格っていうのは…堪えられない事があった時に、心の防衛の為にその時の記憶と感情を切り離して引き起こされるんだけど。彼女の場合も、そんな感じだったみたい。

 …生い立ちはこんな感じだ。けれど発生してすぐ、彼女は長い眠りについた。ランが起きたのは今年の四月、入学式の日だ。それまで、僕は…わたしは、彼女の存在にさえ気が付かなかった」


「以上、僕がランについて知ってる全部だ」

 ふと、一月前のあの日を思い出す。あの時、ランは僕の身体を奪うつもりだった。僕の心を殺して、なり替わるつもりだった―と思う。どんな手段を使ったのかは不明だが、現に僕の精神は途切れかけ、一月もの昏睡状態に陥った。

「…悪い、余計分かんねェ」

「だから多重人格みたいなものだって。…やっぱ、恨まれてたのかな」

 はぁ、と嘆息。生憎、彼女に恨まれる理由については心当たりがある。嘆きのような、怒りのような。「わたし」の在り方に対する、憤りのような。

「…ところで、響」

「は、はい!あ、お茶ですね、しばらくお待ちを―」

 立ち上がろうとする響を大丈夫、と静止する。彼女には悪いが悠々と茶嗜む余裕なんてものはない。今はただ、為すべき事を為すだけだ。

「…ありがと。戦のイの字も知らない莫迦の戯言と思って聞いて欲しいんだけど―」


 そして、午後十一時五〇分。宣戦布告、及び開戦まで残り十分。千羽町の西側の境界に、黒羽 凪は布陣する。激流たる九十九川つくもがわを挟んで向岸には、およそ五百の敵兵の群れ。一方、此方はというと―

「…いくらなんでも、少なすぎるんじゃ…」

 境界を護る千羽の戦士、凪、涼葉、水鈴、日辻ひつじ。以上である。もう一度言おう、以上である。岸を護る戦士は僅か四人。戦力差がどうとかの問題ではない。普通に通り抜けられるのでは。

千羽軍こっちは乱戦する気なんて更々無いからねぇ。基本、町中に入り込んだ奴等を的確に返り討ちにするんだってさぁ」

 鞄を抱えたベージュの髪の糸目の青年、日辻ひつじ完二かんじが間延びした声で言う。彼もまた、根住や水鈴と同じく退魔拾弐本家に名を連ねる実力者ではあるのだが、まぁ何とも呑気である。

「日辻センパイ!真面目にしてって羽生センパイから怒られるよ!?」

「…水鈴ちゃんも真面目にして欲しいんだけどー」

 苦笑する涼葉の視線は水鈴―を名乗る不審者に向く。青いペンギンの着包みに身を包み、頭部にはこれまた青いペンギン―と本人は言っているが多分アヒルだと思う―を模した帽子を被っている。端から見れば良くて遊園地のマスコット、最悪通報待ったなしの装いに対する指摘に対し、

「ボクは至って真面目だけど?」

なんて返すものだから、思わず吹き出してしまった。

「ナギナギまでヒドイー!いいじゃん!ボクの能力コレなんだし!」

「あはは、やっぱり私達はこんな空気が一番合ってるのかもねー。…大丈夫、水鈴ちゃん。すっごい似合ってるよ!」

 …待って涼葉。君までそっちに行かないで。対岸の奴等、舐められてるって思ってすっごい苛立ってるんだけど。

「…開戦まで、あと一分。気張ってこうか」

 呼吸を整える。そうだ、負けてなるものか。救いたいものを救う為に、さっきみたいに笑っていられる日常を護る為に。

 ―僕は、戦うと決めたのだから。


 ぶおおお。ぶおおお。

 たった今、法螺貝が鳴り、天探女軍との戦の火蓋が切って落とされた。対岸より来たるは鬨の声。群がり寄せる甲冑の群れは、荒れる水辺を突き進む。

「さっすが天探女の兵!激流とか余裕なんだー」

「言ってる場合じゃないから!―いくよ、『まとい空爪くうそう〉』」

 甲冑の群れを見遣り、半妖は四肢に風の爪を纏う。腕の爪は翼の如く、脚の爪は猛禽の如く。前傾姿勢を取り、鴉は獲物の隙を伺う。

「俺達の相手がガキ四人だぁ!?」

「ナメやがってェ!皆殺しだァ!」

 半妖に向けて刀を、槍を振るう雑兵。しかし、既に鴉の姿は無く。代わりに、ごうと鳴る暴風の音。

「―『人鳥ハルピア』!」

 刹那、甲冑の群れを駆け抜ける一陣の風。目にも留まらぬ速度で鋼を通り抜けた鴉の爪は、瞬時に敵を薙ぎ払う。

「…舐めてるのは、そっちの方だろ」

 ―そう、彼等は軽視していた。確かに凪は年端も行かぬ若人だ。それでもなお、彼の『妖力を祓う風と影』の妖力には最も警戒するべきだった。

 妖の力の源となるのは妖力だ。それが尽きれば欠乏症に至り、気絶や昏睡に陥ってしまう。そんな妖にとって、凪の妖力は―

「初見殺しとしては最強格だよねぇ。有希の魔眼とおんなじで」

 装甲ごと引き裂かれ、ばったばったと倒れる甲冑共。およそ五十の敵兵を、半妖は一撃の下に無力化した。

―月無き夜闇に立つそれは、災禍と呼ぶが相応しく。

「涼葉、援護お願い!」

「任せて!氷壁、展開!」

 凪の声に涼葉は頷き、瞬時に腕から冷気を放つ。それは兵の足を封じると共に、千羽への進路を阻む氷の壁を形成した。

「畜生、これじゃ進軍できねぇ…!?」

「すーちゃんナイス!それじゃあボク達も行くよ、ペン二郎!」

 そして、凍土を駆る青いペンギン。彼女がぴぃと口笛を吹くと、日辻の持っていた鞄の中から、およそ三十個のペンギン型縫いぐるみが溢れ出る。その翼には、苦無くないや手裏剣が取り付けられていて。

「いっくよー、『大行進マーチング』!」

 号令に合わせ、縫いぐるみの群れは敵陣に突貫、綿の体には似合わない剣戟の音を響かせる。サグメ兵も必死に応戦するが、小柄な体躯と素早さもあって、傷こそ浅いが後れを取る形になった。

「進軍どころか撤退も許さない、かぁ。性格悪いなぁ、黒羽君はぁ」

「そこのモコモコ!ちゃんと働く!」

「はいはーい」


 ―何で、凪が此処にいるの―

 翡翠の少女は絶句した。こうなるのが嫌であの半妖の心を殺したはずなのに。これ以上壊れさせない為に私は天探女こっち側に付いたはずなのに。結果として、その目論見は全部外れてしまった。

「…あの、大丈夫?」

「うるさい」

 背後からの声に苛立ちながら振り返る。そこには、青いローブを深く被った女性、蛇神へびがみ のぞみが心配そうな様子で立っていた。

「…なに、同情?そんなのいらないから。…凪が戦場に立ったのなら、手を出すな、なんて無理な話でしょ」

「だけど」

 不安げな少女の口元に人差し指を当てて黙らせる。そうだ、まだ私は失敗していない。この前は邪魔が入って失敗しただけ。今度は確実に仕留めて、纏の意識を殺して―

「…私には、身体が無いから。サグメの妖力の影響下じゃないと凪から離れても実体を保てない。霊体としても朧気になって、やがて存在ごと霧散する。…だからさ」

―いいよね。救ってあげる代わりに、凪の身体を貰っても―


 戦争の基本は情報戦だ。敵の数、編成、拠点や物資の情報。妖や退魔士の戦争ならば、相手がどのような能力を持っているか。情報が揃えば適切な対応が可能になる。例えば、歩兵を主力とする軍勢に対して、進軍ごと封じるといった大胆な策を講じるとか。

 その点に於いては、千羽側は勝利に一歩近づいていた。元々は天探女の軍に所属していた佑介、彼等に従っていた空の存在もあって、頭数や編成、各主力級の妖力は筒抜け。後手に回らない、その一点では優勢だった。

「…だが今は分からねェ。姫サンとこのがサグメと通じてたんなら、向こうにも頭数とかは漏れてるワケだ。白部邸の庭で俺達と兵数人が姫サンを守ってんのも多分割れてる。それに」

「情報は良くも悪くも正直ッスよね。…サグメ出てきたら勝ち目あるんスか、コレ」

 結局のところ、重要なのは結果なのだ。勝てるかどうかの話なら、九割九分は勝てないというのが千羽軍総大将代理、白部 響の見込みである。

「…勝てるかどうかじゃありません。私達は勝たなければいけない。千羽の民が帰る土地を、奪わせる訳にはいきませんから。…佑介さんの元仲間と思うと複雑ですけど」

「気にすんな、姫サン。そもそも俺は裏切り者だからな。情なんざ無ェ、ぶっ飛ばすだけだ。なぁ、イタチ」

「伊田 千春ッス。…そッスね、まずは―」

 千春の睨む方向には、夜闇に降り注ぐ黒い塊。しばらくしてむくりと起き上がるソレは、稲妻の姫は知っていた。

 ―あの日、病室を襲った土蜘蛛の幼体。その群れが再び、鋏角を向ける。

『いタゾ』

『こロス』

『こロセ』

 周囲には千羽の兵。しかし土蜘蛛はそれに構う事無く、総大将の首を狙い飛びかかる。災害とも呼ばれる妖、幼体であろうとも危険度は上位に位置する。それはいとも簡単に―

『ぎゃハハハハハハ―』

「嗤ってんじゃねェよゴキモドキが!」

 ―鉄パイプの一閃で、夜空の彼方に打ち返された。土蜘蛛が飛んできた方向まで、星になる程の勢いで。若き鬼の瞳には、災害も台所の害虫にしか映っていなかった。

「おー、ホームランじゃねェか?ゴキも意外と飛ぶモンだな」

「佑介さん!?その…そう呼ぶのはちょっと生理的なアレがアレなので控えて欲しいんですけど」

「あぁ、姫サン無理なクチか。ゴキとか」

「だーかーらー!?」

「二人とも後でいいスかソレ!?まだまだ振ってきますから!」

「もうソレにしか見えないんですけど!?と、取り敢えず伝達しますね!」

 ごほんと咳き込み、大きく息を吸う少女。たとえ人型だろうと彼女は雷獣、地を鳴動させる獣の妖。その声は電気信号となり、町の果てまで鳴り響く。


『緊急伝達、緊急伝達。各地にて土蜘蛛を確認。各自小隊を組み対応せよ。しかして最も優先すべきは自らの命。それを忘れぬよう』

「…この声、雷獣の小娘か」

「伝達が早い…やはり奇襲は難しいかと、天探女様」

 甲冑や蜘蛛の群れをカタパルトのように射出する多腕の妖、獅童しどう 八卦丸はっけまるを横目に赤髪の男、鬼島 信家のぶいえが口にする。

 ―戦況は些か思わしくない。天探女軍は、歩兵だけでもある程度は攻め込めるものだと踏んでいた。前提として、現在の千羽の主である雷獣は守勢を得意としない。戦法も基本的には苛烈な攻撃による殲滅、ある程度の犠牲を前提として敵を滅するもの―だった。

 それが今はどうだ。今の千羽軍の姿勢は守勢、それもかなり強固なものだ。たった四人に完全停止する雑兵の群れ、空中から飛来する蜘蛛さえ返り討ち。そして何より、一般兵の動きが良い。

「…白部の若き戦姫か、面白い」

 無色の神が不敵に嗤う。あんなに無防備に見える首が、実際には遥かに遠い。

「軍師よ、貴様はこの戦況をどう見る」

「…歩兵なんて時間の無駄です。三傑が打って出るべきかと」

 化狸の将の問に冷静に返す。雑魚の群れと将の間ではその実力は天地の差だ。彼等が敵わないなら、そう進言するのは当然だ。

「ふむ。…鬼島よ、征け。あの邪魔な氷壁を壊してみせよ」

「仰せのままに」

 ―これで、戦が大きく動く。


「モコモコ!次は!」

「一旦引こぉ。千羽のお姫様のヘルプに入らないとぉ」

 日辻の声にそうか、と胸を撫で下ろす。纏う風の爪を解き、鴉はよっと着地する。

 ―凍った川に散らばる鎧。死んではいないが全員気絶。此方側の被害と言えば、水鈴のペンギンのぬいぐるみがボロボロになった程度。戦果は上々、と言ったところか。

「涼葉…大丈夫…?」

「私は妖力あるから平気ー。それよりも、黒羽くんの方がだいぶしんどそうだけどー…」

「…うん、流石にきっつい。纏ったところで三十分は…もう流石に…。水鈴とモコモコも連れて帰ろ」

「モコモコじゃくて日辻だよぉ」

 漏れたのは強がりでもなく、弱った本音。紫の瞳にもきっと疲れが見えるだろう。

 凪の鴉天狗としての妖力、〈はらい風影ふうえい〉。風と影を操り、傷付けた先から魔力妖力を消失させる。その強力な能力故に消耗も激しく、妖力消費を抑える為の〈纏〉を併用しなければ継戦さえままならない。

「…本当、燃費は課題だな…。さっさと休んで妖力回復させないと―」

 ―ばたん。何かが倒れる音。疲労故か、青い着ぐるみの転倒に気付くまでに時間を要する。

「水鈴ちゃん…!?」

「…あれ、おかしいな…何か、ふわふわする…」

 ―違う。疲労のせいじゃない。この感覚、覚えがある。鼻を付く甘い匂い、溶けるように奪われる思考。…不味い、早く撤退しなければ。

「…アルコール臭」

「え」

「酒だ!総員、疾く撤退―」

 言った時にはもう遅い。酒呑む鬼の一撃が、鴉の頭上に降り掛かる。

「『鬼砕キサイ』」

 刹那、大地が割れた。


 ―正直な話、私はこの戦がどう傾こうとどうでもよかった。

 私にとって、大切なのは個の未来。戦の結果がどうあれ、親しい間柄の者が生きていればそれでいい。天探女の目的は蹂躙ではなく征服だ。無差別な殺戮さえ無ければ―否、それを最小限に抑える為に私も千羽軍の制圧に乗り出す事も選択肢にあった。日辻、水鈴、虚空。それに、纏。彼等が無事ならば、他はどうでもよかった。

 ―全く。私には理性的な判断なんて出来ないらしい。何が大局だ、何が戦の結末だ。そんなものは心底どうでもいい。目論見なんて崩れるものだ。野望なんて潰えるものだ。過去の英華も募った執念も、年月を掛けて磨いた輝きなんて。

 ―そんなもの、刹那いまの煌めきには、及ばない!

「―『停止の魔眼ロックアイ』!」


 気が付いた時には、四人は空中に投げ出されていた。少し、時が―自分が止まっていたような感覚。眼下に広がるのは、割れた地面と―。

「うわわわわわわわ!?落ちる落ちる!?」

「まっず!?モコモコ、クッション出せ!」

「判ってるよぉ!綿綿ワタワタ、全ッ開!」

 日辻は魔力で白い綿を展開する。良かった、今の恐怖体験で酔いが覚めた。というより、酔ってしまう領域から出た、と言う表現すべきか。

「『纏、〈幻爪げんそう〉』」

 影の巨爪を腕に纏い、涼葉と水鈴を抱えてゆっくりと綿の上に着陸する。―当然、この分で妖力は空になるが、それは対した問題では無い。

「黒羽君!?なんで僕は抱いてくれなかったのかなぁ!?」

「そういう趣味は無いから。…それよりも、もう限界だからな」

 そう言って、ゆっくりと瞼を綴じる。綿のベッドで眠る半妖は、静かに戦況を思っていた。


「…何故、邪魔をした」

「あの子に手を掛けようとした。ランさんとの約束を破るのは、天探女様の本意では無い筈です」

「本意?まさか。約束等、あの方が守るとでも」

赤き鬼の声に、軍師は無言で返す。風に揺れる青いローブの下で、面倒そうに溜息を溢す。

「裏切った、という解釈で構わないか」

「…私は千羽の味方でも白部の味方でも、ましてあの糞退魔士共の味方でもありません。ただ、一つだけ」

 ごう、と強い風が吹く。そこにはローブの軍師の姿は無く、闇夜に黄金の蛇眼が煌めくのみ。

 黒のセーラー、黄色のリボン。焦茶の長い髪を靡かせ、蛇の巫女は牙を剥く。


「お前に纏は殺させないわ、酒呑童子しゅてんどうじ

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