八月・決戦の盆

一五話 さようならで、終わらせない

「退魔士本家は、千羽の戦に介入しない」

 その答に対し、返したのは壁を穿つ轟音。雑輩共を黙らせたソレは、セーラー服の少女から放たれた。

「おお、怖い怖い。かの蛇巫女もいよいよ乱心か」

「黙れ。大人しくしていれば死に方くらいは選ばせてやる」

 黄金の瞳は冷たく睨む。東京某所、退魔士達の総本山。『本家』と呼ばれるその場所で、蛇の巫女は殺意を向ける。

 ―退魔士を嫌う彼女にとって、其処は地獄と同等であった。妖の数が減った現在において、彼等の多くは保身を良しとした。主な食い扶持を怪異退治と各種神事とする退魔士は、日に日に立場を弱くしている。

 ―大きな理由が一つ。現代において妖を討つのは退魔士の特権ではなくなった。幽霊ならまだしも、実体のある怪異なら近代兵器で何とかなる。運用費用の関係から国が怪異討伐に乗り出す事は少ないが、必要ならば怪獣映画さながらの掃討戦が行われるだろう。―退魔士や怪異の存在の隠匿が難しい事は否定しないが。

 とはいえ、『退魔士にしか出来ない事』が減少した、という事実は業界に甚大な影響をもたらした。近い将来には退魔士の仕事は無くなると匙を投げる者、ひたすら保身に走る者。…裏商売に手を出した悪徳退魔士だとか。そんな腐敗した組織であるから、

『妖が跋扈しているにもかかわらず、我等が手を出せない千羽は滅んでしまっても構わない』

 …なんて思考に至る訳で。

「そもそも何故化物共の巣窟を守らねばならぬのだ。ただでさえ目障りだと言うのに、手を貸せと?」

「…呆れた。年だけ食って千羽の重要性も分からないなんて」

 壁にめり込んだ手車ヨーヨーを手元に戻し、眼前の爺に突き付ける。セーラー服を纏いし巫女は、殺意を以てソレを睨む。

「…どういう事だ、日辻の婆さん。あの女は本家出禁の筈だが」

「ウチの用心棒だから大目に見とくれ。実績も見識もある娘だ、今回の集会には適任だよ」

「適任、だと?奴は蛇神の家を継がなかった無責任な女だぞ。現にへびの席はいつまでも空席のままだ」

「養子って名目の実験台になんて誰もなりたかないよ。のぞみの嬢ちゃんにゃ酷だが、あの家は放っておいても近いうちに―」

「…それ以上言わないで、めいさん」

 ―制止する声は鋭く冷たく。眼鏡越しの黄金は赫に染まる。

 彼女にとって、此処は正しく地雷原だった。欲望に塗れた下賤の群れ。偏屈ばかりの木偶共も、苛立つだけの鳴声も。この場の全てが、彼女にとってはただただ不快。

「…悪いけど、先に帰らせて貰うわね。居心地悪いし、黒羽君の様子も気になるし。…どうせ、私が出る前から結論は出てたみたいだし、ね」

「わかった。アンタも病み上がりなんだから、無理しないようにね。ウチのせがれにどやされるよ」

「…それは、まあ、そうね」

 脳裏に激怒する日辻の顔が浮かんで苦笑い。本家でただ一回、彼女が見せた笑顔だった。


 八月某日、雨天。この一月で、千羽を取り巻く状況は一変した。

 先月に発生した土蜘蛛急襲以降、犬飼いぬかいの機械部隊によって天探女アメノサグメ軍の進軍を確認、今月の始めには千羽に隣した西部の山に陣を築いた。開戦は盆に入ってからとの達しがあるが、いつ火蓋が切られてもおかしくない状態だ。

 これに対し、千羽側の対応は総じて手際よく行われた。商店や役所の一斉閉鎖、それに伴う住民の町外への避難が行われた。とはいえ、妖や退魔士の存在の秘匿の為に、名目は火山の大規模噴火の予兆確認としてだが。避難の為の支援金を全町民に給付した白部邸の財力と迅速な対応には頭が下がるばかりだ。

 そして先日、千羽軍の関係者や退魔士を除く町民の避難がほぼ完了した。開戦を控えた千羽は、千羽軍の総統代理となった白部 響、千羽の退魔士達を束ねる根住 大吉の主導の下に合同で戦に向けた準備を進めている。私は日辻家の現当主、日辻 冥と共に応援を求めて本家へ赴いた―のだが、結局成果は得られず。まぁ、それはそれで今後の方針が立てやすくなるため、不確定要素が一つ減ったと考えれば問題は無い。

「…あの子が倒れて、もう一月も経つのに」

 葉月の雨音と共に、私は電車に乗り込んだ。

 ―開戦は翌日。決戦の時は、すぐそこに。


 途端、少女は飛び起きる。

 耳障りな電子音。鼻を突く薬品臭。目に入る白い天井。此処が自室ではなく医療施設だという現実を理解するまで、そう時間は掛からなかった。


 ぶちっ。


 腕に繋がったチューブを引き抜く。触覚の嫌悪感から乱暴に引きちぎりたい気持ちはあったが、本能の判断によって比較的丁寧に点滴と別れを告げる。無論、素人の処置であるため、引き抜いた箇所から血はどぼどぼと零れているが。


「…何やってるんだろ、わたし」

 十分を経て、自嘲混じりの言葉が口を出る。聴覚も、嗅覚も、視界も、触覚さえも不快。正常に思える味覚だって、何かを口にすれば不快に塗れそうで。段々と、世界を嫌っていくような、そんな感覚。

「…気持ち悪い」

 嫌悪感は、いよいよ喉元まで溢れてきた。やけに力の入らない身体を持ち上げ、病室の洗面台に足を運ぶ。

頭が重い、体が重い、脚が重い。白い床に零れる赤が、心さえも重くする。やだなぁと頭を掻いて、ほんの少し目が覚めた。

 視界を遮る紫を掻き分け、洗面台に自重を乗せる。蛇口を捻って顔を洗い、鏡の中の現実を凝視して。

「…ああ、やっぱり」

 は、と乾いた嗤い。なんだ、わたしは結局変わっていないじゃないか。翡翠の少女が憑いたところで、町を護ると謳ったところで、本質なんてものは変わりはしない。結局わたしは壊れた鴉で―

「…いや、壊れているからこそ、か」

 ふふ、と今度は無邪気に笑う。変わらない、変わらないさ。そう簡単に在り方なんて変わるものか。外見を取り繕ったところで結局は僕だ。救えなかったからといって、それを諦めることが出来なかった。救えなくとも、救いたい。なんて、独り善がりにも程があるか。

 …いくら善性を謳ったところで、わたしの過去は変わらない。殺されそうになったからと多くを屠った。里を襲った退魔士を、力におぼれた父親を。それ以降は殺める事こそ無かったが、生きるためにと悪事に手を染めた。外道非道に狙いを定め、命を繋ぐために食い潰した。

「…本当に、滑稽だな」

 心からの軽蔑だった。罪は消えない。生き続ける限り、贖罪という罰がある。血に塗れた幼き夜叉を、無かったことには出来ないのだ。

 …ならば、どうやって贖うのか。「自らの命を以て償え」という発想は、残念ながら持ち合わせていなかった。誅されるのならまだしも、自死は逃げだ。無責任だ。そんなもので、わたし一人が救われるなんて―

「…早く、救われてよ死ねよ、か」

 ―ごめんね、ラン。わたしが救われるのは、もう少し先だ。今はまだ、赦される事のない過去の清算が残っている。救われるのは、赦されるのはその後だ。

「ようやく、死に場所を見つけたんだ」


 長い髪を適当に束ね、こっそりと病室を後にする。随分寝たきりだったのに、三十分も経たないうちに満足に力が入るようになってきた。点滴のおかげか、存外大事には至ってなかったのか。少なくとも、不自由無く手足が動くことは喜ばしい。

 ざあざあと降る雨の中、町に人影は見受けられない。ガウン姿で傘も差さずに外出すれば風邪を患うことは目に見えている。けれど、置傘も雨合羽も見当たらない。そこで、雨の中をなるべく早く駆け抜ける事を選択した。

 たん、たんと軽い足取り。雨天は好きだった記憶がある。涙を誤魔化す事が出来たから。追手を撒くのが簡単だったから。…なんて、強がった挙句、暫く寝込むのが落ちだったような、そんな気がする。けれど、家までは、すぐそこ、だから―。


「―あの。大丈夫、ですか」

 落ち行く意識が少女の声に引き戻される。はぇっ、と顔を上げると、そこには白髪の少女が、此方を心配そうに見下ろしていた。暗く冷たいこの世界で、彼女だけが、その黄色い瞳だけが輝いて。

 ふと、くすりと笑みが漏れる。…全く。わたしは存外、分かりやすい趣味をしているらしい。目の前の彼女も、あの捻くれに捻くれた蛇の少女も。わたしを引き戻してくれたひとの目は、皆―

「…ふふっ、あはは!」

「あ、あの!?何処かに頭ぶつけちゃいましたか…!?」

「…あー、ごめんごめん。あはは、悪いね。随分と心配させたみたい」

 心から笑ったのはいつ以来だろうか。周囲に合わせた笑顔でもなく、嘲りや意地の悪さから来るものでもなく。ただ純粋に、可笑しくて笑ったのは。

 ―そうだ、僕は、わたしは―

 身体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。雨に濡れた半妖の顔は、いつになく緩みきった笑顔を浮かべていた。

「…うん、大丈夫。―ありがとう、響」

 ―とっくに、救われていたんだ。

「―はいっ!おかえりなさい、凪くんっ!」



―千羽高校アヤカシ連盟 一五話 ただいま―



「…あと一日で開戦ですね」

「ちゃんと宣戦布告するんだね、お前ら。今まで何回も急襲してきたのに」

「今までの小競合いとはワケが違う。我等の目的はあくまで千羽を手に入れる事だ。違うか?」

「別にそこには興味無い。私の狙いは凪だけだし」

「…貴様、本当に何があった?あのわらし共と揉めたのか?」

「山吹殿、心変わりくらいいくらでもあるでしょう。千羽の幹部が私達に寝返る事もあれば、虚空や倅のようにあちらに付く事もあったのです。何を今更」

「…むぅ。軍師よ、そなたの意見も聞きたいのだが」

「ええ、では後で。…サグメ様が来られたようですから」


 かつん、かつん。足音に向けて彼等は膝を付く。

 一人、黄土の髪の獣耳の童女。

 一人、容姿端麗な赤髪の美青年。

 一人、巨躯を誇る六の腕の大男。

山吹やまぶき百々もも鬼島おにじま信家のぶいえ獅童しどう八卦丸はっけまる。我が三傑よ』

 ―白い装束に闇色の髪、そして目元を隠す面。妖力の感知を苦手とするランにも圧し掛かる重圧を放つ眼前の女。彼女こそ、千羽を狙う堕ちたる鬼神、天探女である。

『開戦の時は近い。支度は順調か』

「はい、我等が将、天探女様」

『そうか。―加え、よく来てくれた。黒羽 ラン、蛇神へびがみ のぞみ

 その呼びかけに、青のローブを身に纏った女も膝を付く。蛇神といえば退魔拾弐本家が一つ。深目に被ったローブではっきりと顔が見えないが、背丈や声色からして有希達と同年代だろうか。

「お初にお目にかかります。…ラン、貴女も」

「再三言わせてもらうけど、私はお前の下に付いたワケじゃないから」

「童…!我等が将になんて口を―」

『よい。そこな言霊は特別だ』

 重い声に八卦丸と呼ばれた土蜘蛛は引き下がる。そう、あれは格が違うのだ。千羽の退魔士が、妖が適う相手ではない。

 ―だから、私は此方に立った。凪の最期が、平穏なものであるために。

『―さて。それでは、始めるか』


「まず、戦の前に状況を整理しよう。

 七月三日―凪殿と有希殿が襲われた翌日、天探女から千羽に降伏を求める最後通告が届いた。千羽側―主の代理である響殿は根住殿との共同文書でこれを拒否。敵陣は既に整い、開戦は明日の午前零時、つまり日付が変わって直ぐに宣戦布告が予定されている。

 現在、天探女の率いる軍は千羽町の西側―町に隣した山に本陣を構えている。拠点には兵士用の他に兵糧庫や武器庫として扱う天幕が。見張り要員が昼夜交代制で合わせて百、その他兵士が目測で二千。特に軍の総大将である鬼神天探女、幹部と思われる化狸、赤鬼、土蜘蛛は一騎当千、万夫不当の戦力だ。

 対して千羽こちら側の戦力は総動員して退魔士、妖を合わせても二百。町の防衛に重点を置きたいが、如何せん戦力差が大き過ぎる。千羽には響殿や涼葉殿、日辻殿といった守勢に長けた戦力がいるが、それでも頭数が足りないのが現状だ。故に防衛戦が主軸になる」

 八月十二日は十六時〇〇分、白部邸の大広間。翌日に控えた戦に向けて、アヤカシ連盟の会議が行われていた。―とはいえ、内容は先に行われた軍事会議の内容が主である。

 参加しているのは涼葉、佑介、千春、空。響は凪の見舞いに行ったきり、暫く席を外している。

「…あの、これ俺らが聞いたところでどうにもなんないスよね?そもそも何回も聞いてますし」

「貴様が毎回居眠りしていなければ毎度説明しなくても良いのだがな!聞いているのか千秋!」

「千春ッス!アンタも名前覚えてくださいよ!」

「目上に向かってアンタとはなんだ!ちゃんと敬え!」

「テメェら脱線してんじゃねェよ!」

「あーもーまとまらないんだけどー!?響ちゃん早く帰ってきてー!」

 …その結果がこれである。イッツ混沌、ラヴクラフトもびっくり。良くも悪くも個性的な面子から仕切役を抜くと、烏合の衆と呼ぶが相応しく。元気そうで何よりだ、とでも声を掛けた方がいいのだろうか。

「あー…。やっぱりこうなりますか…」

「こうなりますか、じゃなくて。早く行ってあげて…」

はぁ、と溜息混じりに響を送り出す。町に人気ひとけは無くとも、戦の前であろうと彼等は変わりないようで。

「もぉ、皆さん落ち着いてください!白部 響、只今帰りましたよー!」

「響ちゃん!伊田君と空ちゃんがずっと揉めてて大変だったんだよ!」

 半べそで泣き付く涼葉の頭をよしよしと撫でる響。そういえば空と千春は顔を合わせた事が無かったのか。機嫌の悪い空は基本的に話を聞かないから千春も相当苦労したのだろう。…それ以前に性格が合っていない気もするが。

「…響殿、凪殿の様子は…」

「それがですね!どうぞ入ってきてください!」

「そういうのいいから。…久しぶり、皆」

 …でも、こういうのも、悪くない。


 再会を喜び合ってすぐ、腹ごしらえをして戦の準備に取り掛かる。

 物資、兵の配備の確認。それに伴い、各々の役割を決定する。とはいえ、基本的には防衛戦。佑介と千春は此方の大将に当たる響の護衛、涼葉は前線の防衛役を務める事は、ほぼ決定事項だった為に省略。

「…僕と空は前線に出る。そも軍属じゃないし、ある程度は好きに動かせてもらうから」

 無理はしないように、と忠告を受けて身支度を整える。鎧の代わりに外套を、刀の代わりにこの爪を。赤のマフラー首に巻き、見据えるべくは大将首。

 鳴るは軍靴を踏む音と、滾る兵の喧騒と。見晴らすばかりの鎧の群れに、逸る鼓動を落ち着かせ。

「…大丈夫。僕は、わたしは強いから」


「―これは、救う為の」

「正義の為の…」

「友達の為のっ!」

「…テメェの為の」

「平和の為の!!」

「忠義の為の」


『この町を護る為の、戦いだ!』


 法螺貝の音が鳴り響く。天探女軍との戦いが、いよいよ幕を開ける。

「さぁ、僕らの正義を謳おうか!」




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