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 ―遂に私の魔眼ひとみが壊れた、そう錯覚した。

 疑念を持たなかった訳では無い。彼女を信用していた訳では無い。『あの時』から感じていた異物の存在は、ずっと私の懸念事項だったから。けれど、それは五年経っても無害だった。あの子の利になっているのなら、放置しても構わないと判断していた。牙を剥いたら即刻取り除けばいい。…正直、楽観視していたのかもしれない。


 ―だから、また失敗した。


『………ごめんね、凪』

 身体の内側から、風の刃が肉を裂く。あの異物の悪意が、あの子の心を引き裂いた。

「ナギナギ…!?」

 結論から言えば、間に合わなかった。紫の髪は地に伏して、背後に立つ翡翠が―居たと思った途端に消えた。厳密には、凪の中に戻っていった。

「有希!アレ、乗っ取るつもりじゃ…!」

「言われなくても判ってる!魔眼まがん、解放―」

 唱え、素早く眼鏡を外す。凪はうつ伏せ、眼を視る魔眼は使えない。それなら、多少乱暴でも確実に止められる方法で…!

「―邪魔をするな」

 刹那、景色が遠くなる。身体の痛みより先に、壁を割る感触。誰かに殴り飛ばされた、その事実に気付くのは血を吐いた時だった。

「がっ…!」

 朦朧とする意識を根気で覚醒させ、黄金の瞳で前を睨む。日辻と水鈴を見下ろすそれは、町に大きな影を落とす。

 ―この表現が比喩であれば、どれほど良かった事か。人のソレと同じ形をした六つの巨腕と蜘蛛の頭部。そして、二〇メートルを越える、山のような巨躯。台風や地震と並ぶ、文字通りの『災害』の妖。

 嗚呼、成程。そうだ、あれが真っ先に襲うのは私に決まっている。同じ事をされたのなら、私だってきっとそうする。

「…土蜘蛛つちぐもの、成体。当然、仇討ちに来るわよね」


「…退魔士三人。何とも矮小だな」

 空気を震わす中年の声。その影の下で、日辻はギロリと複眼を睨む。あわわと震える水鈴みすずの肩に触れ、

「黒羽君を連れて診療所に」

 いつもの間延びした口調では無く、本音で願う。顔を覗く水鈴の瞳に映った日辻ひつじは、蒼い瞳を見開いて。

「早く」

「…わかった!」

 応え、水鈴はぴいと口笛を鳴らす。それを合図に鞄から顔を出したペンギン型の縫いぐるみが、紫の半妖を持ち上げる。

 ―水鈴の魔力、〈ぐるみマスター〉。人形術師ドールマスターの中でも縫いぐるみの使役に長けた彼女の意思に応え、自律可動のペンギンは屋根を駆る。

「お願い、ペン二郎!」

 しかし、影はまた伸びる。はやく、つよく、彗星の如く降る拳。その矛先は凪を運ぶ縫いぐるみではなく、その主に向いていて。

「みすみす見逃すと思うたか!」

「『綿綿ワタワタ』」

 ―しかし、聴こえたのは肉の潰れる音では無く。ぼふん、と布団を叩いたような音。水鈴を潰したかと思われた隕石は、白い塊に包まれていた。もこもこ、ふわふわ。戦場には似つかわしくない擬音が、周囲一帯を覆い尽くす。

「なんだ、魔力バフ掛けときゃ止まるじゃないか」

「…ほお、中々面白い能力チカラだな」

 嗤い、六の彗星は羊を狙う。害虫を潰すようなものだと撃つそれは、しかして白亜の前に静止する。ぼふん、ぼふん。高密度の白綿は、星より早く生み出されて壁となり。

「チッ、鬱陶しい!」

「…引け、土蜘蛛。お前の拳よりの人工綿の方が早い」

 声に籠もるは威圧の色。―退魔拾弐本家が一人、日辻 完二。その腕から生成される綿は、星をも止める障壁なり。

「…ならば、全身全霊で―」

「『停止の魔眼ロックアイ』」

 ―そして、星を打ち出す砲をも止める。複眼を捉えた蛇の瞳が、その巨体を虚に縫い付ける。

「水鈴は…行ったわね」

 視界に桃の髪は映らない。良かった、と安堵の一秒。そして一秒で手車ヨーヨーを抜き、また一秒で振り被る。

 ―空舞う蛇は牙を剥く。土蜘蛛を星と呼ぶのならば、彼女も、また。

「砕け、『流星蛇リントヴルム』!」

 魔力を帯びた手車が、蜘蛛の頭部を鋭く薙ぐ。鋼の外骨格を砕く音と共に、災害は静止したまま揺らぎを見せる。

「…四の、五!」

 そして、魔眼が切れると共に鳴る地面。呻き声は地響きに掻き消され、頭部はコンクリートに叩きつけられる。脳震盪のうしんとうを起こしたそれは、ふらふらとして立ち上がる事さえままならず。

「…キ…サマ………!」

「勝手に口を開くな、害虫如きが」

 苛立ち混じりの言葉と共に、蛇巫女は血を吐き捨てる。溢れる嫌悪を抑えて手車を手元に戻し、魔眼制御の眼鏡を掛ける。

「…日辻、構えなさい。まだ終わりじゃないわよ」

「判ってる。…警戒、怠らないように」


 …身体が重い。背中の部分が妙に熱くて、けれど世界は冷たくて。何も見えない、聴こえない。嗚呼、この感覚は以前にもあったような。

「―嘘」

 …理性は働かない。頭も回らない。心はとっくに壊れてる。自衛機能ランの心も、いよいよ『わたし』に牙を剥く。

「さっき、確実にころしたハズなのに」

 …けれど、わたしは、まだ。

 ―止まるワケには、いかないんだ―


「きゃあっ!?」

 水鈴の視界に翡翠が映る。凪の身体から弾き出された少女は、アスファルトの地面に叩きつけられた。

「…キミは、確か」

 翡翠の少女は答えない。縫いぐるみに担がれた深紫を、ただ静かに睨むのみ。凪いだ海のように静かに、けれど嵐のような猛りを込めた瞳を向けて。

「…凪、何でまだ抵抗するの」

 その視線の先で、夜叉の鴉は立ち上がる。風の爪を四肢に纏い、動かぬ身体を無理に起こす。そして―

「…邪魔」

 ぶちっ。自分を運んだ布の塊を、見るも無惨に引き裂いた。

 絡まった糸を落とそうと、ぶんと振るう風の音。それは、猛禽の翼のように肥大して。

「ナギナギ、どうしたの…?」

「無駄。…アレ、何も見えて無いよ」

 …違う。確かに鴉は、何かを見据えている。理性が働いていないだけで、視覚情報を理解していないだけで、アレは確かに。

「…『纏、〈空爪くうそう〉』―」

 ごうと響く風切り音。翡翠の少女が構えるより先に、深紫は距離を詰める。

 …理性は働かない。頭も回らない。心はとっくに壊れてる。それでも、本能が身体を突き動かす。今取るべき最善を、この目で見据える。

「『武装纏ぶそうまとい風刃ふうじん〉』―」

 今更構えたところで、もう遅い。鴉はずっと、先を見据えていたのだから。

「『穿風バリスタ』!」

夕陽に染まる町を、轟音が通り抜けた。


 ―文字通り、全身全霊の一撃だった。

 どさりと身体の落ちる音。気力も体力も既に限界を越えていた。この一撃に次など無い。届かなければ、当たらなければ、それは。

「…最期の悪足掻き、にしては派手だったね」

 翡翠の少女の呆れた声。その霊体カラダに傷は無く、何事も無かったかのように立っていた。

「―――ッ」

 声が出ない。目の前で友達が倒れているのに、身体は震えて動かない。あの旋風は、水鈴の戦意も吹き飛ばしたのだ。

「…それじゃ、改めて」

 ―だって、戦う理由が無くなってしまったから。あの風の真意を知ってしまったから。

 少女の手には風の刃。殺意と慈愛が、刀身に籠もる。

「お疲れ様、まとい。今まで、よく頑張ったね」

 ―そう。今はまだ戦うべきでは無い。あの子を止めるのは、ボクじゃない。私が為すべき事、それは。

 一歩、二歩とかつかつと。風刃が、深紫に近付いて。

「―じゃあね。おやすみ」

 ―…ただ、時を待つだけ。翡翠の少女を止めるのは、彼女の役割だ。

 ぶん、と刃を振り上げる。半妖の首に風が届く、その刹那。


「断ち斬れ、『夜刀蛇ヤトノ』!」

 手車の一閃が翡翠を吹き飛ばす。強く、強く、遠くまで。敵意害意に染まったそれを、巫女は空から薙ぎ払う。

「っ………!?」

「―間一髪、ってところかしら」

 声に静かな殺意が宿る。すとんと華麗に着地した蛇巫女は、鮮血色で翡翠を睨み。口元の血を拭うその姿は、獣と呼ぶが相応しく。

「お前っ…何で…!」

「何でって、風の音が聴こえたから」

 焦りを見せる少女に対して、巫女は静かに口にする。

 ―そう、凪は先を見据えていた。穿つ風?まさか。あれは単なる警報装置。仲間を呼び寄せる救助信号。暴風の音は、さらなる脅威を呼び寄せる。

 ―故に、『〈空爪〉清廉セイレン』。凶鳥は、最後の最後まで―

「…それで、まだやるの?これ以上続けるなら縊り殺すのだけど」

 巫女の声は氷のように冷たかった。脅しや比喩表現としてのそれではなく、そのままの意で放たれた言葉は何よりも重く。少なくとも、この場の全員はそれを理解している。何故なら、彼女は―。


「…はぁ。いいよ、ソレ持って帰って。まぁ、暫く起きないだろうけど」

 ふと、少女は口にして―消えた。静寂が圧し掛かる夕焼け道に私と水鈴、そして血みどろの紫が取り残される。―嗚呼、最悪だ。本当に、ほん、とう、に―

「センパイ!?」

 ―残念。私も、もう、限界みたい―




「サグメ。土蜘蛛のおっさん、持って帰ってきたよ」

「御苦労。それにしても、よくやった。あの鴉を仕留めるとは」

「…いや、まだ。確かにあのまま放って置いても九割九分は衰弱死だけど、アレは残りの一分を平気で引き当てるから」

「ほぉ。それならば、契約はまだ継続か」

「うん。―だから、凪には手を出すな。アレは―」



「―私の、獲物だ」


―二〇一八年 七月某日

鬼神 天探女アメノサグメ軍、千羽に向けて行軍開始―

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