探女戦線・エピローグ

 じりりり、じりりり。

 枕元の時計から発せられる耳障りな機械音に意識が叩き起こされる。先程までの嫌な夢と相俟って気分は最悪、酷い朝だ。

 じりりり、じりりり。

 鳴り止まぬ不快音に拳を振り下ろし黙らせる。半開きの瞳が映す時計の短針は七の値を指し示し、もう朝だぞと空気を読まずに伝えている。全く、これだから機械は嫌いなのだ。

「………ん?しち…じ…?」

 目を擦り、脳味噌を頑張って覚醒させる。普段の起床時間は午前五時、そして今は午前七時。うん、これはまずい。休日ならまだしも、今日は―

「…いや、僕の役目は終わったんだっけか」

 二〇一八年は八月十六日、午前七時。千羽に戦を吹っ掛けて来た鬼神、天探女アメノサグメの軍を打ち倒してから二日。久々に自室―喫茶〈アヤカシ〉で迎えた朝は、驚く程に清々しく。

 …戦争は終わった。確か昨夜から千羽の軍と天探女が終戦に向けた協議を始めていると聞いた。僕も出席を求められたけれど、そこは丁重にお断り。軍属でも無い自分がそんな席に着くなんて、とてもとても。

 ―凪、本当にいいの?君の事だから、何か考えてたんじゃ―

「言いたい我儘ワガママはとっくに響に伝えてるよ。僕達はただ、協議の結果を座して待つだけ。珈琲でも飲みながら、ね」

 言ってベッドから起き上がり、着替えを済ませて一階の喫茶店に降りる。店主マスターは戦争の為に避難中、店には半妖ただ一人。静かに淹れる珈琲は、何処か懐かしい薫りがして。

「よし、上手く出来たんじゃないかな」

「ええ、良い香りですね」

「でしょ?伊達に喫茶に居候してる訳じゃないんだ、このくらい―」

 刹那、背筋を走る悪寒。珈琲カップを抱えながら見遣った正面には、何処からか来店した獣耳の少女の姿が。その表情と雰囲気から嫌な予感を覚えたが、精一杯の作り笑顔で応対する事にした。

「…おはよう、響。何か頼む?」

「…いえ、私達に協議を押し付けて随分呑気だなー、と思いまして。サグメも中々強情で、半妖を出せとしつこくて」

「…そ、大変だね。僕は営業準備で忙しいから、これで―」

 とぼけて珈琲ミルに伸ばした手をがしりと掴まれる。そも僕は軍属じゃないのだ、ましてや終戦に向けた堅苦しい会議なんて出る理由が無い。そもそもサグメをぶっ飛ばした際にもそう弁明したのだが。

「…やっぱり出なきゃ駄目?」

「勿論。我儘を通したければ然るべき場所で」

 …腹を括る時が来たらしい。響に連れられ、協議の会場である天探女軍の天幕へ向かう。その道中、心の中で幾度も溜息を溢しながら。


「…来たな、半妖よ」

「…二日ぶりだね、サグメ。…それに、他の奴等も。生きてたなんて、随分と悪運の強い奴等だ」

 天幕に置かれた丸太に腰掛け、一昨日に殺し合った敵将を睨む。この会場に集ったのは天探女を始め、狸の将に土蜘蛛の将、それに佑介の父親である赤鬼の将だったか。サグメの軍から出席しているのはそれくらい。千羽此方側からは響に佑介、根住に日辻。加えて空と有希、そして僕。涼葉に千春、水鈴は…こういう場所は苦手か。というかソコが居ないなら僕だって帰りたいんだけど。

「…黒羽君、諦めなさい。もう話し合う事は此方からの要求だけだもの。勝者から敗者に求める条件ってやつ」

「…其処まで進展してるならそれこそ僕を呼んだ意味…」

「半妖よ、貴様が我儘を通すと聞いたが。それならば人伝では無く貴様本人の口から聞かぬと受け入れられぬ」

 ―…凪、そろそろ観念しなよ。というかずっと判んないんだけど、我儘って私がいない内に何があったの―

「…はぁ。やっぱり自分で言わなきゃか…」


『…今回の戦は、なるべく死体を増やさない方向で頼みたい』

 探女戦線の開始直前に、阿呆の発想を口にした。戦のイの字も知らない莫迦の戯言だ、という前置きがありながらもそれが意味を為さない程度には物議を醸した問題発言。それを受けて、今回の戦で総大将の座を預かる響は口を開いた。

『随分な綺麗事ですね。確かに我等も自軍で死者を出すつもりはありません。…ですが、そうもいかないのが現状です。六月にも千羽の幹部が殺されましたし、それに』

 ―判っている。これはわたしのエゴだ。殺して、殺されて、幾度もなく地獄に立ち会っただけの子供の我儘だ。多くの死を見届けた故の発言、ただ喪いたく無いが故の失言。それでも、わたしは自らの意思を主張する。たとえこの提言の本質が、既に見抜かれていようとも。


『―凪くん…いえ、夜峰の鴉の生き残りよ。君は、我等に『殺すな』と宣うのですね?』


 …僕は響に―退魔士の連中にも、不殺を願った。結果、宣戦布告以降はどちらにも死者数はゼロ。既に一つ目の我儘は通した後だ。けれど、まだ―否、この我儘を通したからこそ、次に通すべき我儘がある。

「…一つ、千羽は君達の故郷を奪う。―お前が率いた妖達の故郷に、この町のルールを適用しろ。そして二つ、佑介の故郷―大江の鬼の里を返してやって欲しい。…頼む」

「………ッ!?」

「凪、テメェ何言って―」

「…ふふっ、あはははははははは!…あぁ、やっぱ黒羽君は変わらないわね。あはは」

 その発言に天幕の中がざわついた。佑介は声を荒げ、有希は何が可笑しいのか大声で笑う。そう、敵も味方も殺さなかったからこそ、貫き通す事の出来る空想。素人ながらに考え抜いた、出来得る限りのハッピーエンド。

「…文句、反論があるなら今の内に。此処は協議の場だ、勝者と言えども議論はするさ」

「…拒否権が無い事は判っている。しかし半妖よ、何故貴様はそれを求める」

「一つ目は意訳すれば属領になれって事。当然ながら物資も提供するけど、ある程度は千羽でも働いてもらう。響は人手不足に嘆いてたからね」

 あくまで理路整然とした説明を心掛ける。サグメの兵も土蜘蛛も労働力とするならば非常に優秀だ。それ以外の理由なんて無いし、戦争の報酬として求める物としては土地と労働力は寧ろスタンダードの部類に入るだろう。

「二つ目に関しては言わずもがな。それが佑介が此方側に立った理由だから。あ、ついでに佑介に一発殴られてくれると助かる」

「…テメェ、そんな事考えてたのか…。戦の前から勝った後考えてるとかよ…」

「獲られたモノ獲られたまんまは嫌でしょ。その辺りの清算もだけど、特に一つ目は不殺ころさずの方が要求しやすかったから。下手に犠牲出て泥沼化、なんてオチは笑えないし。…あ、宣戦布告前のは申し訳無いけどノーカンで」

 苦笑しながらサグメの側に向き直る。そう、戦は勝って終わりじゃない。求めるものを求め、清算すべきものを清算して漸く戦は終わる。貪欲な鴉で在るが故、僕は想いを通すのだ。

「…それで?首を縦に振ってくれると嬉しいんだけど」

「…妖の世界は弱肉強食。その条件を受け入れよう」

「オーケー、決まりだね」

 その一言で全てが終わった。後は文書がどうとかだけど、此処から先は戦場に立っただけの僕が出る幕じゃない。そも現時点でかなりの無理を言ったのだ、此処からは響達に任せるだけだ。

「…それじゃ、僕は帰るから。…はぁ、珈琲淹れ直さなきゃ」

「待て、半妖の。…否、凪と言ったか」

「…まだ何かあるの?」

 呼び止めるサグメの声に、辟易とした態度で振り返る。その無色の女神は少し間を空けて咳払い、そして訝しむような声色で疑問を問うた。

「…貴様、何処まで知っていた」

「ノーコメントで。…佑介、後は宜しく」

「ま、待て―」

 刹那、天幕に轟く拳の音。二〇一八年は八月十六日、午前十一時三十分。探女戦線と呼ばれる戦は、此処に幕を降ろしたのだった。




〈此度の戦のレポート〉

 開戦―二〇一八年八月十三日 〇〇時〇〇分

 終戦―二〇一八年八月十六日 一一時三〇分

 千羽側の被害―軽傷三十八名、重傷七名。死傷者無し、建造物への被害少数(修復済)

 敵軍側の被害―壊滅。重軽傷者多数、死傷者無し。

 終戦条件―天探女軍の領土の一部の千羽町属領化、及び大江山の鬼の里の返還


 補足事項―天探女軍の侵攻目的は千羽町の条約による妖の保護、及び枯渇間近の食料問題解決を目的としたものだったと判明。…結局、属領となる事で町のルールも物資支援も得られるとは。Win-Winの結末を用意するだなんて、全く。黒羽君は何処までお人好しなんだか。




 そして翌朝。天気は快晴、気分は上々。耳をつんざく蝉の合唱、久々に賑わう千羽の町。火山の噴火予測とかいう建前による避難から戻って来た人達は、何事も無かったかのように日常を送る。

「さーて、凪。私も帰って来たし今日から喫茶も営業再開だけど。…何か言う事あるんじゃない?」

「…本ッ当にご迷惑をお掛けしました、店主マスター。入院は致し方無いとしても、はるさんに連絡取らなかった事は反省してます」

「うん、反省してるなら許します。…お帰り、そしてお疲れ様、凪。それに、ランちゃんも」

 微笑む店主に顔を上げる。盆暮れの朝日が眩く射し、風鈴は雅に鳴り揺れる。珈琲と小麦の匂いが薫る店内で、僕は三角巾を付け直す。

「あ、そうだ。今日は団体様の予約入ってるから」

「…え?初耳ですけど―」

 疑問符を呈する前に開くドア。いつもの日常、この爪で守り抜いた日常。涼やかな風と共に訪れた彼等に、壊れた筈の心の底から笑顔が零れ出た。

「おはようございます!団体で予約してた白部ですっ!」

「やっほー、黒羽くん!美味しいケーキ一つちょーだい!」

「涼葉うるせェ。…邪魔するぞ、凪」

「もー、硬いッスよ佑介さん!折角の打ち上げッスよ!」

「千春、迷惑にならぬよう。…いい朝ですね、凪殿」

「晴さん晴さんっ!ラテアート、ペンギン描いてっ!」

「皆元気だねぇ。僕もオムライス三つ頼もうかなぁ」

「…随分と賑やかで悪いわね、黒羽君。…けれど、たまにはこういうのも悪くないでしょう?貴女が、まといが抱いた空想の先の景色というのも、ね」

 微笑む蛇眼の乙女に笑顔で返す。喧騒とかお祭り騒ぎとかそういうのは確かに苦手だけれど、彼女の言葉には同意以外の択は無い。この景色が、僕が、私が救えた結果と言うのなら。

 ―ねぇ、凪!私達も混ざろうよ!―

「奇遇だね、僕も同じ事考えてた。…マスター」

「当然!大切な仲間と青春してきなさい!」


 ―纏う言霊は踏み出して。抱いた空想のその先で、少年少女は無邪気に笑っていた。




 ―千羽高校アヤカシ連盟 探女戦線 了―

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