一三話 溶け落ちるような蛇の毒

 ――わたしが、皆を護るんだ。


 そう決意したけれど、結局は何も護れなかった。伸ばす腕は届かず、駆ける足も間に合わず。この手で護りたかったことごとくは、指の間から零れ落ち。悲鳴と怨嗟の声を受けながら、暗闇の中で涙を流す。

 血に塗れる事はどうでも良かった。誰かを殺す事に躊躇いは無かった。ただ、大切な人達を護って、皆で笑って過ごしたかっただけなのに。


 里の皆は殺された。生き残った父は狂って死んだ。母と姉は自ら首を吊った。皆を同じ所に埋め、妖刀を墓前に突き立てた。

『空。皆をお願い』

 刀に願いを込め、そっと立ち去る。

 護れない自分に価値などない。救えぬ者に意味は無い。自分が自分であれるように、もっと多くを護らないと、もっと多くを救わないと。もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと。


 ――判っているんだけどね。尽くを護るなんて、下らない空想だって。


「……はぁ」

 温泉の大浴場で一人、溜息を零す。薬湯の水面に映る自分の顔は、情けないくらいに弱々しく。

 ――……夕方の事、気にしてるの?――

「……まぁね。不意討ちで仕留めたとはいえ無様を晒した事に変わりは無いし結果的に涼葉の手柄奪ったみたいになったし」

 深紫の横髪を弄りながら重い口調で言う。流れる湯の音のみが響く場所で、少年少女の心は沈みゆく。

 原因は今日の一連の出来事だ。まず正午、千羽の主の令嬢である白部 響が鬱症状で倒れ学校から早退、一週間の入院措置が下される。そして弱った響を狙って――恐らくは暗殺の目的で退魔士である辰宮たつみや れいが彼女の病室を襲撃。しかしそちらは響に、そして刀の九十九神つくもがみである空によって返り討ちに合っている。

 問題は、もう一人の退魔士、宍戸ししど じんだ。響との合流を防ぐ為か、それともただの私怨なのかは不明だが、彼は鴉天狗の半妖である黒羽 凪、雪女の氷室 涼葉の前に立ちはだかった。

「……涼葉と宍戸の馬鹿の戦いを見てようやく気付いた。僕は、何十歩も遅れてたって事に」

 思い出して歯噛みする。能力の質とか魔力妖力の総量とかの才能の話じゃない。凪は彼等に比べて、圧倒的に場数が足りていないのだ。

「響や涼葉、千春は白部組の関係者だからそれなりに場数がある。佑介の一族は傭兵稼業で生計立ててるらしいから戦闘慣れに加えて実力もある。空に関しては言わずもがなだ」

 ――退魔士も妖や怪異の調査、討伐が主な仕事だから……そっか。羽生さんや水鈴も――

「うん。対して僕は経験の質はいいかもだけど、それまでは訓練とかも全然してなかったし。……妖の世界に関わりたくなかった、っていうのもあるけど」

 言って、深い溜息を零す。そう、凪は望んで戦っている訳では無いのだ。ただ戦いに巻き込まれてしまったから。大切なモノを失いたくないから。戦わなければ大切なモノを失ってしまうと知ってしまったから。だから戦う。戦わなければならないのだと自分に言い聞かせながら、風の爪を研ぎ続ける。

「……さて、そろそろ上がろうか。明日から本格的に鍛えなきゃだし」

 本当は、戦いたくはないけれど。なんて、嘆くように願いながら。薬草の湯煙の中で、半妖は今日という日を振り返る。


 退魔士の辰宮、宍戸の襲撃から間もなく、凪は負傷した左腕を押さえながら涼葉と共に響の病室へ急行した。そこには憔悴した様子の響、急遽合流した佑介と千春、そして有希が集まっていた。空は診療所の外で警護に当たっている為、後程凪から概要を伝える事になった。

『……集まったわね。それじゃ、アヤカシ連盟緊急会議を始めたいのだけど』

 そこまで言って、有希は病室のベッドで横たわる響を見遣る。

『……言って、いいかしら』

『構いません。共有すべき情報ですから』

 響の答に頷いて咳払いし、有希は再び正面を向く。その黄金の蛇の瞳は、彼女の苛立ちと焦燥を暗喩していた。

『この一件に関して、鬼島君に調査を依頼してたの。そしたら――』

 有希の声から一拍置き、佑介は病室の片隅で縛られている影を見遣りながら口を開く。

『――響を襲った辰宮と宍戸……アイツ等だが、白部組――響の親父が束ねる組の幹部三人と繋がりがあった。ついでに言うと、その三人は天探女アメノサグメの軍と裏で繋がってやがった』

『……はぁ!?』

 佑介の話に千春は思わず驚愕の声を上げる。天探女――千羽を獲ろうと目論む堕ちた鬼神。先々月の千羽町奇襲未遂、そして先月の虚空戦線も彼女の軍によるものであり、千羽とは実質的な抗争状態にある。宣戦布告が無い以上、現時点では正式な戦争とは言えないのだが、それも時間の問題だろう。

『その辺りは、涼葉さんが詳しいかと』

『うん、私も虚空戦線の時にそいつらから裏切れって脅されてたんだよねー。裏切らなかったら響ちゃん殺すーって。勿論、響ちゃんは簡単には死なないしソッコーで蹴ったけどー』

 軽い調子で話す涼葉に、凪は思わず言葉を失った。何事も無かったかのように話す彼女だが、事は重大だ。離反に次ぐ離反、その最中で脅迫にも屈しなかった彼女は。

 ――最初は調子のいい子だって思ってたけど。涼葉、本当に凄いね――

 楽観的と言うべきか、肝が座っていると言うべきか。先刻の宍戸との戦闘の際の落ち着きといい、彼女も中々のつわものなのかもしれない。

『……佑介さん、少し気になる事が。組んでた理由、判るッスか?』

『あぁ?んなモン単純だ。金と地位に決まってンだろ』

『――』

 そして病室に重たい空気が流れる。正直な話、現状は決して悪くはない。佑介曰く、辰宮と宍戸以外に天探女の軍に関与している退魔士は密偵として潜入していた一人の退魔士以外には確認出来ず、仮にいたとしても丸一日あれば有希が洗い出せるとのこと。なのでその辺りは然程問題では無い。

『……まぁ、動機はいいとして。問題はどう対処するかだ。響?』

『……はい。辰宮さんと宍戸さんの処遇に関しては退魔士側の判断になりますが、白部組幹部の処遇については私に決定権があります。なので』

『……まぁ、地下牢にでも放り込んで尋問すればいいんじゃないかしら?それにしても、本当に――』

 言って、蛇眼の少女は溜息を溢す。焦茶の髪から覗く黄金の瞳はいつの間にか紅色に染まり、獲物を狙う狩人のように先を見据えた。

『――腹立たしい』

 夕空の下、蛇巫女は悪辣を嗤う。


〈白部 響 暗殺未遂事件レポート〉

 発生時刻――一六時二〇分(推定)

 実行者――辰宮 零、宍戸 仁(白部 響、氷室 涼葉、妖刀〈虚空〉により撃退)

 負傷者――実行者二名、黒羽 凪(黒羽は宍戸との戦闘による左腕の粉砕骨折、重傷。黒羽自身の変化能力による修復作用により現在は治癒)

 備考――本件の発生から二時間後、白部邸の庭園で妖狐の御堂みどう野箆坊のっぺらぼう臼白うすしろ、河童の水瀬みなせの死体が発見された。死者はいずれも白部組に所属する幹部であり、此度の暗殺の依頼者と思われる。また、現在敵対中の天探女軍との繋がりが確認出来た。

 尚、死体の頭部は消失。首には食い千切られたような跡が残っている。


 レポート制作者 羽生 有希


「……何ですか、それ」

 翌朝、診療所の一室で響は唾を飲む。昨日の暗殺未遂について白部組と退魔士達に向けて発表された記録表レポートに、天探女軍と手を組んでいた白部組幹部達の死亡情報が載っていたのだ。

「先程述べた通りでございます、姫様。姫様が彼等を処罰する前に、何者かが彼等を。恐らくは、口封じかと」

 見舞に訪れた白部邸の使用人メイド服を纏った女性が神妙な面持ちで語る。曰く、有希が彼等の尋問の為に白部邸を訪れた時に変死体を発見したらしい。彼女はそれを白部邸に直様すぐさま報告。『もっと早く行動していれば』と歯噛みしていたそうだ。

「……凪くん達は」

「黒羽様は大事を取って学校を休んでおります。氷室様の御息女と伊田様、鬼島様は登校するとの事ですが」

 そうですか、と呟いて彼女は下を向く。天探女との抗争状態に入ってからの初の死者。彼等は千羽を裏切っていたとはいえ、曲がりなりにも白部組の幹部。相当の実力を持っているのだが、こうも簡単に殺害されるとは。

「――しましょう」

「……姫様?」

 刹那、響の身体を閃光が迸る。髪を逆立てる少女の瞳は、獣の如き鋭さで。

「宣戦布告、致しましょう。天探女を潰す為に」


「いタゾ」

「あイツダ」

「せンバノヒメ」

「きツネハマズカッタ」

「かオナシハマズカッタ」

「かッパハウマカッタ」

「らイジュウハウマイカ」

「よコノオンナハウマイカ」

「くエバワカル」

「くイコロソウ」

「くイコロス」

「くイコロセ」


「煩いわね、虫螻むしけら共」

 刹那、使用人が吐き捨てる。それと同時に診療所の換気扇がガタガタと震えだし、ばんと派手な音を立てながら黒い影が飛び出した。

「「「くッチマウゾ!」」」

土蜘蛛つちぐも!?」

 それは、虫螻と呼ぶにはあまりにも大きかった。一メートルを超える、真っ黒い大蜘蛛。それが三匹、響と使用人に鋭い鋏角を向けながら飛び掛かる。

「「「しネェ――」」」

 そして響と使用人の喉元に噛み付こうとした、その刹那。

「『蛇呀ナーガ』」

 鳴る声と共に、黒い影は病室の壁に叩きつけられる。何が起こったかも理解出来なかった蜘蛛達の眼前では、使用人が手車ヨーヨー片手に虫を睨み付けていた。

 錆鉄のような焦茶の髪、黄金に輝く蛇の瞳。使用人の装いをした巳の退魔士に、蜘蛛は思わず震え上がる。

「「「ばカナッ…」」」

「白部さんは休んでていいわよ。コイツ達は私が殺すから」

 そして、退魔士は一つの蜘蛛に手車を振るう。途端、蜘蛛は溶け落ちるように息絶えた。

「……まずは一匹」

「「よべ!なカマイッパイヨベ!」」

 狼狽える蜘蛛が叫び、換気扇からわらわらと黒い塊が増殖する。百、二百、あるいはそれ以上。病室を埋め尽くす勢いで増え続け、黒い波で響を病室の窓から弾き飛ばす。

「まズハオンナ、おマエカラダ!」

「羽生さん!」

「大丈夫よ、白部さん。このくらい、すぐに終わるわ」

 黒い波に飲まれながらも、退魔士は余裕のある笑みを浮かべる。そして病室が黒い影に覆い尽くされ、彼女の全身に鋭い顎が伸びる。

「シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ」

 ――絶対絶命。誰もがそう思い込むだろう。事実、この黒塊達も退魔士の殺害を確信していたし、響も無事では済まないと思っていた。

 けれど、蛇眼の少女は確信していた。視界に捉えた彼女の世界に、敗北の二文字など有り得ないと。

 蛇の瞳は紅に、眼球の白は墨色に。神無の魔眼は、映す一切を溶解する。

「『溶堕毒メルトベノム』」

 ――一瞬だった。数百の蜘蛛が、声を上げる間も無く黒泥と化す。病室を覆い尽くす程の泥、その最中で濡る蛇巫女の瞳は、冷たい黄金に染まっていた。

 羽生 有希、〈蛇巫女〉と呼ばれる退魔士。千羽最強と謳われる、面倒嫌いな冷酷少女。

「……ゔっ、吐きそ……」


『ごめんなさい、姉様。私はもうすぐ完全に狂ってしまう。奴等が憎くて憎くて仕方無い。私達を陥れた奴等を許せない。私は姉様のように寛容でいられないから。どうか、どうか私を――』

 ねぇ。貴女はどうして私を切り捨てたの。そんな事をしなければ、貴女は魔に堕ちることなんて。

 ――いいえ、やめましょう。貴女の判断は正しかった。貴女と一緒にいればきっと私も怪物に成り果てていた。ならば、ええ。貴女を責めるのはやめておきましょう。

 あのね、■■■■■。私はなんとかやってるわよ。黒羽君達は良くしてくれてるし、退魔士嫌いはまだ直らないけど日辻や水鈴とは仲良くやっているもの。色々と気に喰わない所もあるけれど、千羽この町ならきっと、貴女の願いが叶う筈。

 だからこそ、私は神に牙を向く。大丈夫、私は悪性には堕ちないから。復讐の為じゃなくて、皆を、千羽を守る為に私は戦う。

 

 いつか貴女の望んだ平穏を、私達が見せてあげる。

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