一二話 風と氷、鋼と雷

『人間と妖は、決して分かり合えない』

『妖という存在、それそのものが悪なのだから』

 退魔士の馬鹿共は皆一様に吐き捨てる。自分達こそが善なのだと信じている利己主義者の群れは、敵対する彼等を悪とすることで自らの行為を正当化し、いとも容易く極悪非道を働ける。八年前の退魔士による霊山急襲、それに伴う鴉天狗の一族郎党、一切鏖殺。それも金に目が眩んだ奴等の所業の一つだ。

 ――結果として、そいつらは全員死んだ。生きようとした、家族を助けようとした一人の半妖に返り討ちにあったのだ。無論、彼等の自業自得と言えばそうなのだが、自らが正義だと信じてやまない輩は当然のように妖を怨む。


「……私が探してる宍戸ししど じん、彼は親を殺されてね」

「もしかして、妖にッスか」

 朱に染まる雲の下、橙花の髪の少年、伊田 千春の問に私はこくりと頷く。私達は宍戸と辰宮たつみや、二人の退魔士を探して千羽町を探索していた。

「……一応後輩だからフォローさせてもらうのだけど、宍戸は良識のある退魔士なのよ。妖嫌いは強いけれど無闇に妖を襲う奴じゃない。……その分、やる時は十中八九殺してるけれど」

「羽生先輩、それフォローになってないス」

 苦笑する伊田君を余所に私はスマートフォンを弄りながら歩みを進める。

 ――さて、私が二人を探しているのは雷獣という妖の少女、白部 響の一件が絡んでいる。千羽高校では生徒の欠席、早退、遅刻届の受理も生徒会の仕事なのだが、私が白部さんの早退届を受理した際、違和感を感じ取ったのだ。

 まず、白部さんにうつの傾向があった事は黒羽君からの相談で私も把握していた。他にその事実を把握していたのは察しが良く彼女と共に行動する事の多かった黒羽君と鬼島君、あとは白部組として彼女と関係の深い使用人が数名程度いるかいないかだろう、そう判断した。無論、私はそれを口外してはおらず、黒羽君達も同様だ。

 しかし、聞くところによると加えて二人、それを把握している者がいたのだ。それが宍戸 仁と辰宮 れい、退魔士の中でも妖を過度に敵視している男である。水鈴と伊田君の情報を照らし合わせると、昼頃―私が早退届を受理する前に二人は白部さんの症状について語っていたそうなのだ。なお辰宮の阿呆は声が大きいので私も少しは内容を把握している。アイツは本当に煩いからせめて静かに死んでほしい。というかそろそろ本気で絞めたい。

 ……話が逸れた。そう、私の感じた違和感がそれなのだ。何故彼等が白部さんの症状を識っているのだ。私も黒羽君も鬼島君も口外はしていない、その筈なのに。

 では、何処から聞き及んだのか。可能性は二つある。一つは道を歩いていた使用人の噂話が『たまたま』聞こえてしまった場合。確率こそ低いが無いわけではなく、この場合はただの世間話を又聞きしただけという事で実害はゼロ。私の杞憂という事になるため、そうであってほしいと願ってしまう。

 ……しかし、多分は二つ目の可能性だ。白部組の使用人、その内の誰かから情報が漏れ、他の妖から又聞きした場合。鬼島君曰く、組内で白部さんの暗殺計画なるものも存在するらしい。もしそれが事実だとして、組の裏切り者が宍戸、辰宮と手を組んで体調を崩した白部さん――未来の千羽の主の暗殺に走る可能性。人間と妖の対等を目指す彼女が、二人にとって邪魔だとしたら――

「……先輩」

「……えぇ、そうね。急ぎましょう」


 結論から言って、有希の憂慮は当たっていた。否、当たってしまったと言うべきだろうか。白部 響が滞在している診療所、そこでは既に戦闘が始まっていた。

「……邪魔はしないで欲しいな」

「此方の台詞だ」

 病室に響くは鋼の音、舞うは灰の戦巫女。己の矜持を貫く為に、刀の九十九つくも刀身カラダを振るう。相対するは、折れ太刀振るう紺の髪。一尺と化したその刃、未だ龍の如く鋭く猛く。

 ――先に折ったのは正解だったか――

 剣戟の最中、心の中で九十九は感嘆する。技量こそ九十九が上だが、純粋な膂力では紺の剣士に劣る。仮に太刀が折れていなければ、九十九が地に伏す可能性もあったのだろう。

「流石は〈虚空〉の剣士。この辰宮に並び立つ程とは」

「辰宮――退魔の名家か」

 刃と言の葉を同時に交わし、改めて辰宮と名乗った男を見遣る。右目を隠す紺の前髪、整った目鼻立ち。気障に笑うその青年は容姿からして高校二年生程度―おそらくは千羽高校に通う学生退魔士だろう。

「……そこを退いてはくれないか。麗しい巫女様を斬りたくはないのでね」

「心配無用。斬るのは私だ」


 遡る事少し前。千羽町は九十九川、そこに面する八十八やそはち公園。そこで小休止を取っていた凪と涼葉の間には重たい空気が流れていた。

 ――凪、あいつって――

(宍戸 仁、あの時難癖付けてきた奴だよ。正直いい噂は聞かないけど)

 ランと心の中で話しながら眼前の栗毛の退魔士を睨む。彼の険しい瞳に籠もる殺気は、明らかに此方に向けられていて。

「涼葉、撤退準備」

 小声で涼葉に提言する。その言葉が思わず漏れ出る程度には、思わしくない状況であった。

「……やっほー、宍戸君。何か用事?」

 土を踏む音がする。宍戸と呼んだ退魔士が一歩踏み出し、涼葉はそれに合わせて一歩下がる。彼女の行動を悟られないよう、とぼけた声と作り笑顔で問いかけた。

「問う。貴様は善か、それとも悪か」

「なぁに、急に」

 再び惚け、隠す左手に風の爪を纏う。判っている、これが無意味な問答だという事は。善悪なんて答える道理は無い。何故なら、

「判らぬなら教えてやる。貴様は」

 アイツの腹は、

「悪だ」

 決まっているのだから。


「――撤退!」

 目一杯叫んだ。凪の声に合わせて涼葉は距離を取り、宍戸は此方に飛び掛かる。奴の握る拳は魔力を帯び、半秒も掛からず目前に迫る。

 ――疾い――

「『猪突ちょとつ』」

 重い拳が凪を撃つ。防御に回した風の爪を物ともせず、小さき鴉を川辺まで吹き飛ばす。

「痛――ッ」

 飛沫と共に骨の砕ける音が鳴り、左の腕が複雑に曲がる。激しい痛みに襲われながらも、鴉は立ち上がり眼前の退魔士を睨みつける。

「黒羽くん!?」

「余所見をするな、雪女」

 宍戸の言の葉と共に殺意が涼葉に向けられる。彼は拳に魔力を籠め、少女の顎部目掛けてそれを振るう。

 ――それは、最悪の状況であった。宍戸の一撃は赤鬼である佑介、以前相対した化狸の将よりも重く、強い。現にその一撃を喰らった凪の腕は、もはや腕としての機能は失われている。凪でさえそれなのに、凪より身体能力の劣る涼葉がまともに喰らってしまえば。

「涼葉!」

 刹那、肉の潰れる音が公園に響いた。


 診療所での剣戟から十分、九十九と退魔の剣士は未だ鋼の音を響かせていた。文字通り火花散らすその刃の向こうで、九十九の剣士は退魔を睨む。

「随分と息が上がっているようだね、麗しき九十九の巫女よ」

「……黙れ、辰宮の折太刀おれだち

 しかし、この十分で二人の戦に動きが無かった訳ではない。実力こそ同等であったが、剣戟を続ける内に空の顔に焦りが出てきているのだ。振るう太刀筋こそ未だ変わらないが、それに陰りが生じるのも時間の問題だろう。

 それもその筈、空は刀の九十九神。人の身体を顕現させてはいるが、核となっているのは振るう刀の側である。刀身カラダは即ち真なるからだ、それを打ち付けていればどれだけ強度があろうと消耗はする。こと疲弊に関しては他の剣士よりも見劣りする程に早いのだ。

「『夜峰よみね流抜刀術、〈おぼろ〉』!」

「『青龍』」

 故に、幾度も決着を狙うがその度に折太刀に阻まれる。辰宮とかいう退魔士の魔力だろうか、あの流水のような構えに全て受け流されてしまうのだ。せめて一撃、奴に喰らわせる事が出来たなら。

「……さぁ、巫女よ。そろそろ降参してはくれないか?このままでは、君は」

 そう、一撃。雑草の如くしぶとい彼を、一撃で仕留められるような。

「心配無用と言った筈だ。それに、辰宮。お前は重大な事を失念しているようだが」

「……どういうことだ?」

 無論、その一撃の主は。

「知っている筈だ、ここには妖がいる」

「!?」

 私以外であっても構わない。

 さて、状況を振り返ってみよう。辰宮は雷獣の少女、白部 響の暗殺を目標とし、診療所を訪れた。しかし、そこにいたのは目標ではない別の妖、九十九神である空だった。

 では、目標である筈の響は何処に姿を消したのか。答えは単純、。ただ彼女の病室の隣の部屋―此処の前に荷物を置き、辰宮を誘い出しただけなのだ。

「……ありがとうございます、空さん。時間を稼いでくれて」

「行けるか、響殿」

「勿論。お陰様で一撃なら放てます!」

 少女の声に合わせ、空は病室の窓から戦線離脱する。それに合わせて声の主は部屋の入口に立ち、身体を青白く発光させる。

「な、お前は――!」

 そこに立っていたのは、白雷迸らせる獣の少女。ニヤリと牙を向き、そっと退魔士に手を触れる。

「『響雷撃ヴォルテリカ』」

 刹那、病室が閃光に包まれる。その様子を外から眺める虚空の剣士は、呆れたように溜息を溢した。

「……病人とは、何なのだろうな」


 拝啓、響、空。そっちの方は何とかなってるだろうか。

 此方は現在敵襲を受け、左腕が持っていかれた。――いや、まぁそれは別にどうでもいいか。目下の課題はそれじゃない。

「さあさあさあさあ!まだまだ氷はあるからねー!」

「ぐっ……!」

 ―……凪、これって―

「……涼葉にどう謝ろっか」

 正直に言おう。僕は涼葉を軽視してた。確かに彼女は身体能力ではアヤカシ連盟の中でも一番下、普通の人間より少し運動神経がいい程度だ。能力である氷も防御向き、それも宍戸の馬鹿力には意味を成さないと思っていた。しかし――


『猪突』

氷盾ひょうじゅん顕現』

 宍戸の一撃が涼葉の氷に防がれる。刹那、僕は目を疑った。あろうことか、涼葉の手元に生成された氷の盾は砕かれるどころか、宍戸の拳を砕いたのだ。

『なっ……!?』

『前から思ってたけど黒羽くん、戦闘とか不慣れでしょ?』

 それどころか、涼葉は至って余裕だった。宍戸が痛みに思わず体制を崩す最中、彼女は朗らかに笑いながら氷の盾を中に投げる。

能力チカラを使った攻撃は避けるか妖力で防ぐんだよー。また今度、一緒に練習しよっか』

 そして指をパチンと鳴らす。すると氷の盾は先の尖った氷の塊を生み出し、宍戸に向かって放射する。

氷槍ひょうそう射出!』

 宍戸は寸前で氷塊を避けるが、中に浮かんだ氷の盾は二発三発と氷槍を射出する。そして宍戸に避けられ地面に刺さった氷は周囲を氷結させ、徐々に宍戸の足場を奪っていく。

 十二、三発射出されたあたりで宍戸は遂に氷の地面に足を取られてしまった。すると氷は宍戸の足下に向かって氷を伸ばし、彼そのものを凍結させようと迫ってくる。

『チィッ!』

 宍戸は瞬時に氷を砕き難を逃れる。しかし、その間にも涼葉の氷は何度も何度も射出される。空中の砲台と化した氷の盾から放たれる氷はまさに無限。いつしか彼女の妖力は、周囲を氷の壁で覆っていって。

『うん、久々に全力出せそうだね!』

 そんな彼女の猛攻に、思わず目を奪われていた。


 ――凪、私達もサポートに!――

「……腕、動かないけどね」

 ランと共に苦笑する。氷の雨を降らせる彼女の邪魔にならないように戦うのは難しいと、一先ず腕の応急処置をしながら涼葉と逃げ惑う宍戸の見守る事にした。

「……取り敢えず。『変化へんげ、〈雛鳥ひなどり〉』」

 唱え、凪は影に身を包み、半秒程でそれを解く。河原の水面を見遣ってみると、そこには紫の長髪を携えたよわい十歳程の童女が映っていた。

「ま、動かせるようにすればいいんだけどね」

 身体の変化で強引に治した腕を見て呟き、童女は懐から短刀を取り出す。そして少し離れた氷結地帯に近付き、そっと息を潜めて様子を伺う。

 簡潔に言って、凪の妖力は継戦には全く向いていない。妖力の消耗が激しく、防御にも不向きな能力であるのが主な理由だ。

 ――故に、狙うは鋭い一撃。

「しつこいぞ、雪女!」

 刹那、氷の壁が揺れる。氷の槍を潜り抜け、宍戸は再び涼葉に向けて拳を振るっていた。

「喰らえ、『大猪突』――」

「させないよ」

 さて、攻撃の瞬間には必ず隙が生じるものだ。宍戸の拳の場合は振りかぶるタイミング。無論、隙があればそこを突けばいい。鴉の童女は短刀に妖力を纏わせ、宍戸の懐に飛び込んだ。

 ――雛鳥一閃。夜峰の抜刀、魔を祓う。

「夜峰流抜刀術〈風斬羽カザキリバネ〉!」

 振るった短刀が宍戸の身体を切り付ける。疾く、鋭いその一撃は、少年の意識と魔力を一撃で刈り取った。


『……御館様。退魔士二人が失敗したようです』

『アヤカシ連盟か。手こずらせてくれる』

『千羽の内通者も使えない。どうされますか?』

『焦るな。どうせ皆一様に滅ぶのだ。土蜘蛛という名の厄災の前に』

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