七月・error

凪の追憶

凪の追憶・前編 災禍事変

 ――始めまして、こんにちは。……あぁ、君達はわたしの事を知ってるんだっけか。それなら、始めましてというのは適切じゃないかも。

 ……面倒な事はどうでもいいや。改めて、わたしは如月きさらぎ 日菜子ひなこ。君達がわたしの事を、あの子達の事をどれだけ知ってるかは知らないけど、名前くらいは判るよね。……あ、全然知らない?まぁ、それでもいいけど。


 ――さて、前置きはこのくらいにして。今日は君達に昔話をしようと思ってね。君達はこの世迷言ばかりのわたしに耳を傾けてもいいし、無視してあの子達の物語の続きを見届けてもいい。けれど、あの子に対しての理解を深めたいなら、わたしの話は聞いて損はしない筈――いや、させない。私が保証するよ。どうする?このまま聞いていくもよし、スマートフォンの画面を閉じるように言葉を遮るもよし。選択権は君にあるから。……まぁ、後でっていう選択肢もあるけどね。


 ――引き返すなら、今のうちだよ。




 ――オッケー、承諾ってことでいいかな?うん、じゃあ早速始めようか。そうそう、随分長丁場になると思うからお手洗いは済ませといてくださいねー。

 ――いいかな?それじゃ、今日のお話は、『まがとり』。大切な人を守ろうとした、優しい鴉のお話。それじゃ、早速読んでみようか。




 むかしむかし、とは言っても今から大体八年前。千羽町という長閑のどかな町に、霊山と呼ばれる山がありました。そこには鴉天狗という妖の里があり、人間どころか他の妖も近付かない程に恐れられている場所でした。そんな里の、一羽の悪戯いたずら好きな鴉のお話です。


「よーし!今日は何して遊ぼうか!」

 里にある小さな祠。その前で悪戯宣言をするのは、マフラーを付けた深紫の長髪の女の子――の姿をした鴉天狗の半妖。夜峰よみね まとい、当時七歳。好奇心の塊のような雛鳥は、毎日を笑って過ごしていました。

「……纏様?今日は家で大人しくしているようにと、おろし様が」

「えー!?颪のじいちゃんもそらも意地悪!ちょっとぐらいいいじゃんかあ!」

「そのちょっとで颪様の胃に穴が出来たのですが」

 そんな彼女を咎めている灰の髪の女性。彼女は霊山が祀る妖刀の九十九神ツクモガミ、〈虚空〉です。けれど纏は虚の文字が読めないので、彼女を空と呼んでいます。ちなみに颪のじいちゃんはこの里の里長で、妖刀〈虚空〉の主。とはいえ、主従関係は形骸的なもの。纏が一六歳になった際には、虚空は纏に受け継がれる決まりになっています。

「……ねぇ、空。幸せって、何だと思う?」

「……何ですか、急に」

「わたしはね、今は楽しいよ?父さんは厳しいし母さんも颪のじいちゃんも口煩いけど、里の皆は私に良くしてくれるし。それに、有希ゆうきも」

「有希……あぁ、あの焦茶の髪の」

 纏の声色は神妙でしたが、表情はやけに柔らかいものでした。今という瞬間を謳歌している、そんな顔に空も思わず頬が緩んでしまいます。

「……うん、今は楽しいよ。けれど、それはずっとは続かないって有希が言ってた。でも、わたしは」

 ――続く言葉は、勇気を持って。優しい蛇眼の少女に言われたように、纏は胸を張りました。えっへんと、ぎこちなく、仰々しく。

「なんだか自信があるんだ。最後には、幸せを掴み取るって」

 そんな彼女に、空は思わずふふっと笑ってしまいます。何で笑うのー、と不満を呈する未来の主が、思った以上に大物だったので。

「……それにしても、豪胆なお方だ。伴侶を娶る準備も出来ているとは」

「ははははは伴侶!?そういうことじゃないから!」

「おや、てっきり有希殿を娶る心積もりかと」

「ちーがーいーまーすー!」

 その日も、霊山は平和に一日を終えました。


 ある日の事です。纏の友人で一つ上のお姉さんである人間の女の子、羽生はぶ 有希が纏のもとを訪ねた時のことでした。

 彼女が里に入るなり、男の怒号が飛び込んできたのです。

「……あれは」

 気になって、有希は声の聞こえた方向である里の広場へ向かいました。そこには、鴉の頭をした十人の妖と、人間の女性――纏の母親の姿が。彼等と纏の姉である半妖の女の子、しずくが、纏を取り囲んでいたのです。

「纏や……考え直してはくれぬか……」

「颪のじいちゃん……。わたし、周りを引っ張るのとか苦手だし……」

「纏ちゃん。あなたの素質は素晴らしいの。実力もだけど、人の気持ちを誰よりも理解してあげられる。大丈夫、おばちゃんが保証するわ!」

「それは……うん……そうだけど……」

 周囲に言い寄られ、ばつが悪そうに目を逸らす纏。その様子に、有希は少し心配になりました。何かあったのだろうかと、木陰に隠れて彼等を見守ります。

「何、してるの?」

「有希殿、そっとしておいてはくれないか」

「……虚空。今の状況、説明してくれるかしら」

 有希の長い髪の間から覗く黄金の瞳に気圧され、空は丁寧に事を説明します。

 一つ、纏が正式に次代の里長に抜擢されたこと。

 一つ、纏自身はそんなの嫌だと駄々を捏ねて逃げ出した事。

 一つ、その後、纏は捕縛されて現在、説得されている事。

「……成程。前から思っていたけれど、此処の里長って世襲制じゃないのね」

「ああ。純粋な実力で選ぶのだが、半妖である纏様、雫様は妖力が他の半分程度しか無い。しかし、纏様は」

「それを補う程の瞬発力、判断力と剣技、ねぇ。納得はするわ。……けれど」

 そこまで言って、有希の視線は纏の父親である鴉天狗に向きました。千羽に居を構える夜峰の鴉の中でも、彼は一際横暴。人間である纏の母を無理矢理娶り、半妖である雫と纏には愛情を向ける事がありませんでした。そんな彼を颪のじいちゃんは認めず、彼の子である纏を次の里長に任命したのです。本来なら、俺が次の里長だった。纏の父親は、そんな台詞を毎日のように吐いていました。

「……虚空。あのオッサン、里長の素質とか微塵でもあると思う?」

「無い」

「知ってた」

 言って、有希は鴉の円陣に飛び込みます。突然現れた彼女に周囲が驚く中、有希は纏の手を取ります。

「まーとーいっ。遊びに来ちゃった」

「有希!どーする?何して遊ぼっか!」

「そうね、霊山のふもとまで駆けっことか?」

「いーねいーね!早速行こっ!というわけで皆!話はまた後でねー!ほらっ、空も!」

「私もですか!?」

 引き止める彼等を纏は風のようにすり抜け、空の手を取って茂みに消える。あっという間に距離を取られ、鴉達はただ呆然と立っていた。


「さて、と。纏、楽しかった?」

「うん!わたし、有希と遊ぶの好きだもん!」

「だからって勢い余って千羽の外まで出ようとしないでください……。有希殿も、纏様が楽しそうだからといって」

 空は頭を抱えます。山の麓で纏が満足する筈が無かったのです。走るのに夢中だった纏は、気が付けば千羽の町の外まで通じるトンネルまで来ていました。千羽は妖と人間が共存していますが、千羽の外に出れば妖達は害虫害獣の類と同じ。外の退魔士達に殺されてしまいます。

「……けれど、安心しました。トンネルの外には、退魔士が待ち受けていますから」

「……そうね。けれど、虚空?今日は見当たらないわよ?」

 おや、と空と纏はトンネルの先を見遣ります。普段なら此処からでも向こうの退魔士の姿は見えるのですが、今日は影一つありません。纏は気になって妖力で風を飛ばしますが、人に当たる気配もない。今日は非番なのでしょうか。

「……考えても仕方ないよ、空。取り敢えず帰ろ?たぶん、〈ほぼとり〉も冷めてると思うし」

「そうね。それと纏?〈ほぼとり〉じゃなくて〈ほとぼり〉ね」

 はーい、と有希に手を引かれて歩く纏。その髪には、小さな灰が引っ付いていました。


 結論から言って、逃げ出した纏が咎められる事はありませんでした。――いえ、咎める者がいませんでした。

「……なに、これ」

 霊山の麓で、纏は言葉を失いました。空は焦燥し、有希は悔しそうに歯噛みを。彼等の視線に映る千羽の霊山は、あろうことか赤い炎に染まっていたのです。

「……そんな、なんで」

「――有希殿。纏様を連れて逃げてください。私は颪様達を助けに」

「わたしも行く!里のみんなを、助けなきゃ!」

「……あぁもぉ仕方無いわね!私も行くから、死にそうならすぐ止めるわよ!」

 三人は決意を改め、赤熱した山を駆け上がります。道無き道で急斜面、けれど山に慣れている彼等はそれを物ともせずに全速前進。ものの五分で、鴉天狗の里にまで戻って来ます。皆を助ける、その想いを糧にして。


 ――けれど、現実は残酷でした。

 羽根を引き抜かれた見るも無惨な鴉天狗の死体が、二、四、六、七。目の前の防護服の男が引き抜いて、八。里長の颪と纏の家族以外、全員が地に伏していて。

「ヒャッハー!ボロ儲けですぜ、兄貴!」

「鴉天狗の羽は何十億単位で売れる。もっと探せ」

 幼い纏は声も上げられず、その場に座り込んでしまいました。有希は眼前に広がる地獄絵図に呆然とし、空は、

「――一閃」

 ――目前の男二人の首を、妖刀で落としました。

「……纏様。有希殿と共に、颪様とご家族を探してください。私は他を斬り殺して参りますゆえ」

「――そうだよね。助けなきゃ、救わなきゃ」

「……纏は任せて、虚空。殺すのはいいけど、生きて合流しなさいよね」

 空と言葉を交わし、有希は纏と共に周囲を駆けて辺りを探索します。妖力を感知しようとしても、山を焼く炎の魔力で妨害される。恐らくは退魔士の仕業、目的はさっきの防護服の発言から察するに金儲け。そのためだけに、奴等は。思考を巡らせて得た結論に、有希は殺意を覚えます。

「待ってて、皆……!わたしが、助けてあげるから……!」

 けれど、優先すべきは纏の家族と颪の救出。自らの内から溢れる怒りを、有希はぐっと抑え込みました。


 纏は嘆きました。もっとわたしが早ければ。それか、医学薬学を学んでおけばと自らを責め立てました。

 有希は悔やみました。躊躇わなければ、決断力があれば殺せた筈だと自らを呪いました。

 ――二人が颪のじいちゃんの元に合流したちょうどその時、彼は刀傷を負って息を引き取ったのです。

「ッ――」

 思わず言葉を失った纏に、颪のじいちゃんを斬り殺した男が視線を向けます。無駄に派手なマントを背負ったその男は、宍戸ししど げんという、退魔士の中でも有名な人物でした。

「ほぉ?人に化けた鴉に――おやおや、蛇神の娘か」

「黙れ外道!殺す、今すぐ殺してやるわ!お前等全員、縊り殺して――」

 金銭目当てに刃を振るう外道に対して、いよいよ有希は怒りを爆発させました。黄金の瞳は紅に染まり、宍戸の脚を灰に染めます。

「――『石化の魔眼ゴルゴンアイ』か。案ずるな、貴様は蛇神の下に帰してやる」

 しかし、宍戸は何事も無かったように有希に近づき、彼女の頭を地面に押さえつけました。あろうことか、石灰岩と化した脚を強引に動かしたのです。

「痛……!」

「有希!」

「さぁ、次は貴様だ。我等にその羽根を献上したまえ」


 ――あ、わたし、死んじゃうんだ。

 嫌だ、まだやりたい事は沢山あったのに。里の皆と仲良く過ごして、有希と遊んだり勉強を教えてもらったり、空と一緒に刀の稽古したり。

 ううん、その前に有希を助けないと。有希を、空を、父さんを、母さんを、雫を、颪のじいちゃんを、里の皆を助けなきゃ。助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ――


「――助ける為には、殺さなきゃ」

 刹那、宍戸の首が宙を舞いました。風の爪と化した纏のマフラーが、宍戸の首を捩じ切ったのです。

「……みんなみんな、殺さなきゃ……!」

 薄れゆく意識の中、有希は纏の姿を見遣ります。私から、敵から、仲間の死体から、霊山の土地全体から。あらゆる魔力、妖力を纏い、巨大な爪と化す鴉の半妖の姿を。

 ――敵を全員殺すんだ。その願いと共に纏ったのは、霊山を呑み込む程の暴風の爪。里を襲った退魔士を、土地そのものを殺す程の、一撃でした。

「『〈大暴爪だいぼうそう〉、空凶鳥カラドリウス』」


 ――一日にして、多くの退魔士と鴉天狗、そして霊山が死滅した事件。人はこれを、『災禍事変さいかじへん』と呼びました。

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