一〇話 アヤカシ連盟

 皐月の微風が頬に触れる。空は晴天、気温も快適。散歩日和の千羽の商店街を、黙々と道行く影一つ。

 灰色の長髪をオレンジのリボンで纏めた和服の女性は、すれ違う者が皆一様に振り向く程に美しく。その容姿は凛々しい雰囲気を醸し、それでいて表情は年相応の少女のように柔らかく。あるものは凛とした姿に心奪われ立ち尽くし、あるものは可憐な仕草を呆けた顔で見つめてしまう。

「おやまぁ、えらい別嬪さんだぁ。うちのコロッケ買ってかないかい?」

「お嬢ちゃん、うちの魚も見てってくれよ!安くしとくよ!」

「アンタお酒呑める年かい?今日はいい地酒が入ってね」

 そして商店街の店員達はいつものように商魂たくましく宣伝に精を入れている。無論、灰の女性が皆の目を引く程に見目麗しいというのもあるが、店員達は案外普段からこんな調子である。

 しかし、灰の女性は店員達の声に気付かないような素振りで歩みを進める。今の彼女にとって商店街はただの進路。目的地へ赴く為に通過しているだけで何かを購入する気は皆無であった。

 目指すは商店街の外れの喫茶店。そこで、大切な人と逢う為に。


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」

「一名で。空いている席に座れば?」

「はい、お好きな席にどうぞ」

 喫茶で出迎えてくれたのは深紫の髪の店員だった。店員は空と呼んだ女性がカウンター席に着くのを確認して伝票を手に取り、彼女の注文を待つ。

「……決まりました?」

「この、ぶれんど……というもので。……昨日の件については」

「判ったから、急かなさいで。……ブレンドは今から淹れるから、ちょっと待って下さいね」

 店員は伝票を厨房に置き、挽いた珈琲コーヒー豆を丁寧に蒸らし、そしてゆっくりと抽出する。そして予め温めたカップに慣れた手付きで注ぎ、空の前に差し出した。

「はい、お待たせしました。……商品として他人に淹れるのは初めてだから、味の保証は出来ないけど」

「……そうですか」

 空は差し出された珈琲カップを手に取り、ゆっくりと口元に近付ける。彼女が珈琲を丁寧に味わう様子を店員は固唾を飲んで見守った。

「……うん、美味しい。私は珈琲には然程詳しくないのですが、なぎ様の珈琲は深い味わいでした」

「……そっか、良かった。今回のはコクがあるのにしてみたけど」

 珈琲の感想を聞いて、凪と呼ばれた店員はそっと胸を撫で下ろす。そして落ち着いた様子で珈琲を飲む空に対し、淡々とした声で口を開いた。

「そうそう、昨日の件だけど」


 昨日の件とは、千羽と敵対する鬼神、天探女アメノサグメ軍と思われる軍勢の高校急襲である。凪達は千羽軍に呼び出される形でその急襲の戦後処理、及び騙される形で彼等に加担していた妖刀の九十九神〈虚空こくう〉の処遇について相談していた。

『…すみません、皆さん。夜分遅くに』

『いや、問題無ェ。それより、退魔士たいましの奴も呼んで良かったのか?』

 千羽軍の本拠地、白部邸。その大広間で丁重に頭を下げる白髪の少女、白部 響に赤髪の青年、鬼島 佑介は横を見やりながら問い掛ける。その視線の先には眼鏡を掛けた焦茶の髪の女性が面倒そうに溜息を零していた。

『……まぁ、部下にバレたら大目玉ですが。今回の会議自体が極秘ですし、重要参考人は必要なので』

『そういうこと。改めて、千羽高校二年、一応退魔士の羽生はぶ 有希ゆうきよ。宜しく。……心底面倒だけど』

『先輩、堪えてください。取り敢えず、空……九十九の子は反省してるしお咎め無しでいいと僕は思う。協力してくれるって言ってるし』

 溜息を漏らす有希に勝手に空の処遇を提案する凪。この二人の脳内にあるのは早く帰りたい、ただそれだけだった。

『全く、お二人は……。けれど、私も同意見です。反対意見がある人は?』

『うーん、私はその九十九ちゃんと会って無いけど多分大丈夫じゃない?鬼島君も最初はあっち側だったし。伊田君は?』

『俺も涼葉さんと同意見ッス。話を聞いた分には信頼出来そうですし』


「……という事で空はお咎め無しになりました」

「……会議開く意味、あったのか」

 自らの処遇があっさり決められた事実に呆れた声を出す空。それに対して苦笑でしか返す事が出来ない凪。何故か厨房でうたた寝している喫茶のマスター。緩みきった空気が漂う中、凪は小さく呟いた。

「……ま、今回の会議自体が囮みたいなものだからね。本題はここから」


 千羽には多くの妖がいる。しかし、それらの殆どは戦う力を持たない非力な妖である。無論、戦闘能力を持つ妖も相当数いるのだが、その多くは白部組―つまるところの任侠組織ヤクザに属してこの町の警護を担っている。そう、千羽軍というのは有事の際に戦に赴く組員達の事である。

 しかし、最近は白部組の中にも派閥が出来上がってしまった。千羽の妖は白部組の組長――千羽のヌシと呼ばれる妖が束ねているのだが、彼は齢を重ねた為に隠居の準備を始めたのだ。そして次期組長として千羽の主から指名されたのが彼女の一人娘である少女、白部 響である。彼女は相当の実力と心優しい性格故に多くの妖は彼女を支持した。

 しかし、年若い彼女が組長――次なる千羽の主となる事に異を唱える者もいた。ある者は未だ実力を保っている千羽の主に隠居を見送るよう訴え、またある者は自らが千羽の主になろうと企んでいた。白部組内部では響を未来の主と仰ぐ者、今の主に現役続行を迫る者、新たな主を擁立する者の派閥に別れてしまったのだ。

 無論、各派閥は対立し合う。組内部での歪み合いは日常茶飯事、酷い時には刃傷沙汰になってしまう。そして先日、千羽の主が長い休眠期間に入ってしまったのだが、それに乗じて組内のいざこざはより亀裂を深くしていく。そして先日、響の元に情報が入ってしまう。組の何者かが天探女の軍と通じ、響の暗殺計画が持ち上がっていると。

 無論、響も黙ってはいない。彼女は信頼出来る妖を集め、白部組を乗っ取ろうとする輩を炙り出す事にした。信頼の置ける部下数名に彼女と親交のある妖二名、退魔士一名。そして軍には所属しないが戦う力を持つ妖一名、半妖一名。彼等を招集して極秘会議を開き、敢えて情報を漏らす事で不埒な輩を見つけようとしたのだ。

 ――即ち、それが先の会議。表向きは先の急襲の戦後処理だが、中身は全く別である。


『黒羽 凪、白部 響、氷室 涼葉、鬼島 佑介、伊田 千春、北条院 空。計六名は『アヤカシ連盟』として、白部組とは独立した組織として天探女軍と対抗します』

『……成程、軍から独立する事で動きやすくなるし、内通者も洗い出せると。うん、悪い考えじゃないと思うよ』

『羽生先輩は退魔士に顔が利きますので特別顧問として名前だけウチに入れて置きます。これで何かあった時は先輩の責任なので』

『……ねぇ、それ本人の前で言う?』


 ――本来の会議名を『〈アヤカシ連盟〉計画会議』。後の千羽を大きく揺るがす事になる、一つの極秘会議である。


「……サグメ様、内通者から連絡がありました。アヤカシ連盟なるものが設立されたようですが」


「そうか。ふふ、面白くなりそうだ」

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