虚空戦線

七話 虚空戦線、序

 ――九十九つくもとは、長く想いを享受したモノに魂が宿る事であやかしと化した存在である。

 負の感情を受けたモノは厄を以て他者を襲い、大切にされてきたモノは忠を以て主を護る。狸と化した分福茶釜ぶんぶくちゃがま等が代表的だろう。

 無論、忠の九十九も寿命等の要因で主を失う事も少なくない。その場合、九十九は自らを拾った者を新たな主とする、そう伝えられている。


「……私が知っているのはこれくらいですね」

「ああ、助かった。ありがとな」

 午前六時、千羽高校。一年二組の教室に柔らかな光が差し込む中、赤髪の青年――鬼島おにじま 佑介ゆうすけが頭を下げる。その先にいるのは青いローブを目深に被った女性。かつて千羽の侵略に乗り出した狸の将の軍に密偵として潜入し、彼等に反感を抱いていた赤鬼――佑介に協力した裏切りの軍師、そう呼ばれている人間である。

「……先程も言った通り、此度の敵は九十九。あくまでも予想、ですけれど」

 そう言ってローブの女性は席を立つ。退魔士たいましだとは言うが魔力は感じられず、常に表情を悟らせない。怪しくはあるがその言葉や振る舞いからは彼女なりの信念が感じられる。故に、佑介はこの素性不明の人物と協力する事を決めたのだ。

「それでは、ご武運を」

 そう言って女性は早朝の教室を後にする。一人取り残された佑介は、呆れたように笑みを浮かべた。

「……悪人面、出来てねェぞ」


 時を同じくして喫茶『アヤカシ』。満席になった店内で、店員は伝票片手に忙しなく駆け回っていた。

「お待たせしました、ご注文は」

「あら、なぎちゃん。いつもの、お願い出来るかしら?」

「ブレンドのホットに氷砂糖二つ、アップルレーズントーストですね、かしこまりました」

 凪と呼ばれた深紫の髪の店員は常連客の注文を手早く記入する。そして頭を下げ、カウンターに伝票を置いていく。

「マスター、佐藤さとうさんのいつものお願いします」

「りょーかい。あ、岸辺きしべさんと水鈴みすずちゃんの持ってって」

 そしてカウンターから珈琲コーヒー二杯とエッグトースト、シフォンケーキを受け取ってお盆に乗せる。喫茶の手伝いを初めて一年、仕事には随分と慣れたものだ。それでも気は抜かず、迅速丁寧な対応を心掛ける。

「お待たせしました、『いつもの』でございます」

 好きこそ物の上手なれ、ということわざがあるが、正にその通りであった。仕事を覚えるのにそう時間は掛からなかったし、常連客の各々の注文傾向を頭に叩き込む事で所謂いわゆる『いつもの』にも対応出来るようになった。掃除等の雑務もなんのそのである。

「……お待たせしました。いつもの珈琲と本日のケーキでございます」

「ありがとー、ナギナギ」

「だから凪ですって」

 気の抜けた感謝の言葉にも笑顔で頭を下げる。彼等が幸せそうに珈琲を口にする、その瞬間が何よりも微笑ましい。だからこそ、凪は自らの仕事に全力を注ぐのだ。


「……マスター、一応注文落ちきましたよ」

「お疲れ様。それじゃ、そろそろ学校の準備したらどうかしら」

 開店直後の注文ラッシュを終えてカウンターに戻ってきた凪に、喫茶アヤカシのマスターである女性、晴が問い掛ける。凪はその声に頷いて『スタッフルーム』と記された扉を開き、そこから階段を使って二階へと上がり、自室の扉を開く。

 喫茶アヤカシ、凪の養母である黒羽くろはね はるが経営する地元のレトロな純喫茶。二階は凪の生活スペースとなっていて、彼は此処を自宅として、高校に通いながら喫茶を手伝う日々を過ごしていた。


 ――けれど先日、日常は日常でなくなった。


 高校に入学した当日、鴉天狗からすてんぐと人間の合いの子である半妖、黒羽 凪は妖に襲われた。そして凪の中の多重人格、もう一人の自分である言霊ことだまの少女、ランが目覚めた。その翌朝には赤鬼の青年、佑介に襲われ、辛勝したと思ったら夕方にはこの町を侵略しようと計画していた化狸の軍との戦いに、雷獣の少女、白部しらべ ひびき、雪女の氷室ひむろ 涼葉すずはと共に巻き込まれるハメになってしまった。

 一応は化狸の軍は退けた為に現在は日常が戻ってきているが、今後また彼等が攻めてくる確実は高い、というより十中八九は攻めてくる。穏やかな日々を求める凪にとって、これらは目下の悩みの種であった。


「……改めて、おかしくない?」

 ――凪、どうしたの?――

 凪の内で言霊の少女、ランが疑問の声を上げる。その問いに制服に着替えながら面倒そうに答えた。

「……入学してから一連の流れだよ。第一、ここまで巻き込まれてたら不運にも程があるんだけど」

 姿見に気怠げな顔が映る。首筋まで伸びた深紫の髪に中性的な顔立ち、そして羽を模した髪留め。傍から見れば女性とも取れる自身の姿からは、非日常の疲れが目に見えていた。

 ――あはは、まぁね。けれど、半分は自分から巻き込まれに行ってるよね?――

「……まぁ、それはそうなんだけど。……放っておけなかったから」

 そう言って学ランに身を包む。羽の髪留めは外して机に置き、首には翡翠色のマフラーを巻いて。教科書類の詰まった正鞄を肩に掛ければ準備完了。穏やかな一日の始まりだ。

「さて、それじゃ――」

 行ってきます。その言葉と同時に、凪は自室を飛び出した。


 千羽の朝の空気は柔らかく、そして冷ややかで。もうすぐ五月に入るというのに、未だ初夏の兆しは感じられず。今日は日直という事もあって普段より登校が早いからか、通学路を行く人は見受けられない。

「……ふふ、静かだね」

 そう呟きながら歩みを進める。平穏と安寧を好む凪にとって、静寂というのは実に心地が良いものだ。波風立たぬ平和な日常、それを願った故に、彼女は。

「……まとい。君の願ったものは――」

 ――……凪?――

「……はぇっ?……あぁ、ごめん。何でもない」

 ふと漏れてしまった言葉を適当に誤魔化し、再び歩みを進める。そうだ、立ち止まったところで過去が変わるなんて事は無いのだ。だからこそ前に進む、それが生きている者の責務なのだから。

「あ、そういえば大上おおかみさん――廃倉庫であった交番の人ね。怪我も完治したみたいだから、今度来た時に珈琲でも奢ってあげようと思うんだけど」

 ――あぁ、佑介に怪我させられた人?――

「……あの後、佑介もちゃんと謝ったみたいだから。気にしてたのは意外だったけど」

 そんな他愛も無い話をしているうちに、いつの間にか校門前まで辿り着く。まだ時間も早いからか、校庭には野球部員が朝の練習に励む姿が見受けられる。

 ――そういえば凪、部活入るの?――

「いや、喫茶の手伝いあるから。演劇部は気になってるけどね」

 下駄箱で上履きに履き替え、校舎の三階にある一年一組の教室まで移動する。帳簿に必要事項を記入し、チョークの備品を確認し。器用な凪は日直の仕事を一瞬で済ませてしまう。

「……さて、あとは授業受けて終わりだね」

 平凡な日常。これこそが凪の望んだもの。束の間の平穏を堪能して、自らの席に付いた。


 ――そう、束の間の平穏だった。


「……何か、おかしい」

 午前八時。もう少しで朝礼だというのに、生徒が殆ど登校して来ない。一年一組にいるのは凪の他に三人。あからさまな異常事態に、クラスメイトである白髪の少女、響がスマートフォンを弄りながら口を開いた。

「……警報は出てませんし、臨時休校の知らせも届いていません」

「うっそ!?じゃあ何でみんな来てないのー!?」

「……連絡ミス?まさか」

 蒼のロングストレートの少女、涼葉が驚き、凪はうーんと唸る。そして教室内にいるもう一人の少女に視線を向けて意見を促した。

「ナギナギ達、妖はみんな来てるんだよね?でもボクは妖じゃないし……」

 セーラー服を来た桃色の髪の少女が溜息を漏らす。鳥谷とりたに 水鈴、喫茶アヤカシの常連であり凪達のクラスメイト――そして、妖を討つ事を生業としている退魔士たいましの一人でもある。

 否、水鈴自身は妖を敵視しておらず、むしろ仲良くなりたいと考えている。妖と退魔士が共存するこの町、千羽出身ならではの思想は他の退魔士からは異端と扱われているそうだけど。

「それに退魔士と妖だけ、って条件でも無さそうなんだよね。シッシー……じゃなくて宍戸ししどクン、ボク達のクラスにいるでしょ?宍戸クンも退魔士なんだけど、まだ来てなくてさ」

「……というより、僕が日直で来た時には野球部が朝練してたんだけど。響が来た時にはいた?」

「え?いませんでしたけど……」

 ――成程ね。凪、状況の整理しよっか――

 凪の内でランが冷静に言う。まず前提として、一年一組の教室にはこの四人しか来ていない。一クラスの人数は二十人なので二割しか登校していないという事だ。

 そして、今朝いた筈の野球部員が居なくなっている事。休校の予定も連絡もない事。そして、此処にいるのは退魔士と妖、そして半妖である自分のみだという事。これらを踏まえると―

「あ、ごめん、ナギナギ。ちょっと電話」

「いいよ、出て。あとその渾名あだな、やめてほしい……」

「あはは、ごめんごめん。……もしもーし、鳥谷ですー。あ、センパイ?うん、こっちにはボクとナギナギとひびっちとすーちゃんがいるよー」

「だーかーらー……」

「……うん、シッシーは来てないなー。……オーケー、体育館に集合だね!それじゃっ」

 そう言って、水鈴はセンパイと呼んだ人物との通話を切る。そして明るかった表情が一転、神妙なものへと変わっていく。

 ――ねぇ、あの水鈴って子、よく喫茶に来てるけど――

(……ああ見えて水鈴も退魔士だ。平和主義ではあるけれど、修羅場は相当に越えてるよ)

 そう、千羽の退魔士は自警団のような役割を持っている。いくら水鈴が心優しい人物だとしても実力は十分に備えている筈だ。

「……ねぇ、みんな。戦える?」

「水鈴ちゃん、それって」

 そう、平穏は突然に終わりを告げる。かつて鴉天狗の郷に退魔士の一団が奇襲を掛けたように。いつもの学校が、戦場へと変わろうとしていた。


「ボク達は、妖の軍に襲われる」


 ――同時刻、体育館前――

「……日辻ひつじ、水鈴と黒羽君、白部さんと氷室さんの無事が確認。こっちに来るように指示したわ」

 スマートフォン片手に焦茶の髪の女性、羽生はぶ 有希ゆうきが左隣の青年に呼び掛ける。日辻と呼ばれた糸目の青年は彼女の声に頷きで返した。

「……こういう時に卯野うのの能力は便利ね。おかげで生徒と教師はここに避難出来たもの」

「にしても有希、本当に襲って来るのぉ?気配なんて全然ないけどぉ」

「来るわよ、卯野の予知に引っ掛かったのだから。転送の術式で不意討ち、結界で私達を閉じ込めるって算段ね」

 そこまで口にして、黄金の瞳は青空を睨む。刹那、空間が透明な膜に覆われる。それと同時に、仮面を被った妖の兵団が一瞬にして眼前に現れた。

「……まさか、気付かれていたとは」

「でも小隊長、相手はたった二人だろ?さっさと殺そうぜぇ!」

 威勢を張る敵兵達。その数は視界に入るだけでおよそ三十。他は別の所に転送されているのだろう。

「はぁ、どんな奴かと思ったら死亡フラグ立ててるよぉ」

「ふふ、死んでも文句は無いって事みたいね。……それなら」

 有希はニヤリと笑みを浮かべる、その蛇の瞳は黄金色から紅へと染まっていた。


 戦の火蓋が、切って落とされる。

「……気の済むまで、殺し尽くすわよ」

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