五月・開戦の初夏

五話 凪の休日・前

 人間誰しも、休息というのは必要である。心身の疲労を取り、ストレスを発散し、健康な状態で次に備える。常に動く歯車が摩耗するように、常に全力など言語道断。擦り切れてしまう前に上手く休む、現世を生き抜く為には必須の技術である。

 そしてそれは、人ならざる者でも同様であり。

「此処の珈琲コーヒー、凄いですね」

「でしょー?喫茶アヤカシは珈琲も紅茶も最高峰!マスターは世界で賞貰ってるんだってー」

 うら若き少女二人がにこやかに言葉を交わす。大正浪漫たいしょうロマンの雰囲気と珈琲の薫り漂う喫茶『アヤカシ』。珈琲や紅茶は勿論、軽食の値段と質の評判から此処、千羽の町ではそれなりに名の知れた店だ。

「ふふ、ありがとう」

 カウンターの向こうで紫の髪の女性、黒羽くろはね はるが微笑む。喫茶アヤカシの店主マスターであり、この店は彼女と一人の店員で回している。とはいえ、その一人は学生なので基本的には晴一人で経営しているのだが。

「……あれ?黒羽くん、今日は居ないの?」

 蒼い髪の少女、氷室ひむろ 涼葉すずはが店内を見回しながら問いかける。その様子に白髪のはねっ毛の少女、白部しらべ ひびきが首を傾げると、晴はああと気付いたように口を開いた。

「そう、土日はあの子も店を手伝ってくれるんだけどね。今日は完全にオフなのよ」


 澄み渡る蒼空、揺れる新緑。暖かな春の香りに心まで暖かくなってきて。

「……それに、久し振りの休日。ふふ、最高だね?」

 駅前の人の群れの中で小さく呟く。コートとマフラーを身に纏った深紫の髪の少年。黒羽くろはね なぎ、鴉天狗の半妖はんようである。

 ――凪、もしかしてご機嫌?――

「……そんな事は無いと思うけど。取り敢えず行くのは本屋と服屋と雑貨屋、あ、レストランにも新商品出たんだっけ。それと―」

 ――ご機嫌じゃん……――

 凪の中の言霊ことだまの少女、ランが呆れた声を出す。それもそのはず、凪は学業に加え、自宅である喫茶店の手伝いもこなしていた。さらには先日の戦もあり、心身共にかなり疲弊していたのだ。久し振りに羽を伸ばせる休日となれば気分は高揚する。それは至極当然の事なのだ。

「あ、ランも何か欲しいのあったら言ってよね。可能な範囲なら買ってあげるから」

 ――本当に!?それじゃ、翡翠ひすいのネックレスとか――

「か・の・う・な・は・ん・い!」

 むー、と不服の意を示すランだが無理なものは無理である。第一彼女に金銭感覚といったものは無いのだろうか。否、そもそもからかってるだけの可能性も――

「……はぁ。とにかく行こっか。欲しいものいっぱいあるし」


 書店というのは宝の山だ。興味惹かれる物語に学術書、古い詩集に旅行雑誌。千差万別選り取り見取り、その中から目的の一掬いを探し出す様は、宝探しとたとえるのが相応しく。

 無論、私も宝を求める者の一人である。恋愛小説ラブストーリー冒険譚アドベンチャー推理小説ミステリから歴史小説ヒストリーまでこよなく愛し、学術書だって時折買う。

「……ま、目的自体は違うのだけど。寄道ありきの書店巡りよね」

 因みに書店に訪れる理由というのは大きく分けて二つある。一つは何か明確な目的を持っている場合。『今読んでるシリーズの続編が発売された』『映画の原作が気になる』といったものだ。今の私だって伝承を調べる為に歴史書を漁っているのだから、殆どはこれに当てはまるだろう。

 そしてもう一つは、書店に赴く事そのものを目的とするものだ。それこそが私が喩えた宝探し。気になるもの、惹かれるものが無いかと店内をぐるぐる回る。その時間こそが至高なのだ。

「さて、それじゃ捜索開始――っと?」

 刹那、私の目が影を捉える。もう四月の下旬だというのにコートとマフラーを身に着けた、季節外れの装いは。

「……あ、羽生はぶさんだ。奇遇ですね」

「……やっぱり貴女だったのね、黒羽君」


 焦茶の髪をシニヨンで纏めた眼鏡の女性が面倒そうに声を出す。大人の女性といった雰囲気の彼女に、ランは思わず目を奪われていた。

 ――凪、この美人さんと知り合い!?――

(落ち着いて、ラン。羽生さん……羽生 有希ゆうきって言うんだけどね。半ば腐れ縁の喫茶うちの常連さん、ってとこかな)

 羽生 有希。喫茶アヤカシの常連客で凪の古い友人、そして千羽高校二年生――凪達の先輩に当たる女性。生徒会で書記を務めているらしく、彼女の仕事振りの評価は入学初日にも聴こえて来る程である。

「……黒羽君?どうかした?」

「あ、いえ、何でも。……随分と、久し振りな気がしますね」

「……えぇ、最近色々と立て込んでたものね」

 苦笑する仕草さえも大人びていて。彼女の前だと思考が上手く纏まらない。多分は憧れというやつだ。それに加えて畏敬の念と、底の見えない神秘性と。そんな彼女に当てられるだけでこんなに弱ってしまうなんて、全く。私は思念だけの存在故に、そういったものにはとことん弱いらしい。

 ――羽生さん、クールで格好いいなぁ――

「けど大丈夫よ。抱えてた案件も落ち着いたし、また喫茶に顔を出せると思うわ。……ところで、お探しの本は何かしら?推理小説ならオススメが」

 羽生が言った途端、凪が瞳を輝かせる。

「『探偵ノーラ』シリーズなら読んでますよ?ラノベに分類されるけど本格派の日常推理コージー・ミステリ。感情表現と状況の描写が繊細でページをめくる時のワクワク感を高めてくれて」

 ――え、凪?どうしたの、急に――

「あら、もう読んでたのね。貴女なら気に入ると思ってたわ。……ところで、その作者の恋愛小説が昨日発売されたのだけど」

「本当!?よし、それ買おう。あ、そういや『コネクタ』の続編も出たって聞いたけど」

 ――な、凪?ちょっと落ち着いて――

「え、もう出たの!?『リコネクタ』、もう少し先だと思ってたけど……。ありがとう、買いね。あの作者、世界観に引き込まれて伏線拾えない事多いから目を凝らさないと……。あ、前は頭文字繋げたら伏線になるとかもやってたわよね……」

 ―羽生さんも!?―

 突如、嬉々として饒舌になる二人。凪の部屋は本が沢山あった事から彼が本好きなのは知っていたが、まさか彼女もだとは。否、多分は彼女に影響されて本好きになったのだろう。

 ――前言撤回。微塵もクールじゃなかった――


 結論から言おう。凪は予算を見誤った。

 本屋で有希と小説談議に花を咲かせる事三十分、二人は互いに新作小説やオススメの作品の情報を共有し、それから書店内を回ること一時間。購入した書籍の数、十二冊。金額にして約九六〇〇円。予算である三〇〇〇円を大幅に超過する結果となった。

 ――……後先考えない辺り何と言うか、筋金入りというか――

「……仕方無いでしょ、好きなんだから。そも喫茶の手伝いでお金にはそこそこ余裕あるし、趣味は珈琲と読書だけだから」

 あはは、と凪は苦笑する。しかしこれ程の書籍となると重量も相当の物。リュックに収納する形で事なきを得てはいるが、予算的にもこれ以上何かを買うのは厳しいだろう。

 ――羽生さん、だっけ。あの人と会わなければこんな事には――

「……ラン、人の文句言わない。それに今は僕が身体使ってるんだから、ランは重さ感じないでしょ?」

 はーい、と不満げに返すラン。しかし疲労を感じてきたのは凪も同意である。

「……取り敢えず、ここらで一旦休憩しよっか」

 そうして赴いたのは駅前の広場。爽やかに吹き抜ける涼風の中、凪は噴水に腰掛けてリュックから水筒を取り出す。俗にコーヒーボトルと呼ばれる、珈琲の持ち運びに向いた魔法瓶である。

 ――本当、好きだね――

「まぁね。他人から珈琲オタクとか言われるくらいには好き、かな」

 そう言って魔法瓶の二つを開ける。中からは上質な珈琲――晴直伝の特性ブレンドの薫りが漂って来る。珈琲の薫りは当然ながら豆の種類によって違い、その中でもグァテマラやブルーマウンテンといった種類の珈琲は心を落ち着かせる効果が高い。今回のブレンドはそれらを主とした、休憩用の珈琲である。

「さて。それじゃ、いただき――」

 刹那、凪の動きが止まる。それに約一秒遅れる形で魔法瓶の中の珈琲が波を立て、さらに半秒遅れて大地が揺れる。地震――では無い。何かが爆発したような音を伴っていた。

「なんだなんだ?」

「地震!?」

「なんか焦臭く無い?」

 大衆も混乱に陥っている。多くの人は心の何処かで判ってるいるはずだ。ただ、脳味噌の処理が追いついていないだけで。

「……ラン。考えている事は同じ?」

 内の言霊に問いかけ、凪は魔法瓶をリュックの中に片付ける。

 その瞳はすみれの如く深い紫。決意を抱く鴉の瞳。

 ――当然。今すぐ行こう、爆発の元に!――


 火薬の匂いが鼻を突く。銀行の建物を硝煙が覆い、視界は黒に覆われて。

 一目見た時は大惨事を予想したが、この爆破はあくまで威嚇用らしい。音と煙が派手なだけで、見た目以上の被害は然程出ていないようだ。

 ――そう、威嚇用。つまり本命は別にあるのだ。銀行の中に取り残された銀行員、そして主催セミナーの来訪者。彼等が人質として拘束されていると推測される。

「……随分と、派手にやってくれたわね」

 そして、黒煙の先の建物を睨みながら歯噛みする影が一つ。

「羽生さん!大丈夫ですか!?」

 凪が駆けつけると影は驚いたように振り返る。羽生有希、先程本屋で出会った女性である。頬にすすは付いているが、怪我を負っている訳では無さそうだ。

「……黒羽君?何してるの、危ないわよ」

「判ってる。だから救助に来た」

 返した解に羽生は溜息を溢す。そして一言、「馬鹿じゃないの」と呆れた声で言った。

「……こういうのは警察とかに任せなさい。何も貴女が危険をこうむる必要性は……」

 そう、皆無である。危険な事件に首を突っ込む必要なんて僕には無いし、負うべき責任さえも無い。けれど。

 ――私は、見てみぬ振りなんて出来ないし――

「手が届くなら、伸ばさないと後悔する。……知ってるでしょ、羽生さんは」

 ただ、真っ直ぐ向いて言った。目の前の女性の眼鏡越しの茶色の瞳をじっと見つめて、己が意志をしっかり伝える。

 そう、これは正義とか義務だとか、そういう事では無いのだ。ただ僕が後悔したくないから助ける。そんな下らないエゴから出た言葉。それでも、僕は、私は。

「……本当、変わらないわね。貴女は」

 ふと、羽生が面倒そうに声を発する。

「いいわ、私も協力してあげる。どうせ私一人で乗り込むつもりだったし」

 ――嘘!?――

 彼女の突拍子も無い発言にランが凪の内で思わず驚きの声を上げる。羽生はそんな事も露知らず、淡々と言葉を続けた。

「店内に取り残された人質は二十八人、爆弾を括りつけられている状態よ。犯人は三人、体格からして男性でしょうね。全員が爆弾の起爆スイッチを持っているから」

「速攻、制圧が優先ですね」

 そういう事、と羽生はニヤリと笑う。そして銀行の自動ドアの前へと歩みを進め、パチンと己が頬を叩いて気合を入れた。

「それじゃ、行くわよ。くれぐれも死なないように」


 何かが割れる音がする。

 目出し帽を被ったの男三人組――銀行強盗達が音の方向を見やると、自動ドアのガラス部分が破片となって散らばっていた。

「……おい、あれって」

「あー、多分威嚇用の爆弾のせいじゃねぇか?」

「だろうな」

 三人組は自動ドアに釘付けになっている。手にはスイッチのようなもの――十中八九は起爆装置だろう。まずはあれを彼等の手から離す、あるいは壊すのが最優先である。

「なら、ラン」

 ――りょーかい!――

 刹那、凪の髪と瞳が翡翠の色へ染まる。表の人格を凪からランに交代したのだ。そして左手には風の刃を、右手には魔法瓶を構え。自動ドアを破壊した有希に視線で合図を送り――

「『武装纏〈風刃ふうじん〉』」

 風の刃を銀行の窓へ振るい、砕いて店内へ突入する。

「な、誰だ!」

 強盗の問いには答えず、魔法瓶の蓋を開ける。そして三人組へとそれを向け、

「放射!」

 中の珈琲を彼等にぶちまける。それは彼等の目や腕、そして起爆装置に飛び散って熱を伝える。その温度は約八十度、火傷は免れないだろうし、恐らくは装置も故障するはずだ。

「あぢぃ!!」

「……今だ、『風車ウィンドミル』!」

 そして悶える彼等の顎へ蹴りを入れる。風を乗せた一撃、成人男性だろうとまともに喰らえば失神は免れない。それらを三人分、適確に吹き飛ばした。


 呆気ないものだったと凪は語る。無論その筈、ただの人間があれを耐えられる筈は無いのだ。結果的に建物の被害は軽微、避難誘導は私がする事で無駄な負傷者を抑えられた。消火も素早く行えたし犯人達も無事逮捕。一つ嘆くべきは私達も無茶をし過ぎたと警察からお叱りを受けた事だろう。故に万事解決、今日という日は幕を閉じる。


「……そっか。貴女はまた、その道を選んだのね」

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