四話 護るモノ

『皆様、こんにちは。二〇一八年四月は十一日、木曜日。千羽ラジオが午後四時のニュースをお伝えします』

 定休日の喫茶店『アヤカシ』、その店内でラジオが淡々と話す。それを聴きながら喫茶の店主、晴は深い溜息をいていた。

 理由は単純、凪が予定通りに帰らないから。本来であれば今日は二時で授業が終了、遅くても三十分で此処に戻ってくる筈なのだが、二時間経っても凪は帰らない。遅れる旨の連絡等も無い為、少しばかり心配になってくる。

「……友達が出来て遊んでた、ならいいんだけど」

 これが杞憂ならいいのに、そう願って再び溜息。窓の外は未だ明るく、けれども人の影は見当たらず。どうしたものかと悩みながらカウンターの上に置いたスマートフォンに目を見遣みやる。

「……え、電話……?」

 その瞬間、それは陽気なメロディーを奏でながら鳴動する。その画面には『大上おおかみ 月夜つきよ』と、見知った名前が表示されていた。


 時を同じくして、千羽の境界にそびえる山岳。白樺が乱立する山中で、化狸の軍の兵達は陣の警備を続けていた。総勢はおよそ二百、奇襲を掛ける為の少人数。故に防衛に割いているのはその一割、二十名程。残りは詰所で休息を取っている状態である。

「……ったく、あの軍師の助言とはいえ、防衛に我等を割く必要なんてあったのかね」

 防衛兵の一人がボソッと呟く。化狸の軍に亡命、協力を申し出てきた千羽の退魔士。ローブで顔を隠していて、焦茶の髪が少し見える程度。何故大将はあんなに怪しい人間を軍師として採用したのか、疑念を渦巻かせながら巡回を行う。

 ――彼の横で、四人の侵入者が通り過ぎている事にも気付かずに。

「アイツ、警備兵として失格だろ……。ぶっ飛ばしてェ」

「まぁまぁ。大将以外を相手にしていたら奇襲の意味無いから」

「……小川のせせらぎと鳥のさえずりで音は結構掻き消される筈。遮蔽物が多いのも相俟あいまって、目視されない限りは気付かれないかと」

「取り敢えず、大将倒せば終わりだからねー。目指せ速攻、最速記録ー」

 侵入者達は小声で話しながら頂上を目指す。佑介を先頭に凪、響、涼葉と続き、町に攻め込まれる前に敵の将を打ち倒す算段だ。当然、個々の力量では敵わないような相手ではあるが、この四人で奇襲を掛ければ或いは。無論、それが成功してやっと勝ちの目が見える程度にしかならないが。

 ――凪、今回は私も戦うからね――

 凪の中のランに軽く頷く。そして駆けながら四肢に己が妖力を集中させ、攻撃の準備を整える。茂みから頂上の展望台に飛び出た瞬間に、致命傷を与えられるように。

「攻撃準備、『まとい』――」

「一緒に行くぞ、黒羽」

 視界が徐々に明らみ、展望台と其処に構える敵将、目測およそ三メートルもの巨躯を誇る化狸のおさを捉える。此方に背を向けていて、装備と言える装備は手には彼の体躯と同程度には巨大な錫杖程度。身に着けているのはふんどしくらい。それはそれでどうかと思うが、鎧など不要という自信の表れだろうか。少なくとも奇襲など予期していなかった事は確かだろう。

 ――大丈夫、まだ気付いて無い。それじゃ――

「行くよ、皆」

 遂に白樺地帯を越え、佑介と共に展望台に飛び出る。同時に四肢に風を爪状に纏わせ、一気に狸の長へと飛び込み同時に佑介も手にしたこんを振るう体勢を取る。

「なっ、敵襲!?」

 狸の長は漸く奇襲に気付いたようだが、振り返って錫杖で防御する暇などはとっくに無い。ただ、二人の攻撃をその身で受けるのみ。

「喰らえ、狸ジジイ!」

「――切り裂け、〈空爪くうそう!〉」

 そう唱えると同時に凪の左腕の爪が、佑介の棍が長の腹部を捉える。しかし、そこには肉を裂いた手応えなどはなく、何か硬いものを殴ったような感覚だけが残っていた。

 ――何これ、硬すぎない!?――

「気を付けろ、石像への変化だ!」

 佑介に言われ、改めて狸の長の姿を確認する。先程まで毛皮に覆われていた身体は石像の如き容姿へと変貌していて、攻撃箇所にも傷一つ付けられていない。性質の変化による防御、長はそれで不意討ちを防いだのだ。

「ほぉ。良い度胸だの、小童こわっぱ共」

「黒羽くん!」

 涼葉が叫んだ時には遅かった。石像の錫杖が凪を白樺の幹まで弾き飛ばしたのだ。その威力はあまりにも凄じく、叩き付けられた凪は血反吐を吐く。

「がっ……!?」

「おい、どういう事だ黒羽!テメェの力は妖力消失させるんじゃ無ぇのかよ!」

 怒鳴る佑介にも得物が振り下ろされるが、彼はそれを難無く避ける。そして再び攻撃に転じるが、狸の石像にそれらが効いている様子は無い。鬼の一撃は石や岩をも砕くと言われるが、長は加えて妖力による障壁も重ねている。並大抵の物理攻撃は通用しない事を悟り、佑介は一度身を引く。

「物理が駄目なら私が!」

 そして代わりに響が前線に出る。そして身体を青白く発光させ、素早い動きで石像の足元に潜り込んだ。雷獣――電撃を操る獣たる妖としての一撃を、敵将に撃ち込む為に。

「『激雷アジタート』!」

 刹那、彼女の身体に雷が落ちる。それは当然ながら頭上の石像を巻き込み、青白い雷光と爆音が周囲に拡がって行く。しかし石像はそれに苦しむ様子も無く、再び錫杖を振り下ろそうとする。

「させない!」

 しかし、その攻撃は響に当たる前に障壁に妨げられる。それは涼葉の足元から展開された氷の壁で、幾層にも重なったそれは細やかに砕けながらも衝撃を殺す事に成功した。

「あ、ありがとうございます。それより、凪くんは!?」

「……大丈夫、まだやれる。けど」

 四人は一度石像から距離を取る。石化のせいで物理攻撃も電撃も無効、氷さえもすぐに砕く相手。奇襲なんて物ともせず、その在り方は正に無敵。それに、

「僕の妖力消失は傷を付けた時。石像の状態なら傷一つ付けられないから、意味が無い」

「テメェ、それ先言えよ!」

 認めたくは無いが事実である。この力は本来ならば実力差さえも覆す事が可能な程に強力なもの。しかし、その条件が満たせないのならば話は別だ。有効打も無く、勝ちの目も見えず。少なくとも、今の凪達では手も足も出ない程の強敵である。

「……ふむ、少数精鋭での奇襲かと思えば。戦闘経験の少ない小童こわっぱ共とは」

 刹那、石像が言葉を発する。威圧感を孕ませた、堂々たる壮年の声。改めて感じる凄まじい力量差に、正面から相対するだけでも震えを感じる。

「あれ、がっかりした?それならがっかりついでに今日の所はお引き取り頂ければ。僕も貴方を殺すような事はしたく無いので」

 それでも、凪は強がり込みの営業スマイルで語りかける。それに応えるかのように、石像も笑みを見せる。しかし、返答は凪達の望んだ物では無かった。

「……確かに気抜けしたが、たまには貴様等のような小虫を潰すのも一興じゃな。」

「……テメェ、今何つった!?もういっぺん言ってみろよ狸ジジィ!」

 佑介が声を荒げるものの、狸の将は彼を一瞥するだけで黙らせてしまう。この圧倒的な威圧感、間違いなくサグメの軍でも上位に位置する将軍だろう。

「裏切り者は黙っておれ。ほれ、そこの紫髪。無殺の戦が何処にある?他者を殺める事など出来ぬ者は、戦で死ぬだけの事よ」

 将は冷たい目で凪を見据える。解っている。無殺が甘い考えな事くらい、彼は解っているのだ。そんな事を考えながら戦っていたら、目の前の敵に無惨に殺される事くらい、とっくに。それでも、それでも僕は―


 ――凪は、誰かを殺した時、どう思った?――

 ……殺す時は家族を護る時。『護らなきゃ』位にしか、思う事は無かった。八年前も、七年前だって、僕が殺されたら今度は家族が殺される――だから殺した。それだけの事だ。

 ――そっか。……もう一つ質問。私が親父を殺した時、どう思った?――

 ……僕達を苦しめる化物がいなくなってスッキリした。それ以外は特には。

 ――……なるほどね。なら、最後に一つ質問。あの時、殺すしか出来なかった私を……どう思う?――

 

「……殺せないんじゃない」

 ゆっくりと、口を開く。自分に言い聞かせるように、瞼を閉じてゆっくりと、力強く。

「……ほぉ。なら一つ聞かせてもらおうか。何故、殺さない道を選ぶ?それは、貴様の自己満足に過ぎないのではないか?」

 瞼はまだ閉じる。狸の長の言葉を見ない為ではなく、そのまま受け止める為。

「その傲慢さは、いつか己を滅ぼすぞ?生かしておけば、生かされた奴等は夜な夜なお主の首を狙い続ける。そんな覚悟も無い、そもそも儂にも勝てぬ貴様が、わっぱが戦を語るでない!」

「覚悟ならしてる」

 そして、ゆっくりと目の前を見据える。現実を、理想を、未来を、今を。紫に輝く両眼で、全てを見据える。

「……退魔士だって十四人は殺した。親父だって家族を護る為にこの手で殺した。命の大切さも、奪い方も、つきまとう過去のトラウマの辛さも知ってるさ。だから生かすんだ。今度は、皆を護る為に」

 そして己の内に力が溢れて来る。いつか、抑え込んでいた私の力。過去も、今も、未来も見据えた結果として、本当に受け入れたこの力。きっと護る為に、後悔しない為に使うと信じて、四肢に風の爪を纏う。

「……黒羽の奴、妖力が倍に」

「響ちゃん、あれって……」

「……半妖は、妖力が従来の半分しかないそうです。それが倍に……」

 ――……いつだったか、私は言ったよね。私は凪の言霊から妖になった存在――本来、妖力は人の身体には収まらず、別の場所で妖になるって。でも、凪は半妖だから、その言霊は凪の身体に留まったんだ。それが私。あなたの押し殺してきた強い想いが私を生んだんだ――

「……響、佑介、氷室さん。黙っててごめん。僕の中には『ラン』って奴がいる。言霊ことだまから生まれた妖、いつかの『私』の想い。……つまり、もう一人の僕だ」

 ――……ごめんね。私のせいで、いつも凪を苦しめてしまう。……だから、最期に私自身の妖力を解放してあの狸を倒す。そしたら私はいなくなるけど、凪なら大丈夫。きっと上手くやれるよ――

「そいつが今、勝てない相手を倒す為に、変な責任感で無理をしようとしてる。それは僕が止めなきゃならない。皆からしたら『私』は訳の分からない奴かもしれない。けれど」

 ――大丈夫。私は大丈夫。勝つ事で、貴方が救われるなら――

「……あぁもぉうるさいなぁ!だから誰も殺さないし誰も殺させないって言ってるだろ!」

「「「「……は?」」」」

 唐突な凪の怒号に、その場の全員が間の抜けた声を出す。ただ一人、凪の中の少女だけは押し黙って次の言葉を待っていた。

「そもそも何なの!?何か変な独白始めたと思ったら自分を犠牲にして勝てない相手に勝つだって!?それってお前だけがスッキリしてこっちは一生苛まされるヤツじゃんか!」

「わ、童?気でも触れたか……?」

「煩いこっち取り込み中!……ラン、確かに四人じゃアイツには勝てない。けれど、君がいれば!」

 響が、佑介が、涼葉が彼の言葉に耳を貸す。語りかける相手の姿が見えなくとも、そこに居るのは判っている。少女が嗚咽おえつを漏らしながら凪の言葉に心を預けている事も、少なからず理解出来ていた。

「―五人の力を合わせれば、勝てる。――大丈夫。僕は、私は強いから!」

 思いっきり叫ぶ。想いを押し殺さぬように、ただ叫ぶ。端から聞けば訳の分からない叫び。けれど僕にしか放てない、心からの叫び。かつての少年の、少女の願いを叶える為の叫び。

 ――……全く。本当に馬鹿だね、凪は。全然、本当に、全くもって文章として成り立ってないし――

「そこは大目に見てくれると。文芸家じゃ無いんだし」

 ――……はいはい。……ありがとうね、凪――


 改めて、凪は狸の将と対峙する。紫の瞳は光を宿し、雰囲気も何かを振り切ったかのように清々しいものへと変化している。風で形作った剣を右手に構えたその姿は、まるで伝承に出てくる英雄のようで。

「見て見て響ちゃん、鬼島くん!黒羽くん――ランちゃん、だっけ?何だかすっごい格好良い!」

「……あの翡翠女、やっぱし黒羽の別人格だったか」

「やっぱり凪くんは格好いいなぁ……」

 響達も三者三様の感想を漏らし、凪同様に再び戦闘態勢を取る。重い空気が断ち切られ、戦闘は仕切り直されようとしていた。

「ほぉ?随分と戦士らしい顔立ちになったでは無いか。しかし、儂の力を超えられんのは変わらぬがな」

「へぇ。それじゃ一回、試してみる?」

 好戦的な狸の長の挑発に対してニヤリと笑う凪。そして再び長の懐まで飛び込み、

「『纏〈空爪〉』――」

「何の!防いでくれるわ!」

 瞬時に右腕に纏った風の爪を振るうが、再び石像と化した長の身体に防がれる。ここまでは先程と同じ。

「ふん、やはり先程と変わらぬか」

 そう、違うのはここから。凪は風の出力を上げ、更に腕に力を入れる。一切を吹き飛ばす気持ちで、限界まで風を溜め込んでいく。

「な、まさか……!?」

「――吹き飛ばせ、『天燕アマツバメ』!」

 爪から放たれた暴風は重く大きい狸の長の身体を大きく吹き飛ばす。それと同時に妖力が祓われ、石像への変化状態が解除される。

「馬鹿な!?威力がまるで違うではないか!」

「ご名答。僕はランと力を合わせてやっと一人前だからね。今の僕達はさっきの二倍以上は強いから」

 長は急いで倒れた身体を整えようとするが、それを見逃す凪では無い。二発目を打ち込もうと爪を振り被るが、寸前で錫杖に防がれる。

 ――凪、今度は私が!――

 それと同時におもて出る人格をランと交代、髪と瞳を翡翠に染める。そして瞬時に風の爪を解き、今度は刃状に作り変えた。

「変身した!?」

「『武装纏ぶそうまとい、〈風刃ふうじん〉』」

 狸の長の動揺を付け狙うようにランは獲物を振るい、長はそれを錫杖で返す。二撃、三撃と繰り返すそれは金属を打ち合わせるような音を奏で、戦闘の激しさを千羽の町へと伝えていた。

「押せてる……けど……!」

 ――ダメ、体躯が違い過ぎる。これじゃ致命傷与えられる所まで届かない……!―

 そう、確かに劣勢では無いのだ。けれど、決め手が無い。此方の攻撃は全て武器に弾かれ、高所から降り注ぐその攻撃も徐々に激しさを増している。せめて、奴より高く跳べる事が出来るなら。

「凪、駄目!もう保たない――」

 刹那、ランの身体が大きく揺らぐ。得物の打ち合いに終止符が打たれたのだ。そしてその隙を逃すまいと、錫杖が彼女の頭上に振り下ろされる。

「――氷壁展開!」

 しかし、その一撃はランに届く事は無かった。分厚い氷の壁――涼葉の能力が、間一髪でそれを防いだのだ。

「氷室ちゃん!?」

「涼葉でいーよ!それよりごめん、響ちゃんの準備に時間掛かっちゃってさ」

 準備。その言葉を凪とランが反芻はんすうしきる前に、その正体は判明した。刹那、雷の光線が雷鳴と共に狸の長に向かって放たれたのだ。その発射元にいたのはやけに重厚そうな番傘を携えた白髪の少女の姿。

「響!それと……その傘は……?」

「私の武器〈絡繰傘からくりがさ〉です。変形して雷撃の制御装置になるのですが、これを家まで取りに行ってまして」

 成程、とランの中で凪は感嘆の声を上げる。今の一撃で狸の長もかなりのダメージを負った筈。ならばこの好機、活かすしか無い。

「あ、あと佑介は」

「オマケみたいに言うな!そもそも俺はココ離れて無ェからな!……ともかく、言いたい事は判った」

 頭を抱える佑介にごめんごめんと軽く謝罪する。そして彼が棍を目前に突き出した事を確認すると、ランはその場でぴょんと跳躍した。

「な、中々やるでは無いか、小童共!」

 狸の長が吠えるが、先程の雷撃をまともに喰らった為にまともに身体を動かせない。そんな敵将を討とうと、佑介は棍を振るう。そこには、彼の武器に足を掛けようとするランの姿があった。

「行くよ、ラン!」

 そして、彼女が棍に乗った途端に天空に向けて吹き飛ばす。それは、敵に最後の一撃をお見舞いさせるための布石。最高到達地点でランは風の刃を練り直し、決着に備える。

「『武装纏〈風刃〉』――」

 唱え、敵将目掛けて急降下する。同時に身体を捻り、一撃を振るう動作に突入。目前の敵を切り裂く為に、大切なモノを護る為に。言霊の少女は自らの力全てを風の刃に乗せるのだ。

「いつの間に―」

「――『小夜啼鳥サヨナキドリ!』」

 暴風の刃が振り下ろされる。これが最後の一撃――となる筈だった。

 ガキン、と鈍い音がする。全身全霊、文字通りランの最後の一撃が錫杖によって防がれたのだ。してやったりと狸の長の口角が上がる。

「ふはは、ふはははははははははは!どうやら紙一重、貴様の攻撃は届かなかったようじゃな!儂を打ち倒す前に己の勝ちだと慢心した貴様の末路がこんなものとは、笑えるのお!」

 ランの意識が遠退く。妖力というのは妖の精神の力。それを使い果たしてしまったならば、一時的ではあるが気を失ってしまう。妖力を消失させる能力を扱うランであっても、それは同じである。

 ――けれど、それでも。

「確かに、これはランの最後の攻撃。けれど、まだ僕がいる!――『纏〈空爪〉!』」

 狸の長が目を見開く。そこには深紫の髪と瞳の、先程まで風の刃を振るっていた少女とは全く別の少年がいた。半妖は錫杖を切り裂いたかと思うと再び身を翻し、刃に用いていた風を左腕へと集中させる。そして巨大な爪を形作り、狸の長に突き立てた。

「慢心したのお前の方だったね、狸の長。これが、僕達の全力だ!」

 長の胸元に突き立てた爪先の風力を上げる。それは空想を纏う事で形にせし信念の爪。それは、あらゆるモノを護る為の一撃である。

「想いを穿て、『凶鳥マガツトリ』!」

 狸の身体を風が穿ち、彼の妖力全てを消失させる。午後四時四十一分。此処に、狼煙の戦は終わりを告げた。


 僕が目を覚ましたのは翌日の事であった。あの後に僕は気絶してしまったらしく、大上さんから連絡を受けて一緒に展望台まで駆けつけた晴さんに自宅まで連れて帰られたそうだ。響に涼葉、佑介は無事だそう。狸の長の軍は千羽の兵が駆け付けた時には姿を眩ませていたようだが、恐らくは生きて本拠地まで逃げ帰ったとの事。その過程に協力者がいたとの噂もあるが、現時点では真偽は不明だ。

「それにしても驚いたわ。敵の奇襲に貴方達四人で挑んだなんて……全く、無茶するのね」

「……ごめん。そういう気質だから、僕も。……それに、私も」

 凪は晴に頭を下げる。時計が指すのは午前五時半、喫茶の開店準備中である。起床と同時に看病していた晴から長々と昨日の無茶に関する叱責を受け、そして彼女の口からその後の事を教えて貰っていた。

「……まぁ、ランの事にも驚きはしたけどね。それでも、二人とも私の養子よ。その事に変わりは無いからね」

 そうですか、と淡白な返事を返すが、これが何よりも嬉しかった。どんなに僕達が歪な存在であっても、変わらず接してくれるのは、うん。嬉しい事なのだ。

「ありがとうございます、晴さん。それじゃ、今日も学校あるから」

 ――待って、凪。身体、大丈夫なの?――

「生憎全治してるんだって。休む理由も無いし」

 そう言って一度自室へと戻る。そうだ、あくまで本分は学生なのだ。戦の後であっても怪我が無いならそちらを疎かにしてはならない。――無論、疲れは残っているが。

「……凪、ラン。二人とも、お疲れ様」


 澄んだ青空、暖かな空気。桜は満開で道にも花弁が舞っている。通学路の日常はあまりにも平和で、昨日に戦をしていた事がまるで嘘のようだ。

「あ、凪くん!おはようございます!」

「おはよう、響。昨日はお疲れ様」

 友達と一緒の登校。何気無い雑談を交わしながら共に歩くのは、何だか新鮮な気がする。

 ――あ、そうだ!――

 突然、ランが僕の中で声を上げる。それと同時に髪と瞳を翡翠に染め、身体を少女のものへと変える。響は一瞬の出来事に驚いたものの、すぐに微笑んでくれた。

「ちゃんと自己紹介はしてなかったね。私はラン。宜しくね、響」

「はい。宜しくお願いしますね、ランさん」

 うん、平和だ。やっぱりこういう長閑のどかな空気が好きだ。戦場に立った今なら、改めてその大切さが理解出来る。

「あ、響ちゃんに黒羽く……あ、ランちゃんだね!おはよー!」

「お、黒羽の奴は起きてきたか」

「おはようございます、涼葉さんに佑介さん」

「おはよう」

 こうして四人が揃い、友に、学校へと歩みを進める。これこそが、凪の護りたかったモノなのだ。そう言い聞かせて、少年はクスリと微笑んだ。


 ――これは、とある半妖の物語。

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