三話 いざ、戦場へ

 今でこそ僕は無殺主義者だが、昔は誰かを殺める事を良しとしていた。

 幼い日には皆で素麺そうめん流しをしたり、風車を持って遊んだりもした。この時の明るい性格のままなら、僕は他者を殺める事は無かっただろう。

 僕達は千羽せんばの霊山で他の鴉天狗と共に暮らしていた。彼らはあやかしを討つ妖という性質からか、人間である母、半妖の僕や姉の事も他の仲間と同様に接してくれた。この時は、心底嬉しかった。

 ――なのに。それなのに。七つの時、彼らは僕の目の前で殺された。殺したのは退魔士たいまし――悪しき妖を討つ事を生業とする人間の一団だった。退魔という名目で、奴等は朱に染まった鴉から羽根を一本ずつ、一本ずつ丁寧に引き抜いていく。全ての鴉から羽根を抜いた後、奴等は僕にも手を伸ばしてきた。

 

 ――だから、皆殺しにした。家族を護る、その一心で。父の時も同様だ。姉と母、僕を護るために、私はたった一人の父親を殺したんだ。

 

 けれど今は違う。大切な人達を奪わせないためならと戦の大義名分の下に敵を殺めるのは仕方無い事かも知れないけれど、やはり敵味方共に犠牲は少ないに越した事は無い。というよりは誰かが死ぬのを見たくないという我儘わがままだけど。それでも、たとえ綺麗事だと言われようと、僕は無駄に命を散らせたくは無いのだと。


 ――そう、壊れた心で誓うのだ。


「……よし、精神統一、終わり」

 肩の上まで伸びた深紫の髪を手櫛できながら、少年少女は屋上へと繋がる扉の前で呟く。午前の授業を終え、現在は昼休み。本来なら生徒達の休息に用いられる時間なのだが、今日の凪達にとってはそうでは無い。

 ――凪、心の準備は出来た?――

「当然、ラン。……それじゃ、行くよ!」

 そして、僕はドアノブに手を掛ける。


「……来たか、黒羽」

「勿論、佑介」

 屋上に出ると、赤髪の勇ましい様相の青年、鬼島おにじま 佑介ゆうすけがフェンスに背を預けて凪を待っていた。奥には凪のクラスメイトである響と涼葉が弁当を食べている。

「ごめんね、待っててくれてたんだ」

「はい、佑介さんが情報を提供してくれるそうなので」

「どうせなら三人集まって聞いた方がいいと思ってー」

 響と涼葉が言って、凪は佑介に目線で彼の意思を問いかける。すると彼はしばらく黙り込んだ後、

「……あやかしの世界は弱肉強食。敗者は勝者に従うだけだ。覚悟は出来てる」

 と、淡々とした口調で言った。

「……ありがとう、助かる」

 当然、彼に礼を述べて頭を下げる。敵から情報を頂けるのだ、感謝を示すのは当然である。

 ただ、問題なのは佑介の今後。情報を話せば無論裏切り者になってしまう為、命を狙われる可能性が高い。おそらく彼はその辺りも覚悟しているのだろうけど、情報を話すのを強要してるのは凪自身である。裏切らせる張本人として、情報だけ頂いてその後の責任を取らないのは筋違いというものだろう。一応、千羽の主に取り次げば命の保証は出来ると考えてはいるが。

「……それじゃ、聞かせて」

「了解だ。――今晩、ここに二百の妖が攻めてくる。率いるのは化狸ばけだぬきの族長だが、これは狼煙のろしに過ぎねぇ。裏で手を引いているのは天探女アメノサグメ。鬼神に堕ちた、悪しき女神だ」

「神様!?そんなのが関わってるのー!?」

 ――神と来たか。その強大な力で世界の均衡を護る存在。日本は八百万の神の国なのだが、その一人一人が一国の軍に匹敵する強さである。その一人、しかも悪名高いサグメが手を引いているとなると、千羽は早い内に落とされるかもしれない。

「成程。確かに奇襲であれば此方こちらが兵を用意するのは難しいですね。けれど、そこまでして落とす理由って……」

「理由は多分一つだけ。この町――千羽には妖を守る条約があるから、支配すれば表立って妖は動ける。それのメリットは妖の軍にとっては大きすぎるからね。……狼煙とか言ってるけど、それでも落とせる可能性を見積もってると思うよ」

 勿論、これらは凪の推測の域を出ない。けれど、尖兵と思われる雁木がんぎや佑介が千羽の妖の令嬢達を潰しに来てたのを見ると、今回の軍の奇襲を喰らえば全力で向かっても潰される可能性が十分にある。

「二百かぁー。今から兵隊さん呼び寄せるとして、すぐに戦力になるのは大体――」

「凉葉さん。佑介さんが味方に付くわけでは無いんですよ。こちらの戦力を口に出すのは」

 響がいつになく厳しい声色で凉葉を制止する。響の言うとおり、佑介に望んだのはあくまで情報の提供のみ。こちらの味方に付く訳では無いのだ。しゅんとしている彼女には申し訳無いが、それはあまりにも無防備ではなかろうか。

「確かに、俺は千羽の妖に従うつもりは無い。……だが、サグメの下に居続けるつもりも俺にはねェよ」

「……はぇっ?どういう事?」

 凪の疑問に対し、佑介はニヤリと笑う。そしてフェンスに預けていた身体を起こしたかと思うと、彼の前にずんと立った。

「黒羽。お前になら従う。上の命令は聞くつもりは無いが、お前からの命令なら聞いてやるって事だ」

「「「……えええぇ!?」」」

 佑介の発言に一同は驚愕する。それはサグメの軍と完全に敵対し、かつ此方の味方として、戦力として共にに戦うと断言したようなものだ。

 ――そう来たかぁ。……凪、佑介の覚悟は私達の思ってたより大きいみたい。勿論、これには応えないとだよね?――

 ランの言うとおりだ。凪はゆっくりと佑介に歩み寄り、手を差し出す。

「……佑介の覚悟は分かった。ただ、一つだけ」

「……やっぱり信用ならねぇか」

「ううん。……僕は佑介の上には立たない。僕は佑介と対等の立場を望む。つまり仲間だ。それでいいね?」

 凪はあえて不敵な笑みを返してしてみせる。佑介は一瞬唖然としたが、すぐにまたニヤリと笑みを浮かべ、そして彼の手を取った。

「ああ。よろしくな、黒羽」


 一方、弁当を片付けながら二人の様子を見守っていた涼葉は、頬を紅潮させている響とのんびりと話を交わしていた。

「黒羽くん、面白いね。敵すらこちらに引き寄せるカリスマ性っていうのかな。そこに惚れたんでしょ、響ちゃん?」

「えっ!?……いや、違いますよ!?別に昨日会ったばかりですし……惚れたとか……」

「……お前ら緊張感無ェな……。俺の話、まだあるんだが」

 戦の前とは思えぬ長閑のどかな女子トークに佑介が苦言を呈す。二人が此方に注意したのを確認すると、彼は咳払いをして話を切り出す。

「んで、ここからが本題だ。あの狸ジジイの軍は千羽こことの境界で戦の準備中だ。多分今からお前らが軍を編成しても間に合わねぇが、少数で奇襲を掛けるなら勝機はある」

 そこまで言って、佑介は凪達に視線を向ける。まさかとは思うがコイツ、結構無茶な事を考えているのでは。凪の中のラン含むその場の全員がそう思う中、

「っつー訳で、この四人だけでアイツらをブッ潰すってのはどうだ?」

「成程。佑介、お前莫迦だろ」

 案の定、突拍子も無い作戦を口にした。確かに戦の準備のままならない敵軍への急襲自体は名案なのだが、相手が二百に対して此方はたった四人――ランを合わせても五人。正直、無謀としか言いようが無いのだが。

「……まぁ、下手に町に被害出るよりかはマシ……なのかな。でも響と氷室さんは」

「大丈夫だよー!私も響ちゃんも戦闘訓練とかしてるから!それに」

「はい、私達の能力は対軍向きですから。それに、私も町を護れるなら佑介さんの策に賛成ですよ」

 ……もしや全員楽観的なのか。せめて奇襲後の策が何かしらあればいいのだが、現状だと敵に囲まれて滅多打ちにされるのがオチだろう。

 ――あ、私も佑介に賛成。私達の能力なら、頭数は結構減らせると思うよ?――

「ランまで!?」

「……黒羽くん?誰と話してるの?」

「……あぁ、何でもない。僕も皆が賛成なら佑介の策とも言えない策に付き合うよ」

「っしゃ、決まりだな!んで、乗り込む方法だが」


 千羽町の西部、町の境目の山岳に『ソレ』は佇んでいた。茶色の毛皮に覆われた、三メートルもの巨躯を誇る狸。この町を落とそうとする女神、天探女アメノサグメの軍の幹部、化狸の長である。

「……日付が変わると同時にふもとで控えている部下共と奇襲を掛ける。赤鬼の小童こわっぱは内部から撹乱……良い策ではないか、退魔士の軍師よ」

 狸の長は町に視線を向けたまま、後ろに控えるローブの女性に語り掛ける。女性は長の問いにフフッと微笑み、

「えぇ、私、悪辣あくらつな策には自信がありますので。これも私が生き延びるため。故郷を裏切るのは致し方無い事なのです」

 と、楽しげな声で語った。彼女は退魔士――魔力を以て妖を討ち祓う存在でありながら、自分だけは助かりたいからと自ら狸の長の軍師を名乗り出たのだ。しかし、長は女性の役目が終われば即刻首を切り落とすつもりでいる。

「……それで、事が上手く運んだ際には、どうか私めを」

「あぁ、約束するわい。わしの側近としての待遇を図ってやるわ」

「……ありがとうございます。戦場には立ちませんが私、一生貴方様の傍で仕えさせて頂きますわ」

 ローブを目深に被った女が頭を下げるが、狸の長は振り向かない。長にとって彼女は利用するだけの存在。この戦が終われば退魔士の女との約束など切って捨てる、ただそれだけ。今の長の頭には、この町を落とす事しか無いのである。

「さて、軍師よ。出陣の合図は貴様に任せるぞ。」

「御意。この私めにお任せ下さいませ」

 故に、長は気付かなかった。ローブの女性が長の背後で、蛇の瞳を覗かせていた事に。

「……さて。後は任せたわよ、黒羽君、赤鬼君」


 午後三時。曇一つ無い青空、優しく頬に触れる微風そよかぜ。狸の長の率いる陣を護る警備兵は、これから戦とは思えぬ程の穏やかな空気を感じていた。それもそのはず、陣を護ると言っても此度の戦は此方が奇襲する側。攻め込まれる可能性など万が一にも無いと踏んでいたのだ。

「相棒、空は綺麗だな」

「どうした、急に」

 共に陣を護る妖の男に気の抜けた問いをする程度には心も穏やかになってしまう。戦とはいえ自分達の仕事が無いと、やはり気力も抜けてしまうものらしい。

「見ろよ相棒。とんびが飛んでるぞ」

「そうだな。……その横の丸いのは何だ?遠目からじゃわからねぇな」

「お、近づいて来るぞ。何か氷の玉見てぇだな」

「氷の玉ぁ?んなワケ無ェだろ……って」

 刹那、巨大な氷塊が隕石の如き勢いで二人の前に落下する。その衝撃は周囲に土煙を巻き起こし、警備兵達は思わず後退る。

「何だぁ!?ともかく相棒、将軍に報告を――」

 刹那、二人の身体を電流が駆け巡る。一瞬呻き超えを上げる間も無く倒れ込んだ二人を、土煙の中から出てきた白髪の少女、響が微笑みながら見下ろしていた。

「……ふぅ。存外、簡単に攻め込めましたね」

「響ちゃん、凄ーい!流石は雷獣らいじゅうだね!」

「ケホッ、ケホッ……。佑介……本当に恨むからな……!」

 そして響の後を追うように涼葉、凪も氷塊の中から出現する。凪は不機嫌そうに先の氷塊を睨みつけ、舌打ちをして蹴り付けた。

「あの莫迦鬼……!僕等を氷室さんの氷ごと敵陣までブン投げるって正気なの!?」

 ――氷も結構重いハズなのに、軽く五百メートルも投げるとか――

 ランも凪の中で呆れた声を出す。涼葉は雪女、氷結を得意とする妖。三人は彼女の生み出した氷の中に入った後、佑介の馬鹿力でここまで投擲されるという何とも無茶な方法で奇襲を成功させたのだった。なおこの方法を立案、投擲した張本人である佑介は走って合流する寸法である。

「待たせたな……って、おお。上手く行ったか」

「上手く行ったか、じゃないから脳筋莫迦!氷の中だったから怪我こそ無かったけど無茶苦茶過ぎるだろ!」

 この怒りも当然である。今から戦じゃなければ顔面に一撃喰らわせているのだが。

「悪ィ、でも結果オーライだから許してくれ。そら、さっさと攻め込むぞ」

「……あぁもぉ!これだから粗暴な奴は嫌いなんだ!」

 苛立ちながら山に踏み入る凪に、彼の文句など意に介しない佑介。その様子はまるで日常の喧嘩のようで、そこには戦の緊張感など何処にも無く。そんな二人に響は一抹の不安を覚えるのだった。

「……チームワーク、大事にして欲しいなぁ」

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