二話 嵐の気配、鬼気迫り

「……雁木小僧がんぎこぞうがやられたのか」

「……はい。密偵として放った私のせがれが、意識の無い雁木を確認しております。任務には失敗したものかと……」

 暗闇に覆われた空間で、複数の男が話をしている。

「なるほど、やはり千羽せんばの町は落とすに苦労する。流石は天候を操るあやかしの支配する町、ということか」

「お主らがそういうから少しだが雨を降らせる雁木を放ったんじゃろ……。しかし、雷獣らいじゅうの主に雪女……やはり伊達には崩せんのぉ。雁木の奴はどっちにやられたんじゃ?」

「それが、どちらでも無いようなのです」

「どちらでもない?」

 比較的若い男の声に、壮年の声は疑問を呈する。

「倅によると、雁木は命を落としてはいないものの、妖力がほぼ消失しているようです。退魔士たいましにやられたか……あるいは」

「……鴉天狗は七年前に死んだと聞いたが」

 中年と思われる声に、若い声は黙りこむ。

 確かに、七年前に千羽の鴉天狗は何者かによって殺されている。しかし千羽は妖の町。妖達と人との争いを無くすため、退魔士は町内で退魔の活動をしない事を、妖側は人間に危害を出さない事を契約している。つまり、退魔の力を持つ妖の仕業と考えるのが道理なのだが。

「分かりきった事じゃよ、若いの」

 悪辣な笑みを浮かべ、壮年が口を開く。

「倅に千羽の強力な妖の情報を調べるよう頼んでくれ。情報が入り次第、儂自ら先陣を切ってくれるわ!」

 

 

 僕は歩いた。ひたすら歩いた。異常な重量の鞄を持って、やっとたどり着いた。

 変化も解けたようで翡翠の長い髪はいつの間にか深紫に戻り、髪も短くなっていた。勿論、身体の主導権も戻ってきている。

 ただ、今はその事は心底どうでもいい。問題なのは、僕の中にいる『私』のことだ。

「……何か言わなきゃいけないこと、あるよね?」

 ――いやー、そのー。身体使えたからテンション上がっちゃってさ――

 遡ること三十分前。『私』が本当に余計な事をしでかした。

 

「ねぇ、鴉天狗の力の事、あなたは理解してる?」

 ――まぁ、一応は。風の力に妖力ようりょくを削る祓魔はらいまでしょ?昔聞いたから理解はしてるつもりだけど……急に何?――

「ふっふっふっ、それだけじゃないんだなー」

 そういうと、『私』は意識を集中させる。すると、手元に果物ナイフ程の長さの黒い刃が出現した。

「これが影の力。風と比べると威力は劣るけど、音はしない分不意打ちに向いてる」

 ――へぇ、すごいね。自分の事、もっと知らないと――

「でしょ?だからあなたの為にも、もっと見せてあげるね」

 ――え、いや、別に見せてもらわなくても……――

 これが全ての始まりだった。ここから長い鴉天狗の講座が始まったのだ。

 『私』が扱える技能を見せびらかす事二十分。能力を使うには妖力――妖の精神エネルギー的な力がいるらしいのだが、そんなに長時間技を使い続けた顛末など分かりきっていた。極度の疲労が一心同体である僕に襲いかかってきたのだ。この状態であのバカ重い荷物を持って帰らなければならないと考えたあの時の悲しみ、怒りを分かってくれる人間ははいるのだろうか。こいつが他人だったなら少なくとも二発は殴っていただろう。

 ――あのー……?口悪くなってません……?――

「誰のせいだと思ってるんだ」

 声に怒気をはらませて話す。恐らく周囲から見れば独り言なのだが、そんな事に気を遣う余裕など持ち合わせていない。こいつが反省する事の方が重要なのだ。

「もう一回きくよ。言わなきゃいけないこと、あるよね?」

 ――はいはい、ごめんなさい。これで満足?――

 あ、ダメだ、嫌々言ってる。僕の心を読めるのなら怒りの度合いは分かってるとは思うんだけど。

「ちゃんと心から謝って。次おんなじ事やったら祓ってもらうから。確か妖力だけを完全に消滅させる儀式があったような――」

 ――本ッ当にすいませんでしたぁ!――

「分かればよろしい」

 気を取り直して、看板に『喫茶アヤカシ』と書かれた建物の扉をゆっくりと開く。

「……只今戻りましたー」

 喫茶アヤカシ。営業開始から五年の経ったレトロな雰囲気の喫茶店で、二階は僕の自室となっている。自宅は別にあるのだが、『本格的な珈琲が飲めるからこっちで暮らしたい』と無茶な願望を聞き入れてくれた喫茶の店主、はるが物置だった二階を空けてくれたのだ。

「凪、お帰りなさい。今日は疲れたと思うから、上でゆっくりしてて」

「ありがとうございます」

 ――正直、アヤカシは人手が足りているとはお世辞にも言えない状況だ。基本的には晴一人で回していて、たまに凪が手伝う程度。それでも店の回転率はいいし人気もある。晴には昔から迷惑を掛けてしまっているため、喫茶を手伝う事で力になりたいと思うのは当然の事だと思うのだが、それでも十六になるまではろくに手伝う事も出来ない。年齢の問題はどうしようもないのだけれど。

 店の奥にある階段を昇り、自室へと向かう。本当は早くベッドで横になりたいが、制服にアイロンを当てるのが先だ。

 ――わぁ、大変だね――

 「晴さんの方が大変だと思えば、このくらい苦労の内にも入らないよ」

 部屋着に着替えた後、素早くアイロンを当てていく。実質的な一人暮らしを始めて三年、もう慣れたものだ。

「そういえば、課題を何とかしないと」

 ――課題?学校で貰ったのは教科書とワークとか、後は連絡のプリントと……ぐらいだよね?――

「学校の課題じゃなくて、僕とあなたの課題だよ」

 ――どういうこと?――

 凪の中で疑問を呈す『私』に、アイロン掛けをしながら淡々と説明を始める。

「この町は妖が悪さをしていない人間を襲ったらダメってルールと、悪さをしていない妖を殺しては行けないルールがあるんだ。詳しくは知らないけど白部さん達を『喰う』つもりで襲ったのならこの町に完全に喧嘩を売ってきてる事になる。それも組織絡みでね」

 ――分からない。組織的にあの二人を襲う理由って?――

「妖力を綺麗に隠してたけど、白部家っていうのはこの町の妖の元締めの家系だよ?氷室家は元締めの家系の護衛を代々してる妖の家系――そんな令嬢を二人まとめて狙ってたなら組織的な目的があるって考えるのが普通だね。君が僕の多重人格なら、家系の話とかは知ってるはずだけど……覚えてない?」

 そもそもおかしな話なのだ。同一人物のはずなのに、記憶や知識の共有ができていないのは理解出来ない。僕の知らない妖の知識がある時点で、同一人物ということすら疑わざるを得ない状況なのだから。

 ――……実はね。私は七年前のあの時から、ずっとあなたの中で眠ってたんだ。あなたが妖の存在を忌み嫌ってる間、ずっとね。私が父親を殺した後、妖を避けるようになってから……あなたが、妖の血を引く自分を嫌わないように――

 眠っていた?多重人格の部分に気がついたのはつい今日の事だけど、七年前の時点で『私』は存在してたってこと?私が殺したって――ううん、今はその話じゃないか。

「……それで、なんでまた起きてきたの?」

 ――多分だけど、あなたは氷室ちゃんを妖として認識してたんだよね?それでなお『いい人』って思ったからじゃないかな?それが、長い間眠ってた私を叩き起こした。妖を嫌ってる間は眠るって決めてたからなんだろうけどね。でも、確認の為に何回か意思確認したんだけど――

「……成程、それであのトゲのある発言か」

 ある程度状況が整理できた。まず、あの妖――雁木の仲間とは近い内に戦うことになりそうという推測。ほぼ確実に戦闘になるだろうが、『私』に任せっぱなしは癪だ。早く僕も戦えるように、もう二度と同じ轍を踏まないようにしないと。

 次に僕と『私』の知識について。僕は町の知識はあるが、妖の情報はほとんど知らない。『私』は逆で、妖の情報はあるが町の知識はほとんどないようだ。ならばなおさら、何か町のルールを『私』が破る前に僕が戦えるようにならないとダメだ。

 ――ねぇ、あなたとか私って呼ぶの面倒じゃない?凪じゃダメ?――

 不服そうな声にうーんと首を傾げる。名前で呼ばないと不便だとは思うが、どっちも凪である事以上呼び分けも難しいのではないだろうか。とはいえ自分を自分の名前で呼ぶのもそれはそれで違和感があるが。

「あ、新しく名前つけた方がいいな。おんなじ存在かもしれないけど、性格もまるで違うし、見た目も変わるのなら」

 ――え?名前くれるの?やった!――

 どうやら予想以上に喜んでくれたようだ。彼女としても、名前に関しては思うところがあったのだろう。

 ――えっと、じゃあ格好いいのお願い!――

「……はぁ、あんまり期待しないで欲しいんだけど。えーっと、風関連で、嵐の音読みで『ラン』――は流石に安直かな」

 ――ラン……格好いい!――

「え、気に入った?安直すぎない?」

 ――格好良ければいいんだよ!じゃあ私の名前は『ラン』ね!これからも宜しく、凪!――

「……うん。そうだね、宜しく。ラン」

 今後の為にお互いを確認するのはいいことだ。ランには力の使い方も教わらないといけない。喫茶も学校も、この先控えているであろう凶兆に向けても頑張らなければ。全く、これから忙しくなりそうだ。


 翌朝、午前五時。今日は喫茶アヤカシの定休日なのだが、それでも僕の朝は早い。喫茶から徒歩二分の所にある廃倉庫へ足を運び、重厚な鋼の扉をノックする。暫く待つと錠が外れ、内側から警官の制服をきた金髪蒼眼の女性が扉を開いてくれた。

「あ、黒羽クン。訓練所にくるなんて珍しいネ。妖の力、使うようになったノ?」

大上おおかみさん、おはようございます。そうですね……今日は訓練と、大事な話が」

 大上 月夜つきよ。千羽町の交番の巡査であり、ヨーロッパに伝承の残る人狼という妖なのだが、日本に帰化して千羽町にいるそうだ。モデル顔負けのルックスとカタコトの日本語に落とされる町内の爺さん連中が後を絶えないそうだ。

「大事な話っテ?」

「えっと……千羽町を落とそうとしてる勢力がいます。多分、近い内に攻めてくるかと」

「分かっタ。情報提供、アリガトーゴザイマス」

 大上が言い終えるのを確認し、倉庫に設置された訓練用の案山子に体を向ける。

 ――妖力を扱うのに必要なのは精神力とイメージだよ。私の使ってた『木枯こがらし』みたいな単純な技なら単純なイメージでいいけど、もう少し複雑な技だと難しいかな――

 さて、案山子をどうするか。斬る?貫く?砕く?武器の打ち合いには慣れてないから、影の刃のような物は創れても扱える気はしない。

 ――あ、そうそう。凪は〈まとい〉っていう妖力を留めて身に纏う技術が使えた筈。でも、ただ纏うだけじゃ守備面の補助にしかならないから上級の技なんだよね――

「……纏、か。色々思う所はあるけど、まず何が難しいの?」

 ――いや、そもそも風との相性が悪いんだよね。風は遠距離向きだけど、纏は性質状近距離向きだし――

「……近接か。僕はそっちの方が向いてるかも」

 修得する技が決まったなら、早速鍛練だ。僕の中で『別のを鍛えた方がいいんじゃ』と押し止めるランを無視し、案山子の前で深呼吸をする。

「近接……殴るよりは爪の方がいいか。……うん、『纏〈空爪くうそう〉』」

 そして鋭い爪をイメージし、風の力を右腕に集中させる。すると、腕全体を風が渦巻き、拳を纏う風が獣の爪のような形に変わっていった。

「黒羽クン、飲み込み早いネー」

 大上に褒められてはいるが、やはり上級の技という事を実感する。渦巻く風の速さに腕が持っていかれそうなのだ。風速をある程度調整すると幾分か楽にはなったものの、これ以上落とすと威力が落ちる可能性がある。

「……さて、どれ程の威力かな――っと!」

 そして案山子へと一気に踏み込み、風の爪を振るう。すると見事、鋭い風が案山子の藁を大きく切り裂く事に成功した。しかし、攻撃後の勢いで体勢が前方に崩れてしまう。まだまだ改善が必要らしい。

「……きつくないか、コレ」

 ――やっぱり、戦闘は私に任せればいいのに――

「悪いけど、ランに頼りきるつもりは無いから」

「黒羽クン、一人でナニ言ってるノ?『チューニビョー』ってヤツ?」

「大上さん……中二病は違いますよ。『俺の……左腕が……疼く……!』とかの独り言を言うのが中二病です」

 否、元々は中学二年生に見られがちな背伸びした言動をする事なのだが、この場合はダークな物や神に想いを馳せるような人の事と理解していいだろう。

「えっと……後は闇の力に憧れたりとか、薄暗い所を好んだりとか、神話に興味があるとか」

「黒羽クンの事だよネ」

「違いますって!僕を何だと思ってるんですか!」

 ――えっと、大体あってるよね。妖は基本的に暗いとこ好きだし、元々は天狗って神様の使いって話あるし―

 「だから違うって……違う……よね?あぁもぉ、断言できなくなってきた……。中二病って何なんだろうね……」

 ネットスラングから生まれた言葉の定義に思考を巡らせていると、閉まっている鋼の扉から鈍い音がしてきた。

「アレ?また誰か訓練しに来たみたいだネ」

 大上と顔を見合わせ、一緒に扉を開きに向かうが、その過程で嫌な予感を察知する。響く音はノックのような軽い音では無い。それこそ、強い衝撃を受けているような。

「ラン、これって」

 ――うん、まずいかも――

 刹那、破壊音と共に扉が物凄い勢いで吹っ飛んできた。

「避けテ!」

 声と同時に凪は訓練用マットに押し飛ばされ、その前方で鋼の扉が目の前に倒れこむ。そこは、先程僕が立っていた位置だった。

「大上さん!?」

 急いで両腕に風の爪を纏い、大上の上にのしかかった鋼の扉を持ち上げようと試みる。ギリギリ持ち上がったが、大上は頭部から出血していた。

「すみません、今すぐ治療を……!」

「……黒羽クン……大丈夫……。安静にしてれば大丈夫だかラ……」

 当然ながら大丈夫だとは思わない。ハンカチで応急措置を行い、マットの上にまで抱えて運ぶ。

 ――凪、気を付けて。後ろに犯人いる!――

「……チッ、鴉の野郎じゃなかったか」

 入口から聞こえる男の声が聞こえ、咄嗟に振り向く。赤い髪、勇ましさを感じさせる表情。千羽の制服を来ているが、こちらに抱いている感情は敵意。恐らくは外部の妖だろう。僕と同程度の年齢だろうが、その手に持った棍棒と入口に落ちている鋼の欠片が力量の違いを表している。

「今一度聞く。テメェが鴉天狗か?」

 今の言葉で確信を持つ。こいつの狙いは僕で、大上さんは狙いじゃないということ。

「……そうだ。何をしに来た?」

「雁木をやったのはお前で間違いないな?」

 成程、やはり雁木の仲間か。ただ、コイツの隠そうともしない妖力は雁木を凌駕している。ランに交代しようと苦戦を強いられるだろう。

「何をしに来たって聞いてるんだけど。急に大上さん吹っ飛ばしといてその態度は頂けないんじゃない?」

「……あァ、そこの犬っコロか。本当はテメェだけ殺して帰るつもりだったんだが……そいつが庇ったみたいだな。ったく、邪魔しやがって」

 ……大上さんが僕を庇った。そして大怪我をした。つまり僕の責任。すぐに避けられなかった、僕の責任。ならば、たとえ強がりだろうと僕が為さなければならない。僕が、わたしが救わなければ

 ――こいつ、関係無い妖を……!凪、私にやらせて!早く倒さないと――

「今回は僕がやる」

 そう呟き、影で形作った刀を赤髪に構える。あくまで冷静に振る舞うが、内心は怒りに満ちている。関係ない人を傷つけた赤髪に――怪我をさせてしまった自分に対しての強い怒りを胸の内に押し込める。

 ――凪、本気?作戦はあるの?それにさっき、武器の打ち合いは苦手だって――

 心の内の声に応えず、静かに赤髪を見つめる。その紫に光る瞳には、嵐のような闘志が宿っていた。

「……鴉天狗の半妖、黒羽 凪だ。お前は?」

「俺は赤鬼の鬼島おにじま 佑介ゆうすけ。……行くぞ!」

 

 佑介と名乗った鬼は地面を蹴り、こちらへ突っ込んでくる。

 ――疾い……けど突っ込んでくるなら――

 凪はランを真似るように風の刃を形作りを、腰を入れて思い切り振るう。

「『木枯』!」

「懐が空いてるぞ!」

 しかし、佑介は凪の挙動を読んでいたかのように突然姿勢を低くして風の刃を避け、同時に棍棒を振るう。

 ――凪!――

 ランがそう叫んだにはもう遅かった。棍棒が胴体を捉え、大きく段ボールの山へと吹き飛ばす。

「痛ッ……」

 起き上がると同時にあばらに痛みが走る。やはり、こいつは雁木とは格が違う。僕が弱いのもあるだろうけれど、重要なのはこの賭けが成功するかどうかだ。

「自信だけはあったみたいだが……大したことねェな」

 よし、確実に油断した。作戦は上手く展開しそうだ。

 ――凪、大丈夫なの?やっぱり私が――

「……ここからだよ、莫迦鬼」

 煽りと共に刀を佑介に向け、切っ先に風の妖力を集中させる。そう、ここから。は実力のある方が勝つのではない、最後まで立っていた方が勝つのだから。

「突きか?隙がありすぎだな」

 集中させている間に、もう一度突っ込んでくるのが視認できた。佑介の重心は体の左側に傾いている。それが把握できれば大丈夫。

 ――第一、僕は刀の扱いは不得手だ。それが判ればあいつは必ずその隙をついてくる、それが逆にあいつの隙になる!

 佑介が刀を避けるように回り込んだのを確認し、刀を形作る妖力を解除する。そしてそっと脚に風の爪を纏わせる。

「刀を……消した?」

 棍棒を振るう態勢を取っていた彼には脚の爪は視認できていないように見えた。というより、佑介は斬られさえしなければ大丈夫と思い込んでいるように感じる。おそらく鴉天狗と知っていたのは雁木からの情報で、風の刃が直撃したせいで妖力が削られていたのは知っていたのだろう。しかし、それでは甘い。雁木をやった人物と今相対している人物は、全く違うのだから。

「――残念、ハズレ!」

 刀の風を腕に移して爪状に纏い、振るわれた棍棒を右腕で受け止める。攻撃は命中、もしくは回避を予想していたらしい佑介の焦りの表情を確認し、ここぞとばかりに風の出力を上げる。

「………コイツ、ハメやがったな」

「お前の負けだ、赤鬼。――『まとい空爪くうそう〉』!」

 左足の爪を床に食い込ませ、佑介の体に回し蹴りを喰らわせる。佑介が呻き声をあげながら倉庫の壁にひびを入れる程の勢いで衝突するのが確認できた。

 

 ――あ、俺は死ぬのか。案外あっけないな。

『佑介……お前は誇り高き赤鬼だ。私の……大切な跡継ぎだ』

 これは……走馬灯か。親父は厳格だったけど優しい奴だったっけか。

『すまない、佑介……この村は天探女アメノサグメ様に支配される事になった。私は天探女様の下で働く事になるが……家族の安全は保証してくれるそうだ』

 ――天探女。こいつは嘘つきだった。天照大御神アマテラスオオミカミという神様に逆らった悪い神だそうだ。こいつの軍に村は支配され、俺達の安全の保証とかの話はいつの間にか無くなった。だから俺は逆らえずに密偵として千羽に侵入する事になったのだ。

 ――そして、今に至る。もっと自由に生きたかった。もっと後悔しないように生きたかった。そんな後悔ばかりが積もりゆく。

「起きて……佑介。早く起きて!」

 ――誰の声だ。重い瞼を持ち上げる。

 

 目を覚ますと、翡翠の髪の女が俺を見つめていた。

「……ここは?」

「喫茶アヤカシの二階、凪の部屋。全く、凪も変わってるんだから。あなたを殺せばよかったのに、話を聞きたいって聞かなくてさ。治療と制服の補修までしてあげてさ……馬鹿みたい」

 言われて自身の身体を確認する。腹は包帯でぐるぐる巻きにされているが痛みは無く、着ていた服は丁寧に修繕されてベッドの上に畳まれていた。千羽の男子の制服を着た翡翠の女はコップに入った白湯を俺に押し付ける。

「あなたの制服、事情は知らないけど千羽に通ってるんでしょ?回復したなら、さっさと学校行けってさ」

「待て。何であいつは俺を助けたんだ?俺はあいつを殺そうとしたのに」

 女は呆れたような仕草をしながら話す。

「凪は無益な殺しは絶対したくないんだって。例え敵でも、殺すんじゃなくて情報を吐き出すまで――戦意を喪失するまで痛めつけるのと治療を繰り返すんだって言ってたよ。本心かどうかは知らないけどね」

 そう言いながら、女は笑みを浮かべる。

「じゃあ、これは」

「早く情報吐けってさ。起きたならさっさと出てってね」

 女は持っていたノートを机に置き、正鞄を持って部屋から出る。呆れたようなその表情を見て、不意に自分の顔から笑みが溢れる。

「……黒羽、面白いヤツだな」

 

 僕は歩く。昨日より軽くなった正鞄を持って軽快に歩く。肋の痛みこそ完全には引かないが、少しは戦える証明が出来た事が足取りを軽くしていた。

「凪くん、おはようございます」

 刹那、彼を呼ぶ声が聴こえる。しかし、凪くんと来たか。自分をそのように呼ぶ人なんていただろうか―等と思考を回しながら振り向くと、其処には白部が立っていた。

「……白部さん?おはよ、早いね」

「……朝の戦い、見てました。凪くんは半妖だったんですね」

「……はぁ、誤魔化しても無駄か。半妖ってのはあんま好かれないけどね」

 朝早い時間ではあったが、まさか白部さんに見られていたとは。というか気配なんて感じなかったのだが。

「格好よく一撃で決めて、その後は大上さんと鬼さんの治療。その、素敵でしたよ」

「まぁ、殺しはしたくないしね。ところで、『凪くん』って」

 顔を赤らめながら話す響に凪は言葉を返すと、さらに顔を赤くして狼狽えだした。―――成程、察した。

「えっ、あの、その……ダメ、ですか?」

「ううん、構わないよ。早く行こっか、ひびき

「え?あの、下の名前」

「……あれ、迷惑だった?」

「いえ、とても嬉しいです!それじゃ、一緒に行きましょう!」

 半妖というだけで嫌われる事もあった。姉も僕も、それを口実に虐待を受けていた。それでも、今はこの血を認めてくれる人がいる。それだけで嬉しかった。

 ――……いい雰囲気の所悪いけど、凪。後ろから佑介が来てる。学校で話、聞けるかもね――

 

「やっほー、鬼くん」

 佑介の右後方から聴こえる声の主の方向を振り返ると、そこには蒼髪の女性がいた。

「……雪女か。何の用だ?」

「雪女じゃなくて、氷室か凉葉って呼んで。さっき、黒羽くんに負けてたねー」

 傷口に塩を塗り込もうとしているような発言だが、その塩が痛むような傷は佑介にはなかった。

「……あいつは戦闘慣れしてねェ。だが偽りの弱点を握らせて、そこを突こうとしたらやられた。あいつは将来化けるな」

「妖はみんな化けるけどねー」

「そういう意味じゃねェよ。……とにかく、お前等に話す事がある。昼、鴉と雷獣を屋上に集めてくれ」

「おっけー。それじゃ、また後でねー!」

 涼葉はそう言って、駆け足で前方を歩いていた凪と響に合流する。楽しそうに会話する三人からは、軍の妖には感じられなかった、佑介の求めていたものを感じる事が出来た。

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