千羽高校アヤカシ連盟

織部けいと

一章 探女編

四月・始動の春

一話 始まりは春の嵐

 妖怪。あやかしとも呼ばれる彼等は、人の理解に及ばぬ存在。

 時に力を用いて人を助け、時は力を用いて人を殺める……バケモノだと僕は思う。

 ……うん。今は人と共存しているけど、妖はバケモノなんだ。簡単に命を殺める事が出来る、そういう存在だ。

 

 毎晩酒を呑んでは僕や母に殴りかかる父親がいた。僕も、姉も、母も、父に怯えながら過ごした。痣だらけの身体を必死に動かしながら、毎日過ごした事は覚えている。正直、僕達はもう限界を越えていたと思う。

 父親は化物であった。簡単に言えば、人間ではない存在だった。正確には鴉天狗からすてんぐという妖怪で、昔は人間に仇なす妖怪を討つ珍しい妖怪だったとされる。しかし、妖怪の信仰が薄れた現代、父は美しい人間であった母を妻にめとったそうだ。そして、その間に産まれた、人でも妖怪でもない『半妖はんよう』の僕と姉を忌み嫌っていた。所謂いわゆる半端者であった姉と僕を、母は愛してくれた。だから僕は、母の力になりたかった。

 

 ある日、私は一つの決断をした。

 ――鴉天狗が妖怪をやっつける妖怪なら、私だって――

 齢八歳。山奥で暮らしていた為、学校に行っていなかった私には知識が無かった。判断能力が無かった。そしてなにより、私は幼すぎた。

 ……それでも、皆を苦しませる父を、私は許せなかった。

 いつものように酒を飲む父に対して、私は拳を握り締めた。

 ――こいつさえいなければ、僕も、姉さんも、母さんも、苦しまずに済むんだ――

 拳の内側で風が渦巻く。握り締めた拳を緩めると、風が刃の形に変化する。

 ――もう、あいつらを苦しめようとするな――

 脳裏に三人の顔を浮かべながら、ゆっくりと父親に歩みよる。そして、首筋に風の刃を振るう。

 

 父親の体温が冷たくなっていく。母も、姉も唖然としている中、私の脳内はクリアだった。一切の感情も無く振るった風の刃は、いつの間にか手元から消えていた。

 

 あれから、どのくらい時が経ったのだろう。あの時の僕は、一体何を考えていたのだろう。ねぇ、教えて?僕はあいつが死んだ時何を思った?何を望んだ?待ってるから、その答えを教えて欲しいな。

 

 ……私は、待ってるから。


 じりりり、じりりり。

 枕元の時計から発せられる耳障りな機械音に意識が叩き起こされる。先程までの嫌な夢と相俟って気分は最悪、酷い朝だ。

 じりりり、じりりり。

 鳴り止まぬ不快音に拳を振り下ろし黙らせる。半開きの瞳が映す時計の短針は七の値を指し示し、もう朝だぞと空気を読まずに伝えている。全く、これだから機械は嫌いなのだ。

「……ん?しち……じ……?」

 目を擦り、脳味噌を頑張って覚醒させる。普段の起床時間は午前五時、そして今は午前七時。うん、これはまずい。休日ならまだしも、今日はまずい。

「……完全に遅刻だ……!?」

 意識が完全に覚醒すると同時にベッドから飛び跳ねる。急いで寝間着を脱ぎ捨て、クローゼットの中の学ランを身に纏う。学生鞄を肩に掛けて自室を飛び出し、階段を駆け下りようとして――

「うわああああぁ!?」

 ――盛大に転倒した。階段を転げ落りて一階に放り出される身体。幸い怪我は無く痛みも少ないが、流石に心が弱ってしまう。

「おはよう、なぎ。元気なお目覚めね」

「……おはようございます、はるさん。……ところで、お客様は?」

「今はいないわよ。そもそも凪、今日はシフト入れてないでしょ?そんなに急ぐ必要は無いと思うけど」

 喫茶の制服を着た紫の髪の若い女性、晴が微笑みながら問いかける。確かに今日は晴の手伝いの予定は無いが、それよりも重大な事があるのをこの人は分かっていないのか。

「……あの、僕、今日から学校なんだけど」

「……あれ、入学式って今日だったっけ?すっかり忘れてた」

 素頓狂すっとんきょうな発言に思わず溜息が溢れる。晴は一応僕の養母なのだが、どうにも抜けている。僕も晴の事は母とは思っていないが、それでも養子の入学式の日程を忘れるのはあってはならないと思うのだが。

「……もぉ、凪って昔っから冗談通じないわよね」

「はいはい、善処致しますよ。それじゃ、時間も無いし行ってくるから」

 晴の言葉を軽くあしらって、僕は玄関のドアノブを引く。カランカランというベルの音を鳴らし、自宅である喫茶店を後にした。

「……行ってらっしゃい、凪。本当に、成長したわね」


 春の陽気、澄んだ青空。入学式日和と言うべき気候の中、心中は曇天模様であった。ただでさえ入学式に対する不安が大きいのに、朝からあれでは心の平穏など訪れる筈も無かったのだ。

「憂鬱だ……」

「あのー」

 寝癖の残った深紫の髪を手櫛できながら、暗い面持ちで歩みを進めている。今日から入学する私立千羽高校せんばこうこうまでは徒歩二十分、開式が八時から。遅刻だと飛び起きた割には存外時間に余裕があったが、急ぐ必要が無くなった分、心の内の暗い感情が徐々に増幅されてしまう。

「はぁ……走って学校に行った方が良かったかな……。余計な事考えずに済むし……」

「すみませーん」

 そうぼやくが今から走る気は毛頭無い。そんな元気などとっくに使い切っているのである。ただ下を向いて、自分のペースで登校する事が精一杯であった。

「あのー!そこの紫の髪の子ー!」

 故に、背後からの声への反応が遅れてしまった。はっとして後ろを振り返ると、そこにはセーラー服を着た蒼のロングストレートヘアーの少女が笑みを浮かべて立っていて。

「はぇっ?……あの……僕に何か……?」

「ねぇ、君って喫茶店の子だよね?」

「あ、うん……確かにそうだけど……」

 唐突に放たれた問いに訝しげに答える僕に対して、蒼の少女は「やっぱり!」と晴れやかな笑顔を浮かべる。そして凪の手を取ったかと思うと、あろう事か上下にぶんぶんと振り回し始めた。

「え、あの、ちょっと!?」

「そっかー、何回か見掛けてたけど同級生だったんだ!あ、私は氷室ひむろ 涼葉すずは、よろしく!それで、君の名前は?」

「僕は黒羽くろはね、黒羽 凪!だからちょっと、腕振るの一回止めて!」

 静止の声に涼葉と名乗った少女はようやく手を離す。そして反省した様子でごめんと頭を下げ、脊髄反射で謝罪を返す。

「ごめんね?私、結構強引な所あるらしくて。それで、本題なんだけど」

 そこまで言って涼葉の口が止まった。彼女の視点の先では時計が七時四十分を示しており、このペースだと入学式の受付に間に合わない事を伝えている。

「黒羽くん!ちょっと走るよ!」

「氷室さん?どうしたの急に……って」

 凪が気付く前に涼葉は腕を掴み、息を整えて学校へと全速力で駆け出した。引っ張られ狼狽うろたえながらも彼女に速度を合わせて走る。

「ちょ、自分で走れるから!走れるから一回離して、氷室さん!」

 そうして二人は一心不乱に町中を駆け抜ける。そうしている間に、心の内にあった暗い感情はどこかへと吹き飛んで行った。




 結果として、入学式にはギリギリ間に合った。会場は体育館、並べられたパイプ椅子に新入生達が揃って座っている。席の指定は特に無いらしく、僕は涼葉の隣に座る事にした。

「……良かったね……間に合って……」

「本当だよ……。気付いてくれて助かったよ、氷室さん」

 涼葉に礼を述べると同時に体育館のスピーカーから教師の声が響く。入学式が始まったのだ。思わず姿勢を正し、スピーカーの声に耳を傾ける。

『皆さん、入学おめでとうございます。私が校長の江東えとうと申します』

 しかし悲しいかな、校長の話ほど退屈なものはありはしない。序盤の方で話を聴く気力が失せてしまい、眠気が襲い来る。

「ふぁあ……すー……すー……」

 そして開始三分で涼葉が寝息を立て始めた。これはまずいと涼葉の肩をそっと叩くが全くもって反応が無い。相当疲れが溜まっていたのだろうか、目の下にくまも見受けられる。

「……氷室さん、頑張ってたからね」

 思えば、先程彼女が言っていた『本題』とは一緒に登校しようという誘いだったのかも知れない。恐らくは僕と一緒で入学式が不安で眠れなかったのだろう。その対策として、同級生と一緒に登校する事で不安を和らげる。成程、それなら道理が通る。

「でも、同じような状態の僕に声掛けるなんて……」

 優しいんだね、と心の中で呟いて、

 ――ねぇ、それって本心?――

 刹那、嘲笑うかのような女の声が脳裏に響く。

「誰……!?」

 声の主に小声で呼び掛けるが反応は無い。式中なので周囲の生徒や教師が発言した様子も無く、涼葉に至っては眠っているので論外だ。だとしたら、一体だれが。

「おーい、黒羽くーん?起きてるー?」

「……はぇっ?氷室さん?起きてたんだ」

「もぉ、何言ってるの?黒羽くんが寝ちゃってる間に式終わったんだよー?他の子達もみんな教室に行っちゃったし……」

 ……あれ、何かおかしい。さっきまで確かに校長が話してて、嘲笑う声が聴こえたと思ったらもう式が終わってて。駄目だ、その間だけ僕の時間が無いみたいで記憶がはっきりしない。

「……黒羽くんも疲れてるのかな?取り敢えず、私達は一組だって。それじゃ、行こっか?」


 始業式を終えて一年一組の教室に入ると、涼葉と凪以外の全員が各自の座席に座っていた。涼葉は窓側二列目の最前列、凪の席は最後列の一番廊下側。左隣に座っているのは白髪のはねっ毛の大人しそうな少女だ。しかし、何やら少し震えているように見受けられる。

「あの……大丈夫?」

「え?あの、その……すみません、少し緊張していまして……あの、私、白部しらべ ひびきといいます。宜しくお願いしますね」

「うん、よろしく。僕は黒羽 凪。お互い頑張ろうね、白部さん」

「あ、え……はい!」

 なにやら顔が赤い気がするが、本当に大丈夫なのだろうか。緊張のしすぎで体調を崩さなければいいのだけど。

「あ、黒羽さん。そろそろ先生来るみたいですよ?」

「え、本当に?」

 彼女の発言に思わず驚きの声を上げてしまう。響より廊下に近い僕の席でも音は聞き取れなかった。決して自分も聴力が悪い訳ではないのだが、響は常人をも凌駕する聴力の持ち主という事だろうか。

「はい。私は昔から周りを気にする事が多くて……離れた所の音とかを気にしてたら、判るようになりました」 

「そうなんだ、凄いね。僕も聴力はいい方だと思ってたんだけど」 

「えへへ……聴力と、後は意識ですね。なんか久しぶりに褒められて、照れるなぁ……」

 話終えて間もなく、巨大な段ボールを持ったスーツ姿の若い男性が教室に入ってきた。

「皆さん、入学おめでとうございます」

 そう言うと、男性は教卓の上に段ボールを置き、黒板に赤のチョークで『半田 進』と書き、その上に『はんだ すすむ』とルビを振った。

「僕は半田といいます。皆の担任になるので、一年間お願いしますね」

 半田が紹介を終えた途端、皆が拍手をする。女子に至っては半田の爽やかオーラ的なものに当てられてキャーキャー言っている。いや、響は落ち着いているため全員ではないのだが。涼葉は――何やら冷めた目で前方を見ている。

「半田先生は……いけめん……なんですか?」

「はぇっ?」

 白部に唐突に質問されて、気の抜けた返事をしてしまう。急に聞かれてもイケメンの基準は人それぞれだと思うのだが。

「イケメン……かどうかはよく解らないけど、結構な人の視点から見ればそういうのに分類されるんじゃないかな。僕はテレビとか見ないからイケメンの基準は判断できないけど」

「え?テレビ見ないんですか?」

「普段は新聞か本読んでるか、店のラジオ聴いてるかだね」

「……お店?」

「……まぁ、後でね。何か始まるみたいだし」

 話に熱が入りそうだったので、半田の話に意識を切り替える。案の定、小話が終わり本題に入る所だった。

「……では、今から教科書類を配って行きますので、後ろの席に回してください」

 はい出た、初日恒例の配布物地獄。配られているときのみならず、帰路でも重量の増した正鞄の中身を怨めしく感じる忌々しい行事だと知人が言っていた。

 まぁ、もう高校生で力も十分ついてると思うし、自宅までは徒歩二十分程だから何とかなるだろう。

 

 ――と思っていた一時間前の自分を殴りたい。

 午前十一時。鞄を圧迫する教科書類と大量のプリントに抱く感情は、もはや忌々しいを通り越して『無』になりつつあった。

「半田ぁ……何でこんなに……一日で……」

 限界だった。このまま休憩を挟まずに帰るのは流石に無茶だと判断する。

「もぉ無理、あそこの公園で休憩しよ……」

 三分間力を振り絞って、八十八やそはち公園と書かれた石柱の下に辿り着く。川に面した小さな公園だが、桜の木の下にあるベンチはマイナーながら人気の花見スポットである。ようやく目指していた目的地の方面を見ると、先客が何やら和やかに談笑していて。

「……あ、氷室さん。白部さんもいたんだ」

「やっほー。黒羽くんも休憩?」

「やっぱり、黒羽さんにも重かったんですね……」

 残る力を振り絞ってベンチへとたどり着き、力尽きるように座りこむ。これが異常な重さなのか、自分の力が無さすぎるのか。後者では無いことを望むばかりだ。

「これ重すぎでしょ……。氷室さんたちも休憩?」

「うん……これ、やっぱり異常な量だよね。それで休憩してたら、響ちゃんもここに来たの」

「凉葉さんもいい人で、もう仲良くなれました。沢山お話したんですよ」

 あ、もしかしたら女子トークの邪魔をしてしまったかもしれない。折角仲良くなれたのに些細な事で関係を崩したくはないし、今後は気を付けよう。

 ――どうせ上っ面だけの友情なのに、何に気を付けるの?――

 ……またあの声。まるで僕の心を読んでいるかのように、思考に対して毒づく発言をしてくる。一体何者なのだろうか。

「……黒羽くん?どうしたの?」

「さっき、何か聴こえなかった?」

「え……?特に何も聴こえなかったけど……」

「私にも聴こえませんでした」

 やはり。あくまで推測だが、この声は僕の脳内に直接語りかけてるようだ。そして、心を読む事ができる存在――また語りかけてきたならば、対話にも挑んでみよう。

「黒羽くんって、たまにボーッとしてるよね」

「……はぇっ?ボーッとなんてしてないよ?」

「いや…『はぇっ?』て返事した時はボーッとしてたって事…分かってるからね?」

「えぇー……」

 恥ずかしい。今日は厄日か何かなのだろうか。ここまで来ると今日はもう何をしても上手くいかない気がしてくる。おまけに何か嫌な予感もするし。

「あれ?何か急に曇ってきた?」

 ……いや、違う。

「本当ですね……。早く帰った方がいいかな……」

 これ、嫌な予感じゃ済まない……!

「二人とも、急いで帰るよ!この雨、本当にヤバい!」

「え、本当ですか!?それでは、お先に!」

「響ちゃん、じゃねー!黒羽くんもバイバーイ!」

 涼葉と白部が足早に帰るのを確認し、川に視点を移した途端、突如大雨が降りだした。そして、水面から泡がブクブクと吹き出ている。

「鴉の凶兆は馬鹿に出来ないな。……それで、何のつもり?」

 泡に向かって言葉を放ったその刹那。泡の吹き出る水面から怪物が現れた。毛むくじゃらの姿にヤスリのような歯、両手両足に水掻きを持つ異形の化け物。即ち、あやかしである。

「貴様ァ……オレの気配に気づくとはァ……若い女を二人も喰らう絶好の機会だったのによォ……!」

「残念、完璧に気配を消しても的中率の高い勘には勝てないんだよね」

 ちなみに、妖と言ってもその性質は一辺倒では無い。友好的な妖もいれば中立の姿勢を取る者もいる。けれどコイツは、残虐の限りを尽くす非道の妖のようだ。

「貴様ァ、人間の癖に怖くないのかァ?」

「お前みたいな奴ら、ハロウィンの渋谷には沢山いるよ?」

 怖い。本当は怖い。こんな化け物が殺気を放ってるんだ、怖いに決まってる。

「……まさかァ、オレをなめてんのかァ?どうなるかわかってんのかァ?」

「さぁね。別に興味無いし」

 けれど、この化け物が氷室さんを、白部さんを襲うつもりなのは解ってた。僕が逃げたら彼女たちは襲われてた。僕が怖いのは自分が危険に晒されてるからではない。折角仲良くなれた友人を失う事が怖いんだ。

「小僧ォ、殺されたいみたいだなァ……!」

 ――だから、救えるものは救わなければいけない。……例え何も救えないとしても、救わないなんて択は無い。

「殺されるつもりは毛頭無いね。ただ、お前を好きにさせるつもりも無いけど」

 ――けれど、無力な自分ではコイツを倒せる気もしない。ならば、勝利条件は一つだけ。帰宅中の氷室さんや白部さんに近づかせないように、標的を僕一人に集中させながら逃げ続ける。そして得体のしれない怪物のスタミナが切れるのを待ち続ける。それが、救えない僕にできる唯一の勝利条件だ。

「舐めた口をォ……!」

 よし、完全に挑発に乗った。これなら奴の思考は僕に向く。一応の安全は確保できただろうか。

 ――心からあの娘達を大切な友達って思ってるんだ。分かった、後は私に任せて――


 刹那、またあの声が心の内に響き渡る。

 



 ――あ、一瞬思考が鈍くなった気がしたけど――

 凪は地面に落ちた桜の小枝を拾い上げ、怪物に先を向ける。

「さぁ、来なよ。お前の相手は私がしてやる」

 ――え?僕は何を言ってるの?流石に挑発しすぎ、こっちもヒートアップしちゃ意味ないでしょ!――

 慌てて攻撃に備えようと構えをする。しかし、

 ――身体が、動かない……?――

「愚かな貴様にオレの名を教えてやるゥ……泣く子も黙る雁木小僧がんぎこぞう様だァ……!」

 怪物がヤスリのような歯をこちらへ向け、そのまま突っ込んでくる。

 ――動け、動けよ僕の身体!早く避けろ!――

 いくら意識を集中させても身体は全く動かない。ただ、僕の意思とは関係のない所だけが動く。

 「……焦らないで。あなたは……私は強いからさ」

 動かすつもりの無かった口を使い、『私』は聞き覚えのある落ち着いた声で言った。ついさっきも聞いた、あの声で。

「――重ねて、『風刃ふうじん』――」

「死ねェ!」

 避けようとする僕の意思とは反対に、身体は手に持った桜の小枝を振るう。

「――『木枯こがらし』!」

 口が何かを唱えた途端、鋭い風の刃が怪物の身体を通り抜ける。

 ――あぁ、やっぱり僕はバケモノなんだ。また、僕の手は――

 大雨が止むと同時に、怪物は川へと沈みゆく。その様子を『私』は、満足そうに眺めていた。

 

 ――あいつは、死んだんだろうか――

 その疑問に答えたのは、『私』の身体であった。

「あいつは死んでないよ。ただ、妖の力である『妖力ようりょく』を削りとったんだ」

 改めて『私』を確認する。翡翠の色に染まった長い髪。一回り細くなった身体。そして、入学式の時や公園で聴いたものと同じ、綺麗な女性の声。ブカブカになった千羽の男子の制服が、『私』の正体を告げているように感じた。

 ――ねぇ、君は…?――

「教えてあげる。私は、もう一人のあなた。あの父親から継いだ鴉天狗の妖力と、昔のあなたの『変わりたい』って思いの力が混ざりあって生まれた…もう一人のあなた」

 ――妖力……思いの力?どういうこと?――

「まぁ、簡単に説明すると……強い思念は『言霊ことだま』っていう妖力になるんだ。言霊が強すぎると、言霊は妖としての形をとる」

 ――思念が妖力になる?訳が分からない――

「まぁ、そこも話すと長くなるから省くけどさ……普通は妖力は人の身体に納まらないから別の所で妖になるんだけどね、あなたの場合は半妖……つまり半分が妖怪だから、あなたの中で私が生まれたって事だね」

 ――えぇ……急過ぎるし情報量多すぎるし理解できる気しないし……それより何で見た目変わってるの……?――

「これは……妖って化けれるからさ。私の精神的な性別って女だし……とにかく、あなたも私も、どっちも『凪』だから。今回みたいに妖が絡むトラブルの時はこの身体借りるから。いいね?」

 ――なんか釈然としないんだけど。後、早く帰りたいんだけど……ずぶ濡れだし、荷物も大量にあるし――

「はぇっ?」

 思考が上手くまとまらない。入学式があって、友人ができて、妖に襲われて、なんか多重人格みたいな部分出てきて。

「私は多重人格じゃないってば!さっきも言ったけど、私はあなたの妖力で、性格は違うけど、あなたと同一の存在なんだって言ったよね?」

 ――それを端から見れば多重人格というんだよ――

 それはともかく、解らない事は少しずつ整理していこう。今理解できないなら、後で考えればいい。何やら、大変な事になってしまったという事実だけは理解できたのだから。




――これは、救い護る為の物語。

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