第34話 心の距離Ⅹ

 「浅井くん、あのね─────────」


 窮地の状況において、浅田さんが声をかけてきた。


 一体なんだろう。


 「あの女の人は、私達を殺すことはないよ」


 「なんでそんなことが......あっ」


 最初は気づけなかったが、僕はハッとした。なんで忘れていたんだろう。


 そう。浅田さんは他人の感情を読み取ることができる。


 その能力はBranchのもの。全世界の人間の意識エネルギーを宿した力。


 だから、浅田さんが教えてくれることは間違いないだろう。


 「後、深井くんの左手の力を怖がっているのが伝わってくる」


 ─────────なるほど。


 これなら、交渉の余地があるかも知れない。


 何も行動を起こさなければ、きっと事態は悪化していく一方だ。


 やってみよう。







 「神崎さん、交渉しませんか?」


 「は?何を言ってるんだ?この状況が分からないのか?」


 神崎は不適な笑みを見せた。


 「不利な側の要求を飲むメリットはこちらにはない」


 そりゃそうだ。


 神崎には銃を持った4人の部下がついている。しかも神崎の力である「戦争」のエネルギーによって強化された兵士。


 対してこちら側は、唯一対抗できる長坂が腹部に銃弾を受けて倒れている。僕と浅田さんには直接的な戦闘の力は皆無に等しい。


 交渉に持ち込むには戦力差がありすぎる。


 それでも、僕には策があった。


 「そうでもないですよ。あなたは、僕達の力を戦争に利用したい。そうですよね?」


 「ああ、その通りだ」


 「長坂さんの力も戦争利用したくありませんか」


 「─────────は?」


 神崎は先ほどとは打って変わって、至極驚いた顔をした。こちら側が結託しているものと思い込んでいたが、突然仲間を売った僕に驚いたのだろう。


 「僕の力は知っていますよね?パイプの開け閉めをする能力だそうです。それを使って長坂さんを制御するんですよ」


 「制御......?」


 「神崎さんの都合が良い時にのみ長坂さんの能力を使えるようにすれば、未来の記憶を知ることができる。すると戦争時に相手がどんな戦法をしてくるか、未来予知をする事ができます」


 「たし、かに」


 「長坂さんがその強大な力を持って協会側で戦う場合、神崎さんにとっては厄介な存在になるでしょう。それを僕がこの場で無力化して、長坂さんをこちらの陣営に加えれば良いんです」


 この交渉をするにあたって浅田さんの反応も重要だった。


 もし「そんなの嫌だ」のように騒がれてしまっては交渉にノイズが入ってしまう。


 でも、浅田さんは堂々としてくれた。


 僕の策略を感情から読み取って理解してくれたのだ。


 「ここで殺すのは勿体無いですよ。僕は貴方に付き従い、浅田さんと長坂さんをコントロールする。そのためにまずは長坂さんのパイプを閉め、力の主導権を手中に収める。どうですか?」


 さあ、エサは撒いた。


 あとは神崎がこれに食いついてくれるか。


 「─────────もしお前が裏切ったらどうしてくれるんだ?」


 「その時は僕を殺してくれれば良いですよ。貴方の能力を使えばいつでも可能でしょう?」


 神崎はしばらく黙考し、そして口を開いた。


 「......まあ、お前たちが私に協力的になってくれるのであれば面倒が減る。長坂も、制御できないから殺すつもりでいたが、お前がいれば可能になるだろうな。分かった、その交渉呑もう」


 よし、ひとまず成功だ。


 あとは─────────


 「じゃあ早速長坂さんのパイプを閉めますね」


 そう言って僕は長坂の側に歩き寄った。


 「無力化したら神崎さんの本拠地に急ぎましょう。治療しないと利用できるものも死んでしまいます」


 「まあ、そうだな」


 目の前には、腹から血を流した長坂が倒れている。


 しゃがみ込み顔を覗くと、か細い呼吸が聞こえ、弱々しく胸が上下しているのが見て取れた。


 神崎も、様子を見る為かこちらに近づいてきた。


 都合が良い。


 僕は長坂のパイプが存在する右耳に手を伸ばす。






 ─────────その直後






 「隙ありっ!」


 油断していた神崎の足元に飛び掛かり、左手で神崎の右足を掴んだ。神崎が能力を使うきっかけにしていた足だ。おそらくパイプはここにある。


 取った。しかし、それでも、気がかりな事があった。


 僕は今まで、意識的にパイプを閉じた事はない。


 成功するか分からない不安の中、僕は精一杯、蛇口を捻り閉めるイメージを脳内で描く。


 すると、確かに手応えを感じた。


 「─────────き、貴様っ!」


 神崎の反応はワンテンポ遅れたが、すぐに振り解かれ、そのまま蹴飛ばされた。


 「ぐっ─────────」


 「やってくれたな......!お前ら捕らえろ!」


 しかし、神崎の部下は動かない。


 神崎の能力で復活した兵士は、能力が無くなればエネルギーを失う。


 そのままバタリバタリと4人全員が地面に倒れ伏せた。


 神崎はもう、自分の力のみで僕達に対処しなければいけなくなったのだ。


 「お前、私の能力を元に戻せ!」


 「いや、だ─────────!」


 否定の言葉を捻り出した僕。しかし、蹴り飛ばされた僕は体勢を立て直す事ができず、また腹部を蹴られる。


 大振りの蹴り。サッカーボールキックだ。


 能力が無くなったとはいえ、おそらく軍人相当のトレーニングをしていたと見られる神崎の身体能力は馬鹿にならない。


 僕は数秒息ができなかった。


 蹴りのあとは、髪を掴み上げられ、顔面を殴られる。


 「くそ!くそ!クソ!早く元に戻しやがれ!」


 「────────────────────────────────────っづぅ!」


 ボコボコにされながらも、僕は屈しなかった。


 しかし身体には限界がある。


 顎先を捉えられ、視界がぐるんぐるん回る。


 もうダメか、そう思った時に、一発の銃声が鳴った。






 僕の目の前で鮮血が弾ける。


 神崎は赤い液体を頭から垂れ流しながら地面に倒れた。


 横を見ると、長坂が銃を構えていた。


 神崎の部下が落としたハンドガンを使い、頭部を撃ち抜いたのだ。


 僕はこれを信じていた。逆に、勝機はここしかなかった。


 僕も自分の体重を支える力は残っておらず、地面に突っ伏す。


 やり切った。やってやったぞ。


 全身は悲鳴を上げていたが、それでも心は満足感に浸っていた。






 「深井くん、大丈夫!?」


 浅井さんが倒れていた僕の元へ駆け寄ってきた。


 上半身を抱えられ、顔を覗かれる。


 「うん、まあ、とりあえず生きてる。ははは......」


 身体はボロボロだし、返り血でベトベト。


 そんな状態の僕を、浅田さんは遠慮なく抱きしめてきた。


 「よかった......!生きてて、よかったよ!」


 もう節々の痛みは、抱きしめられた感触や暖かさで塗り替えられた。


 僕はついに誓ったことを実行できたんだ。支えになる事ができたんだ。


 頼ってもらえるように、なったんだ。


 「深井くん、私を助けてくれて、守ってくれて、ありがとう─────────」


 その一言を聞いた後、僕は意識を手放した。

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